チェイスデート
楽しい一時を終え、ランちゃんの病室を後にした私達は、街の路地裏をランデブータイム。
赤の街は路地の街。に中央に一本通る大通りを除けば、どこもかしこも入り組んだ路地ばかり。
さながら野良猫の遊び場。或いは終わりの見えない迷路の中。
一度慣れ親しんだ生活範囲を出てしまえば、大人でさえ容易に迷子になりかねないから、子供を連れ歩くときは絶対に手を放すな……なんてのは、この街で生きていれば当然の常識。
……ま、私達みたいに縁や屋根を移動できる身体能力があれば、そんな心配も皆無だけど。
とにかく。
案内屋なんて職で食べていける人がいるくらいなのだから、それだけ複雑な街ってことね。
私もこの街へ来てすぐの頃は、ちょっとばかし面食らっちゃったもの。懐かしいわ。
「ねえ、大通りは使わないの?」
「ええ。敢えての択はあるけれど、今はまだ、そんな冒険する必要はないもの」
最短で進むのならば、大通りを使うのは最善。
そんなリンゴちゃんの当然の問いに、私はクルリと振り向いて、立てた指を振りつつ答える。
『蛇』の組織力を考えるのなら、捜索の人員とは別に大多数が大通りに潜伏されているはず。
私一人なら押し通るのが一番楽だけど、リンゴちゃんがいてはそうもいかない。
あっちも捕縛を最優先でしょうし、流石にバンバンぶっ放してきたりはしないでしょうけど。それでも安全とは言い難い。ほら、絶対に人を噛まない肉食獣がいないでしょ?
夜は裏の時間。もつれ込んでしまえば、連中も本腰入れて動き出してくる。
本腰入れられるようになるのは私もだけど、それでもやっぱり数的不利は無視できない。
夜までに西を脱出するのが理想。
でも別に、姿晒して堂々と強行突破……なんて、猪みたいなリスクを無理に取る必要もない。
最後の手段なんていうのは、どこまでいっても最後の手段。
堅実に、安全に、丁重に。
可愛い娘をエスコートしている最中なのだから、それくらいの気遣いは出来て当然でしょう?
そうして居場所を悟られないように静かに。
けれど緊張と閉塞感で息が詰まらないよう、どうでもいい話題の会話を続けながら進む。
空は未だ茜色。
ペースは順調。このまま進んでいけば、暗くなるより前には中央──『弩』の縄張りまではもう一歩の所。
──そう。順調に進めば、ね。
「いたぞ! 捕まえろっ!」
ランちゃんのお見舞いを一緒にしたからか、少しだけ打ち解けてきたなと。
ちょっぴりウキウキだった私の心に杭を打つかのように、路地裏に大きく声が響き渡る。
どうしてバレたかと思ってすぐ、周囲を伺えば正体は一目瞭然。
私達の頭上。ギリギリ索敵範囲外の高さでカアカアと鳴く、微弱な『赤』を帯びた一羽の鴉が。
……嗚呼最悪、やっちゃった。
私ってばいっつもそう。ちょっと都合のいいこと想像すれば、大体が真逆の不幸の引き金になっちゃう。
あのときもあのときもあのときも、みんなみんな私が願ってしまったせい。
そうじゃなかったとしても。本当にそうであったとしても。どちらにせよ、嫌になっちゃうわ。
「……バッド。どいつもこいつも、野暮なやつら」
『くっくっく! まさにフラグ回収ってやつだ! 本当飽きさせねえよな、ご主人様はよ!』
そうね。何たってあんたがいるのだから、あながち間違いでもないでしょう。
「の、ノノさ──わひゃあ!?」
「掴まって。それと口は閉じてて。舌噛んじゃうからね?」
「え、ちょ、はい!?」
ま、なってしまったのだから仕方ない。
軽く断りはしたものの、有無を言わせぬままにリンゴちゃんをお姫様のように抱き上げる。
やっぱり軽い。ちゃんと食べないと、そのうち風邪に飛ばされちゃうぞ♡
「──色力解放」
いつもしている呼吸と同じくらい気軽に。
私の身体の内を巡っている、温かく不思議な波動──『色力』を、自分の意志で叩き起こす。
色力とはり不可思議。
通常の人間には為し得ない超人的な力を覚醒させ、身体能力を向上させ、より五感を研ぎ澄ます。
まさしく、幻想を可能とする力。
表で普通に、平穏に生きるだけならいざ知らず。
この街の裏を生きるのなら、競争の果てに、より強い神秘を求めるのなら。
絶対になくてはならない力。命を、夢を預けるに値するだけの煌めき。自分だけの色。
私の色力は、特殊なものじゃない。
膂力と再生力の強化。単純な強化系故に、そこらの色力の身体強化なんざ優に凌駕する力。
その名も補強。シンプルなネーミングだけど、私好みでとっても気に入ってるわ。
トンと、強くそして軽やかに地面を蹴って跳び上がり。
三角飛びの要領で、壁の間を跳躍し。
どこかの建物の屋上へ着地して、止まることなく、夕焼けに染まる街中をただ駆ける。
「ひ、ひぃいい!!」
もう。お口はチャックって言ったのに、言うこと聞けないなんて困った娘ね。
ま、なるべく温存したかったけどせっかく上がったのだし、このままいける所までは上から──ちっ。
「ヒャッハー!!」
「鬱陶しい」
待ったなしと。
