092 麒麟児
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重い足取りで街を歩くルシードは、シャルニアからの手紙を受け取ったあとの記憶は曖昧だ。受付嬢にどういった関係だと聞かれたような気もするが、なんと答えたかすら覚えてはいない。ただ、手紙を手に、行き先もなく歩き続ける。
手紙をどうするか考え、読むしかないという答えは出ていても、なかなか踏ん切りがつかないでいる。シャルニアたちは、ルシードが魔獣と戦うことなく逃げたのだ、とルシードは思い込んでいる。そう思うと、どうしても手紙を読む気にはなれなかった。
足を止め、いっそのこと、なかった物にしてしまおうか、などとルシードが手紙を太陽にかざして考えていると――
「おい、どこまで歩くんだよ。読むならさっさと読めよ。代わりに読んでやろうか?」
すぐ横から声がかかり、手紙を取り上げられてしまう。
気づかなかった。いや、手紙に夢中になるばかりに、周りにいる誰もが見えていなかったのだ。ルシードは少しの驚きとともに、手紙を取り上げた青年を見る。
歳はルシードより少し上だろうか。逆立てた茶髪に、同じく茶色の瞳。背は高く、服の上からでも鍛えていることがわかる。
「しっかし、シャルニアから手紙だぁ? あいつが誰かに手紙を書いてる姿なんて想像できねぇっつーか、ありえねぇだろ。お前、いったい何モンよ?」
「……そっちこそシャル、シャルニアと知り合いなのか?」
「シャルニアっつーか、テオだ。あいつとは古い付き合いで、ガキのころから家を行き来してたからよ。あいつが家を出る二年前まではよくつるんでた。幼馴染ってやつになるのか? まあ、そんな関係だ。で、ルシードって言ったか? お前は?」
「ん? なんで名前……」
青年がテオと幼馴染なことに驚くが、ルシードはそれよりも何故青年が自分の名を知っているのかが気にかかる。
「お前が手紙受け取った時に、俺も近くにいたんだよ。受付のねーちゃんがお前のこと呼んでたろ? すぐに声をかけようとしたんだが、ギルドから出て行っちまうしな。こうしてあとを追ってきたってわけだ。そういや、まだ名乗ってなかったな。俺はカークだ。知らねぇか? 麒麟児カークって言やぁ、ちょっとした有名人なんだけどな」
「キリン? ……ああ、確か首の長い動物だっけ? 見た目は知らないけど、似てるのか?」
「ちげぇよ! 馬っつーか、鹿っつーか、とにかく麒麟児ってのは、神童とかそういった意味だ!」
「悪い、冗談だ。君のことは知らないけど、麒麟は知ってるよ。名前だけで、見た目までは知らないけどね」
今の気分をちょっとでも盛り上げたくてルシードは冗談を口にしたのだが、思った以上に面白くなかったと反省する。相手を不機嫌にさせるだけの冗談は、なおのこと面白くなかった。
「ったく、調子狂うぜ。で、お前もテオのやつと知り合いなのか? 俺にはまだシャルニアが手紙を書いたってのが信じられねぇんだが、まさかラブレターじゃねぇだろうな」
カークの知るシャルニアは、いつも瞳をその長い前髪で隠した陰鬱な少女だ。自分から誰かに話しかけることもなければ、手紙も書くこともしない。カーク自身もシャルニアの声を聞いたことが数回あるかないかだった。それが田舎の、しかも、男とあっては信じられないのも無理はない。
「俺はキュール村で少し知り合っただけだよ。手紙は……ラブレターならどんなに良かっただろうな」
むしろ逆だろう。急に姿を消したことへの非難か、スピリティア・ストーンの存在を知り、騙されたことへの恨み言か、まさか呪いの手紙ではあるまいかと、ルシードは考える。そう考えると、ますます読む気になれなくなってしまいそうだ。
「あ? なんだよ、もしかして呪いの手紙か? ……それなら書きそうだな」
「いや、それは……」
カークの言葉に、ルシードは今まさに考えていたということもあり、ここで「ない」と言えないのが悔しい。ルシードはシャルニアに向けて、信じきることができなくてすまないと心の中で謝る。
