098 天敵
◆
「えーっと、さっき図鑑で見た気がするな。確か……」
魔力を発している存在を確認したルシードは、その存在に危険を感じず、むしろ幸福感に包まれている気分だった。
ゆっくりとした動作で先程まで広げていた動物図鑑を手に取り、ペラペラと捲って探す。
「……ナマケモノ」
目的のページを開き、目の前の存在と図鑑に載っている絵を照らし合わせる。
「間違いない。姿形が、動物とまったく見た目が同じ魔獣ってのもいるのか……ん? いや、図鑑の絵よりも少し大きいか?」
まるで木と同化するようにして眠る魔獣は、まったく動きを見せず、ルシードの存在に気づいている様子もない。ただ魔力を発し続けているだけだった。
「一日の大半を寝て過ごし、少量の草を食べて生きる動物、ね」
図鑑の説明を読んだところ害はなさそうであるが、目の前の魔獣は違うと、一瞬でルシードは気づいていた。
魔獣は草など食べないだろう。では、何を食べるか。もちろん、魔素や、他者の魔力を食べて生きている。今も目の前の魔獣から発せられている魔力は、他者を眠らせ、眠った者から魔力を吸い上げているのだと、ルシードは解釈する。それを証明するかのように、今もルシードを襲う幸福感は、眠りを誘発しようとしていた。
「流石に放置はできないな」
集まった動物達は気持ち良さそうに眠っているのだ。邪魔をするのは気が引けるが、それでも魔力を吸われ続ける限り、動物たちが目覚めることはないだろう。それはルシードにとっても同じ、この誘惑に負け、眠ってしまったが最後、死ぬまで眠り続けることになる。
影に手をかざして剣を呼び、魔獣に向ける。この時になっても魔獣が動く気配はない。睡魔に耐え、魔獣の首へと剣を添え、魔力を流し――
「――ダメよ!」
突如現れたアルマリーゼに、ルシードはビクっとして剣を引いた。眠ったまま息を息を引き取る魔獣。次第に動物達は目を覚まし、ある者はルシードたちの存在に、ある者は自分を捕食する肉食獣から逃げるように、その場から駆け出していく。
「……間に合わなかったのね」
「間に合わなかった? 今の魔獣、殺したらまずかったのか?」
アルマリーゼの厳しい顔に、ルシードは何事かと聞き返す。もしかするとルシードが早とちりしただけで、今の魔獣は森に恩恵を与える魔獣だったのかもしれないと考える。
「いいえ、殺すのは問題ないわ。ただ、あなたは私の剣を使って、魔獣の能力を奪ったでしょう?」
「あ、ああ、それが?」
ルシードは特に気に留めず、いつもの癖で剣を呼び出し、魔獣の能力を奪った。それになんの問題があるとアルマリーゼは言うのだろうか。ルシードにはわからない。
「この魔獣はずっと眠っていたでしょう? それは自分の発する能力でありながら、自分でも抗えないからよ。能力を使えば自分も眠る。私たちのように魔力抵抗が高ければ眠りの誘惑にも勝てるんでしょうけれど、自分が使いながら耐えるのはまた別の話よ。自分で使いながらも抗う。矛盾するでしょう?」
「……えっと、説明はわかったけど、それって能力を使わなければいいだけの話だよな?」
アルマリーゼが何を言いたいのかがルシードにはわからず、真意を問う。いったい、何をもったいつけて話しているのか不思議でならない。
「そうね。ただ――あなたが眠りの誘惑に勝てるのか気になるだけよ。あなたのことですもの、眠る時にちょっと試したくなって、ついうっかり能力を使い、一生眠り続けるんじゃないかと心配になっただけ。言わば、あなたにとっての天敵」
「……ハハハ、やだなぁ、俺がそんなことするはずがないだろ?」
「よくも棒読みで言えたものね」
魔獣の能力を手に入れた際、ルシードが考えなかったはずもない。あの幸福感をもう一度、と。
「言っておくけれど、絶対に使ってはダメよ。これからは睡眠時間を減らして、あまり眠らないようにしなさい。寝ている時に更なる快楽を求めて、ついうっかり使ってしまいましたじゃすまされないわ。あなただけでなく、周囲にいる者まで巻き込まれることになるのだから」
それでもちょっとだけ、とルシードが考えた矢先に、まるでルシードの心を見透かしたようにアルマリーゼは言う。これにはルシードも抵抗はできない。その場に崩れ落ちるように手をつく。
