042 小悪魔たちに気をつけろ
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ルシードは体に掛かる圧迫感により、目が覚めた。
「……ん、なんだ?」
うっすらと目を開けて見る、するとルシードの右肩に頭を乗せ、ルシードの右腕を抱いて気持ちよさそうに眠るルーファの姿がそこにはあった。今日も起こしにきて眠ってしまったのだろうか。昨日とは違い、パジャマ姿のままだったが、ルーファの部屋はルシードの部屋とは対極の位置にある。寝ぼけて部屋を間違えたわけではないだろう。
だが、圧迫感の正体は理解できた。ルシードが寝ているのは一人用のベッドだ。サーシャは小柄なことからも一緒に寝て問題はないが、サーシャに次いで小柄のルーファとはいえ、流石に三人は厳しい。昨日はただ横で眠っていたルーファだったが、昨日の失敗を踏まえ、ベッドから落ちないようにとルシードの腕を掴んで眠ったのかもしれない。しかし、睡眠時間に定評のあるルシードでも、左右から圧力を加え続けられては起きざるを得ない。
そこで、女の子の体はどうしてこんなにも柔らかいのかと、ルシードは疑問に思う。特に右腕を包み込むルーファの大きな胸が……。
そこまで考えた時、奇妙な感覚にとらわれる。これはどうしたことだろうか……少し体が熱くなり、動悸が激しい。ルシードは未知の感覚に戸惑いながらも、昨日の魔力枯渇がまだ響いているのかもしれないと結論付けるものの、もう少し味わっていたいという欲望に包まれる。
しかし、なんともいえない不思議な感情に、このままではいけない気がして、ルシードは現状を変えることにした。
ルーファたちと出会った森で戦った、名前も知らない熊のような魔獣。その能力を発動し、ゆっくりと二人を起こさないよう注意しながら、二人の位置をずらす。今のルシードは静寂に包まれ、音を発しはしない。ルシードが戦った経験からすると、触れられている方にもルシードの感触がなくなったはずだ。
アルマリーゼが知らない上に新種であるならばあるかどうかもわからないが、元の能力名もわからない。そこで、ルシードは適当に、というかそのまま『静寂』とでも名付けておくことにした。
能力の使い方を間違っている気がしなくもないが、二人を起こすことなく起き上がったルシードは、ベッドを抜け出し、二人にはそれぞれが持ち込んだ枕を持たせておく。使わないのに何故持って来たのかと疑問に思うが、役に立ってくれた枕に感謝し、新しい服に着替える。
そこでルシードは、昨日はルーファが選んでくれた服をそのまま購入したことにより、試着をしていなかったことを思い出した。実際に着てみると、サイズは問題ないものの、ズボンの丈が少しばかり長いことに、今になって気づいたのだ。アーニャもその前にあった出来事により舞い上がっていたからか、確認を忘れたのだろう。ルシードは何かないかと机の引き出しを探るも、当然のことながら部屋の鍵と時計のネジ巻きしか入っていない。今は裾を折るだけに留め、近々アーニャの店に寄ろうと決める。
そのおかげか、すでに動悸も治まったが、二度寝する気にはなれない。冷静になったところで、ルシードは自分の体を見下ろす。
昨日実際に魔法を使い、魔力の流れを感じたおかげだろうか、魔獣の能力も魔力を使っていることを理解したのだ。自分の体に纏う魔力がこの静寂を生み出しているようだったが、アルマリーゼが使っていた部屋を覆う黒いカーテンとは似て非なるものといった感じで、自分の立てる音すら聞こえない。この能力の原理こそ理解できないが、それはベルの使用する時魔法もそうだ。基本の火、水、土、風に、それ以外の聖と魔、それと雷、だったか……魔力とはこの属性に属さない存在があるのかもしれないとルシードは考える。
魔法の奥深さに感心し、今は何時だろうと時計を見ると、針は六時五十分を指していた。空はすっかり明るくなっているようだが、ルーファはいったい何時に起こしにきたのだろうか。どうして持ち込んだかも不明な枕のこともあり、ルシードには疑問が増えるばかりだ。
とはいえ、ここでじっとしているわけにもいかないだろう。
ルシードは扉の音を立てないようにゆっくりと扉の取っ手を回したが、能力のおかげで触れている物も音を出さなくなるようだと理解すると、それなら気にする必要もないと外へ出て、扉を閉める。そのまま一階に降りたところで能力を解除した。
顔を洗ったルシードは一度背伸びをし、誰か起きているだろうかと食堂へ入る。すると、そこにはセラフとアルマリーゼの姿があった。二人は談笑し、セラフは何か飲み物を入れているようだ。
「おはようございます、今日はお早いんですね」
「おはよう、俺だって早い日くらいあるさ」
セラフのことだ、皮肉ではないだろう。この天使のような顔をした少女が、実は悪魔でしたと言われても、アルマリーゼのような前例があることからルシードも驚きはしないが……。
