091 手紙
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「困ったな……」
ルシードは困っていた。アニスに到着してから明日で、はや一週間が経とうとしている。
にもかかわらず、四人娘もベルも、アニスにやって来ないのだ。今日は来ていないだろうかと毎日ギルドへと足を運ぶも、無駄足に終わっていた。
最初のうちは明日には来てくれるだろうなどと、この街の名物ともなっている発電施設、他の街では決して見ることができない内部も見学するなどして気軽に街を観光するなどして楽しんだが、流石に一週間にもなると焦るものがある。
これはまずいと情報を集めるなど行動してみたものの、たいした情報は得られていない。
最近になって獣人の王が変わったという話はマーカスから聞いた通りで、王が人間を嫌っていると言う話も本当らしく、更にはアニスから目と鼻の先に城が建てられているのも間違いないのだが、実際は森に囲まれてその様子を見ることはできず、冒険者たちと獣人が睨みあっているという南東方面も、戦争に参加しないのであれば隊に加わることは許されないと、近づくことさえ許されていないのでは見ることもできない。
まあ、参加資格はEランクからということもあり、ルシードには参加する資格すらなかったのだが、それでも何かあってからでは遅いと入手した情報も、城の名前がシュレディング城ということしかわからなかった。どうやらギルドでも情報を仕入れることができていないようなのである。
「ええ、困ったわ……こっちの白いのと黒いの、どっちから食べようかしら……」
「アルマ、今はそんなことを言ってる時じゃ……ああ、そっちの黒いのがオススメだ。昨日食べたけど、なんとも言えない味わいだった」
ともあれ、ルシードは困っていた。エンバリーから土産として持ち帰ったケーキが美味しくて……ではない。隣の領土へ行く手段がないのだ。
「あなた、いつもそれじゃない。でも、そうね。そこまで言うのなら、黒い方はあとに置いておこうかしら」
「こんなことなら、メニューに載ってたケーキの絵と名前を一致させとくんだった。白だの黒だのじゃ、どれも色が似てるからどれがどれだかわからなくなったよ」
こんなことでは、ケーキ屋でケーキを注文するのも一苦労だ、と困っているわけでは断じてない。
「俺もお風呂に入ってくる。食べない分は冒険者カバンに入れとくんだぞ。寒い土地とはいえ、ナマモノは腐りやすい」
「わかっているわ。どうぞごゆっくり」
アルマリーゼが風呂から出てくるのを待って、今後の話し合いをしようとしていたルシードだったが、アルマリーゼはこちらの話も聞かず、今日も風呂上りのお楽しみ、とルシードの冒険者カバンからケーキを取り出して食べ始めたのを見て、自分も風呂へと入ることにした。今日で六日、話し合いも六回目だ。アルマリーゼもいい加減、話し合ったところで無駄ということがわかっているのかもしれない。
溜め息一つ、ルシードは脱衣所への扉を開いて中に入る。初日はただでさえ見つからない宿を探すのにも苦労したものだ。商店街やギルドに近い宿はすべて満室。それでも空いている宿はあったが、アルマリーゼがトイレと風呂が共用なのはダメ、と駄々をこねたのだ。精霊は食事どころか風呂もトイレも必要ないと言っていた癖に何を贅沢な、とルシードが文句を言うと、アルマリーゼは自分のためではなく、ルシードのためだと言った。常に清潔にしている宿なら良いが、旅人が集まる宿では病気の感染もあるかもしれない、と。
その一言でルシードは素直に感心し、受け入れた。旅で何日も風呂に入ることができない状況が続けば、宿に到着した時に、まずは風呂へと向かうだろう。そこで出くわせば、自分に免疫のない病気をもらってしまう可能性もある。街には魔法で怪我を治す治療院とは別に、普通の病院もあるのだ。治癒魔法は覚えはしたものの、魔法ではどうしようもない病気だってあるに違いないと、ルシードは判断した。
