033 ルナミリス教
◆
ルシードは食堂に入り、声をかける。
「悪いね、全部任せっきりで」
「気にすんなって、今日一番働いたのはルシードだからな。ゆっくりしててくれよ」
働いたと言っても、ルーファたちが倒す予定であった魔獣をルシードが倒すことになったのは偶然だ。ルーファたちに出会わなければ、魔獣が霧散するまであの場で待つか、また魔獣を放置したかもしれないこともあり、ルシードは少し居心地の悪さを感じながらも、今はルーファの言葉に甘えることにする。
「そう言ってもらえるなら助かるよ」
「神様。どうぞ」
「あ、ありがとう」
椅子を引いてくれたサーシャに礼を述べ、ルシードはその椅子に腰かける。セラフがミラを呼びに行っているのか、二人の姿はない。アルマリーゼがルシードの正面に座っており、その隣にルーファ、サーシャはルシードの隣の椅子に腰を下ろした。
食卓の上には見たこともない料理が所狭しと並び、どれも美味しそうだ。
「信者っぷりが板についてきたじゃねぇか」
「当然。今なら三つ目の席がある。ルーファもなる?」
「お誘いは嬉しいんだけど、アタシは一応、ルナミリス教だからな。全然顔を出してないとはいえ、二つも神様を信仰するわけにもいかねぇよ」
どこか困り顔で言うルーファに、ルシードは一安心。なんと言って断ろうかと悩んでいたところだ。しかし、これでますますサーシャの誤解を早く解かなければならなくなってしまった。サーシャを放っておくと、隙あらば信者を増やそうとしかねない。ルシードは今夜にでもサーシャの部屋に行き、悩みを聞き出しておこうと心に留める。
そのサーシャはというと、断ったルーファに鋭い視線を投げかけ、次にルシードの袖を引き、ルシードの耳元に口を寄せると――
「神様、神様。こやつ邪教徒です。今すぐ殲滅すべきかと」
怖いことを言う。
「……俺は博愛主義だから、そういうことはしません」
宗教戦争など以ての外だ。ルシードは関わりたくもないとばかりにサーシャを窘める。
「流石は神様、器が大きい。……ルーファ、神様の寛大なお心に感謝を」
「おう、サンキュ」
ルーファの軽い返事に、サーシャはまた何か言いそうになるが、ルシードが手で制すと、渋々ながらも引き下がる。
なんとか戦争も回避できたところで、ルシードは気になることを聞いておく。
「ところで、ルナミリス教ってのは?」
「女神ルナミリスを信奉する宗教よ。確か……愛と平和を説く女神だったかしら? あまり宗教には興味がないから、知っているのは名前くらいだけれどね」
「ルシード教に次いで勢力がある程度」
「んー……まあ、そんなとこ。アタシも両親がそうだから、自動的にって感じだけどな」
ルシード教など打ち立てたつもりはないが、今のサーシャには何を言っても無駄だろうと、ルシードは諦める。
それよりも、女神ルナミリスの名は聞いたことはないが、流石は物知りアルマリーゼ。年の功か、名前だけとはいえ、よく知っている。しかし、苦笑いするルーファを見るに、なかなか人気のようだ。
「お待たせしました」
「お待たせ、先に食べててくれてよかったのに」
遅れてやってきたセラフとミラは、おそらくはいつも使っているであろう椅子に、それぞれ腰を下ろした。
「せっかく新しいメンバーもいるんだから、最初くらいは一緒に食わねーとな」
「それもそっか」
「それでは、いただきましょうか」
セラフの声に、それぞれが食事に手をつける。
「それで、なんの話してたのよ?」
「ん? ああ、アタシがルナミリス教徒だって話だよ」
ルーファが先程していた話の内容を説明すると、ミラは食事をしていた手を止め、天井を見上げて言う。
「ルナミリスかー。そういや、うちの家族もそうね」
ルーファ同様に、宗教というものに興味がないのだろう。ミラは、そういえばそうだった、とでも言いたげだ。
「私の家もそうですよ。と言うより、この国の大きな街に住む人は、みんなそうなんじゃないですか?」
これはあまり人気がないのかもしれない、とルシードが思っていたところにセラフの声が耳に入り、口に含んだパンを喉に詰まらせそうになる。