「なんだか悪口を言われた気がするわ」
「奇遇ですね、私もです」
二人の声に、ルシードはギクリとするが、表に出さないよう注意を払う。まさか契約しているからといって、アルマリーゼに心を読まれたわけではないだろう。今まで直接語りかけられることはあっても、こちらから話そうと意思を込めたことしか伝わっていなかった。ならば、アルマリーゼに契約を通じて心を読む能力はないはずだ。……そもそも、セラフにまで気づかれそうになっている。
「ハハハ、やだなあ……そんなこと、あるわけないじゃないか」
「そうですか。……あ、ルシードさんもコーヒーいかがですか?」
わざとらしい演技になった気がしたが、セラフは納得してくれたのか、ルシードに飲み物を勧めてくる。気になるのはアルマリーゼが含み笑いを浮かべているというところか。あの顔は何かを企んでいる顔だ。
「コーヒー?」
アルマリーゼに注意しながらも、ルシードは聞き覚えのない飲み物の名前を繰り返す。
「はい、眠気覚ましにいいですよ」
「へえ、いただこうかな」
「すぐに準備するので、座ってお待ち下さい」
ルシードはセラフに促され、椅子に座ってコーヒーとやらを待つ。
だが、セラフの動きを目で追っていたルシードは、驚きに目を見張った。セラフがポットから注ぐ飲料の色は真っ黒なのだ。これは何事かとアルマリーゼの前に置かれたカップを見るが、こちらも真っ黒だった。
それを見て、ルシードは安堵する。思ったことを口に出したわけではないのだ。さっきのお返しとばかりに、自分だけに別の物を出すわけではないようだ、と。
「どうぞ」
「ありがとう」
ルシードはなみなみと注がれたカップを受け取り、アルマリーゼを見る。彼女は確実に何かを企んでいる。しかし、いったい何を企んでいるのか、ルシードにはわからない。
「どうかしたの?」
ルシードの視線に気づいたアルマリーゼに問われるが、ルシードも答えるわけにもいかない。
「いや、なんでも……」
「そう? ならいいのだけれど、コーヒーは一気に飲んだ方が、その分、目も覚めるわよ。熱いから火傷しないように気をつけなさい」
コーヒーが熱いことまで親切に教えてくれる。しかし、一気に飲めとアルマリーゼは言ったが、アルマリーゼたちのカップに入ったコーヒーはルシードの物より量が少ない。不審に思いながらも、一つの可能性――アルマリーゼたちは猫舌で、ゆっくり飲んでいるのかもしれない、と思い当たる。
ルシードはアルマリーゼが何か企んで見えるのは自分の勘違いだったのだろうかと、火傷しないように注意しながらコーヒーを一気に飲み干し――
「ぐえ、なんだこれ……苦いってもんじゃないぞ」
吐き出さないにしても舌を出して感想を述べた。
ニガイ菜とは比べるまでもないにしろ、コーヒーを飲んだ感想として出てくるのは苦いの一言。それでも、目覚ましにいいと言うのは納得できる代物だ。
彼女たちはこんなものをよく飲めるものだと、ルシードは飲み干したカップから二人の方へと視線を戻すと、二人はコーヒーの入ったカップに何やら白い粉をスプーンで流し込み、ミルクを注ぎ足しているではないか。これはどうしたことかと、疑問を口にする。
「……それは、何をしてるんだ?」
「これ? コーヒーに砂糖とミルクを入れているのよ? そのまま飲む人もいるみたいだけれど、私は甘い方が好きだし、コーヒーと言うより、カフェオレになるのかしらね」
ルシードはしてやられたと、天を仰ぎ見る。アルマリーゼの企んでいたのはこのことだろう。アルマリーゼのカップを見ると、真っ黒だったコーヒーの色は茶褐色へと変わっている。飲みかけで少なかったのではない。最初からミルクを注ぎ足すことを考えて少なめに注がれていたのだ。
セラフも口元を押さえ、笑いを噛み締めている。やはり彼女たちは天使の顔をした悪魔に違い――
「あら、ルシードは砂糖もミルクもいらないようね」
「残念です」
ない、と想像したルシードの思考が止まる。
彼女たちの勘の鋭さはなんなのだろうか。ルシードが考えていたことが手に取るようにわかるとばかりに口を開いてくる。これが俗に言う女の勘というものなら、隠し事をするのは至難の業だと、ルシードは素直に謝ることにする。
「俺が悪かった。できれば次からは砂糖とミルクを入れて欲しい。ああ、砂糖はそのスプーン一杯でいいよ」
砂糖と言えば、ルシードの故郷では貴重品だ。とても甘美な味らしく、白い粉のようなものであることを見知ってはいたが、常に子どもたちの手に届かない場所にと、管理されていた。ここでは違うのかもしれないが、ルシードは遠慮の意味も込めて言っておく。
「わかればいいのよ。ところでその服、ルーファのと一緒じゃない?」
「私も気になってましたが、同じものですよね?」
今ルシードが着ているのはルーファが選んでくれた服であり、ルーファが着ている物のサイズ違いだ。
「ああ、昨日選んでくれたんだ。自分で着てるから、よさもわかるんだろうな」
