冬 - 続いていくもの
学期の終わりが近づくと、大学の空気は少しだけ軽くなる。
廊下を歩く人の足取りが、どこか緩やかになる。
話し声も、いつもより少しだけ長く続く。
アユミはその中を、変わらない速さで歩いていた。
手には、薄い冊子を持っている。
相談室で配られていた資料だった。
何度か目を通したが、ほとんど覚えていない。
それでも捨てることなく、持ち歩いていた。
階段を上がり、静かなフロアに出る。
利用者の少ない自習室が並んでいる場所だった。
扉の一つを開ける。
中には誰もいない。
机と椅子が整然と並び、窓からの光が均一に差し込んでいる。
アユミは奥の席に座る。
冊子を机の上に置く。
開くことはしない。
そのまま、手を離す。
しばらく、何もせずにいる。
外の音はほとんど届かない。
遠くでかすかに人の気配がするだけだった。
時間の進み方が、少しだけ変わる。
アユミは窓の外を見る。
冬の空は淡く、雲はゆっくりと動いている。
木々は枝だけになり、その形がそのまま見えている。
何も足されていない状態だった。
それでいて、不足しているようにも見えなかった。
アユミは視線を机に戻す。
冊子の端が、わずかにめくれている。
紙の重なりが、そこにあることを示している。
中身を確かめる必要はなかった。
そこにある、ということだけで十分だった。
ドアが開く音がする。
振り返ると、一人の学生が入ってくる。
少し戸惑うようにして、空いている席を見る。
アユミは何も言わない。
そのまま視線を戻す。
学生は少し離れた席に座る。
椅子を引く音が、小さく響く。
それきり、音は止まる。
同じ空間に、二人だけがいる。
距離はある。
関わりもない。
それでも、完全に一人ではない。
紙をめくる音がする。
ペンが動く音が、少しだけ続く。
やがて、その音も止まる。
時間が静かに積み重なる。
アユミは何も考えない。
考えようともしない。
ただ、そこにいる。
机と椅子と、窓の光の中に。
それだけだった。
しばらくして、その学生が立ち上がる。
椅子がわずかに音を立てる。
アユミの方を見ることはない。
そのまま出口へ向かう。
ドアの前で、少しだけ立ち止まる。
何かを確かめるように。
それから、振り返らずに出ていく。
扉が静かに閉まる。
再び、部屋は一人になる。
アユミは動かない。
冊子は机の上に置かれたままだった。
持ち帰る必要はなかった。
ここに置いていく理由も、特にはない。
ただ、そのままにしておく。
誰かが手に取るかもしれない。
取らないかもしれない。
どちらでもよかった。
アユミはゆっくりと立ち上がる。
椅子を戻す。
音は小さい。
机の上には、冊子が残っている。
整えもしない。
崩しもしない。
そのままの形で置かれている。
アユミは振り返らない。
扉へ向かう。
手をかける。
一度だけ、外の光が目に入る。
それから、外へ出る。
扉が閉まる。
中の様子は見えなくなる。
それでも、そこに何があるかはわかっている。
アユミは廊下を歩く。
足音が静かに続く。
人の流れに戻る。
同じように歩く人たちの中に入る。
特別なことは何もない。
何かが終わったという感覚もない。
ただ、続いている。
それだけだった。
冬の光が、廊下の先に伸びている。
アユミはその中を歩く。
止まらずに。