「内容を知るのが怖くなってきたし、とりあえず手紙はいいか。……まあ、何が言いたいかっつーとだな。俺はテオのやつがこの街で噂になってるって聞いたもんで来たんだが、どうやらすれ違いになっちまったみてーでよ。お前はあいつらに会ったなら知ってるだろ? あいつがAランクの魔獣をぶっ倒してランクアップしたって話。ありゃ、本当か? あいつのことをガキのころから知ってる身としちゃ、Aランクを一体倒したって聞かされても信じらんねぇぜ」
「……どうかな。俺は昔のテオは知らないけど、今のテオならできるって信じてるよ」
ほんの少し、そう、ほんの少しだけテオ贔屓なルシードは、どこか馬鹿にしたように話すカークに、少しの苛立ちを覚える。
「はあ? ねーよ。あいつと最後に会ってから二年だぜ、二年。俺にはできても、あいつにゃできねぇよ」
「……へえ。君はできるって?」
「おうよ! 言っとくが、俺はガキのころから今まで、同年代じゃ負けなしだぜ? 伊達に麒麟児なんて呼ばれてねぇ。まあ、次世代の英雄は俺ってとこだな。なんならサインしてやろうか?」
英雄。その言葉を聞いてしまっては、ルシードは見過ごせない。少しだけカークの実力が見てみたくなる。
少し挑発するように鼻で笑ってから、口を開く。
「……君が英雄、ね」
「あ? なんだそりゃ、俺には無理だって言いてぇのか?」
ルシードの態度に、カークは怒気を含んだ口調で返す。
「さて、ね。俺はテオのことは知っているけど、カークのことは知らないからさ。英雄になるって言うからには、強いんだろうなって思っただけだよ」
「……言っとくが、俺は弱い者イジメってのは好きじゃねぇんだ。止めるなら今のうちだぜ? ちなみに俺はAランクだ」
ルシードと受付嬢の会話を盗み聞きしていたカークは、ルシードがGランクだと知っている。こめかみに青筋を立てながらも、努めて冷静に話す。
「ところで話は変わるけどさ。さっきの麒麟だっけ? ほら、カークが馬だか鹿だかに似てるって」
「あ? それがどうし――」
「馬と鹿。……いや、なんでもないんだ。気にしないでくれ」
「――オーケー。買ったぜその喧嘩。後悔すんなよ?」
カークは手に持ったシャルニアの手紙を地面に投げ捨て、ステップを踏んでルシードから離れると、腰の冒険者カバンから剣を取り出し、鞘から引き抜く。
手の届く距離からの不意打ちはしないでおいてやろうと、その顔が言っている。
「どうした? お前も抜いていいんだぜ?」
カークの呼びかけに、ルシードは腰のナイフを無言で抜いて応える。ここでアルマリーゼの剣を抜くような真似はしない。精霊の剣を持っていることを知られないためではない。道端の喧嘩、それも自分から売った喧嘩で使っては、アルマリーゼの格が落ちると思ったからだ。それに、ルシードにとっては勝ち負けではない。ここでカークに負けようとも、カークの資質を見ておきたかったこともある。言われた通りに抜いたとはいえ、ナイフも使う気はなかった。
だが、カークは逆にやる気がなくなったとでも言わんばかりに、げんなりとした顔で小さく溜め息をついた。
「ったく。これだからガキは――嫌いなんだよッ!」
剣を逆刃になるよう持ち替え、一足飛びでルシードに近づいて振り下ろすカーク。
しかし、ルシードはそれを目で見て躱す。
「あ!? てめぇ、ホントにGランクか!?」
格下の、それもただのナイフを武器にしているルシードにやる気を削がれたカークだが、それでも当てるつもりで剣を振り下ろしたのだ。それを目を瞑りもせず、見て躱した。その事実に、カークは驚きで目を見張る。
「……その程度か? まさか、口だけじゃないよな? 麒麟児君」
ルシードの挑発に無言で、だが怒りを込め、速度を上げて斬りかかるカーク。それでもルシードはナイフでカークの剣を受けては折れてしまうと、すべての剣を上体を使って半身で、時には一歩だけ動いて躱し続ける。
「へっ、足がお留守だぜ!?」
大きな動きを見せないルシードだが、カークは取っ組み合いは自分のキャラではないとその場で屈み、狙いを動きの少ない足に変えて足払いを仕掛ける。
「違う、誘ったんだよ。それくらい気づけ」
だが、ルシードが足を極力使わないようにしていたのはわざとだ。伸びてくるカークの足を、逆に払い上げた。