結局、街外れの宿まで虱潰しに当たったところ、その甲斐もあって、部屋に個別のトイレと風呂がある宿が見つかった。宿の主人が言うには、中央にある宿でも共用の宿が多いらしく、街外れでも客が来てくれるようにと設計したそうだ。
湯を沸かすには追加料金が必要になると主人は言ったが、ルシードは魔法で湯を生み出せることからも必要はない。それに、街の中央に近い宿は、食事が別料金でもあったのだ。部屋にトイレと風呂があり、更には三食付で銀貨二枚と聞いては、ルシードも即決だった。アルマリーゼが相部屋でも不満を言わなかったのは僥倖か。まあ、アルマリーゼもしてみれば眠る必要はなく、必要があってもルシードの影の中で休めば、そこは問題ではないのだろう。部屋に入り、ベッドが二つあることを確認しても、何も言わなかった。
「……今日は大丈夫だよな」
この領土を出る問題とは別に、ルシードはもう一つ、深刻な問題を抱えていた。
服を脱いだルシードは、いつもは張り替える湯船の湯を今日は張り替えず、ただ温めるだけで終わらせると、湯船につかる前に自身の状態を確かめる。
「うん、問題ない」
何も問題はない。熱っぽさも、虚脱感も、何も感じない。平常だった。
次に体と頭を洗い、湯船につかる。足を伸ばすことはできないが、それでも風呂好きなルシードには十分だった。じっと静かに過ごし、今日は魔法で遊ぶようなこともしない。ただ湯は冷めてきたなと思ったら温めなおす程度に抑える。
だが、一時間が経ったあたりで、いつもと同じ異変を覚える。
「……今日もダメか。今日は極力魔法を使わないようにしてたんだけどな。もしかして、魔力量が減っているのか?」
ルシードは一人愚痴る。アニスに到着してから毎日、しかも、いつも決まって風呂に入ると魔力の枯渇症状が出てしまうのだ。初日に発覚してから日に日に使う魔法を減らしていたが、それでも毎日、魔力が枯渇してしまう。まさか風呂に入ると魔力が抜けていくというわけではないだろう。そうであるならば、ベルも注意したはずだ。
「……そろそろアルマにも報告しておかないとな。いつまでも隠せるものじゃないし、魔獣と戦っている時に枯渇すれば、足手まといにしかならない」
好きな風呂でもこれ以上は入っていられないと、重たい体を引きずるようにして風呂から上がったルシードは、意気消沈しながらも体を拭き、パジャマに着替えてアルマリーゼのいる部屋へ戻ると、倒れるようにしてベッドに横たわる。アルマリーゼに報告しなければいけないが、今はゆっくりと休みたかった。
「毎日思うのだけれど……」
背後からかかった声に、ルシードは渋々とうつ伏せの状態からひっくり返り、それでも横になったまま向きを変えて、アルマリーゼの方を向く。現状を打破する案が浮かんだのだとしたら、聞かないわけにもいかない。
「ん、何?」
「あなた、どうしてのぼせるまでお風呂に入っているの?」
だが、アルマリーゼはこの街を出る案が浮かんだというわけではないようだ。ルシードを不思議なものでも見つけたかのような顔で見つめている。
「のぼせ……なんだって?」
聞こえなかったわけではない。ルシードはアルマリーゼの言葉の意味がわからなかったのだ。テーオバルトの力を得てから今日まで、力に自惚れたつもりはない。自分はまだまだと謙虚に生きているつもりなのだ。のぼせ上がった覚えなどなかった。
だが、風呂とのぼせる。二つの関連性を考え、そういうことか、と納得する。
アルマリーゼはルシードが風呂好きなことを見抜いたのだ。それで風呂に夢中になっているのかと聞いているに違いない。のぼせるの意味も多々あったが、夢中になると解釈すれば、アルマリーゼの言葉の意味も通る。
「どうしてのぼせるまでお風呂に入っているのかって聞いているの。辛くないの? いつもお風呂上りに気だるそうにベッドに倒れこむけれど」
