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交渉

 黒電話の古風な音が、狭い部屋に木霊する。

 びくり、と。

 突然の音の襲来に、大きく肩を弾ませるリンゴちゃん。そんな彼女に「大丈夫」と優しく肩を叩いてあげていると、ノウちゃんが平然と受話器を取る。


 あの黒電話は、この店への唯一の連絡手段。

 だから鳴るのは何らおかしなことではないんだけど……こんなときになんて、まったく野暮で困るわ。


「もしもし。こちらノウ・レッジです。本日はどのようなご用件で……はい、かしこまりました」


 すぐさまお客様用に声を高く整え、電話の主と話すノウちゃん。

 けれどどうしてか、訝しげな顔を浮かべながら、すぐにこちらへと受話器を差し出してきた。


「はい?」

「あんたにだって。相変わらず、どこから覗いているんだか」


 悪態をつきながら受話器を押し付けてくるノウちゃんに首を傾げながら、とりあえず受話器を受け取り、軽く喉を鳴らしてから耳に当てる。


「はーい。電話変わったわ。ファンの可愛い子だったら悪いけど、今日は少し立て込んでて──」

『やあ“蒼斧(あおの)” 。元気そうで何より。また君と話せて嬉しいよ』

「……グッド。ノノも話せて嬉しいわ。本当よ?」


 せっかくお客様対応用に声を作ってあげたのに、電話の主は可愛い娘から真逆で覚えある男の声。

 窓口と、古くからそう呼ばれる『城』の案内人。

 まさに今、ノウちゃんにコンタクトを取ってもらおうとした『城』の関係者からの連絡に、心の底から皮肉を送ってあげながら。

 些細な動揺さえ声に出さないよう心がけつつ、空いていた方の手でノウちゃんへ軽く合図を送れば、流石というべきかすぐに意図を汲み、黒電話の側面に触れて通話をスピーカー状態へと切り替えてくれる。


「それで何の用? どこから見ても、ノノはとっても多忙なの。だからつまらない男とつまらない話をしている時間はないんだけど?」

『もちろん仕事の話さ。君が今一緒にいるお嬢さん……そう、リンゴちゃんの処遇についてだとも』


 時間の都合はついたかな? と。

 私の付けた偽名さえ安易に言い当ててきた窓口に、ほんの一瞬だけ、ぎょっと顔を歪めてしまう。


 ……相変わらず、嫌になるほど気味が悪いわね。

 ノウちゃんがちくったとは考えにくいし、そんな挙動が一切なかったのは私の綺麗な目が証拠。

 『城』が独自の情報網を持っている。そんなのは裏で生きるのなら常識ではあるけれど、何もかも筒抜けみたいなの、本当に止めて欲しいわ。控えめに言って、とても不快よ。


『依頼についてだが、リンゴちゃんを見つけてしまえばあとは簡単だとも。そうだな、三日後。今より三日の後に、我々の指定する場所に彼女を生きたまま連れてきて欲しい。それだけだとも』


 そんな私の気持ちとは裏腹に、窓口はつらつらと、実に気軽に依頼の内容を語り始めてくれる。


「それっておかしくない? 何もかもを補足しているのなら依頼なんて出さず、とっとと追っ手を寄越すべきでしょう?」

『もちろん出しているとも。その上で君達への依頼は変わらない。こちら側の事情というやつさ』

「はあ?」


 何か含みありげに、深掘りして欲しそうに臭わせてくる窓口。

 けれど残念。むかつくから深掘ってなんてあげない。『城』の内情なんて、あんまりそそられないもの。


「……はっ、ご生憎様。ノノは依頼を受ける気がないから、取り引きに応じる理由なんて一切ないわ。だからやっぱり、つまらない男との話はここで終わりね」

『おや、断るのかい? それは残念だ。報酬はきっと、君にとっても待望なはずだと思っていたのだけどね』

「……何が言いたいの?」

『書かれていただろう? 「君達が欲しいであろうもの」と。あれはそのままの意味さ。もちろん、君が追い求める神秘(アーティファクト)──聖杯についても例外じゃないとも』

 

