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『蛇』の動向 2

 薄暗い応接間に響くのは、まるで鉄塊を落としたかのような、鈍く音であった。


「さて“赤槍(あかやり)”君。君の提案のお膳立てのために多くの同胞が負傷し、一人が死亡。その結果、我々の縄張りからの逃走を許す結果に繋がった。これをどう言い訳してくれる?」

 

 ソファに腰掛けながら、机に拳を叩き付けたのは、ヘビ柄スーツを着た小太りの男。

 赤の街の西区に巣くうギャング、『蛇』。

 巨大な組織を束ねる男は蛇の目をひくつかせながら、目の前でソファに背を預ける赤髪長身の男──赤槍(あかやり)へ、酷く震えた声で問いを投げた。


「言い訳? んなもんねえよ。俺達の作戦を“蒼斧(あおの)”は切り抜けた。悪くない作戦ではあったが、まさか心臓潰しても動く化け物だったとは! 流石に恐れ入ったぜ、ははっ!」

「何を笑っている? 失敗に終わったんだぞ? さては貴様、自分の無能を誇れる口か?」

「おー怖っ。そんなに怒ってちゃ早死にするぜ?」


 太く低い『蛇』の大将の叱責は、傍に控える側近でさえ、ゾッと底冷えしてしまうほど。

 けれど、そんな叱咤を一点に向けられながら、赤槍は楽しげに笑うばかり。

 一つ笑う度に、付けられた腹の傷で激痛が走らせながら。

 それでもなお抑えることなく、自らの槍より逃れた好敵手──この場にいない蒼斧(あおの)へ、饒舌に称賛を贈ってみせる。


 自らの失敗さえ楽しむような、そんな態度は『蛇』の大将の溜飲が下がるはずもない。

 

 大通りの監視。路地裏の捜索。そして確保と自身の前への誘導。

 赤槍の提案した作戦に多くの人員を費やした結果、成果なしばかりか死者さえ出す大失態。


 貼り付けた怒りの形相は、まさしく目の前に抱く感情そのまま。

 もしも、赤槍が悪びれもない態度を続けるのであれば。

 そのときは、今にも震える握り拳を懐に忍ばせた銃へと伸ばしてしまいそうなほど、内心煮えたぎってしまっていた。

 

「まあ心配すんなよ。やつの()()は覚えた。あっちは逃げ切ったと思ってるかもしれねえがよ、実際はまだ何も終わっちゃいねえのさ」

「どこにいるかが問題なのではない! 例え場所が把握出来ようと、他の縄張りへは迂闊に手を出せない! 我々はそう言っているのだ!」


 そんな『蛇』の態度など意に介さず。

 そばに置いていた一本の赤い槍を手に取った赤槍は、花を愛でるように優しく撫でながら笑うが、そんな態度に『蛇』の大将の神経は逆撫でさえ、より激昂を露わにするばかり。


 中央は『弩』の縄張り。

 安易に手を出せば、大規模な抗争は避けられない。そうなれば最早、街の均衡は崩れ去る。それは今の『蛇』が望む所ではない。

 

 だからこそ、千載一遇の好機を逃さぬための大量投入を仕掛けるに至った。

 そして故にこそ、そんな好機を逃した『蛇』に次はない。

 目的である少女が『城』へと引き渡されるよりも先に、刺客が蔓延る領域へ再び足を踏み入れる可能性など、最早ないに等しい。『蛇』の大将はそれを理解しているからこそ、より怒りを募らせるのだ。


「……はあっ」


 だが次の瞬間、小さな、ほんの小さなため息が、薄暗い応接間へ浸透する。

 何もかもが退屈だと、失笑に近い心よりの失望。

 目の前の『蛇』の大将へ、そう言わんばかりの小さな吐息を零した赤槍は、雑に自らの足を机に乗せてみせた。


「つまんねえな。冷めちまうほどつまんねえよ、『蛇』の大将。目の前に極上の餌を吊されてなお、現状にしがみつくばかり。なあおい、その程度の野心でお姫様を追ってたのか?」


 瞬間、赤槍から発せられるのは圧。

 如何に肝の太さを自負するギャングであろうと、自惚れであったと突きつけられるほどの圧が、たちまちに応接間を呑み込んでしまう。


 赤の街の裏へ根付く、三つの巨大組織が一つの主。

 海千山千たる『蛇』の大将でさえ、ほんの僅かと言えど、気圧されてしまうほど。


「抗争、いいじゃねえか! 殺し合い、結構じゃねえか! 争ってこそのギャング、奪い合ってこその裏! てっぺん取りたいって本気で願ってんなら、ここで全賭けするくらい熱くあろうぜ! なあ!?」

 