しかし、そう考えた矢先、アルマリーゼがルシードの異変に気づいていたことを知る。ルシードは隠していたつもりだが、やはり悪いことは隠し通せないものだと実感。
「……実は、そうなんだ。この街に着いてからというもの、お風呂に入ると魔力が枯渇するようになったんだ。明日には言うつもりだったんだけど……」
今もベッドに寝転んだまま話すルシードの言葉に説得力はないだろう。だが、明日には話そうとしていたことは事実だ。ルシードも弁明はしない。
「何かしら? ものすごく齟齬を感じるわ。どうしてお風呂の話から、いきなり魔力が枯渇しているって話になるのかしら。そもそも、魔力は枯渇していないじゃない。なんで魔力が枯渇しているだなんて思ったのよ?」
「い、いや、でも、今もこうして魔力枯渇の症状が出てるわけだし……」
今も魔力枯渇の症状に襲われているルシードは、そんなはずはないと反論する。
「あなた、何か勘違いしていない? 私は今もあなたから魔力をもらっているのよ? あなたの魔力が枯渇すれば、すぐに私にもわかるわ。まさか、お湯でのぼせたのを魔力枯渇の症状だって言っているんじゃないでしょうね?」
「…………えっ?」
ルシードはアルマリーゼから、枕元に置いてあった辞書へと視線を移し、急いで手に取って開く。
そしてのぼせるの意味を調べ終えたルシードは、辞書から顔を上げてアルマリーゼへとゆっくり視線を戻し、そっと視線を逸らした。
「馬鹿なんじゃないの? いいえ、馬鹿でしょう?」
「で、でも、村じゃこんな症状になる人なんていなかったんだ。知っていたら、俺だって勘違いしなかったさ」
ルシードの住んでいた村では、風呂でのぼせたという者はいない。何故なら、風呂は常に誰かが火の番をしていないとすぐに冷めてしまうからだ。相手に悪いと思い、のぼせるまで入っているような者は、村にはいない。
だが、ルシードの反論は、途中からアルマリーゼの冷たい視線を受けて小さくなり、身も縮こまる。そもそも、魔力が枯渇していれば魔法は使えないはずだ。以前、風呂上りに氷を生み出して頬張ることなど、できるはずがなかったのだ。
「ごめん、俺が悪かった」
「わかればいいのよ。これからは長湯をしないことね」
「そ、そんな……」
手に持った辞書を取り落とし、ルシードは再びベッドにうつ伏せに倒れこむ。せっかく火の番を頼むことなく大好きな風呂を魔力が切れるまで楽しめると思っていたのに、禁止されてしまったのだ。まさか大好きな風呂に入っているだけで体調不良になるなどとは思いもよらない事態に、世の中世知辛いものだと嘆かずにはいられない。
とはいえ、悩みの一つは解決されたことには違いない。ルシードは氷を一つ生み出して口に放り込み、また魔力量を確かめておかないといけないな、と思ったが、ベルに魔法使いだと知られるなと言われた手前、広場で魔法を使うわけにもいかず、風呂に入りながら水魔法を使うわけにもいかないことに、どうしたものかと考える。……どうやら風呂に入らずに水魔法を使うという考えはないようである。
そこでルシードは、ベッドに埋めていた顔を動かして、チラリとアルマリーゼに視線を戻す。
今は魔法も使え、魔獣の能力である共有も手に入れたのだ。自分の魔力量ではたいした足しにはならないかもしれないが、魔力を消費しているアルマリーゼに自身の魔力を移せば、アルマリーゼの回復も早まり、ミレット村から奪ったルシードの記憶を返してもらうのも早まるのでは、と考え、実行する。
夜も遅く、あとは寝るだけだ。送れるだけ送ってしまおうと、ルシードは魔力を振り絞る。アルマリーゼに触れる必要はない。繋がりを通じて、魔力を一気に流し込む。
すると、アルマリーゼは何故か左手で体を抱き、右手で口元を押さえようとしたが――
「――ぁ、ん!」
一瞬遅く、小さく甘い声を漏らし、全身を震わせた。
「……急に変な声を出して、どうしたんだ?」
「や、やめ――ッ、やめなさい!」
