赤槍
神秘挑戦者、 赤槍 。
赤の街の裏に生きる者ならば、その名に震えない者はいない。
比較的新顔な私でさえ聞き覚えくらいはあるのだから、きっとそうなのでしょう。
彼が畏怖されるのは神秘挑戦者ではなく、より有名なもう一つの面。
赤き穂先に睨まれれば、標的は逃れること能わず。
心臓一突きで必ず仕留める、手練れの殺し屋。赤の街を赤く染める、赤槍と。
「一応訊くけど“ 赤槍”よね? 噂の殺し屋が仮面趣味の変人だと思わなかったわ」
「ああ、こいつか? なあに今回は特別だ。俺は配慮の出来る人間なんだぜ?」
馬鹿おっしゃい。
本当に配慮が出来るのなら紳士様だったら、こんな所で襲ってくるわけないじゃないの。
「……一応訊いてあげるけど、見逃してくれないかな? ノノの顔に傷を付けた報い、今なら後回しにしてあげるけど?」
「おおっと、そいつはちと了承出来かねる。業務的にはもちろんだが……何より、心情的って話だ。同業者なら分かるだろ?」
赤槍は槍の穂先を私の後ろ──リンゴちゃんへと向け、くつくつと笑ってみせる。
まったく、一括りにしないでちょうだい。
私は純粋に神秘を追ってるけど、あなたはそうじゃないでしょう。
……けど、そう。よりにもよって、あなたもリンゴちゃんを狙っているのね。
ああもう『城』め、本当に厄介なやつに仕事振ってくれたじゃない! 本当に何考えてんの?
「ほら構えな。そのまま一刺しでもいいが、あまりに味気ないだろ?」
「……随分と舐めてくれるじゃない」
「逆だ。評価してるからこそ本気で殺し合いたいんだ。そうでなきゃ、何も熱くなれねえだろ?」
知らないわよ、戦闘狂が。
殺し合う分には構わないけど、生憎私には、そんなことより楽しいことがいっぱいあるもの。
……さて。
進路は塞がれ、退路もない。
悩む時間はない。悩んでしまえば、それだけ『蛇』の追っ手が距離を詰めてくる。
逃がす時間はない。ここは屋上だし、そもそも赤槍が逃走を見逃してはくれないでしょう。
ならば取るべき道は一つ。
『蛇』の追っ手が来る前に手傷を負わせ、隙を突いてリンゴちゃんと共に離脱する。それ以外に、この場を切り抜ける策はない。
この場で殺せるのならそれに越したことはないけど、流石に時間が足りる気がしない。
何より、下手に焦れば私が負ける。有象無象ならいざ知らず、目の前の野郎はそういう格の相手。
……ここに来て、上へ逃げたのが仇になるとはね。ほんと、嫌になっちゃうわ。
「……ごめんねリンゴちゃん。ちょっと離れてて。気を遣える自信がないから」
背後にいるリンゴちゃんへ一言告げた後、腰を低く、斧槍を構える。
思考を闘争へ切り替える。
内を巡る色力を強める。
未だ鈍い感覚を、より深く研ぎ澄ます。
気を遣える自信がないと、そう言ったのは本当のこと。
だってそうでしょう?
リンゴちゃんの前だからと、せっかくエスコート用に作っていたというのに。
命と神秘の奪り合いばかりな、血生臭いだけの私を求められちゃ、最早取り繕う余裕はないのだもの。
ええ、ええ。あなたがそれを望むのなら、私もまた快く、誘いに乗ってあげましょうとも。
それ以上などいくらでもあるとは言ったけど、殺し合うのは嫌いじゃない。
とはいえ、まともな殺し合いに至るのは久しぶり。
だから赤槍。私をこんなにもその気にさせたのだから、先に果ててくれるんじゃないわよ?
「好い殺気だ。楽しみにしてたんだ。あまり失望させてくれんなよ?」
「悪いけど、時間がないの。熱なんかを感じるよりも前に、ぶっ殺してあげる」
会話はそれきり。
微々たる風も、三者の呼吸一つでさえも、嫌というほど場に響いてしまう静寂が数瞬。
──地を蹴ったのは、同時だった。
「っ!!」
光ったと。
音さえ置き去りに、次の瞬間には迫る槍先を、斧槍をぶつけて捌く。
例え穂先に棘があろうと、斧槍はあくまで叩き斬ることを主とした武器。
突きを主体とする槍を相手にすれば速度で劣り、初撃を許すのは明白。
だからいなして崩す。間合いを詰めて、突いた直後の硬直を狙う、それが同格相手の対槍におけるセオリー。そんなこと、知っている。
それでも。
それでも速い。速すぎる。
突いて戻す。槍という武器の最適解。たったそれだけの基礎的な動き。
だからこそ、恐ろしい。まだそれだけしかされてないのに、この私が、捌く以上を許してもらえないッ!!
「ははっ、ちゃんと見えてやがる!! そうだ、そうでなくちゃな、 “蒼斧” ッ!!」
そりゃどうも! こちとら微塵も楽しくないっての!!
