094 四獣将
◇
「ダメだな。やはり城内に姫様の姿はない」
シュレディング城の一室、左目に三本の傷痕を持つ隻眼の老人は、先に戻っていた二人に状況を報告した。王の妹が行方不明。それだけで、この部屋に集まる三人には重大な事件だった。
「こんな時だってのに、姫様はいったいどこへ行っちまったんだ……」
「姫様は聡明でござる。現在の状況も十分承知してござろう。軽はずみな行動で姿を消されるなど、考えられんでござる」
男たちの中で一際大きな体を持つ男が姿を消した姫に対して愚痴るが、すぐさま着流しを着た細身の男が口を挟む。
「そうは言うけどよ、現にこうして……まさか、人間が来て攫ってったって可能性はないだろうな?」
「それはない。何者かが侵入した形跡はなかった。以前、人間どものギルドとかいうところの者が忍び込んだ時よりも、警備は強化している」
大男は姫が攫われた可能性を示すが、今度は隻眼の老人が否定する。
老人が口にしたのは、アニスが獣人の情報を得ようとして放った、情報収集を専門とする冒険者だ。しかし、あえなく見つかり、獣人側もこれ以上の侵入は許すまいと警備を強化していた。
「ああ、そんなこともあったな。そういや、どうして殺さなかったんだ? 相手は人間だ。何も遠慮するこたねぇだろ。ゲンさんは人が良すぎるぜ」
「何言わぬ骸として返すことは簡単だが、恐怖を知った者から聞く言葉というのは効果的だ。事実、『二度目はない』と簡潔に伝えただけで、以降、侵入者は来なくなった」
隻眼の老人――ゲンは建前として大男に説明したが、人間を生かして帰した理由は他にもあった。
ゲンは若いころに、一度だけ友人を捜して現れた人間と話したことがある。そのころはゲンも人間を毛嫌いするあまり、手合わせなど申し込んでみたが、それを機に、人間も悪くはないものだと打ち解けた過去を持つ。
だが、その時には生まれてもいなかった若い大男に話しても意味はないと、口にはしなかった。今は和平を説いた先王の時代とは違うのだ。絶対強者が頂点に立つこの国では、力こそがすべて。弱き者は、王が変われば考えも変えなければならない。最後の足掻きにと新しい王に挑んでみたものの、ゲンの力では王に傷一つ負わせることはできず、己の左目を失うだけだった。
もはやゲンに残された道は、四獣将のまとめ役として生きるしかない。
「はっ、なるほどね。俺たちには使えない手でも、人間相手には有効ってことか」
「それよりも、今は姫様を見つける方が先決ではござらぬか? 姫様に何かあってからでは遅いでござるよ」
話が逸れそうになったことで、着流しの男が割って入る。このまま姫が見つからなければ……もしも、最悪の状態などで発見されようものなら、それこそ文字通り、世界の終わりだ。おそらくは獣人だけが生き残るというようなこともないだろう。現在の標的である人間だけでなく、その他の種族さえも、彼らの王の狂乱によって終わりを迎えることになりかねない。
「わかっている。だが、俺はお前たちほど鼻が利かん。そのお前たちも鼻の調子が悪いでは、今はクロウがレオネイラ様のもとから戻るのを待つしかない。一般兵に知られれば、姫様が消えたことが広まるのは必定。なんとしても俺たちだけで見つけねばならん」
「鼻が利きすぎるってのもよくねぇな。客人が連れてる被りもん……あいつ、臭すぎるったらねぇぜ。いろんな匂いが混じってるせいで、麻痺しちまったのか使いもんにならねぇ」
「拙者も同じにござる。その点、クロウ殿は接触が少ないからか、まだ大丈夫な様子でござった。ここは任せるしかござらんな」
「へっ、四獣将のうち三将までもが新人頼りとは情けないぜ」
「クロウ殿も、拙者たちに負けじと頑張っているでござるよ。レオネイラ様に連れられて来た時はまだひよっ子にござったが、今はレオネイラ様に拾われた恩に報いようと、頑張っているのがひしひしと伝わってくるでござる。今は同僚として、素直に手を借りようではござらんか」
「わあってるよ。それに、俺だってあいつのことは気に入ってんだ。毎晩レオネイラ様の相手をしてるだけあって実力もつけてきてる。四獣将だって認めてねぇわけじゃねぇよ」
大男が豪快に笑っていると、そこへ浅黒い肌を持つ、一人の少年が現れた。
「お待たせしたっす」
「おう、待ってたぜ。その様子じゃ、今日もこってり絞られたみたいだな」
少年の姿を一言で表せばボロボロ。ここへ来るまで、王直々に鍛えられた少年は、殴られた痕が生々しく残っていた。
