090 アニス
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「着いたよ。お待ちかねのアニスだ。腰は大丈夫かい?」
丸一日馬車に揺られ続けたルシードとアルマリーゼは、行商人の女夫人――ジーナの声に待ってましたと顔を見合わせる。
「はい、大丈夫です。ジーナさんはお疲れ様でした。運んでもらうだけになってしまい、申し訳ありません」
ジーナは冒険者が相乗りしているというだけで道中の安全が保障されたようなものだと言ったが、道中で魔獣に出くわすことも、何かトラブルに巻き込まれることもなかったのだ。馬を休ませるために休憩を取ったりはしたものの、ただただ寝て過ごしたルシードは頭が上がらない思いだ。
「ははは、いいんだよ。ちゃんと運賃は受け取ったし、店が閉まってて食べられなかったロザリーさんの美味い弁当も食わせてもらった。これくらいお安い御用さ」
「俺にできることはそれくらいですからね」
店が閉まっていた理由はルシードのせいなのだが、口にすると謝る理由が増えるので言葉にはしない。
だがそこで、馬車の幌越しに話していたルシードは、夜だというのに幌越しでもわかるほど、あたりが明るいことに気づく。
「なんだか明るいわね。まだ夜になったところだと思ったのだけれど……」
アルマリーゼもそのことに気づいたのか、馬車の外を探るように見ている。
「あんたたち、アニスは初めてかい? ここいらの他の街じゃ見られない光景だからね。楽しんで行くといいよ」
ジーナが笑いを堪えるような声とともに、馬車の御者台と荷台とを繋ぐ幌を開くと、世界が一変した。
魔法都市レーヴェに初めて到着した時とはまた違う驚きが視界全体に広がっている。まるであたり一面が光であふれているのだ。夜だというのに、昼かと思うほどの光量。あまりの眩しさに目を細め、手で覆って目元に影を作るほどだ。
「……なんだあれ? ランプ……じゃないよな」
「ええ、何かしら? 魔法……でもないわね」
ルシードとアルマリーゼは光を放つ物体に目を向ける。形はランプに似ているがランプではなく、火は入っていないにもかかわらずあたりを照らし、その光はランプよりも明るい。なんとも形容しがたい物に、ルシードの興味は引かれる一方だ。
「ありゃ照明ランプって言うんだ。今まで火で灯してた物とは違い、電気を使ってあたりを照らすランプだよ。二十年だか三十年前にレーヴェで開発されたものでね。この街の領主が開発した土地だからこそ、他の領土から来た観光客には違いを見てもらおうとアニス以外の街には意図的に置かれてないって話だ。あんたたちも見るのは初めてだろうけど、この国じゃ珍しくないんだよ。私も詳しくは説明できないけど、詳しく知りたいならこの街にある発電施設に行きな。ここには最初に作られた試作型の発電施設があるからね。動いてるとこも見学させてくれるよ」
本で得た知識や幼いころに夢想した以上の現実に、ルシードは感動を禁じ得ない。やはり世界は素晴らしいところなのだ。この光景を見ることができて本当に幸せだと、今にも泣いてしまいそうだった。
「ええ、ありがとう。時間があれば行ってみるわ」
そんなルシードの様子を、ルシードの仮面越しに感じ取ったアルマリーゼはくすりと笑い、まだルシードが現実に戻って来るまでには時間がかかりそうだと、ジーナに応じた。
「私はこのまま店に戻るけど、あんたたちはどうする? 宿を取るならここで降りて、大通りを西に行った方がいいかもしんないね。ここんとこ滞在人が多いから、宿を取るにも一苦労だ。獣人との国交がうまくいってないとかで、軍人や冒険者が集まってる」
だが、ジーナの一言で、ルシードは一瞬にして現実に引き戻される。以前、マーカスから聞いた情報は本当だったのだ。今も目に映る景色が戦争の舞台になるかもしれないという状況に、尋ねないわけにはいかない。
「……厳しい状況なんですか?」
「どうだかねぇ……お互いに睨み合いって状況は、良いのか悪いのか私にはわからないよ。もう五十年も前の戦争を体験したって人間は少ないからね。私もその一人だけど、いまいち実感が湧かないんだろうね。人が殺し合うかもしれないって聞くと逃げ出したいけど、店を持つ身としてはどこかに行くわけにもいかない。旦那がいれば子どもだっている。今はダンヴァースに家を借りて、父さんたちに子どもを任せてあるけど、会えないってのは寂しいもんさね」
ジーナはダンヴァースがある方角へと顔を向け、苦笑い。