テーブルの上のフォークを掴み、ルシードに投擲するアルマリーゼ。いったい何事かとルシードは魔力を流すことを止め、飛んで来たフォークを寸でのところで掴む。弱っていても流石は剣の精霊か。投擲の技術は正確で、掴まなければルシードに突き刺さっていたことは間違いない。
「な、何?」
「それはこっちのセリフよ。急に何をするの!?」
顔を赤くしたアルマリーゼは息を荒くして捲くし立て、二本目のフォークを掴んでルシードに向ける。
「い、いや、俺の魔力をアルマに送れば、回復が早まるかと思ったんだ。そうしたら俺の記憶も早く返してもらえるだろ?」
ルシードの弁解が功を奏して冷静になったのか、アルマリーゼはフォークをテーブルの上に、力なく戻す。
「……それならそう言ってからにしてちょうだい。それに、私の魔力なら問題ないわ。もうほとんど回復しているの。あなたが魔力の扱いを覚えたおかげで私に流れる魔力は増えているし、レーヴェに滞在したのがよかったんでしょうね。王都に着くまでには十分に回復できるわ。それに精霊は、人間と魔力の作りが似ているようで似ていないのよ。私はあなたから魔力をもらっているけれど、取り込んだ魔力を変換しているの。所構わず魔力を得ようとする魔獣ならともなく、純粋な精霊である私には、一度に大量に送られても変換しきれないわ」
「ほ、本当に!? ああ、いや、人と精霊の魔力云々じゃなくて、アルマの魔力がほとんど回復してるって方!」
当初の予定では、王都に到着するころまではアルマリーゼの魔力は回復しないと言っていたのだ。予定よりも進行は遅れているが、それでもレーヴェに寄ることがなければ、アルマリーゼの魔力は今も消耗したままのはずだった。思いがけないアルマリーゼからの朗報に、ルシードは真偽を確かめようと、重い体など忘れたように上体を引き起こす。
ただ、アルマリーゼは嘘をついた。ルシードを喜ばせようとしてついた嘘ではない。逆だ。
ほとんど魔力が回復していると言った魔力は、すでに全快しているのである。
レーヴェで大量の濃い魔素を全身に浴びたことも大きいが、一番の原因はルシードの魔力量が増えたことにより、受け取る魔力量が増えたということだ。レーヴェを出て、アニスにたどり着いたころには、全盛期にこそ及ばないものの、それに近い魔力をその身に宿していた。
それに加え、魔力量が増えない、更には人間と精霊が取り込んでいる魔力が別物というのも嘘である。
アルマリーゼは口にはしないものの、ルシードは共有の能力を勘違いして使っている。あれでは共有ではなく供給だ。
通常、共有の能力は他者に魔力を分け与えるものではない。共有はその名の通り、自身の魔力を共有しているのである。だからこそ、トライホーン・ビートルの子は、母体と同じだけの力を持つに至るのだ。
しかし、ルシードは同一個体という繋がりを持っている者に対してのみ使えるはずの共有を、相手に触れるだけで使用している。これはおそらく考え方の違い。トライホーンビートルは、子を同一個体として認識しているが、ルシードは生物を一括りとして認識しているのだろう。それで魔力で繋がっていなければ使えないはずの共有を、相手に触れていなければいけない制限があるものの、相手に魔力を与えることができる。
だが、本当ならば、とても危険な行為だ。トライホーン・ビートルは生み出した個体が分身体だからこそ、何百と子どもを産もうが、同一個体として母体の魔力を共有できるのだ。そうでなければ、本来精霊である魔獣と言えど、自身の魔力を分け与え続けることなどできはしない。ルシードのように他者に自分の魔力を分け与えようものなら、すぐに魔力が枯渇し、人間ならばしばらく動くこともままならず、精霊ならばその存在すら、消え失せてしまうのである。
それでもアルマリーゼは、今のルシードならば問題はないと確信による自信を持っているからこそ、口にはしない。
とはいえ、アルマリーゼにとって分け与えられた魔力が自分の魔力とは別に使うことができるという利点はあれど、大きな問題もあった。