大好きな風呂まで制限され、更には睡眠時間まで減らされたのだ。本当に世知辛い世の中だと、つくづく思う。
しかし、次の瞬間、ルシードは近づく気配を感じ取り、立ち上がる。
「やれやれ、感傷に浸る時間もないのか。アルマリーゼはフィンたちを頼む」
気配の元はルシードが今も忘れずに位置を掴んでいた隻眼の老人。徒歩にもかかわらず、アルマリーゼが飛ばした馬車に、もう追いついてきたようだ。ルシードは急いで魔獣を冒険者カバンに押し込み、剣を影に沈ませ、フィンたちのもとにたどり着く前に阻止しようと、地面を蹴って駆け出した。
◇
「……どうやら気づかれていたようだな。向こうからこちらへと来てくれるとは助かる。ここでガイとサモンを待つとするか」
ゲンはルシードに気づかれていたのだと察知し、足を止めた。
街道とはいえ、人間がここまで馬車を高速で飛ばすなど、ゲンは考えもしなかったのだ。全力で追いかけ、せっかく合流したガイとサモンを置いてくる破目になってしまっていたゲンは、こちらから出向かなくていいというのは好都合だと周囲を見渡す。
場所は細い街道であり、左右は森に囲まれている。いざとなれば左右に分かれ、ここへ向かっている男を置いて姫のもとへと向かうには都合がいい場所だ。
「遅いぞ馬鹿者」
ゲンが口元を歪めて笑ったところで、息を切らしながら現れた二人へと言葉を投げかける。
「そう言うなって。これでも全力で走ってきたんだ。ゲンさんと同じ速度で走るのは無理ってもんだぜ」
「しかし、ゲン殿は拙者たちを待つために足を止めたわけではござらぬであろう?」
「ああ。向こうから来てくれるようだ。それも一人で、とは重ねて好都合。俺が相手をしている間に、左右に分かれて先に姫様のもとへ向かってもらうことになるだろう。やつがお前たちを追うために背を向けた場合は、挟撃といこう」
「尾行に気づかれてたってわけか。敵さんもなかなか……ま、俺としてはラッキーだな。ちょっくら走り続けで疲れてたところだ。敵さんが来るまで休ませてもらうぜ」
「もう遅い。敵さんのお出ましだ」
息も切らさず現れたルシードは、ゲンが予想していたよりも数段早い。これは予想していたよりてこずるかもしれない、とゲンは他の二人に気づかれないように舌打ちした。
◆
森の中にある街道の真ん中で、ルシードは三人の男たちと対峙する。
一人は先刻ルシードが出会った隻眼の老人――ゲン。一際体の大きな大男――ガイと、着流しの男――サモンが並んで立っている。武器を持っているのはサモン一人、半身に構えているせいで全体は見えないが、左手を柄で休めるように置いているおかげで、ルシードは武器の存在を知る。
「……ゲンさん。ちょっと気になったんだが、あの人間……かなり強くないか? 俺たちのうち、二人いれば十分みたいなこと言ってたよな?」
ガイはルシードに聞こえないよう、その図体に似合わない小声でゲンに確認する。
「ちょうど拙者もそう思っていたところでござる。小狐丸が怯えて出たがらないでござるよ。拙者の奥の手は使えんと思って欲しいでござる」
「……小狐丸が出てこられないとは、な。俺が見積もった力量よりもあるということか。ああ、ちなみに、さっきは言い忘れたが……俺が本気で突いた拳を無傷で受け流す程度の人間だ。気を抜くなよ」
絶対わざと言わなかっただろう、とガイとサモンは思う。それでどうして二人いれば十分と思ったのか……まさか自分たちがゲンと同格などと思っているのではあるまい。それで言えば、ガイとサモンでゲンと同格。最低でも三人は必要だろうとゲンを問い詰めたい気持ちで一杯だが、今はそうも言っていられない。すでに敵は臨戦態勢に入っているのだ。人間相手に、作戦会議をする間は待ってくれとも言えない。
ガイとサモンは現れた男――ルシードを見据える。
「まいったな、これまた強そうな二人だ。しかも、彼らが何者なのか確認するのを忘れた」
その一方で、ルシードも一人ぼやいていた。いったいなんの目的があってフィンを攫おうとしているのかは知らないが、隻眼の老人とともに現れた二人も、たいそう強く見えるのだ。おそらくはベルほどではないにしろ、それでもかなりの強者だと一目で見抜く。それが三人。人を攫おうというのだ。なんらかの組織に違いはないだろうと、ルシードは過去読んだ書物から想像し、相手が獣人国の四獣将なのだと知らないルシードは、これが先遣隊なのだとしたら、彼らを倒してもこのあとにもっと大勢の、しかも彼らよりも強い大物が出て来るのだろうと、勝手に決め付ける。