「それでも生活があるからね。家族を養うにはお金が必要だ。店を捨てて新しい生き方を探すよりも、戦争が起こるかわからない土地にいる方がマシに思えちまう。まあ、問題は私よりも、この街から離れるどころか、集まってくる馬鹿な一般人もいるってところなんだろうね。獣人見たさか、殺し合い見たさか……後者だとしたら信じられないよ。殺し合いの何が面白いんだろうね」
「同感です」
人を殺したことがあるからこそ、ルシードにはわかる。人の命を奪うことの何が楽しいと言うのだろうか……ましてやその瞬間を見たいなどと、正気の沙汰ではない。
「ありがとうございました。自分たちはここで降りて、宿を探しに行きます」
「そうかい。何か必要な物ができたらうちの店にも顔を出しておくれ。店は大通りを真っ直ぐ北に行ったところだ。道に面したダリエ商店って店があればそこだよ」
「はい、その時はよろしくお願いします」
最後にもう一度お礼を言って、ルシードとアルマリーゼは馬車の裏側から幌を開けて降りる。
去り行くジーナを見送り、ルシードは仮面を外した。魔法都市レーヴェで乗車したことからジーナに男であると隠すために仮面をつけていたが、もう必要がない物だ。本当は返却すべきだったのかもしれないが、リリーが何も言わなかったことからもらっても良いのだろうと、冒険者カバンに入れる。
「しかし、本当にすごいな」
「ええ、本当にね」
今まで立ち寄った街よりも人が多いが、今はたいしたことには感じない。それよりも、夜だというのにあたりを照らす光に魅入ってしまうのだ。
「精霊の世界もこうなのか?」
アーニャは言っていた。精霊の世界は人間の世界よりも文明が進んでいるのだと。その恩恵を受けて人間の世界が発達しているのなら、精霊の世界もこんな世界が広がっているのではないか。そう思い、ルシードはアルマリーゼに聞くが、アルマリーゼも今目に映る光景に感心しているようだった。
「いいえ。今はわからないけれど、私がいたころにはなかった代物だわ。多分……今もないと思う。精霊の世界はもっと幻想的……ファンタジーって言うのかしら? そういう世界よ。科学なんてものは必要としないの。そもそも、精霊は有り余る魔力を持っているから、光一つにしても魔法で生み出せば良い。だからランプを必要としなければ、科学を必要ともしないわけ。私もこういった光景を見るのは初めてよ。これでも驚いているつもり……人間の世界も変わったわねって」
「へえ、それじゃあ、これは人が作った代物ってわけだ」
「そうね。精霊の世界の何かを使用しているのかもしれないけれど、そういうことになるわ。今なら一部の精霊が人間に自分たちの技術を提供したがる気持ちもわかるってものね。自分たちが考えもしない方法で、人間は新たな物を生み出す。きっとそうした物を見てみたいんでしょうね」
「なるほどね。俺もその気持ちはわかるよ。自分で成せないなら……誰かに託したい」
自分が成せれば一番良いのだろう。だが、その力がないのであれば、自身の思いを誰かに託したいと思うのは当然だと、ルシードは語る。
「さて……ジーナさんにはああ言ったけど、どうする? レナードの情報を仕入れたいところだけど、あまり長居をするつもりもないだろ? この街にいるならいざ知らず、この街にいないのなら留まる理由はない。俺はすぐにでも次の街に移動するつもりでいるけど、異論はあるか? このままギルドに向かって情報を得て、判断。この街に英雄レナードがいるなら居場所を突き止めて、他の街にいるなら、その街に行ける馬車を探す……ああ、どの道馬車を用意するなり見つけるなりするにも拠点が必要か。それなら先に宿を取った方が良いか……」
本心は獣人との戦争回避に尽力したいところだが、今ここで自分が参加したとて力になれる保証はないのだ。逆に戦争になって命を落としでもすれば、残されたアルマリーゼも自動的に巻き込まれてしまう。ルシードは苦慮の末、かかわらないことに決めた。新たな英雄がアルマリーゼを必要としているのかもしれないからこそ、今は先を急ぐべきだ、と。
「そうね……私も長居をするつもりはないわ。前回とは違うんですもの。レナード様がこの街にいないのであれば、居続ける意味はない。……でも、最初はギルドかしらね。すぐに馬車が出るなら、宿を取る必要もなくなるわ」
「それもそうだな。それじゃあ、まずはギルドに向かおう。他の街同様に街の入り口近くにあれば良い……あったあった。さっそく入るとするか」
ルシードはギルドを探そうと周囲を見渡すと、一際大きな照明がギルドを示す紋章を照らし出していた。今も大きな扉は開かれ、立ち代り入れ替わり、人が出入りし続けている。ルシードとアルマリーゼもその人波に続くようにして中へと入る。