「てん、めェ!」
ルシードに足を払われ、転びそうになるとみるや、カークは剣から左手を離し、地面に手をつくと、片手で体を支えるままに、逆立ちになるような形で払われた足を、再びルシード目がけて蹴り上げる。
「惜しい。でも、蹴る余裕があるなら、一度離れて体勢を立て直すべきだったな」
顔に当たる直前で首を捻って躱し、ルシードはカークの右足を左手で掴むと、カークの体ごと引き上げた。
「なッ――に!?」
カークの身長は高く、体重もある。それを片手で軽々と掴み上げたのだ。カークは驚きのあまり、使うつもりのなかった仙気術を使おうとするが――
「……あ」
それよりも早く、ルシードは伸ばす予定のなかった自分の足を、逆にカークの顔へとめり込ませていた。
小さく、やってしまった、と呟いたルシードは、ゆっくりとカークの顔から足を離し、そっと吊り上げた体を地面に降ろすと、左手も離した。
「わ、悪い、大丈夫か? その、鼻血が出てるぞ?」
「……問題ねぇよ。おら、どうした? かかってこいよ。こっからは俺も本気で――」
「おい! そこで何をやっている!?」
今度こそ仙気術を発動させようとしたカークだったが、そこに割って入る人物がいた。人通りの少ない路地。いや、人通りが少ないからこそ現れた人物は、街の自警団だ。いつもの時間、いつものルートを見回っていた時、ちょうどルシードがカークの顔に蹴り入れていた瞬間に立ち会ったようだ。
「奥の男! そこを動くなよ! ちょっと一緒に来てもらうぞ!」
自警団の男から見て奥の男とは、ルシードのことだ。ルシードは今の現場を見られたとしたら、カークは被害者で自分が加害者なのだと一瞬で悟り、これはまずいと反転して駆け出した。
◇
「待て! 顔は覚えた! 逃がさんぞ!」
「あー、おっさん、おっさん」
大声でルシードを追おうとする自警団の男を、カークは鼻を押さえていない左手で掴んで呼び止める。
「ぬぅ、なんたる逃げ足の速いやつだ。君、こっぴどくやられたようだが、大丈夫かね? 鼻血が出ている。私が来なければ、大変なところだったな。何か盗られた物はないか?」
「あ? いや、盗られたモンはねぇよ。それに、あいつは知り合いだ。気の小せぇやつでな、ちょっくら……稽古してんだが、急に怒鳴られたから逃げちまったんだよ。別に喧嘩してたわけでもねぇし、まだ負けてもねぇ。こっから巻き返すとこだったんだよ」
「……君、それは――」
「本当だ!」
止まりかけた鼻血だったが、怒鳴ったせいで、また勢いよく出てきてしまう。
「そ、そうかい? それは邪魔をして悪かったね。でも、道端でやると通行人が怪我をするかもしれない。できればギルドの訓練場でお願いするよ」
「あ、ああ、このご時勢だ。訓練場が混んでたもんでよ。これからは気をつけるよ」
「なるほど、今はギルドも人が多いからね。いや、わかってくれればいいんだ。それじゃあ、私は巡回に戻るよ。鼻、お大事に」
離れて行く自警団の男を見送り、カークは取り出したタオルで乱暴に鼻血を拭う。
鼻は折れていないが、白いタオルを赤く染める自身の血は、ここ数年見たことがないものだった。
「くそっ、なんだったんだ……」
しょせんは田舎街だとカークは油断していた。それでも、油断していたとしても、たとえ本気でなかったとしても、自分がこうまで手玉に取られるとは完全に想定外の出来事だった。
「ここしばらくは鍛錬をサボってたとはいえ、真正面から攻めすぎたか? ……ちっ、爺様みたいな説教しやがって」
カークは自分を鍛えた祖父、カーティスの顔を思い出し、懐かしい気持ちをもって苦笑する。自警団の男を止めたのも、この感情のせいだろう。まだ喧嘩の途中だったのだ。決して勝ち逃げされたくなくて止めたわけではない。
「ルシード。……この名前、覚えたぜ」
カークにとってこの不可解な邂逅は、黒髪に赤い瞳が印象的な少年の存在を、強く心に刻み込んだ。
「カーク、こんなところにいたのか。随分捜したぞ」
カークはルシードの消えた方角へと向けていた思考を、背後からかかった声へと向ける。
「あ? 親父? なんだよ、追ってきたのか?」