人間と精霊が内包する魔力に違いはなく、特に契約で繋がれている者からは直接受け取るため、純粋な魔力として取り込むことになるのだ。精霊にとって不純物のない純粋な魔力は魅力的、しかも、精霊側から自身を維持するために必要分だけ吸い上げる魔力とは違い、共有の能力により大量に送られてくる濃い魔力は、とても甘美なものだ。この能力によって精霊が魔力を受け取れば、ルシードの言うところの変な声が出てしまうのも仕方がない。
たとえ嘘でもこう言わなければ、ルシードはまた送ってくるかもしれない。二度も痴態を晒すわけにはいかないと、アルマリーゼは魔力が増えるよりも建前を取るべく、嘘をついた。
それに、全快していると言えば、ルシードは今すぐ村に帰りたいと言うかもしれない。それではアルマリーゼは困るのだ。ルシードが村に帰りたいと言い出すこともそうだが、平静を保ち、普段と同じように振る舞っていても、アニスに到着して一週間が経とうとしている。アニスを出られない現状を、良く思ってはいない。いっそのこと人間と獣人との間に争いが起こり、その混乱に乗じて街を抜け出せないかと考えるほどに……。
問題はそうなった場合、ルシードがどう行動するかという点であった。
実際には、まだ嘘があるのだが、これ以上は長くなるので割愛しよう。
「ええ、本当よ。でも――」
「わかってる。記憶を返すのは、すべて終わったあとだって言いたいんだろ? それは俺も理解してる。今は本当だって聞けただけで十分だ」
できることなら今からレーヴェに引き返し、アルマリーゼの回復を待って、一度村に帰りたいところではあるが、アニスで足止めをくらっているからといって、その選択肢がないことはルシードも承知している。引き返している間に、アニスから出られるチャンスが訪れないとも言い切れないからだ。
「そうとわかれば、早く王都に行かないとな。また明日もギルドに顔を出してみる。何か新しい情報があるかもしれないし、早く起きるためにも、今日はこのまま寝てしまうよ」
話の内容で少し元気になったとはいえ、まだ体は重い。ルシードは体を休め、明日に備えようと再びベッドに横たわる。何も進展はないかもしれないが、何か新しい発見があるかもしれない。明日はいつもより早く起きてギルドへ向かおうと、アルマリーゼの返事を聞く前に眠りに落ちていった。
◆
夜が明け、ベッドから起き上がったルシードは、部屋の窓を開けて空を仰ぎ見る。
「今日も晴れそうだな」
雲一つない空は気持ちの良いものだ。太陽の位置を知った時の陰鬱さは取り払われたが、ルシードはすがすがしい気分もなんのその、急いで着替えて階下へ下りる。
「おはようございます」
「ああ、おはよう――ん!?」
宿屋の主人は昼食のために料理をしていたが、自分が時計を見間違えてしまったのかと慌てて壁際の時計へと目をやるも、時計の振り子は今も正常に動き続けており、自分が間違えたわけではないと知って、安堵の息を吐いた。
宿に泊まっているのはルシードたちだけではないのだ。昼食の時間を間違えたとあっては、客からクレームが入るのは必然。いつもより一時間以上も早く現れたルシードに、慌ててしまうのも無理はないだろう。
「なんだ、今日は早いじゃないか。また昼過ぎに起きてくるだろうと思って、いつものようにおにぎりにしてあるが、今日はここで食って行くかい? 今作ってるところだからもう少し待ってくれよ。お連れさんもそろそろ戻って来るころだろう」
「いえ、今日もおにぎりで構いません。すぐに出るので、いただけますか?」
「そうかい? それならすぐに持ってくるよ」
宿屋の主人と会話しつつ、ルシードも壁際の時計へと視線を送ったが、時計の針がまだ昼前を指していることにニヤリと笑う。窓から太陽が見えなかったことからいつもと同じ時間まで寝てしまったのかと思ったが、そうではなかったようだ。本当は朝の七時には起きる予定だったのだが、何故いつも昼過ぎまで寝てしまうのか……それだけが不可解だった。