まるで待ち伏せしていたみたいに、どこからともなく現れ襲ってきた男を綺麗に躱して横切り。
「死ねグバァ!?」
「危ない物向けないで」
これまたま
リンゴちゃんを無視して拳銃を抜こうとしてきた阿呆に、転がってるレンガを蹴飛ばしたり。
「逃がすか、ってぐべぇぇぇえ!!」
「あらどうも。ちょうどいい踏み台をありがとう」
ちょうど良かったので、飛びかかってきたのを反射的につい踏んづけて空での足場にしたりと。
迫る雑魚共をあれよあれよといなしながら、『蛇』の縄張りを抜けるべく突き進み続ける。
『くっくっく! 誘い込まれてるぜご主人様! このまま行けば袋の鼠、大変だなぁ?』
「バッドッ! そんなの分かってるわ、よっ!」
他人事みたいにせせら笑ってくる、意地悪な夜魔につい声を荒げてしまいつつ。
それでも、立ち止まるわけにはいかず。
群れで飛んでるときのコウモリみたいに押し寄せてくる、鬱陶しい雑魚を処理しながら、進むしかない現状に歯噛みしてしまう。
私の意志で進んでいるようで、両側から押し寄せる壁に誘導されているみたいな閉塞感。
遮蔽物の少ない上を通っているはずなのに、下を歩いていたときに比べれば、雲泥の差で前進出来ている確信があるのに。
やっぱり数、そして土地勘はあっちに部がある。
私一人だったら囲まれたってどうにでもなるけど、このままじゃ、ちょっとばかし面倒臭い──。
「の、ノノさん……?」
「大丈夫。もうちょっとで西から出る。ええ、大丈夫よ」
……駄目ね、ノノ。もっと気を張りなさい、ノノ。
とびきりのお姫様をエスコートしている最中なのに、騎士様が不安がってちゃ下の下じゃない。
恋も仕事も余裕が肝心。可愛い娘の笑顔のため、こんな窮地、鼻歌奏でて乗り越えてみせないとね。
……だけどこんなに上手くいかないのは、流石にちょっとだけ想定外。
こんなことになるのなら、大人しく大通りをゴリ押すのが正解だったかも──ちっ!?
情けない気持ちを切り替え、また一つ建物を越えるべく跳躍し、着地すべく片足を床に付けた。
まさにその瞬間。光ったと、そう思った瞬間には既に、眼前に赤が迫っていた。
まるで狙い澄ましていたかのように飛来する赤。
本能による警鐘が鳴るよりも速く、寸分違わず、私の額の中心、その一点目指し煌めく一筋。
必殺に近い飛来を回避出来たのは、紛れもなく私の反応。
けれどこの私がリンゴちゃんを、抱きかかえていた可愛い娘を落としてしまう。
それくらいには間一髪と、そう言っていい強襲。少なくとも、下手な銃の狙撃なんかより、ずっとギリギリだった。
「の、ノノさん……!!」
「大丈夫。ちょっと掠っただけ。それよりリンゴちゃん、落としちゃってごめんね? 怪我はない?」
落としてしまいながら、それでも心配してくれるリンゴちゃんへ謝りつつ。
それでも、本当に申し訳ないけれど、今この瞬間だけはリンゴちゃんの方を向く余裕はなく。
たったの一点──ちょうどこめかみ部分に傷を付けてくれた赤の何かが飛来してきた前方を、ジロリと睨み付ける。
「はっ、いいぜよく避けた! それでこそ、俺も遊び甲斐があるってもんだ!」
投げたはずの赤色の一筋は、先ほど同様の速度で空を奔り──意図も容易く、喜ぶ男の手へ。
つい先ほどまで、私を貫かんと空を疾走していたはずの赤。
そんな一筋の軌跡が、まるで愛すべき主の下へ戻る利口な飼い犬のような正確さで収まってしまう。
あの赤は槍。今私を狙ってきたのは、一本の赤い槍。
本人の力量か。槍の性能なのか。はたまた両方か、どちらでもないか。
いずれにしても、一つだけはっきりしている。
私へ槍を投げつけてきておきながら、綺麗な私の顔に傷を付けておきながら。
歓喜の声を上げながら、くるくると楽しげに槍を回し、ゆっくりとこちらへ向かってくるあの男。
あれは、強い。
アカネちゃんとは違う、はっきりと理解出来る類の、死さえ覚悟して臨むべき類の強者。
──夜魔。
『あいよ。死に場所にならないといいな! くっくっく!』
髪を纏める。衣を変える。斧槍を携える。
リンゴちゃんを抱えるために開けていた両の手を、意識を、一切を戦闘のために移り変える。
そんな私に一切動じることなく、軽く屋上を飛び越え、私達と同じ建物へと乗り移ってくる男。
髑髏の仮面を付けたそいつは、とても背の大きく、屈強と言える肉体の持ち主。
黒のタンクトップと白のカーゴパンツ。仮面さえ浮いているほどに、余計な物が一つもない。
……会ったことはないけれど。目にしたのも、今日が初めてだけど。
それでも、誰かだけは分かる。
忌々しいことに、現状この街で一番会いたくなかった同業者を、理解出来ないはずがない。
「初めましてだな。会えて光栄だぜ、 “蒼斧” ?」
赤槍。
赤の街の裏にその名を轟かせる、腕利きの神秘挑戦者。襲ってくると想定していた同業者の中で、最悪と言っていい部類の強者。
……こんなときに限って、厄介そうなやつが出てきやがって。モテる女は辛いわ、本当に。




