第2話 下劣な看板と追放された大賞
朝もやが立ち込める刻限、青年は再びあの薄暗い袋小路へと足を運んでいた。
手には、親方から渡された真鍮の鉤爪。貸し付けた「星」と「護符」を壁から強引に削り取るための、無慈悲な差し押さえ道具だ。
案の定、あの家の前に置かれた羊皮紙の主は、親方の屋敷へ一粒の星も返しに来ていなかった。
青年は感情を殺し、玄関の箱から昨日の星を三つ拾い上げ、木枠に貼り付けた赤い護符をバリバリと耳障りな音を立てて剥ぎ取っていく。
「……無駄な投資だったな」
手帳の帳簿に大きく×印をつけながら、青年はふと、空を見上げた。
王都の中央には、天を衝くほどの巨大な白亜の塔――「カドノカワ王宮」がそびえ立っている。
あの中にいる偉大なる統治者たちは、なぜこんな不毛で奇怪な循環取引を野放しにしているのだろうか。
実は、青年も以前、王宮の書記官に同じ疑問をぶつけたことがあった。
なぜ、読まれもしない星の山を取り締まらないのか。
なぜ、誰もが互いの箱に空っぽの手形を投げ入れ合うだけの狂行を止めないのか、と。
書記官は、豪華な絹のローブを揺らしながら、蔑むように薄笑いを浮かべただけだった。
「取り締まる? なぜそんな損な真似をせねばならんのだね」
「しかし、誰も文字など読んでいません! 書かれた物語は死に絶え、街中に溢れているのは、隣の奴を蹴落とすためだけの真鍮の破片と、薄っぺらな護符だけです!」
「それがどうした?」
書記官は王宮のバルコニーから、眼下の街を指差した。
街中の壁という壁、路地の隙間、果ては住民たちの額にまで、毒々しい極彩色の巨大な看板がこれでもかと張り巡らされていた。
そこに描かれているのは、やたらと布地の少ない下着姿の女戦士が嬌声を上げている絵や、「中年貴族が薬で若返って美女を侍らす」といった、目を覆いたくなるような下劣で扇情的な広告の数々だ。
「見ろ。星を一つ投げ込むたびに、護符を一枚めくるたびに、奴らはあの下品な看板の前を往復する。看板の商人どもから王宮へ転がり込む金貨の額は、星が回れば回るほど膨れ上がるのだ。我が王宮が欲しいのは『賢人の叙事詩』などではない。あの看板を何百万回踏み抜いたかという、冷たい通行人の頭数だけなのだよ」
「……では、王立の栄誉ある文学賞はどうなるのです?」
青年が食い下がると、書記官は愉快そうに喉を鳴らした。
「ああ、誉れ高い閣下の名を冠した、あの堅苦しい大賞のことか? あんなものはとっくの昔に、このムヨクカ王国の領地からは追放したよ。この泥沼の星の数を基準にして選ばせたら、下劣な看板の絵そのままの『追放された無能が実は最強で女を囲む話』しか上がってこなくなったからな。高潔な審査員たちが卒倒してしまってね。いまやあの賞の応募箱は、国境の外の、星も護符も届かない静かな森の奥に隠してあるのさ」
なんということだ……。
王宮はすべてを知っていたのだ。
知った上で、住民たちが互いに星を配り、奪い合い、夜明け前に血眼で回収に走るその無意味な運動エネルギーを、ただ下品な広告代を稼ぐための家畜の回し車として利用していたのである。
すべての護符を剥ぎ取り終えた青年は、袋小路の家に背を向けた。
足元には、昨日の朝と全く同じ、冷たく乾いた静けさが戻っていた。
ふと振り返ると、粗末な家の窓の隙間から、主が淡々と羊皮紙に向かってペンを走らせる影が見えた。
星もつかず、護符も剥がされ、番付の最底辺に沈んだままのその場所で、男はただ、自らが信じる本物の物語を紡ぎ続けている。
青年は手帳を懐にしまい、雑踏へと戻っていった。
頭上からは、今日も巨大な淫靡の看板が、愚かな星の信者たちを嘲笑うように見下ろしている。