 まるで本気で断る気などないことなど、とっくに見透かしているとでも言うかのように。

 通話に乗った不敵な笑い声に、私の心を、魂を、そして欲はドクリと跳ね。

 胸をざわつかせながら、ごくり、と唾を飲んでしまう。


 聖杯。或いは、無色の杯。

 それは最初に手にし、自らの色で染め上げた者の願いを叶えるという、五色都市のどこかに眠るとされた神秘(アーティファクト)

 五色の王がこの街を統括し、この五色都市(カラフール)を幻想の街へと変えた始まりにて。

 最初に誰かが見つけたとき、この街の真の王が決まると語られて久しく。今なお誰一人として影さえ掴めていない、数多ある伝説の中で一際強く輝く伝説。


 ──そして、私が最も強く。

 それこそ可愛い娘と同じくらい、けれど違う熱意で恋焦がれた神秘(アーティファクト)


 ……嗚呼、酷い。なんて残酷なことをするのでしょう。

 リンゴちゃんの前だから、少し危ないけけれど、頼れる美人のお姉さんでありたかったのに。

 よりにもよって今、聖杯の名前を出されたら、取り繕っていられる自信が湧かないじゃない。


「……持ってるっていうの? お前らが、聖杯を?」

『無論、現物はないさ。あれはいずれの王の手中にさえない、五色都市(カラフール)における最大の神秘(アーティファクト)。だからこそ、君はあの神秘(アーティファクト)を追い求めている。違うかい?』


 ……ええほんと、私のことをよくご存じで。本当に、嬉しいわ。


『こちらが差し出すのは情報さ。君が生涯街を彷徨っていたとしても、耳にすることさえ叶わない情報が『城』にはいくらでも眠っている。今回の成功は、それを少しでも提供するきっかけ……どうかな、悪くない話だろう?』

「……ええそうね。悪くないわ。むしろ大盤振る舞いすぎて、より疑いたくなってしまうくらいよ」


 窓口の誘いに私はもう、仮初めであろうと否定する気さえ起きない。

 この赤の街に……否、この五色都市(カラフール)に来て以来、終ぞなかった聖杯への手がかり。

 嘘っぱちの情報しかない中で、突然舞い込んできた一筋の希望が今、垂らされてしまった。

 

 この機を逃せば、次の機会がいつになるか分からない。

 だから忌々しいことに、既に主導権はあちら側。……いえ、最初からあっちの手のひらの上で踊るしかなくて、私はそれを断れない。


 だから、だから──。

 

「……リンゴちゃん。一つだけ、意地悪なことを訊くわ。考える時間はあげられない。だから今答えて。あなたは大事な人といるためなら、全てを捨てる覚悟はある?」


 ──だから私は、リンゴちゃんの方へ首を向けて、真っ直ぐ見つめながら問いかける。

 

 沈黙は数瞬。一度視線が下へ向き、けれどすぐに私へ、揺らがぬ眼差しで答えを返してくる。


 ……そう、いい答えね。

 真っ直ぐで喚くばかり。何も知らずに淡い夢を抱き続けた、遠い昔にいた誰かのよう。

 だったら私もやることは一つ。ええ。元々やる気だったけど、更にやる気が出てきちゃったわ。


「いいわ、条件は三つ。まず今回の報酬に薬石(くすりいし)を追加して。二つ目は彼女と……彼女が望む人間の安全の保証、それと『()』での身分証明。街を出てしまえば、あなた達が狙う理由はなくなる。妥協点としてはそんな所でしょう?」

『贅沢な要求だ。君と我々に、交渉の余地があるとでも?』

「あるから、わざわざ律儀に電話してきたんでしょう? でもそうね、ないのなら今ここで決裂。今日この瞬間より、私が── “蒼斧(あおの)”ノノが、あなた達の敵となる。宣戦布告と、そう心得なさい」

 

 ニヤリと浮かべながら、受話器越しのいけすかない窓口へ、はっきりしっかり告げてやる。

 

 分かっている。これは賭けだ。成り立っていない、交渉にさえなっていない挑発よ。


 いくら私が強くとも、街で少し名を馳せた神秘挑戦者(チャレンジャー)であろうとも。

 それでも、一個人にやれることなんて限度がある。

 私が単騎で突撃しようとも、どれほどがむしゃらに楯突こうとも、依然『城』が揺らぐことはない。精々やれたとして、どこかの時代に少し傷を付けた誰か。名前でさえ、きっと残ることはないでしょう。