ギルドの作りはどの街も同じようだ。正面に受付があり、左手には依頼ボード、その近くには諜報ギルドの情報屋が机を並べて座っている。右手奥に行けば訓練場があるのだろう。今も大勢が出入りしているようだ。
一つ気になるのが左手奥に続く道だろうか。左手奥に続く扉から出て来る人の数は、どこにそれだけの容量があるのだろうかと不思議になるほどに、出て来る人の数が多い。おそらくは訓練場に匹敵か、それ以上に広い部屋があるに違いない。
それを見ていたルシードは、そういえば、とリリーに左奥の部屋の説明を受けなかったこと思い出したが、人の波に逆らってまで左奥の部屋に入ってみようとは思わなかった。
今はそれよりも受付で情報を得る方が大事だと受付へと視線を送るが、どうやら受付まで続く列に並ばなければいけないようだ。ルシードとアルマリーゼは渋々といった感じで最後尾に並ぶ。
「順番が回って来るまで時間がかかりそうだな」
「そうね。まさか割って入るわけにもいかないから、大人しく並んで待ちましょう。それに、退屈はしなさそうよ。ほら、左奥の部屋から出て来る冒険者を見てみなさい。誰もが一癖も二癖もありそうな者たちばかり……レーヴェで出会った娘たちを基準にするなら、誰もがDからC、稀にBってところね」
アルマリーゼが示す者たちのことは、ルシードも気にはなっていた。左奥の部屋から出て来る者たちは、その誰もが新米である自分とは違い、醸し出す雰囲気が特別であると語っている。Dランクといえど、一筋縄ではいかないだろう。
「……A以上はいない?」
「残念ながら。まだ集まっていないのか、すでにここではないどこかに集まっているのか……私にはわからないけれどね」
アルマリーゼの推測は半分当たり、半分外れだ。この国の名立たる冒険者はこの場にはいない。
本格的に戦争となれば違うが、名の知れた冒険者は、今も南の魔大陸でアーティファクトを求めて迷宮攻略に勤しんでいるのだ。今この場にいる冒険者はまだ若いか、もしくは自分では迷宮攻略についていけないと判断したが、街の依頼では満足できない者や、腕試しに集まった者しかいない。
「そうか。まあ、ここは彼らに任せて俺たちは――」
「なあ、テオって知ってるか?」
ルシードが話しかけられたわけではない。ルシードの前方に並ぶ二人の冒険者たちの声が、ルシードの耳に届いたのだ。ルシードはアルマリーゼを視線を交わし、会話を聞き入る。
「ああ、あの英雄レナードの息子だろ? この間Dランクから、一気にAランクに昇格したって話だ。なんでもAランクの魔獣を何十だか何百だか倒して認められたらしい」
「そうそう。今やちょっとした有名人だ。やっぱ血筋かね?」
「どうかねぇ……だとしたら、俺も英雄の息子に生まれたかったぜ」
笑い合う男たちに背後から視線を送ったまま、ルシードは横に並ぶアルマリーゼに話しかける。
「聞いたか? Aランクを何百だってさ。俺も見習いたいもんだ」
「それは――」
あなたがやったんでしょう? と、アルマリーゼは言えない。数がかなり水増しされているようではあるが、シャルニアの冒険者カバンにはルシードが倒した魔獣の死体が詰め込まれているのだ。それは当然、月一だかの提示で見せないわけにはいかない。
ルシードはシャルニアに隠すようにお願いしていたが、履歴が残るというのであれば無理な話である。
そのことに気づいていないルシードをよそに、アルマリーゼは考える。
どういったわけか、テオはルシードの倒した魔獣を自分たちの手柄にしたようなのだ。
しかし、それはとても不思議な話でもある。テオがそんな真似をするだろうか? 他人の手柄を横取りするような真似を……アルマリーゼがテオに持った印象からは想像できない。
そこまで考えたところでアルマリーゼは、どうせシャルニアがどうにか隠そうとしたところを冒険者カバンの提示で見つかり、言い出せないままギルド職員が大々的に宣伝してしまい、取り返しがつかなくなったのだろうという結論に至る。そう想像して目を瞑ってみれば、今にもその光景が目に浮かびそうだった。
くすりと笑い、それでもルシードには伝えない。今のルシードはテオの活躍を心から喜んでいるのだ。ここで真実を伝え、テオが手柄を盗んだなどと邪推させるわけにもいかない。
「――そうね。あなたも頑張らないとね」
「お、なんだい、あんたたちも興味があるのか?」
ルシードとアルマリーゼが笑い合っていると、前方の一人が気づき、話に加わってくる。
「そうですね。まさに飛ぶ鳥を落とす勢い。俺も見習いたいものです」
「ははは、確かに。一度会ってみたかったもんだが、今は父親でもある英雄のレナードが王都にいるらしくてな。そっちに行ったそうだ」