セラフの言葉から察するに、ルナミリス教の信者数は、二名どころかこの国の大半を占めているようだ。そもそも、ルシード教とやらはセラフが遊びに付き合ってくれていることから二名だが、実質一名だ。それなのに、サーシャもルナミリス教はルシード教に次いで二番目とは大きく出たものである。
「つーか、サーシャもそうだろ?」
どうやらサーシャもルナミリス教のようだ。それにもかかわらず、自分のことを神様などと呼ぶのは、いったいどういった理由だろうか。ルシードがサーシャを見ると、三人の会話を不満げな表情で食事をしていたサーシャは手を止め、口を尖らせた。
「信徒の声も聞けない女神に用はない。もうルナミリス教徒は辞める」
サーシャは悩みを解決してくれない女神に不満があるようだ。
これはルシード教の解散も近いかもしれない。
「そうは言っても、この国には何千万だか人がいるんだから、一人ひとり願いを聞いてたら、神様だって過労死しちゃうわよ」
「ふふっ、それもそうね。もしかするとその通りで、もういないんじゃない?」
「あー、あるある。人間のくだらない願いを聞くのに飽きて、神様辞めましたとかな」
「まあ、毎週教会まで足しげく通ってる人も、このあたりじゃ見ないしね。月一だったり、数ヶ月に一回だったり」
「私たちもそうですしね」
アルマリーゼもそうだが、ルナミリス教徒たちにこうまで言われるとは、女神ルナミリスもひどい扱いである。
「でも、辞めるって……いいのか? お前の家ってかお前……いや、アタシの言うことじゃないんだろうけどさ」
「問題ない」
ルシードはルーファとサーシャのやりとりに疑問を持つが、ルーファが口に出さないところを見るに、触れられたくはない話なのかもしれないと、聞かない。こういう場面では、遠慮を知らないアルマリーゼが口を挟むだろうとそちらを見るが、アルマリーゼは食事に夢中なのか、話を聞いていないようだった。
「お袋さんとか、説得難しいだろ?」
「ふん。もう新しい神様も見つかったからどうでもいい。これからはルシード教徒としてやっていく」
サーシャの信仰が重い。
これは悩みを解消できなければ、いよいよもって最悪の展開になりかねない思いである。
そのあとはルーファたちのレーヴェでの苦労話や、彼女たちの冒険活劇を聞いて食事の時間も終わりを迎えた。何から何までお世話になるのは悪いとルシードが食器洗いを買って出ると、客人にそんなことはさせられないとちょっとした押し問答になり、結局全員でやることになったが、これはこれで楽しい時間だろう。
「お風呂が沸きましたから、順番に入ってください」
そこへいつの間にやら抜け出していたセラフが、風呂を沸かして戻って来た。
「広いから、全員で入ればいいんじゃない? 今日は汗かいたから、みんな早く入りたいでしょ?」
「それもそうだな。そんじゃあ、みんなで入るか」
「ふふっ、ルシード、あなたも一緒に入る?」
「神様、お背中――」
「いや、俺は一人で入るよ」
ルシードはサーシャが言いきる前に、早口で割って入った。出会ってから間もないが、サーシャの言動を予期できたからこそ、できる芸当だ。
「……残念。では、せめて一番風呂は神さ――」
「俺はあとでいいよ。サーシャは俺のことを優先してくれるけど、俺だってサーシャのことを大切に思っているんだ。わかってくれるね?」
これまたルシードは予期していたように、すぐに割って入る。
「神様。ありがと。一生付いてく」
「あらあら、また信仰度が上がったんじゃないかしら」
「むぅ……アタシも、ルナミリス教から本気で鞍替え考えっかな」
ルシードは彼女たちと一緒に風呂に入ることに抵抗はないが、できれば風呂はゆっくりしたい派なのだ。しかも、サーシャが背中を流すと言い出しそうだったことからも、断っておかなければ、ゆっくりお湯につかることも困難だろう。
しかし、そのことが災いして一人で入ると言ったが、もう少し言葉を選ぶべきだったと後悔する。
先に入っている間に乱入されては困ると、釘を刺しておくだけのつもりだったが、今のはやりすぎだったようだ。だが、やってしまったものは仕方ないと切り替える。
それに、カルロが『十二歳を超えたら男女は一緒にお風呂に入るべきではありません』と言っていたのをルシードは思い出したのだ。何故そうなのかは知らないが、カルロは冗談を言うタイプの人間ではないし、テーオバルトも『そういうものだ』と言っていたので間違いない。母に『これからは一緒に入らない』と言った時に、すごく落ち込んでいたのを、今では懐かしく思う。