 けれど、だからこそ。

 この街を彷徨く野良犬の一匹として、押し通すべき信念だけは譲れない。

 ただの一度であったとしても、納得なしでそれを譲ってしまえば私の明日は真っ暗になってしまう。

 

 もちろん、そんなの真っ平御免。

 悲願と趣味のどっちでも、諦めるなんてもっての他。

 だって私はノノだもの。そんな矜持だけが、何よりノノがノノたり得るのだから。


 さあ私は答えたわ。ならばどう出る、窓口の。

 ……とはいっても、本当に忌々しいことに、どうせ返事は決まっているのだけどね。


『……素晴らしい。嗚呼、実に素晴らしい! 見事な答えだ! 尊敬に値する宣誓だ! だから我々は、君たちのことが好きなんだ!』

 

 ほらやっぱり。相変わらず、まるで意味が分からない。

 あまりに理解不能すぎて、リンゴちゃんだって何とも言えない顔しちゃってるじゃない。どういう思考回路をしていたら、ここで愉快に笑えるのかしら。


「それでどうなの? 受けるの? 受けないの?」

『もちろん構わないとも。勇気ある啖呵へ心からの敬意を払い、『城』は君の……君達の要求に応じると約束しよう』

「……随分気前がいいわね。何か目論んでたりするわけ?」

『そんなは無礼はしないとも! ……それになに、その程度であれば問題ないんだ。我々としても。そして君達にとっても。そうだろう?』


 さあ? 

 生憎私にはさっぱり。興味はないけど、本当こいつら、どういう事情で動いてるんだか。


「……グッド。それじゃ交渉妥結ね。互いに納得出来そうで嬉しいわ」

『ああ、ただし気をつけた方がいい。君の下へ巻き込んできたお姫様、今この街で一躍話題のお宝だ。『城』へ連れ帰る前に攫われないよう、十分に注意してくれたまえ』

「はっ、よく言う。漏らしたのは誰かしら?」

『漏れてしまったんだとも。いやはや、仮にも神秘に挑む者として風上にも置けない者がいるものだ。厳選した我々としても、少し困ってしまうよ』


 はんっ、いけしゃあしゃあとどの口が。つくづく気に入らないやつ。


「……最後に一つ訊かせて。盗人一人のために、こんな回りくどい真似をする意味が分からない。何が目的なの?」

『それは彼女へ尋ねるといい。勇猛な神秘挑戦者(チャレンジャー)であれば、一つの知で自ずと見えてくるはずだとも』


 要領を得ない、まどろっこしい答え。 

 けれどリンゴちゃんは目を背ける。まるで思い当たりがあるかのように、自らの懐へ手を当てながら。


『我々からただ一つ言うとするのなら、我らの王がそれをお望みだからだとも。それでは健闘を祈るよ、神秘挑戦者(チャレンジャー)。『城』は如何なる勝者であろうと、到来を待ちわびているとも』


 では追って連絡します、と。

 最後にそれだけ加えてから、窓口は一方的に通話を切ってしまう。


 店内には、静寂が戻る。

 一つ嵐が過ぎ去ったあとみたいに、奇怪なほどに音一つない静寂が数秒の間、延々と。

 やがて最初に口を開いたのは、この場で一番部外者で、この件に他人事なノウちゃんだった。


「……相変わらず、破天荒な回答だね。最初から最後まで『城』って感じの連絡。ご愁傷様」

「本当よ。ま、どうでもいいわ。鼻持ちならない連中だとしても、立派なクライアントだもの。多少の我が儘には付き合ってあげるのが、プロとしての矜持ってやつよ」


 肩を竦め、両手を上げて呆れたあと、再びリンゴちゃんへと顔を向ける。

 不安そうな彼女の手に手を添えて、優しく包みながら、にっこり微笑みかけてあげる。


「さあリンゴちゃん? やることは決まったわ。三日間、ノノと二人で駆け落ちデートよ?」


 さあさあ、楽しい楽しいお泊まりデート。

 宿は何処にしようかな。ご飯はどこで食べようかな。想像するだけでワクワクしちゃうわ♡

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