エリアスのお小言
「うん、うん。分かった。ちゃんと聞いてくるから。……じゃあ、行ってくるね」
POTENハウスが見えるところまで戻ってきたハルの耳に、そんなツムギの声が届いた。
ちょうど玄関の扉が開いたところで、ツムギはまだ家の中にいる誰かへ向かって話しているらしく、振り返ったまま何度か頷いている。その隣からエリアスも姿を現し、二人が外へ出ると、背後で扉が閉じられた。
「急ごう」
エリアスに促され、ツムギも頷く。
二人とも普段よりずっと足早に歩き出そうとしていて、いったいどこへ行くつもりなのだろうとハルが考えた、その時だった。
ふと顔を上げたツムギと、目が合った。
「…………え?」
ツムギの足が止まる。
一度、二度と目を瞬かせ、そこにいるのが本当にハルなのか確かめるようにじっとこちらを見つめたあと、その目が大きく見開かれた。
「ハルくん!」
張り詰めていたものが一気にほどけたような声が響いた。
その声につられて、すでに先へ進みかけていたエリアスも振り返る。
ハルを見つけた瞬間、エリアスの顔も大きく崩れた。
心底ほっとしたような、それでいて怒っているような、安心も心配も苛立ちも全部が一度に出てしまったようなくしゃりとした表情で、それはハルがこれまでほとんど見たことのない顔だった。
けれど、それもほんの一瞬だった。
エリアスはすぐに表情を整え、いつもの冷静な顔へ戻る。
「……ハル。帰ったのか」
「う、うん……」
返事をしながら、ハルは胸元のマント留めへちらりと視線を落とした。
魔導通信機は、まだ受信を知らせる淡い光をぴか、ぴか、と繰り返している。
それを見た途端、帰り道で考えていた言い訳が頭の中から綺麗に吹き飛んだ。
「その……連絡しなくて、ごめんなさい」
ハルが頭を下げると、肩に乗っていたコウも気まずそうに身体を小さくする。
「ちょっと色々あって、連絡する余裕がなくて……いや、途中からはあったんだけど、その時にはもう街まで戻ってきてて……だから、帰ってから直接話した方が早いかなって……」
自分で説明しながら、どんどん言い訳になっている気がする。
ハルの声が小さくなっていくのとは反対に、エリアスの表情からは、すうっと何かが消えていった。
そして。にこり。
あまりにも綺麗な笑顔が浮かんだ。
「そうか」
「…………」
穏やかな声だった。
怒鳴られたわけでも、責められたわけでもない。
なのにハルには、その笑顔が普段のエリアスのものとはまるで違って見えた。
「ともかくだ」
エリアスはにこやかな表情を崩さないままPOTENハウスの扉へ戻り、静かにそれを開けた。
「無事に帰ってきてくれて、本当によかった。……じゃあ、入ろうか」
「…………はい」
これは駄目なやつだ。
ハルにも、それだけはすぐに分かった。
ツムギはそんなハルとエリアスを交互に見比べ、何か言おうと口を開きかけたものの、結局言葉にはせず、もう一度ハルの姿を上から下まで確かめるように眺めた。
怪我をしていない。
ちゃんと自分の足で帰ってきた。
それをようやく実感できたのか、ツムギは胸元へ手を当て、小さく息を吐いた。
「……ほんと、よかった……」
心の底から零れたような声だった。
けれど次の瞬間、隣に立つエリアスの貼りついたような笑顔をちらりと見て、ツムギはなんとも気まずそうな表情になると、それ以上は何も言わず、そそくさと開かれた扉をくぐっていった。
残されたハルは、扉を押さえながら微笑んでいるエリアスを見る。
エリアスも微笑んだまま、ハルを見る。
「…………」
やっぱり、ものすごく怒っている。
森の中で怪物に追いかけられていた時とはまったく別の冷たいものが背中を流れ、ハルはしゅんと肩を落とした。
「……コウ。帰ろう」
「もう帰ってきてるけどな」
「……中に、入ろう」
「おう……」
さすがのコウも今は余計なことを言わない方がいいと察したらしく、ハルの肩の上で妙に大人しくなる。