彼女たちは周りに女性ばかりの環境だからか知らないのだろうか。ここは自分が教えておくべきかな、とルシードが考えていると――
「皆さん、冗談言ってないで、手の空いた人から入ってください。ルシードさんも、アルマリーゼさんたちの冗談に付き合わなくていいですからね」
冗談と言う言葉に、ルシードは、なるほど、と唸る。どうやら一緒に入るかと聞かれたのは、自分に一般常識があるか試されていたようだ、と。そして、常識を教えてくれたカルロに感謝する。
「へいへい。からかおうとして悪かったよ。……ああ、そうだ。ルシード」
「ん?」
ルシードは部屋で待っていようと、食堂の扉に手をかけたところを呼び止められて振り返る。
「今日破れた服は明日買いに行くつもりだけど、今晩の着替えはあるのか?」
ルーファに問われ、ルシードは考える。旅に出る時にカバンに詰めた服は着ている分を含めて三着だ。一着は血まみれな上、オークウッドの村に置いて来てしまった。二着目は今日破れて使い物にならない。どうせ野宿が多いだろうと寝間着のことなど考えていなかったことからも、今着ているのが最後の一着だ。
「あ、そういや着替えがないな」
「へへっ、それならちょうどいいや。一応、パジャマも買っておいたから、脱衣所に置いとくぜ。風呂上りに着てくれよ」
パジャマ――寝間着のことだったか、とルシードは都会での呼び方に、まだ慣れないでいた。田舎と都会では、同じ物でも呼び方が違ったりするのだ。今手で触れている扉もそうだ。ルシードの村では扉と言うが、都会ではドア、扉を叩くはドアをノックする、など、とにくかく洒落た言い方をする。ルシードも多少は本などで出て来た単語程度には知識があるが、本当によく出て来る単語を使う程度だ。使い慣れない物は、田舎の村ということも重なり、理解されないのでは言葉にするにも抵抗があった。
だが、今はそうも言っていられない。言葉の齟齬をなくすためにも辞書が欲しいな、とルシードは思う。村にも使い古された辞書はあったが、いくら本が好きなルシードとて、そのすべてを記憶しているわけではない。それに何より、稀に本の作者が本来の意味を取り違えて使用している言葉があることもあり、言葉の意味を本の内容から取り入れることが多いルシードは、当然、取り違えて覚えている言葉もある。
しかし、今はそんなことを考えている時ではない。ルーファが寝間着――パジャマまで配慮してくれていたことに、ルシードは感謝する。
「ありがとう、助かるよ」
「いいってことよ。そんじゃあ、風呂上がったら呼びに行くから、待っててくれ」
「ああ、わかった」
ルシードはルーファたちと食堂で別れ、部屋へと戻ったところで、みんなが風呂から上がるまでの間に、この街を出る前に必要になりそうな物を確認しておこうとカバンを確認する。
「着替えと食料は必須だな。コンパスもあれば欲しいけど、高いだろうな……村では貴重品だったけど、どれくらいするかな」
手持ちを確認するが、木彫りの人形と交換した銀貨二枚しかない現実に、肩を落とさずにはいられない。
「ああ、投げナイフも三本折れたんだったな……。キュールでも一本置いてきたから、残りは二本か」
新しいナイフも補充したいところではあるが、手持ちは心もとない。スピリティア・ストーンはまだ箱一杯に入ってはいるが、売れるだろうかと考える。本物だった場合は、売れば多少の足しにはなりそうだが、専門の店でなければ、買い取ってくれるかもわからない。偽者だった場合は、ギルドに登録してしばらくこの街で依頼をこなさなければならなくなるだろう。
ただ、ミラの話では命がけの仕事だと報酬は高いと言っていたが、今日出会ったような魔獣ばかりだと、命がいくつあっても足りない。かといって、低ランクの依頼だけを受けていては、日々の生活だけで手一杯になりそうである。
最悪の場合……本当に恥ずかしい話ではあるが、ミラが言ってくれたように、彼女たちにこの街で必要な物を入手してもらい、譲り受ける方法を取るしかなくなるだろう。せめて今日の魔獣が高く売れることを願うばかりだ。
