さようなら、或いは
回廊。
『外』と五色都市を繋ぎ、互いを行き交いするための、唯一の手段。
恐らく普通に生きていれば、例え神秘蔓延る五色都市の住民であったとしても、生涯目に掛かる機会のない扉。
だからこそ、私は回廊の出現にごくりと唾を呑み、喉を鳴らしてしまう。
だって、知っているから。例え違う色だとしても、私はそれをくぐってこの都市に来たのだから。あれが偽物ではなく、本物であると肌で理解出来てしまった。それだけ。
「ここをくぐって、『外』へ……?」
「はい。この回廊は五色都市を『外』へと繋ぐ唯一の道。これを渡れば、貴女様方は『外』へと出ることが出来ます。ですが──」
呆然とするリンゴちゃんに、アカネちゃんは説明しながら、一度言葉を途切らせる。
「──ですが、貴女様方には『外』に行かないという選択もあります。いくつかの誓約を交すことにはなりますが、再び元の生活に戻ることも可能です」
「……随分と優しいじゃない。選択権なんて、ないと思っていたけど?」
「全ては王の意向です。王は此度の一件にてご満悦です。『悪くない余興であった。『鍵』を返すのなら、此度の戯れは水に流してもいい』と、そう言付かっています」
『鍵』……? 何を言って……あっ。
『それは彼女へ尋ねるといい。勇猛な神秘挑戦者であれば、一つの知で自ずと見えてくるはずだとも』
……ああ、そういうこと。
あのときの窓口の言葉は、てっきりリンゴちゃんの背景を知ればって意味だと思ってたけど、ちゃんと何かしらの物は盗ってたってわけね。
可愛い顔してやることやってるじゃない、リンゴちゃん。やっぱりあるわね、悪女の才能が。
今浮かんだ私の推測が、どうやら正解だったのか。
リンゴちゃんは懐から何かを取り出し、アカネちゃんが伸ばしていた手のひらへと乗せる。
チラリとでも見えた何かは、真っ赤な宝石……っぽい何か。
ルビー、ガーネット、スピネル。或いは、その他。
私の頭の中にある赤い宝石のいずれとも異なっている、言葉にするのが難しい不思議な何か。宝石と認識しながら、それでも何かとしか形容出来ない、今まで見てきた神秘とは似て非なる、何か。
……知りたい。
一神秘挑戦者として、魂に飼っている欲望が、ドクドクと弾んで仕方ない。
あれは、どんな神秘なのかを。そして、欲しい──。
「ちょ、ちょっと待ってくれ! あたし置いてきぼりなんだ。誰か説明くれ、マジで!」
抑えていた欲望に駆り立てられ、手を伸ばそうとしてしまった。
そんなとき、車椅子に座るランちゃんは大きな声で説明を求めてくれたので、我に返ることが出来た。
私が視線を送れば、アカネちゃんはぷいっと目を逸らすばかり。
いじらしくて可愛いけど、そういうのを説明するのも『城』の役目じゃないかなって思うわけ。
……ま、仕方ないか。
嫌われ役は今更だし、リンゴちゃんのために、ここは私が一肌脱いであげましょう。
「えっとねランちゃん。実は──」
「ノノさん。私が話す。私から、全部」
やれやれと。
多少の脚色を交えながら語ろうとした私を、リンゴちゃんは首を振り、私を向いて頷いてみせる。
リンゴちゃんの双眸は、秘密を語られることを恐れるものではなく。
むしろ真逆。今のリンゴちゃんは、まるで罪を犯した者が自首しようとしているかのような、覚悟を決めたような、そんな面持ち。
……そう。なら、これ以上、私は何も口を挟みません。
どうぞお好きに、あなたの望むままに語ってくださいな。……強い娘ね、リンゴちゃんは。
そうしてリンゴちゃんはこの数日の出来事を、姉であるランちゃんへと語った。
薬石を盗むために、『城』へ忍び込んだこと。
そのせいで命を狙われ、偶然にも私に拾われたこと。
『城』の依頼のために、数日の間、赤の街を逃げ回って今日に至ったこと。包み隠さず、全てを。
「……なるほどな。つまり、あたしが病院でよくしてもらえたのも、こんな豪勢な城に招かれたのも、全部妹が盗みを働いたからだと。……リン、馬鹿野郎っっ!!」
全てを聞いたランちゃんは、まず一番にそばにいたリンゴちゃんへ怒声を上げる。
詰るのとも、責めるのも違う。激しいのに、どこか思いやりがある。
まるで親がいけないことをした子供を叱りつけるときの怒鳴り方だと、そんな風に見えてしまったからこそ、他人な私は口出しせずに見守り続けるしかない。
……懐かしいわ。私も昔、あんな風に叱ってもらったことがあったっけ。遠い昔の思い出ね。
「……ごめん。でも、でも!」
「それでもだよ! 人様の物盗むなんてのは、絶対にやっちゃいけねえ! 今にも飢えて死にそうってんならともかく、あたしの病なんぞのために、お前が罪を背負うなんてあたしが喜ぶと思うか!? 危ない目に遭って、嬉しいと思うか!?」
ランちゃんの言い分はごもっとも。
私だって、私のために大切な人が危険な目に遭うなんて真っ平御免。だから、気持ちはわかる。
でもそれは、リンゴちゃんの……残される側の気持ちを、ないがしろにしている。
私は知っている。助けられて、託されて、何も返せない苦しみを。だから、だから──。
「……だから、ごめんな。リン」
「おねえ、ちゃん……?」
「あたしのために、お前の真っ白な手を汚させて。そこまで追い込んで、辛い目に合わせて、本当にごめんな。リン」
「おねえ、ちゃん。お姉ちゃん……っ、うわぁん……!!」
