一日目、終了
赤槍の襲撃を切り抜けたらしい私達は、そのまま『蛇』の縄張りを無事に脱出出来た。
今いるのは中央区。無数にある建物のどれか、廃墟となった何かの事務所。
電気も水道も通ってない、雨風凌げる屋根と壁が付いている、野良犬にとってのスイートルーム。
お似合いなほど埃だらけの、可愛い娘を連れ込むにはあまりに風情のない最低な一部屋。負傷した私では、ひとまずそんな場所に転がり込むしかなかった。
……嗚呼クソ。可愛い娘の前でこんな醜態さらすなんて、本当に一生の不覚。
ちょっと刺激のある移動デートでちょっぴり距離を縮めて、どっかの高い宿のスイートルームで優雅なディナーを楽しんでから、大人の時間を過ごして締め。
そんな素晴らしい終わりを一日目にするつもりだったのに全部おじゃん。赤槍め、忌々しい男。
どうせあいつは死んでいない。あの一撃で殺せたと思うほど、楽観的になれはしない。
出来ればあと三日、復帰してこないことを祈るけど……無理よね。あれは。
だから、覚えてらっしゃい。次会ったら、そのときは絶対にぶっ殺してあげる。今回みたいなヘマ、してやるもんですか。
「ごめんねリンゴちゃん。せっかくのデートなのに、シャワーも付いてない宿しか選べなくて。明日はもっと良い宿泊まるから、今日だけは我慢してね?」
「デートじゃない……って、違う! そ、そんなことより身体、大丈夫なの……?」
「ん? ああ、問題なしなし! これでもノノは頑丈で有名なの。ほら、もう治っちゃったもの」
この部屋の特等席。
所々に穴が開き、すっかりへたりきったくすんだ黒のソファに、隣り合わせで腰掛けながら。
慚愧と赤槍への恨みを抱きながら一息ついていた所、守られる側のリンゴちゃんに心配されちゃったから、大丈夫だと笑みを返してあげる。
……ま、傷口自体は私の色力──補強の再生力のおかげで塞がっただけ。
実際はちゃんとぶっ刺されたし、多分どっかの骨が折れたせいで超痛かったけど、そんな弱音をわざわざ吐く必要はない。
大事なのは乗り切ったという事実。過程の傷の数なんて、負った本人以外には些末なことだもの。
「……嘘、嘘だよ! だって、あんなに刺さってた。胸に、心臓に、あんなに!」
……もう、いけずな娘。
女の嘘なんてのはね、例えバレバレだとしても、無理に暴かず流してしまうくらいでいいのに。
「本当に大丈夫よ。頑丈なのは事実。明日になれば、元気百倍。だから、大丈夫」
落ち着かせようとして、リンゴちゃんの頭を撫でようと手を伸ばした。
けれど私の手は、苦しそうに顔を歪めたリンゴちゃんによって、パシンと弾かれてしまう。
「……いつもそう。大丈夫しか言わない、言ってくれない! お姉ちゃんも、ノノさんも! みんな無理してるのに! 私のせいで酷い目に遭ってるのに! どうしてよ!」
リンゴちゃんの悲痛な訴えが一室に響く。
大人であろうとした少女の自責が、精一杯塞き止めていたであろう感情の決壊が、私に届く。
……そう。きっと今まで、ずーっと溜め込んでいたのね。
「……あ、あの、ごめんなさ──」
すぐに我に返り、謝ろうとしてきたリンゴちゃん。
だから、再び本音を押し込めようとする少女を優しく抱きしめ、軽く背中を擦ってあげる。
「いいわよ別に。ここにはノノ一人だけ。だから、全部吐き出しちゃいなさい?」
リンゴちゃんは振り解こうとしてくるが、放してあげない。
どんなときでも無理矢理は嫌いだけど、ときにはそうするべきだって、私はよく知ってるもの。
だから大丈夫よ、リンゴちゃん。
私は所詮この依頼だけの付き合い。お姉ちゃんにも明かせない本音でも、我慢することないよ?
