決着
夜は更ける。
野太い声と様々な音が入り交じる、赤の街の名にふさわしい、赤い戦火の夜は過ぎ去っていく。
私はただ進む。
多くの『蛇』を斬り伏せ、赤い血で街を汚しながら、ひたすらに、宿までの道を作る。
リンゴちゃんが安全に通れる道を作るため。
ここまで露骨に糸を引いているのなら、どうせ連中が後処理もやってくれるのだと。場違いにも、どこか他人事のように考えながら、粛々と。
当然、強者はたくさんいた。
武器を振り回すだけじゃない、感情のままに銃を乱射するばかりでもない、長く裏を生きる手練れ。
けれど想像通り、いずれも“赤槍”に並ぶ者はいない。
感覚も色力も冴え渡っている私ならば、数手多く費やすだけの、消化試合にしかならなかった。
全員殺したわけじゃない。
向かってくる者を悉く斬り伏せた。死んだやつも死ななかったやつもいた。それだけよ。
そうして、向かってくる者は粗方片付き、戦いた者は闇の中へ逃げ去って。
ようやく辿り着くことの出来た宿の手前。
かつての寝床がもうすぐだという地点まで辿り着いた頃、最後の壁と言うにはあまりに低い障害が、私の目に入った。
「初めまして。あなたが『蛇』の親玉で間違いない?」
「……如何にも。お目にかかれて光栄だとも、 “蒼斧” 」
道の中央に置かれていた、チェス盤の置かれた、値が張りそうなテーブル。
まるでどこかの屋敷の庭で、淑女か貴婦人が束の間のティータイムを楽しむかのように。
待ち構えていたヘビ柄のスーツの小太りの男は、私へ蛇の目を向けながら、皮肉げに質問へと答えてきた。
「チェス、ね。年季は入ってるけど、良い石使ってるじゃない」
「先祖代々の品だ。……しかし、やはり知っているのか。いやはや、つくづく『城』の連中は侮れんものだ」
白磁と黒曜。遠目でも分かるほど、上等なチェス盤と駒。
つい称賛を向ければ、『蛇』の主はどこか嬉しそうに、けれど「口惜しいものだ」と歯痒そうに口元を緩めてみせる。
……そういえば、チェス盤自体、この街に来てから初めて見た気がするわ。
もしかして、この街には……いえ、止しましょう。そんなの、今はどうだっていいことだわ。
「一局、如何かね。ルールを知る者と出会うのは、初めてなのだ」
「……勝ったら見逃す、なんて期待してる?」
「まさか。……ただ、最期に少し話したくてね。まだ時間はあるのだろう? 話しついでの手慰みと、付き合ってくれると助かる」
互いの視線が交差する。感情を匂わせない蛇の目が、ただ真っ直ぐと、私を見つめ続ける。
……彼の言うとおり、時間はある。
まだ月は昇り続ける最中。例えこの場でもう一度赤槍と殺し合っても、お釣りが来るでしょう。
応じてもいい。断って、この場で首を刎ねて、しまいにしたって構わない。
選択するのは私。この一夜の決着は、私次第。
数秒の後、折れたのは私の方。
理由なんてない。敢えて言えば、彼の言うとおり、時間が余っていたから。それだけ。
息を吐き、向かい合うよう用意された高そうな椅子へと腰掛け。
斧槍をそばへ立て掛けた私に先行は譲ってくれると、『蛇』の主は手で示してくる。
駒の一つ。白いポーンの中の一つを手に取り、見つめる。
綺麗な駒。素材も上等、彫りも一流、何よりよく手入れされているのが見て取れる。
長きに渡って愛を注がれ続け、紡がれた品。そんな駒を、丁寧に盤へと戻し──試合は、始まる。
「……まさか、我々が敗けるとは思わなかった。驕り、だったのだろうか」
「どうでしょう。手段を選ばなければ、結果は違ったと思うわ」
一手、また一手と。
序盤らしくさしたる時間もかからず指し合う中、ふと呟いた『蛇』の主に、素直に所感を告げる。
今回の勝利は、色々な歯車が噛み合った末に起きた、
元より組織力で大きく優性だったのだから、やり方一つ変えていれば、結果は別だったはず。
例え『弩』や『松明』との衝突を忌避したとしても。
この数ならば押し切れると、赤槍がいれば勝ちきれると、そう踏んでいたとしても。
少なくとも、こうして正面衝突するよりマシな方法はあった。ずっと昔から赤の街の裏の一角を担う『蛇』であれば、それこそいくらでも。
「……だろうな。無数の策はあった。……全てを捨てれば、境を越えれば、或いは届いたかもしれぬ。──だがな」
『蛇』の主は、そんな私の言葉を肯定するよう、どこか自嘲のように鼻で笑いながら。
けれど少し強く駒を置き、蛇の目をこちらへと向け、射貫いてくる。
「みくびるなよ、侮ってくれるなよ。我らは『蛇』。先達の積み上げた矜持を、どうして捨てるものか。舐められたのならいざ知らず、表の人間に手を出さない程度の矜持くらいは持ち合わせているとも」
「グッド。……随分と、紳士なのね」
「それがギャングだ。如何に在り方が変わろうと、信念だけは譲れない。『弩』も『松明』も、きっとそのはずだと、俺は信じている」
……グッド。声には出さないけど、見くびっていたことを謝罪するわ。『蛇』の主よ。
ただでかい顔しているだけの連中だと、今日まで思っていたけど。
少なくとも、頭目であるあなたには確かに矜持がある。それだけは、認めましょう。
そしてだからこそ、頭を下げるつもりも、詫びるつもりも一切ない。
共感した上で、敬服した上でなお蹴散らす。互いに求めるものがあるのなら、あとはやるっきゃない。いつだって裏は、そういう世界のはずでしょう?