だが拳を握りながら、下を向いてしまうリンゴちゃんの手をランちゃんは優しく取る。
本当ならば、今すぐ立ち上がって抱きしめたいと。
そんな風に思えるほど、ガッシリと。耐えられないと嗚咽を零す、リンゴちゃんへ寄り添うように。
……お姉ちゃん審査なんてのがあったのなら、きっと目にしたみんなが満点。
ノノが審査員だったとしても、百点あげちゃう。勝てないなって、ちょっと嫉妬しちゃいながら。
「アカネさん。この度は妹が大変迷惑掛けたようで、本当に申し訳ございません。……だけど、妹の命を狙ったことについては一生許さねえ。手前勝手だが、それだけは許してくれ」
「ええ。恥じる必要はありません。我々はあくまで職務に殉じたまで。有り体に言ってしまえば、それはそれ、これはこれですから」
やがて、リンゴちゃんが落ち着いたあと。
ランちゃんはアカネちゃんへ頭を下げながら、けれど同時に強い怒りをぶつける。
「それで、アカネさんよ。『外』とやらに行くのは、本来契約の対価ってことだったんだよな?」
「はい。『城』への侵入、及び神秘の盗難は重罪。特に『鍵』に触れた者であればなおのこと。なので命の代わりに誓約を結び、『外』へ追放させていただく。それが我々が可能とする、最大限の譲歩でした」
「そっかい。なら『外』へ出るさ。それで妹がしたことの償いってんなら、出ていかなきゃ筋が通らねえ。……それにあたしの方も、既にもらっちまったようだしな」
ランちゃんが悩むことはなかった。
自身の髪を、そして今なおシーツの掛けられた足を触りながら、はっきりと断言した。
動揺したのは、むしろリンゴちゃんの方。
「なんで。罰だって言うなら、私一人で十分──」
「おいおい、連れないこと言うなよ。悪いことしたならいくらでも叱ってやる。許されねえことしたなら一緒に背負って償ってやる。父さんが言ってたろ? あたし達は家族。辛いときこそ支え合って、苦しいときこそ一緒にいてなんぼだってな?」
罰を受けるのなら、一人で。
そう反論しようとしたリンゴちゃんへ、ランちゃんは優しげな瞳を向け、口を綻ばせる。
そうして一つ頷いたあと、ランちゃんは次に私へと視線を移し、頭を下げてきた。
「ノノさん。妹を助けてくれてありがとう。あんたのおかげで、あたしは大事な家族を失わずに済んだよ」
「ええ、どういたしまして。ノノもランちゃんが無事で嬉しいわ。いつか、また会いましょう」
「……ああ! 約束、楽しみにしてるぜ!」
親指を立ててきたランちゃんに、私も同じように指を立て、歯が見えるほどの笑顔を返す。
「では、そろそろ旅立ちを。貴女様方のこれからに幸あらんことをと、『城』は心より願っております」
「あいよ。それじゃあリン、押してくれ。お前の手でよ……リン?」
アカネちゃんの合図に、ランちゃんがリンゴちゃんに車椅子の操作を頼み、回廊へ入ろうとした。
けれど、リンゴちゃんは立ち止まる。
ほんの一瞬固まって、けれどすぐにこちらへ駆け寄ってきたリンゴちゃんは、私をギュッと抱きしめてくれる。
「……ノノさん、ありがとう! 私ノノさんのこと、嫌いじゃないから! またね!」
抱きついてきたリンゴちゃんを、私が頭を撫でるより、言葉を返すよりもずっとずっと早く。
私から離れたリンゴちゃんは、私を見上げ、ニコリとはにかみ。
それを最後に振り向くことなく、ランちゃんの車椅子を押して、二人は回廊へと入ってしまう。
二人が通り抜けた直後、役目を終えた回廊は閉じ、姿を消してしまう。
あっという間の別れに、手を振る暇さえもらえなかった私は、ただ苦笑せざるを得ない。
だって、最後に見せてくれた笑顔は、一緒にいた中で一番の笑顔だったから。
泣き腫らした顔で屈託なく笑うリンゴちゃんは、私が見てきた中で一番に綺麗だった。……ほんと、可愛い娘だったわ。
「……で、どうなの? 実際のところ、お役人様としては」
「……残念ですが、秘密保持のため、五色都市での記憶は封じられ、同時に補完されます。彼女達は『外』で育ち、心機一転と新たな街へ越そうとしている姉妹として、我々が用意した身分としばらくの保証の下新たな人生を送り始める。仮に“蒼斧”様がこの都市を出ることがあったとしても、望む形での再会が叶うことはないでしょう」
……それはどうも。相変わらず、水を差すのが得意なようで何よりよ。けっ。
「あまり、驚かれないのですね」
「別に、そんなことじゃないかって予想してただけ。それに彼女達が自分で選んだ道よ? 旅立ちは涙じゃなく、笑顔で手を振ってあげなきゃ」
まあでも、こんな世界で生きていれば、可愛い娘との別れなんてままあること。
彼女達は『外』で生きていて、新たな人生を始めようとしている。
生きているのなら、どこかで会うことがあるかもしれない。悲しむ理由なんて一つもないわ。
……まあ、約束を果たせなさそうなのが、ちょっぴり寂しくはあるけどね。
「……ああそれとも、赤の王としては、少しは私に崩れて欲しかった?」
「…………」
瞬間、空気が変わる。
少し切ないながら、和気藹々としていた雰囲気だった場は、肌が震えるほどの緊張感に包まれる。
さあ、幼気なお姫様を守る騎士の時間はもうおしまい。
ここからはいつもの私。
野蛮で、残酷で、気まぐれな淫売。神秘挑戦者として、お話しましょう?