相殺の最中、唯一救いなのは、リンゴちゃんを狙う意志がまるでないこと。
どうしてか、あいつの狙いは私の方。
そのおかげと認めるのは癪だけど、少なくとも、今は後ろを考えなくていい。だから、問題なく捌ける。
一合、そして一合と。
互いの得物が重なる音と響きが、ひしひしと伝わってくる衝撃が。
どうにも最近錆び付き気味だった、私の戦闘の勘を研いでくれる。世界がより、遅くなる。
……嗚呼、ようやく調子出てきた。そして、ええ、慣れてきた。
「ほう!?」
一つ、速度を上げる。より力を込め、見極め、赤い槍を捌き、弾く。
崩れた拮抗。赤槍に生じた僅かな硬直を、自ら作った一瞬の好機を、私は決して見逃さない。
狙うは額。脳を貫いて、即死させる。例え死なない化け物だとしても、動きが止まるには十分。
想像通り、予定通り、確かに赤槍から勝利を獲った──はずだった。
「開花」
だが赤槍は、弾いた。
対処不可能であったはずの刹那の硬直を脱し、理外の速度で斧槍を撥ね上げ、後ろへ退いてみせた。
逃れられた。あり得ない。あまりに、速すぎるっ──!!」
「……すげえ、すげえじゃねえか“蒼斧”! まさか切らされるたぁ思わなかった! 褒めてやる! 最高だなっ!!」
私の描いた決着を悠々と脱してみせた赤槍は、感極まったとばかりに歓喜を叫ぶ。
赤槍の全身から揺めきながら立ち上る赤いオーラ。
囂々と燃えたぎりながら、けれど荒々しさとは正反対。穏やかな焔の如き、あの赤い力の発露。
「……そう、それがあなたの色力。さしずめ純粋な身体強化って所?」
「応よ。俺の色力に突飛な異能はねえ。身体と感覚の冴えを一つ高めるのみ。故に──強いっ!!」
説明が終わったと同時、赤槍の姿がブレたと。
そう感じた次の瞬間には、鋭い穂先は既に私の左胸──心臓目掛け、突き放たれていた。
受けられたのは、まさしく偶然。
本能により咄嗟。私が紡いできた全てが、意識を超えて身体を動かしたが故の奇跡。
反撃と、斧槍を突き出した。
けれど赤槍はそれさえも凌駕し、私の胴へ、その長い足の底を叩き込んでくる。
「がっ──」
「そら次だっ!! 止まってくれるな“蒼斧”よぉ!!」
何かのひしゃげる鈍い音が、私の内を伝播する。
長い足に腹を蹴り飛ばされ、空へと弾かれ、壁へと叩き付けられ。
赤と透明の混じり合った液体が口から噴き出し、酷い激痛に神経を灼かれながらも、どうにか身体を動かし追撃を凌ぐ。
……駄目ね、勝てない。
さっきまでとは桁が違う。まだ凌げてるけど、まもなく崩されて、それで終わり。
相手の色力は強化系。私と同じ系譜。故に、逆転は起こり得ない。
予想のとおり、斧槍は弾かれる。
先ほど私がしてみせたように、硬直の間
振るわれた赤の棘は寸分違わず、轟く逸話を証明するかのように、私の左胸を慈悲なく穿つ。
──だから、仕方ない。
本当に忌々しいけど、この勝負はあなたの勝ち。──だから、この殺し合いは痛み分けよ。
「……しまいか。悪くなかった──ぐふっ!?」
確かな手応えと共に、勝利を確信した赤槍。
そんな赤槍の腹を、手からこぼれ落そうだった斧槍を握り、思いっきり刃をぶつけてやる。
勝利の確信を得たが故の緩み。
自らに心臓を穿たれ、潰された敗者が再び刃を振ることはないという驕り。
故に間に合わない。
赤槍の槍が当たるということは、同様に私の斧槍の間合いなのだから、当たるのは当然。
「な、どういう──」
「心臓はもう、ノノの物じゃない。痛み分けよ、赤槍」
「化け物、め。ははっ、最高に熱いじゃ、ねえか……」
斧を腹に叩き付けられてなお、ひざから崩れ落ちる赤槍。
とどめを刺せと本能が吠える。ここで仕留めなければ面倒になると理性が叫んで仕方ない。
けれど今、そんな警告に従う猶予はない。
間もなく『蛇』の追っ手が来る。血を流しすぎた。これ以上は、構ってられない。
最優先は逃走。ふらつくのは勝手だけど、倒れるよりも前にリンゴちゃんを、安全な場所へ運ばないと。
「ノ、ノノさ──」
「掴まって。行くわよ」
呆然とするリンゴちゃんを抱きかかえ、痛みを食いしばりながら、急いでこの場を離脱する。
『くっくっく! 一つも失わないとは悪運強くて何よりだぜ、ご主人様! きーっひっひ!』
ケラケラ、ゲラゲラと。
勝手に髪飾りに収まった、夜魔のせせら笑いが脳裏に喧しく響き続ける。
……嗚呼、鬱陶しいな。本当に。