「……お姉ちゃん、ずっと無理してたの。お母さんもお父さんもいなくなって、私を困らないようにって。ずっとずっと笑顔で、大丈夫って。倒れるまで、ずっと……!!」
「うん」
「幸せになるべき人なのに。病気になるなら、お姉ちゃんじゃなくて私なのに! うう、うぇえん……!!」
ぽつりとぽつりと、一度溢れてしまえば、あとは勢いのままに流れるだけ。
嗚咽混じりに吐露するリンゴちゃん。
ポンポンと、そんな彼女の小さな背中を撫でながら、余計な言葉を挟まずに耳を傾け続ける。
「泣きつかれて寝ちゃうなんて。……そんな無謀だと、狼さんに襲われちゃうぞ?」
いつまでもいつまでも。外から見える空の色が、より濃い黒になるまでの間。
泣いて泣いて、やがて吐き出しきったであろうリンゴちゃんは、すうすうと寝息を立て、私へもたれ掛かる。
目元を腫らし、涙跡を付けながら「お姉ちゃん」と呟く華奢な少女。
いくつかは知らないけど、きっと年相応のあどけない顔であろう彼女。
こんな娘が『城』への侵入できた本人とはと、つい苦笑を零してしまいながら、優しくソファへと寝かせてあげる。
『ようご主人様! じゃじゃ馬のお姫様のお守りが終わり、ようやく一息つけるってか?』
「……バッド。余韻をぶち壊さないで。不快よ」
『そうかい! ご主人様にそう言ってもらえて嬉しいぜ! くっくっく!』
一段落と。
せっかくの雰囲気をぶちこわしにしてきた夜魔にむかついて、髪飾りを投げてやろうかと思いはしたが。
そんなことに意味はないと。大きく息を吸って吐いてを一度こなし、気持ちを落ち着かせる。
『しかしおい。あの槍使いが来たときは手足の一本くらいは貰えると思ったが……きひっ、残念だな!』
「……そうね。ノノも、それだけは同意。本当に、運が良かった」
むかつくけど、夜魔の言うことはもっとも。
赤槍の噂から心臓を狙うであろうと読んではいたが、結局の所、そうなったのはただの幸運。
手でも足でも身体のどこかでも、一箇所は支払うつもりでいた。今回は運が良かっただけ。
私にはもう、脳と心臓がない。
正確に言えばありはする。だけど、それは所詮まやかしに過ぎない。
かつて壊された二つの臓器は、夜魔との契約によって、既に形と機能を模しただけの『黒』と成り果ててしまっている。
脳や心臓と同様に、壊れた部位を夜魔に差し出し、強引に生き長らえる。
代わりに全ての部位を失い、最後に魂を食われたとき、夜魔は私の全てを手に入れる。
それが私達の間で交された契約。悪魔の誘惑に乗り、一度目の死を帳消しにした代償。
心は所詮、脳の運動による反応。記憶や思考やら、そんなのはあくまで脳が生きているからこそ。
だからその点で言えば、私はとっくの昔──夜魔に脳を奪われた時点で死んでいる。
死に損なっただけの骸。歩き、喋り、考えることの出来るだけの、かつていた誰かの残骸。今の私は、そんな程度の人もどきでしかない。
契約を終わらせる方法は二つ。
臓腑から魂に至る全てを差し出し、私を完全に終わらせる。
五色都市に眠るとされた神秘──聖杯を、夜魔への供物の代替とする。それだけ。
『この分だと、俺様が復活するのはそう遠い話じゃなさそうだな! くっくっく!』
「……五分寝る。何かあったら、起こして」
『あいよ。麗しきご主人様、どうぞ快適な一時をお楽しみを。くっくっく!』
無駄に脳へ響く夜魔の一笑を無視しつつ、限界が来たと、ゆっくりと目を閉じる。
……ま、今更そういうのはどうでもいいことね。
どうせいつかはみんな死ぬ。そんな世界の中で今、私は私として五色都市にある。
美味しい物を食べて、可愛い娘を愛でて、目当ての神秘を追い求める。
それだけで十分。それ以上は、何を求める必要もない。
目的を果たして死ぬか。目的を果たせずに死ぬか。どっちになったとしても構わない。笑ってくたばれる最期であれば、それ以上を求めるつもりもないわ。
五分休んで、そしたら適当に軽食でも買ってきましょう。
ああ、道すがら、嫌いな食べ物とか聞いておけばよかった。今日はとことん駄目ね、私は。