「もう慣れたっす。それより、びっくりしたっすよ。レオネイラ様との鍛錬中にゲン爺が来たこともそうっすけど、こっそり握らされた手紙を読んだ時は心臓が飛び出るかと思ったっす。受け取った次の瞬間にはゲン爺いなくなってるし、隠す場所もないからその場で飲み込むしかなかったじゃないっすか。しかも、レオネイラ様はゲン爺と手合わせしたかったのか、ゲン爺が姿を消したせいで一段と機嫌が悪くなるし、八つ当たりされるしで最悪っすよ」
「それは悪いことをしたが、こっちも急ぎだったからな。今日は早めに切り上げてもらわにゃならんかった。ちなみに言うと、俺がレオネイラ様のいる時に鍛錬所に顔を出さんのは、レオネイラ様と手合わせしたくないからだ。この老体でレオネイラ様と組み手でもしてみろ。その場で殺されかねん」
年老いてますます磨きがかかり、王に左目を奪われてさえ衰えを見せないというのによく口が回るものだと、他の三人は考えても口には出さない。今は時間がないこともあるが、あながちありえないとも言い切れないからだ。戦闘狂である王は強い者との戦いを好む傾向にある。王が愉悦で顔を歪ませながら四将のまとめ役でもある老人から左目を奪った時から、大男も、着流しの男も、王がいる時には鍛錬所には顔を出すまいと決めていた。クロウという生贄……もとい、仲間がいて、本当に助かったと思わざるをえない。
「まあ、それは置いといて、だ。どうだった? お前のことだ。ここに来る前に確かめるくらいはしたんだろう?」
「っす。結論から言えば、姫様の匂いは城の外に続いてたっす。誰かと一緒ってわけでもなく、一人みたいっすね」
人払いをしているといっても、誰が聞いているかもわからない。少年はここにいる者たち以外の者に聞かれてはまずいと、声を落として話す。
「一人……か。いや、むしろ一人だったからこそ、城を抜け出せたと考えるべきか。あの姫様なら警備の目を抜けるくらいはたやすいだろうしな」
「そんじゃま、捜すのは城の外で決まりだな。クロウが鼻頼りで先行するにしても、俺たちも任せっきりにもできんわな」
「承知したでござる」
四人は頷き、座っていた三人は椅子から立ち上がる。
「時にクロウよ。お前、レオネイラ様はどうだ? あの方も二十四になられた。そろそろお世継ぎのことを考えてもらわねばならん。純粋なライオン族の血を求める者もいるが、同族でありながら、レオネイラ様を妻に迎えたいとする気概あるライオン族がいないでは話にならん」
ゲンの言葉に、クロウはビクリと震える。
獣王レオネイラとは女だ。しかし、女の身でありながら、獣人の誰よりも強い。王がひとたび力を振るえば、人間の国など瞬く間に滅ぶであろうことは、四獣将の誰もが信じて疑わない。だからこそ、絶対強者である王に逆らう者はいないし、かつて人間によって奪われ、隷属し、果てには寒風吹きすさぶ北の大地に追いやられた恨みを、何千年経とうが忘れることはない。
ただ一つ、王に対して疑問があるとすれば、どうして今も人間を嫌う王が、目の前の敵と睨みあったまま動こうとしないかだった。相手が手を出してくるまで待ち、その大義名分を持って戦争に踏み切ろうとしているのか、はたまた別に理由があるのか、王に進言などしようものなら命がないと知ってか、誰も理由を聞けずにいた。
「そ、そそ、そんなおそろし――滅相もないっす! それこそゲン爺がレオネイラ様のつがいになればいいっスよ。ゲン爺もまだまだ現役でいけるっすよね?」
「ば、馬鹿者! そんなおそろしい真似ができ――! あ、いや、俺も歳だからな……おお、そうだ! では、姫様はどうだ?」
四人は王を知っているからこそ、王の相手にだけはなりたくない、と四獣将全員が震える。どこかに王を引き取ってくれる気概のある若者はいないものかとゲンは考えるが、この国にそんな殊勝な者がいるはずもない。ないものねだりをしても意味がないと諦めかけたが、そこでゲンは、姫も王族の血を引いているではないか、と矛先を変えた。
「姫様に手を出そうものなら、それこそレオネイラ様に殺されるっすよ。オイラも長生きしたいっす」
誰一人として反論はできない。王は妹を嫌ってなどいないのだ。はたから見れば厳しくしているように見えて、溺愛していることがはっきりとわかる。知らないのは当事者である姫だけだろう。もし、王の妹に手を出そうものなら、命がないことは明白だった。