だが、たとえ一時間だろうが早起きは早起きだと、ルシードは気にしない。いつも昼過ぎまで寝ているためにみんなと昼食が取れないが、こちらの起きる時間に合わせて新しく作ってくれと言うわけにはいかず、ギルドで情報を集めつつ食事を取ろうと、いつもおにぎりにしてもらっていた。その分、ルシードだけ夕食が豪華になっているのは主人の計らいだろう。今も料理の匂いに惹かれるものがあるものの、今日のルシードはやる気に満ちている。早くギルドに向かい、現状を打破できる何かがないか、確認したかった。
「お待たせ」
「ありがとうございます、これは今日の分の宿代です」
宿屋の主人からおにぎりを受け取り、ルシードは冒険者カバンからアルマリーゼと二人分の宿代を取り出して渡す。これで明日の朝まで部屋を借りることができるのだ。
「ありがとよ。まだ街からは出られそうにないかね?」
「今日も変わりないか見に行く予定なので、何かわかりましたらお知らせしますよ」
「そいつは助かるよ。こんな街外れまで客が来てくれるのは嬉しいが、戦争になったらそれどころじゃないからな。何か動きがあるなら知っておきたい」
「はい。それでは行ってきます」
宿屋を出て、ギルドへの道を、ルシードは歩く。流石に一週間も通えば慣れたものだ。街外れということもあり、ギルドまで三十分はかかるが、それも苦にはならない。道中何かあるわけでもなく、ギルドへと到着した。
中に入り、いつものように周囲を見渡すが、何一つ代わり映えはないようだ。冒険者たちは独自に仕入れた情報などがないかと話し合う者たちがいるも、その表情から新しい情報がないことは、話の輪に入ることなく読み取れる。
これは今日も無駄足かもしれないと、空いている椅子を探して昼食を取ろうとしたルシードだったが、そこで受付で冒険者カバンを受付嬢に渡している者が目に入り、自分の腰へと目を落とす。
冒険者は冒険者カバンを支給されるが、ランクの低いうちは月に一度、何を所持していたかを見せなければいけない仕組みになっている。冒険者になって早半月、期限の一ヶ月までは目と鼻の先だ。報告を忘れ、犯罪者リストに載ってしまっては大変だと、ルシードは受付へと足を向ける。今日は三番の窓口だった。
「すみません、冒険者カバンの更新をお願いしたいのですが」
「はい、こちらで承っていますよ。ギルドカードと、冒険者カバンの提示をお願いします」
受付嬢に言われ、ルシードはギルドカードを取り出して冒険者カバンと一緒に渡す。
「すぐに終わるので、そのままお待ちくださ……あら? あなたがルシードさん? 黒い髪に赤い瞳……聞いていた通りの風貌に間違いはありませんが、もしかしてキュール村からここへ来られました?」
冒険者カードを確認した受付嬢は、名前の欄を確認したあと、何かを思い出したようにルシードの顔をジロジロと見つめてくる。
「はい、俺がルシードです。キュール村の出身ではないですが、確かに通りましたね」
「そうですか。ちょっと待っていてください、お手紙をお預かりしていますよ。えーっと、どこに……あったあった、こちらです」
アニスに来て一週間になるが、今は情報を仕入れるのが大事と、受付嬢と口頭で話はしても、名乗るのことはなかったな、とルシードは今更ながらに思う。しかし、いったい、手紙とは誰からなのか……思い当たる人物はレーヴェの街で出会った四人娘かベルか。もしかすると自分が会えなかっただけで、すれ違いになっていたのかもしれないと、もっと早くに名乗らなかったことを反省する。
だが、次に手紙を受け取ろうとしたところで、差出人の名前に衝撃を受け、伸ばしかけた手を止めた。彼女たちにはキュール村の話をしたことはないのだ。当然、彼女たちからの手紙のはずがなかった。
――手紙には、キュール村で別れた少女の名が小さく、だが確かに、『シャルニア・K・シェレンベルク』と添えられていたのだった。