更には彼らが何者なのかフィンに聞き忘れたルシードは、殺してはまずい場合だった時のことを考え、不殺でやるしかなかった。
「仕方がない……やるか」
それでもやるしかない。すでに敵と認識され、後方にはフィンだけでなく、アルマリーゼがいては逃げ場はないのだ。ここで死ぬつもりがないルシードは、意を決して冒険者カバンから古めいたカバーのかかった一冊の分厚い本を取り出し、その本を適当なページで開く。
「大地よ」
一言。それだけで次の瞬間、大きな揺れとともにルシードの背後で街道は隆起し、更には両サイドに広がる森をも飲み込み、行く手を阻むようにしてこの場を覆い尽くす壁を作り出した。
「……魔道師だったとはな。しかもその威力、古代書か」
うまく勘違いしてくれたようだ、とルシードは不敵に笑う。
ベルに魔法を使うことを制限されていたが、相手が相手では使うしかない。そこで何か手はないかと調べたところ、世の中には魔法使いだけでなく、魔法の力を宿した魔道具を使って魔法を使う者もいると聞き知ったのだ。
これしかないと思ったルシードは、すぐに作業に移った。
魔道具の情報を更に集め、街でどんなものがあるのかと魔道具店を見て周り、到底手の出せる値段でないと知ったルシードは本屋に直行。適度に分厚い本を購入し、それっぽく見えるカバーをかけて魔道書に見せかけた。通常の魔道具ならば使える種類は一種類だが、魔道書と呼ばれる魔道具には数種類の魔法が込められていると知れたのは一番の収穫だったかもしれない。
魔力の元になるのは魔道具だ。当然、魔道師の中には男もいると知って、ルシードは自身も魔道師になりきってみたが、効果はてきめん。今もルシードが魔法を使ったところを見せても、ゲンたちはルシードが魔法を使ったのだと気づかなかった。
「悪いけどここは通行止めなんだ。ここから先へは行かせない」
「古代書を持つ魔道師相手に背は見せられんか……致し方ない、先にこいつを始末しよう」
なんとかして先に姫を奪い返そうと考えていたゲンは、ルシードに先手を取られ、歯噛みする。
作られた壁の形は半円状。それでも背後は空いているのだ。空を覆うほどの壁はあれど、ゲンならば飛び越せない高さではない。
だが、まさか魔道師だとは思ってもみなかったのだ。ただの魔道師や魔法使いならいざ知らず、短い詠唱でありながら高い威力を持つ古代書とあっては、獣人の耐久性を持ってしても、無防備な背中で受けてはとてもではないが耐えられるものではない。
「ここで引いてもらえると、俺も助かるんだけどな」
一対三。ゲンの使った技の正体を掴めていないルシードは、自分から仕掛けたいところであっても動くことができない。微かな期待を胸に帰ってくれと言ってみる。そのために壁は作れど、三人の背後までは壁で覆わなかった。
「へっ、人間相手にそんな真似ができっかよ」
まただ。敵が帰ってくれないことはわかって聞いたルシードだったが、ガイから出た言葉に疑いは濃くなるばかり。
彼らはルシードのことを人間と呼ぶ。彼らが人間でないことは確かだった。では、いったい何か? 獣人は語尾に何かを付けるものだと思い込んでいるルシードは、彼らの正体を疑いつつも、答えには至らない。
しかし――
「この状況、温存というわけにもいかぬでござるよ。先陣は拙者に任せるでござる」
サモンが放った言葉とともに、その身が毛で覆われていく姿を見て、ルシードは獣人の可能性を見出す、サモンの語尾から、彼はサルなのではないか、と。
まさか獣人が人の姿を取りながら獣の姿にも変身するのだと知らないルシードは、サモンの変化を邪魔するような真似はせず、静かに、だが胸のワクワクを抑えきれないといった表情で変化が終わるのを待った。
だが――
「獣化も久々でござるな」
ルシードの落胆は計り知れない。まさかござると語尾に付ける獣人が……キツネだったとは。
「……はあ」
「な、なんでござるかその溜め息は!?」
「……別に」