「いやいや、わからんぞ? レオネイラ様がお前を拾ってきたのだ。レオネイラ様がお前を気に入っていることは誰もが知るところ。毎晩組み手に誘うのも、別の意味で誘っているのかもしれん」
「ゲ、ゲン爺こそ馬鹿言っちゃいけねぇっすよ。明日からレオネイラ様のところに行くのがますます嫌になるじゃないっすか! ……一匹狼でやんちゃしてたオイラを拾ってもらった恩はあるっすけど、マジで勘弁して欲しいっす。最初の出会いでボコボコにされて以来、邪な気持ちは微塵もないっすよ。そんな目で見ただけでぶっ殺されるっすよ」
クロウは幼くして、その浅黒い肌の色を忌み嫌った親に捨てられ、一人で生きていたが、たまたま通りかかった王に絡んだのが運の尽き。一方的に殴りながらもクロウの才能を見抜いたのか、王はクロウを自らの手で鍛えようと連れて帰り、クロウもまた王の力に惹かれたのか、すぐに頭角を現し、空席だった四獣将の席に収まった。
「それに、オイラはちっぱいよりでっぱいがいいっす。あ、それでも王様だけは論外っすよ。オイラの理想はミルク屋のカウさんっすね。あのおっぱいは癒されるおっぱいっす。やっぱ顔じゃなくておっぱいっすよ」
姫に手を出さなくても殺されるぞ、とは、これまた誰も口には出さない。みんな同意見だからだ。
「……気持ちはわかる。俺もカウさんが嫁ぐまでは、毎日カウさんの店に通ったものだ。最近の若いやつは顔だなんだと言うが、クロウもなかなかどうして、わかっているじゃないか」
「おう、俺もだ。それがどうして――」
クロウとゲン、大男は着流しの男へと目をやる。
「ふははは、カウ殿はすでに拙者の嫁にござるからな。誰にもやらんでござるよ」
どうしてこんなござる野郎と……三人はがっくりと肩を落とした。
「どうしても、と言うのであれば、拙者の娘はどうでござるか? 今はまだちっぱいでござれど、カウ殿の血を引いていることからも、将来を約束されたようなものでござる。拙者もクロウ殿ならば、安心して任せられるというものでござるよ」
着流しの男から続けて出た言葉にも、クロウは嫌な顔をする。
「レオネイラ様に憧れているのか、最近じゃレオネイラ様に直談判して手ほどきを受けているっすよ。日に日に実力をつけ、目つきが鋭くなっていく姿に、オイラ怯える毎日だったっす。オイラを癒してくれるおっぱ……じゃないっす、癒してくれる女の子を紹介して欲しいっす」
「……それは拙者も気になっていたでござる。ととさま、ととさまと、拙者のことを呼び慕っていた姿が夢だったのではないかと思わせるほどでござる。今回は旧都に残してきたでござるが、あのころに戻ってはくれんでござろうか……」
着流しの男は思う。今までは男が先頭になって戦ってきたが、レオネイラと娘の姿を見るに、本当は女の方が強いのではないか、と。
「馬鹿話はそこまでにしろ。今は姫様が先だ。なんとしても夜が明けるまでに戻っていただく。そうでなければ、この話にも意味はない」
今は時間がない。どんどん話しが別の方に流れていくことに危機感を覚え、ゲンは口を挟むことにした。
「ゲン爺が言い出したんじゃないっすか」
とはいえ、元はゲンが言い出したことには違いない。ここは無理矢理話を終わらせる。
「ええい、うるさい! この話は終わりだ! それよりも、クロウ……いけるんだろうな?」
「当然っすよ。今夜は満月。オイラの力が最大限に引き出される日っすからね」
ゲンの言葉にニヤリと笑い、クロウの姿が変貌する。人間だったはずの少年は、次第に全身が獣の体毛に覆われ、爪と牙は鋭く、獣の耳と尻尾が大きく伸びる。
次の瞬間には、人間大のオオカミがそこにいた。この姿を見れば、誰もが獣人と呼ぶだろう。
「先行は任せる。頼んだぞ、狼少年」
「誤解を生む表現は止めて欲しいっす。これでも忠臣っすよ」
しっかりと二本の足で地面に立っていたクロウは、ゲンの軽口に口を歪めて笑うと、部屋の窓から飛び出し、両手をついて四足になると、地面の匂いを嗅ぐようにして、森の中へと消えて行く。
「では、俺たちも各々捜しに出るとしよう」
「しかし、ホントにいいのかい? 全員で出ちまってよ。さっきも少し話に触れたが、今は変な客も来てただろ? 王の手前、誰も言わないが……あいつは――」
四獣将全員が城を空けることに一抹の不安を覚えた大男は、ゲンの号令に口を挟む。