「へえ……なるほどね」
「そうですか、あのルーファが……ちょっとそんな気はしていましたが、納得です」
彼女たちは思うところがあるのか、お互いに視線を絡ませ、何かに納得したように頷き合うが、ルシードに彼女たちの心を読む能力はなく、何を思ったのかはわからない。
「何かあるのか?」
「ふふっ、こちらの話です」
「ええ、そういうこと」
気にはなるが、答えてはくれそうにない。ここは今日の予定でも聞いておこうとルシードは考え、口を開く。
「他のみんなはまだ寝てるのか? 今日の予定とかは?」
「昨日、ギルドで依頼を確認した中では日帰りで帰ってこられそうなのはありませんでしたし、今日も自由時間の予定です。なので、みんな起きてくるのはバラバラですね。私は行きつけの店に行ってみようと考えています」
「私は今日も適当にぶらつくつもりだけれど、あなたの予定は? 必要ならついて行くわよ?」
「俺は……そうだな。やることはあるけど、ついて来てもらう必要はないかな。用がすめば、俺も適当に街を見て回るよ」
予定がないのはルシードにもありがたかった。今日中にやっておきたいことがあったからだ。
「そう。騒動は起こさないようにしてよ」
「わかってる。気をつけるよ」
街に浮かれて騒動を起こし、おたずねものになってしまっては街にいられなくなってしまう。最悪、ハンターギルドとやらのブラックリストに載ってしまえば、まともに生活することもできないだろう。
「そういえば、ギルドは何時から開いてるのかな? 俺もどんな依頼があるのか見ておきたいんだけど」
「ギルドは二十四時間開いていますよ。街の自警団的な役割も果たしてますから、年中無休、二十四時間営業です」
「そうなんだ。ギルドの人も大変だな……」
「ふふっ、常に同じ人が仕事してるわけでもないですよ。リリーさんも週に二日は休みの日があると言ってましたしね」
「それもそうか。それならこのあと見に行ってみるよ」
「はい、朝食はどうされますか? 外で食べるなら、パンやおにぎりなどもありますが」
家の外では仮面をつけなければならず、何か食べようものなら苦労しそうだが、せっかく冒険者カバンを手に入れたのだから使ってみたい気持ちもある。ルシードがどちらを選択するかなど、考えるまでもないだろう。
「おにぎりを昼の分も合わせて多めにもらえるかな? 今日は外で食べることにするよ」
「わかりました。それでは市販品ですが、こちらをどうぞ」
セラフは腰の冒険者カバンから、一つひとつ袋に包まれたおにぎりを取り出し、ルシードへと渡す。
「ありがとう、あとでいただくよ」
「夜はできたてのご飯を用意しますね」
「楽しみにしてるよ」
「そういえば、冒険者になれたみたいね」
言われて、ルシードはアルマリーゼとは昨日ベルの塔の前で別れてから今まで顔を合わすことがなかったこともあり、冒険者になった報告をしていなかったことを思い出す。
「なんとかね。まだ水を出す程度だけど、水魔法を使えるようになったよ」
「ふふっ、今度見せてもらうわ」
「私も楽しみにしてますね」
「水魔法使いの先輩に楽しみにされても困るよ。……それじゃあ、出かけてくる」
「ええ、いってらっしゃい」
「お気をつけて」
ルシードは二人と別れ、仮面をつけてから家を出る。時計の針は七時四十分。今日はゆっくり街を見て回れそうだ。口元だけ仮面をずらし、行儀が悪いなと思いながらも、おにぎりを齧りながら移動する。
とはいえ、まだ街に不慣れなこともある。迷子という不名誉な称号を受け取らないためにも、通ったことのない道は通らないように心がけ、大通りに出てからギルドを目指す。
仮面を元に戻し、通りを見渡すと、大通りというだけあっていくつもの店が並んでいるが、そのほとんどの店が閉まっているようだ。
流石にこの時間だと朝食を取れるような店しか開いていないのか、アーニャの服屋も老婆の雑貨屋もまだ閉まっているのが遠目でもわかる。
開いている店といえば……料亭なのだろうか、何軒かの店から良い匂いがルシードのもとにまで漂ってくる。
つい引きこまれそうになるルシードではあるが、今の所持金はゼロだ。店に入る余裕はないと諦めた。
気を紛らわせるように他の店へと目をやると、こちらは魔道具店と書いてある。冒険者カバンのような便利アイテムが売ってあるのだろうが、そのことから考えても老婆の雑貨屋よりも相場は高いだろう。ルシードには敷居が高い。
他に開いている店はと見渡したところで、一軒の店に目が止まる。何時に開店するかわからなかったこともあり、ギルドに寄った帰りにでも立ち寄ろうとルシードは考えていたが、すでに開いているようだ。この店も二十四時間開いているのかもしれない。
ルシードはその店の前で立ち止まる。一人で店に入るのは初めてで、少しばかりの緊張を覚えるが、立ち止まったところで何かが起こるわけではないのだ。意を決して店に足を踏み入れた。