 そんな空気の中で赤槍は一人愉しげに笑みを作り、両手を広げ、堂々と吠えてみせる。

 その程度の野心なのかと。こんなんじゃ終われないだろうと。

 内で燻る熱に問いかけるかのように、赤槍の双眸は『蛇』の大将の瞳、ただ一点を射貫き続ける。


「何が、何がお前を、そう駆り立てる」

「熱のためだ。俺という花を咲き誇らせる、何よりの水と肥料。それ以上に、必要あるか?」


 目を合わせるは、数秒。

 向かい合い、交し合い、逸らすことなく、『蛇』の大将は一つ、大きなため息を零した。


「……大口叩こうが、貴様は失敗した。そんな貴様の狂言に、重みなどあるものか」

「ああそうだな。俺は一度やつらを逃がした。それは事実。──だからこそ、こっからだろ?」

「……かも、しれないな。野良犬風情に諭されるとは、俺も焼きが回ったようだ」


 『蛇』の大将は、どこか諦めたように、憑き物の落ちたと穏やかな顔をみせるばかり。

 だがその目は、煌々と熱が灯る。

 先ほどまで見せていた怒りを薪にしたと、そう言わんばかりに、蛇の目の憂いは既に消えていた。



「ええ、ええ。そうですとも。まさしく、その通り! 一度の失敗が何ですか! 挑んでこその神秘! 望んでこその野望! 素晴らしい!」


 

 再び両者の心が揃い、赤槍もまた満足とばかりに口角を上げた。

 次の瞬間だった。

 赤槍と『蛇』の大将、そしてその側近のみしかいなかったはずの応接間に、場違いなほど明るい歓喜と拍手が鳴り響いたのは。


 声の主は、扉の前に立っていた。

 薄ら笑いを浮かべた、赤スーツの赤髪の男。顔の右半分を赤の化粧で染めた、道化染みた男。

 

 そんなこの場にいるはずのない男が、当たり前のように。

 二人同様に気付いた側近達はすぐに『蛇』の大将を庇い、銃を、そして剣の切っ先を向ける。

 

 だが『蛇』の大将はその正体を知っているとばかりに、警戒する側近達を手で制す。

 そして赤槍もまた動こうとはしない。

 依然笑みを絶やさぬまま、赤スーツの来訪者を一瞥しながら、口を開く。


「『城』の遣いか。はっ、こんな所まで出向いてくるとはご苦労なこった」

「如何にも! 初めまして赤槍様。初めまして『蛇』の主様。私の名はボルドー。『城』が抱える無数の一人と、或いはそれさえ記憶していただかなくても結構ですとも。はい」


 正体を看破されながら、なおも上機嫌に一礼した赤スーツの男──ボルドー。

 ボルドーは喜々として一歩、また一歩と扉から離れ、軽い跳躍と共にテーブルへと着地する。


「……何人か、外に同胞が待機していたはずだが?」

「そのようですね。ですがここは我らの王の手のひら。であれば『城』の庭には変わりませんとも」


 『蛇』の大将の問いに、ボルドーは笑顔のまま、変わらぬ調子で答えを返す。

 軽く頭を振って指示を送ると、側近の一人がすぐさま確認のため、部屋の外へと出ていく。

 

 ボルドーは、そばを通り抜け、部屋から出て行く側近に目もくれず。

 端役がなにをしようがどうでもいいと。

 用件があるのはただ二人のみであると。赤槍と『蛇』の大将を交互に視線を向けるばかり。


「ところで赤槍様、先ほどの啖呵、私はいたく感銘を受けました。いいですね。実にいい。それでこそ神秘挑戦者(チャレンジャー)。裏を行きる者の生の心、ええ、これだからたまりません」

「随分聞き上手じゃねぇか。いつからいたんだ?」

「どうでしょう。最初から、或いはつい先ほど。解釈はどうぞお好きに。それが答えですとも」


 ボルドーの惑わすような言い回しに、赤槍はやれやれと、お手上げとばかりに両手を上げる。

 『蛇』の大将もまた、それ以上の言葉はなく、ただボルドーを睨み付けながら、口を開く。

 

「それで貴様、何の用だ? 『城』の依頼を妨げようとする我々の灸でも据えに来たのか?」

「いえいえ、滅相もない! 求める真意は違えど、貴方方も立派に果たそうとしている内の一人ですとも! 『蛇』の皆様であったとしても! はい!」


 そうして高らかに叫ぶボルドーは、再び二人へ向けて、綺麗に一礼してみせる。


「……なので、ええ。つきましてはお二方。私共から一つ。貴方方の役に立つこと間違いなしな、耳寄りな情報を提供させていただきたいのですが……如何に?」


 人差し指を立て、自らの唇の下へ当てながら、そう告げるボルドー。

 不敵な笑みを浮かべる『城』の来訪者に語られたそれは、二人の──特に『蛇』の大将を唸らせた。

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