「問題ござらん。ここにはレオネイラ様に集った精鋭ばかりにござる。それに……レオネイラ様一人おられれば、それだけで世界は取れるでござろう。それは客人においても同じ。レオネイラ様が迎え入れられたというのであれば、拙者たちが口を挟むことではござらん。何か問題があれば、レオネイラ様自らが手を下されるでござろう」
「ふっ、サモンの言う通りだ。何も心配することはない。我ら四獣将とて、レオネイラ様に次いで力の強い一兵にすぎん。だが、我ら四獣将を同時に相手取って勝てぬからこその王よ。我らの不在どころでは何も変わりはせん」
「へっ、違いねぇ。そんじゃ、俺も気兼ねなく行くとするかよ」
「俺はクロウの進んだ先へと直進する。鼻が利かないところを悪いが、ガイとサモンは、クロウが万が一にも見失う時のことを考え、左右に分かれてくれ」
ゲンは大男――ガイと、着流しの男――サモンに指示を出し、消えた姫を捜すべく、その場をあとにした。
◇
「……見つけた。これで任務完了だね」
「ひの、ふの、みー……あ、この匂いは一人女の子だね。女の子を除けば二人ってことかな。伏兵もいないみたいだ」
ルシードに魔力を与えられ、心を取り戻したレゾナンスウルフの二匹は、ここ最近は他に誰も通っていないがために、容易に馬車の匂いを嗅ぎわけ、追いつき、暗闇に身を隠しながら話し合う。
「あとは共鳴で報告……だけど、ボスが来る前に移動しちゃいそうだね」
「うん。馬を休ませてたみたいだけど、ちょうど休憩も終わりらしいね。なら……私たちでやっちゃおうか」
彼女たちの主――ルシードは無理をするなと言ったが、匂いとして伝わってくる情報から、彼女たちは今の自分たちでも十分相手できると判断していた。
下位精霊として生まれ、魔素の乱れに巻き込まれて人間の世界へと来てしまったが、今は魔力を与えられたことにより、中位精霊に劣らぬ力を持っている。精霊としての特殊な能力こそ持ってはいないが、それでもそこらの雑兵に負けるとは到底思えない。
「そうだね。そしたらご褒美がもらえるかもね」
「にゃははは、ボスの魔力すごかったね。これが終わったら、ちゃんとした契約してもらえないかなぁ?」
「それも今日の頑張り次第。頑張ろうね……ニャン吉」
「……うん、ワン太もね」
ただ一つ不満があるとすれば、ルシードからもらった名前だろう。この名がある限り、本来の名を名乗るわけにもいかない。二匹は溜め息をつき、それでも馬車へと突っ込む。
「――なんだ、敵!? 追っ手か!?」
「いや、違う、レゾナンスウルフだ。問題ない、すぐに蹴散らして――何!?」
男たちがワン太とニャン吉に気づいた時には遅かった。二匹は近づく速度を更に上げて跳躍、一瞬にして男たちの二の腕に食らいつき、深い傷を負わせて地に降り立つ。
しかし、噛み千切ることはしない。ワン太とニャン吉は一つの疑問を持ち合わせている。それを確かめるまでは、男たちを殺すわけにもいかなかったのだ。
「ぐ、ぐぅぅ! なんだこいつら、レゾナンスウルフじゃねぇのか!?」
「ひぃっ! い、嫌だ、こんなところで死にたくねぇ!」
ワン太とニャン吉が男たちの出方を待っていると、男たちの一人は怯え、その姿を変貌させてその場から逃げ出した。
「ま、待て、まだ姫様が――ッ! くそっ!」
これから恐怖の対象である王に進言しようとしていたはずなのに、なんと気の小さいことか……残った男は嘆くが、それでもまだ死ぬわけにはいかない。偶然手に入れた姫だ。交渉材料になればと連れ帰ることにしたものの、その確証はない。逡巡しつつも男は姫を諦め、こちらの男も姿を変貌させてその場から逃げ出した。
――ネズミ? ワン太とニャン吉がそう思った時には、男たちは二人とも森の暗闇へと姿を消していた。
二匹は追うつもりはない。あの程度の速度ならば今からでも追いつくことは可能だが、彼女たちの主は獣人と人間が戦争になるのではと危惧していたのだ。男たちが獣人だというのなら、ここで獣人を始末してしまっては、彼女たちの主にとっても悪い方へと働くだろうと判断したからだ。
「正体見たり枯れ尾花、かニャ?」
「幽霊じゃないニャ……じゃなくて、ニャは私の担当ニャ」
ワン太とニャン吉は最初、人間の姿をしている男たちから嗅ぎ取った匂いが人間のそれとは違うことに気づき、すぐに殺さなくてよかったと安堵した。ここで殺してしまっていては、ご褒美どころかお仕置きを受けることになっていただろう。
二匹は荷台で寝かされている少女を確認し、ルシードに報せるべく、共鳴を始めた。