次に、部屋の鍵を確認しておこうと机に近づく。部屋に鍵をかける理由もないことから使うこともないが、あとから部屋の鍵がないと言われては困る。
机の引き出しを開けると、ミラの言った通りに部屋の鍵があったが、見慣れない金属片も一緒に入っていた。
「これも鍵……ってわけじゃなさそうだな」
金属片は鍵の頭部のように持ちやすい構造になってはいるが、鍵山や溝はついておらず、丸い筒の底に、四角い穴が開いているものだった。
「まあ、考えても答えは出ないか……。あ、そういや、あれはなんだろ」
今度は壁に取り付けられた長方形の箱へと近づく。
箱の中には丸い円盤があり、円盤には一から十二までの数字が等間隔で刻まれ、短い針と長い針が、中央から二本伸びている。短い針はだいたい、九に近いあたりを、長い針は九と十の間あたりを指しているように見える。
「ん? 今、長い針が動いた……よな?」
文字盤を眺めていると、長い針が一瞬動いたように見えたが、もう一度動く気配はない。気のせいだったかと、今度は箱の下部分に目をやると、振り子が左右に規則正しく揺れていた。
そこで入手した情報からいくつかの単語を並べたところで、脳裏をよぎるものがルシードにはあった。
「振り子、円盤の数字、二本の針。昔読んだ本で同じ物を……あ、あれ? やっぱり針が動いてるぞ」
再び円盤に目をやると、長い針は九と十の間ではなく十を指していた。
「これって……あ~、ダメだ。何か思い出せそうだったのに、今のでどこかへ行ってしまった」
こんな記憶力では、名探偵にもなれやしない、などと考えていると、円盤に丸い穴があるのを発見する。
「この形ってさっきの――」
そこで部屋の扉をゴンッ、ゴンッと力強く叩く音が聞こえる。
「おーい、風呂上がったぞー」
ルーファだ。お風呂が空いたので知らせに来てくれたらしい。
ルシードは扉を開けて迎え入れる。
「ありがとう、早かったね」
「ん? そうか? 一時間近く入ってたと思ったんだが」
「一時間?」
一時間とは一ッ時のことだろうか、とルシードは考える。確か、一刻のことをそんな呼び方をしたかもしれない、と。それならば、かなりの時間が経ったことになるが、そんなに経っただろうかと再び考える。体感ではそれの半分くらいだと感じていたが、考えに夢中になるあまり、思ったより時間が経っていたのかもしれない。
「ああ。部屋に時計あるだろ? まあ、見てなかったなら意味ねぇけどな」
「時計? ……そうか、これが時計か!」
時計と聞いて、ルシードは思い出す。さっき調べていた箱こそが時計だったのだ。
昔読んだ推理小説に出てきた名称だったが、実物を見たことがないことから、話の内容についていけなかったのだ。物語の探偵はたびたび『時計の針が何時何分』とよく言っていたが、なんのことだか、まるで意味がわかっていなかった。結局、物語の犯人よりも時計とやらの方が気になって、話の内容などすっかり忘れてしまった過去がある。
テーオバルトに聞いた時も『時間を教えてくれる物だ』と言い、『太陽が昇って沈み、もう一度昇るまでの時間』や『二十四時間』など、テーオバルトも悪戦苦闘しながら教えてくれたが、次々と出る単語に、何度説明されても理解できず、それでも食い下がって聞くと、最後には『ここでは太陽が昇ったら起き、太陽が沈めば寝ればよい。時計は必要ない』と言われてしまい、うまく理解できないままだった。
「な、なんだよ。急にどうした?」
ルーファに声をかけられ、急に部屋の時計へと近寄り、ジロジロと見ていたルシードは、さぞ変な奴に見えたであろうと反省する。
「あ、いや、ごめん。実は時計の実物を見たことがなくてさ。珍しくて、少し舞い上がってた」
「へへっ、なんだよ、それ。何事かと思ったぜ。そうだな、村じゃ時計はねぇもんな。知ってっか? 誰が計ったかは知らねぇけど、一日はだいたい二十四時間らしいぜ? その時計の短い針が二周して一日だ。六十秒で一分。そこの時計で言うと、振り子が片方に振れると一秒、左右に六十回振れる、すなわち六十秒で一分だ。一分ごとに長い針が一個進み、六十回進むと一時間。それが二十四回繰り返されて二十四時間ってわけだ」