「ふっ、おおかたサモンはサルだとでも思っていたのだろう」
「へっ、俺も初めてサモンさんに会った時はサルだと思ってたぜ」
ルシードの落胆が伝わったのか、はたまたゲンとガイも同じ落胆を味わった仲間なのか、ルシードは奇妙な仲間意識を持つ。
「ま、サモンさんだけに任せてもいられんわな」
「手伝いを申し出たのは俺だ。俺も参加せんわけにはいかんな」
とはいえ、仲間になる、ならない、ではないのだ。彼らは敵。しかも、残った二人までもがその体を獣化させていく。
「嘘……だろ」
サモンの獣化から、残った二人も獣人であると気づいてはいても、心のどこかで違って欲しいと願うルシードは、二人の変化によって、今日一番の衝撃を受ける。
《ルシード!? どうかしたの!?》
意図せずルシードの動揺がアルマリーゼにも伝わったのだろう。アルマリーゼはルシードの身に何かあったのではないかと話しかけてきた。
(アルマ……いや、なんでもないんだ。こっちには絶対に来ないでくれ。俺は大丈夫だから)
《そ、そう? 何かあったら呼ぶのよ》
(……わかってる)
ござる口調のサモンに対してだけは疑問が残るが、今も変化を続ける彼らが獣人であるという事実を知って、ルシードは獣人は語尾に何も付けないのだと知った。
では、何故フィンは語尾にぴょんなどと付けているのか……おそらくは目覚める前にルシードたちの話が聞こえてしまったのだろうと推測する。次いでレゾナンスウルフの二匹には、悪いことをしたと心の中で謝る。最初に獣人が語尾に何か付けるものだと言い出したのはルシードだ。魔力を与え、主人になったルシードを喜ばせようと付き合ってくれたのだろうということはすぐにわかった。ニャン吉がニャと言った時点で気づくべきだったのかもしれない。いや、本当は気づいていたにもかかわらず、テーオバルトの言葉を信じたい気持ちから言い出さなかったのだ。そもそも、魔獣であり、精霊である彼女たちが語尾に獣人語を付けるはずもない。ルシードは自分の心の弱さを恥じて詫びる。
それでも、できればこの話は胸のうちに仕舞っておこうとルシードは思う。
アルマリーゼに伝えるべきかとも思った。それでもルシードは伝えない選択をした。アルマリーゼが何度も訂正しようとしたことを知らないルシードは、きっとアルマリーゼは純粋にも獣人が語尾に何か付けると信じたはずだ、と疑わない。本当は何も付けないんだよ。とは言えるはずもなかった。
アルマリーゼのためにも、フィンとレゾナンスウルフの二匹にはもう少し付き合ってもらおうと決める。
「さて、待たせたかな」
「そうでもないさ。頭を整理するにはちょうどよかった」
変化を終えたゲンの一言で、現実を受け入れるルシード。いつまでもテーオバルトの信じた世界はなかったんだ、と放心している場合ではないと気合を入れなおす。
ゲンは年老いているせいかその姿を隻眼の白いタカに変え、だが、翼は邪魔にならないようにか、腕が翼に変わるのではなく、背中に生えているのだと理解する。
ガイは大男そのもののクマだった。レーヴェの森で出会った魔獣よりも、更に一回り大きい。
しかし、問題はアルマリーゼに知られないように立ち回ることではない。相手は獣人。その事実に、ルシードは追い込まれる。
アニスと獣人国が睨みあっている現状で、人間であるルシードが獣人を殺したとなれば、戦争の理由を与えかねず、獣人攫いだったからと許されもしないだろう。もしかすると、獣人国は戦争理由を欲しがっているのかもしれないのだ。獣人攫いを減らしたことには感謝するかもしれないが、あわよくば人間も減らしてやろうなどと考えなくもないかもしれない。
これでますますルシードは相手を殺すことなく、素手で制さなくてはならなくなった。
「へっ、こっちは三人だってのに余裕じゃねぇか」
「そんなことはないさ。そう見えるって言うなら、まあ……ちょっと色々あって、疲れてリアクションが薄いだけだよ」
それでも見逃してくれなどとは口にはしない。相手もやる気だ。自分を見逃すつもりはないだろうと諦めて。
「悪く思うなよ。こちらも仕事なのでな」
「思わないさ。仕事熱心なのはいいことだ」
「しからば参る!」
「――来いッ!」
サモンが動いたのを機に、ルシードと四獣将三人との戦いが始る。