「目を離すと決まってトラブルを起こすくせに言うじゃねぇか。また馬鹿息子がどこかで喧嘩でもして……ってなんだその顔。ははっ、まさか喧嘩で負けたか?」
「ま、負けてねぇよ! ラッキーパンチってやつだ。いや、くらったのは蹴りだったけどよ」
「ははは、やっぱ負けたんじゃねーか。言ったろ? 世の中広い。まだまだお前より強いやつが世の中にはごまんといるってな」
「言ったのは爺様だろ。それに、俺はまだ負けてねぇ。これから本番って時に邪魔が入っちまったんだよ」
蹴りをくらって鼻血を出したものの、それでも負けてないとカークは愚痴る。相手は格下。しかも仙気術の存在を知っているかも怪しいと見て、カークも仙気術で体を強化はしなかったのだ。お互い素の身体能力で戦った結果が今の現状だとしても、ここで負けを認めるほど、カークも大人になれてはいない。
英雄レナードと共に戦った自身の祖父、カーティスに才能を見抜かれ、物心ついたころから鍛えられたカークは、その才能を開花させ、十二にしてAランクに登りつめた。
しかし、苦労して手に入れた力は頭一つ抜き出ており、同年代に敵はおらず、周囲の大人たちにも負けはしなかった。
自分と対等に戦える相手がいない。つまりは力を持て余していたのだ。真の強者を求めて旅に出なかったカークは、世界はなんて退屈なんだろうと、心のどこかで冷め切っていた。祖父が寿命を迎えた時に腐らなければ、今頃はSランクになっていたかもしれないほどに。
そんなカークも、本当は自身のライバルに育ったというテオの噂を信じたからこそ、この街へやって来たのだ。そうすれば、かつて祖父に『お前ならなれる』と太鼓判を押されて妄信し、英雄になりたいと願った昔の自分を取り戻せると信じて。そうでなければ、こんな田舎街までわざわざ来たりはしない。
だが、すれ違いになったテオに会う必要はなくなった。久々に見た自身の血は、カークの冷え切った心を再び燃え上がらせるには十分だった。
「へっ、面白くなってきやがったぜ」
「そりゃ結構なことだ。で、どうする? テオ君は王都に行ったそうだが、俺たちも王都に行くか?」
父親の言葉に少し考え、カークは口にする。
「いや、しばらくここに留まろうぜ。獣人と戦争になるって噂もある。ここで黙って帰るって選択肢は、今の俺にはないね」
少し投げやりになっていたが、英雄を目指した子どものころの気持ちを、カークは思い出したのだ。ここでこの街を見捨てるほど、カークは腐ってはいなかった。
「それは俺も気になってた。このまま街を離れるのは気が引けるってな。まあ、俺は弱いから、そん時は頼むぞ馬鹿息子」
どうやら一皮むけたようだ、と父親は気づいたが、それを表に出さないようにして会話を続ける。
「へいへい、わかってるよ、親父殿。ついでにこの街も守ってやんよ」
カークの父に才能はなかった。だからこそ、祖父カーティスはカークに目をかけたのだが、カークも父親を馬鹿にする気はない。カーティスにしごかれ、毎日傷だらけになって家に帰る自分を手厚く看護し、職を変えて街医者になるほどの立派な父親だ。夜も眠れぬほどに傷が熱を持った時は、夜通し元気づけてくれた日のことを忘れはしない。
「そんじゃ、どっかで飯でも――あ?」
この場を立ち去ろうとしたその時、カークは地面に落ちている物を見つけてしまう。
シャルニアからルシードへの呪いの手紙。ここで見て見ぬ振りはできるだろう。だが、カークは手紙へと近づき、拾い上げる。
「……どうする? 読んでみるか?」
「ん? どうした? 飯を食いに行くんじゃなかったのか?」
広場へと歩き出していた父親は、カークがついて来ていないことに気づき、振り返る。
「ああ、いや、なんでもねぇ。行くか」
父に声をかけられ、カークの中から読むという選択肢は消えた。まさか本当に呪いの手紙だった場合、自身も呪われてしまいそうであり、まさかまさかのラブレターだった場合、読んでしまえば、それこそシャルニアに呪いの手紙を送られてしまいそうだ。
それに、この街に居ればまたすぐにでもルシードに会えるはずだ。次に会った時は、手紙を返すついでにリベンジしてやると目に闘志を燃やし、まずは昼飯だと父の背を追って歩きだした。