ルーファの説明に、ルシードは自分の考えと同じだったことに、満足して頷く。
「そういや、机の引き出しに、鍵と一緒にネジ巻きも入ってただろ? 文字盤のところの穴に入れて巻かないと止まるから、寝る間にでもゼンマイを巻いてやってくれ。今日は掃除の人が巻いてくれたけど、だいたい一週間しか持たないからな。ああ、あんまり巻きすぎるなよ? ゼンマイが壊れたら、修理に出さないといけなくなる」
ルーファは腹を抱えて笑いながら、おそらく簡単に、だけどわかりやすく説明してくれたのだろうが、今のルシードにはルーファの説明で十分だった。机の引き出しにあった金属片の謎も、本による予備知識、それに何より、実物がある。それで十分、理解した。
「そうか。ありがとう、やっと長年の疑問が解決したよ」
「それはよかった。なら、今度はアタシの質問に答えてくれよ」
「俺に答えられることなら、なんでも聞いてくれ」
「へへっ、どうよ?」
どう? とはなんのことだろうか、とルシードは考える。
ルーファは体を大の字に広げて聞いてくるが、何を聞かれたのかわからないのだ。体を広げたということは、それに意味があるのかもしれないと、足のつま先から頭のてっぺんへと視線を送るが、ヒントは見つからない。先程言っていたパジャマとやらを着ているが、薄手の布でできており、寒くないのか心配になるくらいで、他に特徴があるとすれば――ルーファの胸だろうか。薄い布のせいで、ルーファの大きな胸が更に強調されていた。こんなに大きな胸で戦闘の邪魔にならないのかと思った時、一つの仮定が生まれる。ルーファのポーズに、『どうよ?』とは、そういうことなのかもしれない、と。
ルシードはルーファへと手を伸ばし、その胸に触る。
「うおっ、柔らかいな。それに重さも結構ある。よくこれで動けるもんだ」
男性とは違い、女性の胸は大きい。何か詰まっているのかと、ルシードは常々疑問に思ってはいたのだが、そうそう触る機会もなく、今に至る。
しかし、胸の柔らかさに加え、パジャマのサラサラな生地も相まってか、気持ちの良い手触りに、感動せずにはいられない。柔らかいながらも弾力があり、沈み込んだ指を押し返そうとしてくる。それを幾らか楽しんでいた時、ルシードはふと思う。
ルーファは質問に答えろと言っていたが、これでは自分の疑問がまた一つ解決されただけで、ルーファの質問には答えていない気がしたのだ。この行動は間違いだったのではないかと思い、ルーファを見ると――
「お、おま、おまえ……」
ルーファは普段雪のように白い肌をしているが、その赤味がよくわかるほど顔を真っ赤にし、口をパクパクと動かしてはいるが、うまく口に出せないでいるようだった。
だが、ルシードがルーファの顔を見たことにより視線が合い、そこでルーファが胸を隠すようにしてうしろに下がる。
「な、なな、なんで胸触った! ア、アタシはパジャマの感想を聞いただろ!? いきなり女のむ、むね、胸を触る奴があるか!」
ルーファの剣幕から、女性の胸を触ることはいけないことのようだと、ルシードは察する。
それと合わせ、ルーファはパジャマの感想と言ったのだ。そこで初めて、パジャマの感想を聞かれていたのだと、ルシードは理解した。言われてみれば、パジャマを見やすいよう、大の字になっていたと考えるのが自然だろうか。最初に寒そうだと心配していたのに、どうして胸の方へといってしまったのか、ルシードは自分でも謎に思う。
しかし、感想を求められては、答えぬわけにはいかないだろうと、ルシードは考え、すぐに答えを出す。
考えるまでもなく、服の感想を言う時があればと、テーオバルトに教わっていたことを思い出したのだ。
「ごめん。つい……そうだね、ルーファのパジャマ姿は可愛いよ」
「ついって、おま……え? か、かわ?」
ルーファは何を動揺しているのか、聞き取れなかったようで、ルシードに聞き返してくる。
聞き返されたルシードも、聞こえなかったならもう一度言うべきだろうと、もう一度口にする。
「うん、可愛いよ」
「……パ、パジャマが?」
「パジャマも可愛いけど、ルーファも可愛いよ」
「ア、アタシが?」
「うん」
「そ、そそ、そっか。……へへっ、男っぽいとかそういうのはよく言われるけど、可愛いとかあんま言われたことないから……な、なんか気恥ずかしいな」