「へえ……王都に」
ルシードはアルマリーゼに目配せをする。思わぬところから情報を得るということもあるものだと。
「ああ、なんの話かは知らねぇけど、今は各領土の領主も集まってるって話だ。今のこの街の情勢を変えてくれる話し合いだと嬉しいんだけどね」
「そうだな。今じゃこの領土は切り離された孤島と同じだ。他の領土に行く関所も封鎖され、俺たち低ランクの冒険者には日銭を稼ぐので精一杯だ。早くなんとかして欲しいぜ」
「他の領土に行けないんですか!?」
続いて男たちから出た言葉に、ルシードは驚きとともに声を出す。
「ん? この街は来たばかりか?」
「はい、まだ詳しい情報を持っていないものでして……詳しく聞かせてもらえますか?」
「そりゃ仕方ねぇな。まあ、簡単に話すと、これまでは南に行っても森しかなかったんだが、元は獣人国の一部だ。以前は森を抜けるのを黙認されてたところもあるが、城が建ったとなれば話は別だ。勝手に入れば罰せられるし、この状況で獣人に捕まればどんな目にあうかわかったもんじゃねぇ。事実上、南に抜けるのはほぼ不可能になり、東に抜けようにも両軍がお見合い状態の真っ只中を抜けなきゃならん。特に東側は北西を人間側が、南東を獣人側が関所を阻むようにして陣が広がってるもんだから、どうしようもねぇな」
「そう……なんですか」
「俺たちも困ってるんだぜ? 他の街に行きたいのはやまやまだが金はねぇし、やっぱりこの街は大きいだけあって依頼の数も多い。日銭を稼ぐにはここが一番ときたもんだ。戦争になっても力になれそうにないしよ……どうしたもんだかな」
「それは困りましたね」
本当に困った。これではこの領土から出ることができない。ルシードはどうしたものかとアルマリーゼに視線を送るが、アルマリーゼも何かを考えるように腕を組み、口元に手を当てている。
「おっと、俺たちの順番みてぇだ。それじゃあ、お互い頑張ろうぜ」
「あ、はい、ありがとうございました」
流石に大きな街だけあって、受付に座るギルド職員は三人いる。こうして話をしている間にも、男たちの順番が回ってきたようだ。
二番の窓口に向かう男たちに礼を言い、ルシードはアルマリーゼに問う。
「……どうする?」
「本当にどうしたものかしらね」
「とりあえず必要な情報は得られたから、領土を抜ける相談に変えてみるか」
「そうね。そうしましょうか」
ルシードは溜め息混じりに、さっそく空いた一番の窓口へと向かう。
「こんばんは。今日はどういった内容でしょうか?」
ルシードが手ぶらと見るや、依頼を受けたいわけではないようだと、受付嬢はすぐに察して対応する。
「実は東か南か……とにかく王都に行きたいのですが、なんとかなりませんかね?」
「申し訳ありません。現在は事情も事情ですので、諦めていただくしかありません」
別の領土に向かいたいと相談してくる冒険者は多い。受付嬢は今週に入り、何度目かの口上を述べて、軽く頭を下げる。
本来なら唯一残された道が転移水晶を使うことなのだが、存在を知らないルシードはそのことに気づかず、受付嬢も転移部屋の説明をルシードが受けたであろうと思い込んだことにより、持ってはいないだろうと改めて説明することはない。
「……そこをなんとか」
「申し訳ありません。無理なものは無理なのです」
返事がわかっていても、口にしなければいけない言葉というものはある。だからこそ口にしたが、受付嬢の返事はルシードの想像した通りのものだった。
「他に何かございますでしょうか?」
「……いえ、ありません」
受付嬢と言えど、ただの職員だ。これ以上の押し問答は無意味とルシードは諦め、アルマリーゼもそうと知ってか口を挟むことはしない。
二人でその場を離れ、空いたスペースへと移動する。
「まいったな……ある意味、今までで一番の問題だ。テオはどうやって隣の街に移動したんだろ? まだ移動が禁止される前だったのか?」
「どうかしらね。でも、あの様子じゃ、レナード様の息子だからって通してもくれないでしょう」
「だよな。とりあえずは宿を見つけて、セラフたちが来るのを待つか。何か良い案を出してくれるかもしれない。ベルは……いつ街を出るか聞いていなかったし、期待はできないか……」
「そうね。関所を抜けられないのなら、あの娘たちも引き返して来るはずよ。今日は無理だとしても明日には来るでしょうし、すぐにこの街で合流できるでしょうね」
「よし、そうと決まれば、さっそく宿を探しに行くとしよう」
ルシードとアルマリーゼは自分たちではどうすることもできないと、四人娘を待つことに決める。
すでに四人が王都にいることなど知らずに……。