「……時に“蒼斧” 。リナリーちゃんという娘を、覚えているだろうか」
淡々と盤面を進めながら、しばらく経った頃。
ふと『蛇』の主は、世間話のような気軽さで、そんなことを尋ねてきたので、首を傾げる。
リナリー? リナリー、リナリー……ああ、リナちゃんのこと。
昔どこかのお店で出会った彼女。貪欲で前向きで、ピロートークのとき、嫉妬しちゃうくらい力強く夢を語ってみせてくれた可愛い娘。
……懐かしい。最後に会ったのは結構前だけど、あの娘はとっても魅力的だった。
確か今は、どこかのバイオリニストとして立派に頑張ってるはずだけど……どうしていきなり?
「ええ。だけど、それが何か?」
「実はな、あの娘は俺が口説き落とそうと足繁く店へ通っていたんだ。夜に生きながら、目を爛々と輝かせ、強気に夢を語る女。その眩さに俺も魅せられ、言い寄ったが……ある日、どこかの誰かに先を越されてしまってな。俺の縄張りで好き勝手に荒らす、女しか相手にしない青髪の娼婦にな」
……ああ、そういう。存外に女々しいわね。ねちっこいのはまさしく蛇のそれね。
「……あの娘、確かあんたらがケツ持ってた店の娘だったはずでしょ? なら裏の人間扱いでいいんじゃないの?」
「愚問だな。一線を越えず、懸命に日銭を稼ぎ、毎日を生きる。私たちとは異なる尊敬出来る者たち、これを表の者と言わずして何と言う?」
『蛇』の主のはっきりとした言に、問うた私でさえも、なるほどとつい感嘆してしまう。
裏で権力を持つからこその言葉。その重みは、私なんぞの戯れ言よりずっと。
「……それに、金や権力を傘にするのは好みではなくてな。惚れた女を物にするために手を注ぐのは当然。だが女を口説くには合意であればこそ。そうでなくば、満たされないだろう?」
「道理ね。こんな出会い方でなかったのなら、きっとノノ達、馬が合ったと思うわ」
本当に一切の偽りなく、私は目の前の『蛇』の主を惜しみながら、また一つ駒を進める。
楽しく酒を交し、愛を語らった相手と、その日の終わりに殺し合うことだってある。
裏切り裏切られ、憎悪の中で殺し合った相手が、最期を共にすることだってある。
……ま、どこまでいったって、人付き合いなんてそんなもの。
表でさえ何が起こるのか分からないのに、裏ならより当然のことでしかない。残念だけどね。
「しまいだ。……嗚呼、素晴らしい一時だった。この一試合を、どれほどまでに夢に見ただろうか。もう一試合がないというのは、こんなにも面映ゆいものだったとは」
最後の一手を終えた『蛇』の主は、噛みしめるように夜空を仰ぐ。
チェスは互いに最善手を尽くした場合、必ず引き分けになる。
そして盤面遊戯の前提として、先手が有利な競技であると、いつかどこかで聞いた気がする。
私は最善手なんか知らないけど、先手だったのだから有利なはず。
だからまあ、私の完敗。これ以上なく、拍手したくなるほどに見事な、完璧な詰みの盤面よ。
「我が野望を……そして一族の栄華と夢を潰えさせた神秘挑戦者へ心よりの憎悪を。そして最期に初めて心ゆくまま興じてくれた者へ、一握りの感謝を。……また地獄で盤を挟める日を、心待ちにしていると、も……」
勝利の称賛を告げる暇さえないまま、言いたいことだけ言い終えた『蛇』の主は目を閉じる。
男の手はだらりと垂れ、言葉は消え去り、ついに夜道は日常の静寂を取り戻す。
自決。
蛇が毒に呑まれて死ぬ、長く赤の街の一角を支配した組織の最期としては、随分と皮肉な末路。
けれど何も語らず、嗚咽さえあげることなく。
己が野心と矜持を貫き通した男の最期は、ある種の芸術であると、つい目を奪われてしまう何かを持っていたと。それだけは、如何に私と言えど、否定出来ない本音ね。
「……お見事。楽しかったわ。だからさようなら、『蛇』の主」
静かな眠りについた『蛇』の主へ、最後に私を負かしたチェスの相手を一瞥してから席を立ち。
称賛を。そして別れの言葉を送ってから、『蛇』の主が眠る椅子へ背を向け、歩き出す。
いつか私が地獄に堕ちようと、きっともう指すことはないでしょう。
下手の横好きでしかない、私が指さずとも。
魑魅魍魎蔓延る地獄ならば、こんな狭い箱庭から飛び出したあなたならば、いくらだって興じてくれる猛者はいるでしょうから。