どうやら上手くいったようで、今回もルシードはテーオバルトに感謝する。
テーオバルトは『服の感想を求められた時には、少女には可愛い、大人の女には綺麗だと言っておけば間違いはない』と言っていたが、本当だったのだ。
少女と大人の女性との境界が曖昧ではあったが、ルーファの照れている反応を見るに、当たりを引いたと見て間違いない、とルシードは確信した。
「へへっ、言われ慣れてないこと言われると、嬉しいもんだな」
「俺でよければ、何回でも言うよ」
口で言うだけで喜んでもらえるなら軽いものだと、ルシードは気軽に返す。
「そ、そうか? なら、アタシも何か……あ! ……む、胸、触るか?」
先程のルシードの行動を思い出したのか、ルーファは顔を真っ赤にしながら提案。どうやら動揺のあまり、何を言っているかも理解していないようである。
「え? いいのか?」
「あ、ああ。ほら、遠慮すんなって! ル、ルシードだけ、特別だからな!」
ルシードも特別と言われて悪い気はしない。いきなり触るのはいけないようだが、ルシードも先程の感触はなかなかに気持ちの良いものだったので、お許しが出たなら触りたいと思っていたのだ。
ルシードはルーファの胸へと手を――
「神様。何してる?」
伸ばしたところで、いつの間に来たのか、サーシャが開いた扉で半身を隠すようにして、ルシードへと声をかけた。
「サ、サーシャ! い、いや、なんでもねぇ! だよな!?」
「ああ、今ルーファのむ――」
「言うなよ! こういうのは誰にも言わねぇもんなの!」
ルシードはルーファに遮られ、最後まで言えなかったが、ルーファの口ぶりからすると、人に言うことではないようだと、すぐに理解した。
「そ、そうか。そういうものか」
「そ、それでどうした? 何かあったか?」
話題を変えたいのか、ルーファがサーシャへと話を振る。
「神様を呼びに行ったルーファが戻って来ないから、様子見に来た」
「あ、お風呂空いたんだったな。ごめん、ごめん。つい、ルーファと話し込んじゃってさ。すぐに入るよ」
そういえば、とルシードはルーファが風呂が空いたことを知らせに来てくれたことを思い出す。ミレット村よりもかなり暖かい土地とはいえ、冷めてしまっては大変だ。すぐに向かわなければならない。
「はい、神様。ここは私に任せて行って」
サーシャの言い方は、まるで敵から逃がすために身を挺しているふうにルシードの耳に届いたが、せっかくの風呂が冷めてしまってはもったいないと、ここは気にせず、カバンから洗面道具を取り出して、風呂場へ向かう。
ルシードが扉を閉める直前、扉の隙間から見えたサーシャはルーファの胸に飛びかかったように見えたが、サーシャだってあの胸の感触を味わいたいのかもしれない、とルシードは部屋に戻るような真似はせず、今はそっとしておこうと扉を閉じた。
◆
ルシードが風呂から上がっての感想は最高の一言だ。あの広さなら、女性陣が全員で入ると言ったのも納得できるというものである。ルシードも手足を伸ばし、久々にゆっくりできたことからも上機嫌だ。もう少し浸かっていたいと思わずにはいられなかったが、お湯が冷めてしまってはそうもいかず、風呂から上がることを決めたぐらいだ。
ルシードは用意されたタオルで体を拭き、ルーファが用意してくれたパジャマを手に取る。
「そういえば、サーシャもこれを着てたな。手触りは良いけど、寒くないのか?」
誰に言うでもなくルシードは呟くが、他に着替えもないので着替えることにする。
「へえ、思ったより暖かいや」
パジャマを着てみたが、外見に反して寒いという感想は出てこない。むしろ暖かいとさえ感じる。
「これって、布が暖かいわけじゃないな。アルマの体温を保持する魔法に似ている気がする。もしかして、これも冒険者カバンと同じで、魔法とかで作られてるのかな」
いつまで考えても答えが出るわけでもない。ルシードは部屋へ戻ろうと脱衣所を出る。
洗面所で歯を洗って部屋へ戻る途中、一階の部屋を見て回ったが、全員自分の部屋へと戻ったのか、はたまた誰かの部屋に集まって話でもしているのか、誰一人として見かけなかった。
ルシードは自分の部屋へ入り、ランプに火を灯したところで、部屋の変化に気づく。ベッドにはシーツと枕、掛け布団が用意されていたのだ。
あとで礼を言わなければいけないと心に留め、時計のネジを巻いておこうと、机の引き出しからネジ巻きを取り出し、壁に掛けてある時計へと近づく。
「ここでいいんだよな」
文字盤の穴へとネジ巻きを挿入して巻くと、ゼンマイはキリキリ、キリキリと、心地よい音を立てて巻かれたようだ。
「悪くない」
そこで現在の時間を確認すると、時計の針は短針が十一の文字を通り過ぎ、長針が二の文字を指していた。
「……十一時十分、でいいんだよな?」
ルシードが、今日はいつになく独り言が多いな、と苦笑しつつも机にネジ巻きを返すと、コンコンッ、と急いでいるが、控えめに扉を叩く音が聞こえてくる。
扉へと近づき、開けると――
「サーシャ? どうした?」
枕を抱きしめたサーシャが、扉の前でしきりにこの部屋へと続く通路をチラチラと見て、
「……神様。今日、一緒に寝てもいい?」
恥ずかしそうにしながら、上目遣いでルシードに聞いてくる。
その姿に、ルシードはレーヴェに着いた際に頭をなでてやったことを思い出す。
この幼い少女は、甘えたい年頃なのに家族と別れ、寮で暮らしていることから寂しいようなのだ。ルシードはそれを感じて、せめて一緒にいられる間は家族の代わりになってやれればいいと思っていた。それならここは快く承諾するべきだろう、と結論を出す。
「……ダメ?」
なかなか返事をしないルシードに耐えられなくなったのか、サーシャは少し泣きそうになりながらも聞いてくる。
「いいよ、さあ、入って」
ルシードは扉の前から一歩横へ退き、道を開けながら、できるだけ優しい声を意識して出す。
「あ、ありがと!」
サーシャは笑顔を枕で半分隠しながら部屋へ入ると、ベッドへと近づき、枕の位置を調整している。
それを微笑ましく見ていたルシードは、扉を閉めてランプを持つと、枕もとの台座へと置く。
「用意できた!」
「それじゃあ、寝ようか、ランプ消すよ」
「うん!」
サーシャはまだ眠くないのか元気そうだ。ルシードは村では何時に寝ていたか知らないが、暗くなるとベッドに入っていたことから考えると、今はすでに寝ていた時間だろう。そのことからも、すでに眠気があった。
二人でベッドへと潜り込み、ランプの火を消すと、サーシャはルシードの肩に頭を乗せるようにして身を寄せる。せっかく持ち込んだサーシャの枕も、意味をなしてはいないようだ。
「神様。一つ聞いてもいい?」
「ん? 何かな?」
サーシャはルシードに聞きたいことがあるようだが、ルシードもサーシャの悩みを聞き出そうとしていたことを、ここで思い出した。
「神様も、胸の大きな人が好き?」
「……胸? 胸って、女性の?」
ルシードも、と言うことはルシード以外も含めてということでいいだろう。
しかし、ルシードには他の人が胸の大きさで好き嫌いが分かれることに、疑問を感じずにはいられない。
「うん。男の人は、胸の大きな女性に魅力を感じると聞いた。……神様も一緒?」
ルシードは村でそんなことを聞いたことは一度もないが、都会ではそうなのだろうかと考える。
しかし、今はルシードのことを聞かれているのだ。素直に答えるしかない。
「俺は、女性の魅力は胸じゃないと思うけどな」
「ホ、ホント? 私は胸もないし、背だって小さい」
「ああ、女性の魅力は胸や背じゃないよ。比べるわけじゃないけど、サーシャだって、ルーファだって、俺には魅力的に見えるしね。それはミラもセラフも変わらないよ。小さくても、小さいなりにいいところだってあるさ」
ルシードはこうして話している間にも、かなりの眠気に襲われていた。このあとはサーシャの悩みを聞かなければいけないのに、意識がどんどん沈んでいく。
「そっか。神様、ありがと」
「……ああ」
すでに生返事だ。ちゃんと声に出ているだろうかと心配するも、すでに意識は途切れそうになっている。
「……神様、寝ちゃった?」
サーシャの問いかけに、返事をしようと思っているのに体は動いてくれない。
「……おやすみ、神様……んっ」
サーシャの声のあと、頬に何かが当たったのを感じたが、ルシードはそのまま眠りに落ちた――。