そうしてハルは項垂れたまま、エリアスが開けて待っているPOTENハウスの扉を、恐る恐るくぐった。
エリアスに促されるまま玄関へ入ると、先に中へ入ったツムギはもうリビングまで戻ったらしく、奥の方からすぐにバルドの大きな声が聞こえてきた。
「なんじゃ! 忘れ物か? それとも何かあったのか!」
その直後、ツムギが何かを答える声が小さく聞こえ――ほんの一瞬、家の中が静まり返った。
次の瞬間。
どたどたどたどたっ、と何人もの足音が一斉にこちらへ近づいてきた。
「わっ」
ハルが驚いて顔を上げた時には、バルドを先頭にPOTENのみんなが玄関へ集まってきており、誰もがまずハルの顔を見て、次に身体を上から下まで確かめるように眺め、それから肩に乗っているコウまで無事なのを確認すると、一様に張り詰めていた表情を緩めた。
「……ハル、おかえり」
誰からともなく、そんな言葉が零れる。
「ただいま」
ハルが答えると、みんなはもう一度ほっとしたように息を吐いた。
――のだが。
その視線が、ハルの後ろへ向いた。
「…………」
「…………」
何かを察したらしい。
みんなはそれ以上何も聞かず、そそくさとリビングへ戻っていった。
自分の後ろを確認する勇気はなく、ハルも大人しくそのあとへ続いた。
けれど、リビングへ入ってしまえば、待っていたのは叱責よりも先にバルドの世話だった。
「大変じゃったな。まずは腹に入れろ。話はそれからでええ」
そう言ってすぐに温かい飲み物と食事を用意してくれたバルドに、ハルの身体からようやく力が抜ける。考えてみれば朝から森を歩き回り、怪物に追われ、ポーションを使い果たし、全力で街まで戻ってきたのだから、お腹が空いていないはずがなかった。
「ありがとう、バルドさん。もう、お腹ぺこぺこだったんだよ」
コウも待ってましたとばかりにテーブルへ身を乗り出し、二人はしばらく話すことも忘れて食事に夢中になった。
温かいものが胃に入るたび、ようやく本当に帰ってきたのだという実感が湧いてくる。
そうして空腹も落ち着き、温かい飲み物を一口飲んだところで――向かいに座っていたエリアスが静かに口を開いた。
「さて」
ハルの手が止まる。
「腹も落ち着いたみたいだし、そろそろ今日あったことを最初から話してもらおうか」
「……はい」
とうとう来た。
ハルはコウと顔を見合わせ、それから森へ向かったところから順番に、今日起きたことを話し始めた。
地面が少しずつ湿っていったこと、森の植物が枯れていたこと、魔素の影響らしき異変があったこと、そして森の奥で巨大な怪物と、その中に呑み込まれかけていた不思議な光を見つけたこと。
もちろん、途中からは護りのイヤーカフがどれほど役に立ったのかという話にもなった。
「それでね、ツムギお姉ちゃん! あのバリア、本当にすごかったんだよ。怪物の身体みたいな、どろどろしたやつが周り全部から押し寄せてきたんだけど、全然中に入ってこなくて、僕が進むと全部外側に押し出されていったんだ!」
「ほんと!?」
自分の作ったものが実際にハルを守ったと聞いて、ツムギの顔がぱっと明るくなる。
その反応が嬉しくて、ハルの説明にもどんどん熱が入っていった。
「うん! それで最初のバリアがもう少しで切れそうになった時も、二回目を張ったら一気に広がって、怪物をまた押し返せたし!」
「ちゃんと二回目も作動したんだ……! よかったぁ」
「それから感情を落ち着かせる機能もすごかったよ! 怪物に追いつかれそうになって、どうしようって頭がいっぱいになってたんだけど、使ったら急にちゃんと考えられるようになって、それで一回逃げるのをやめて――」
「そのまま怪物のところで立ち止まって考えたら、光を回復させればいいって話になって、それでポーションを――」
「なるほど」
エリアスの声が割り込んだ。
「つまり」
にこやかな笑顔のまま、エリアスは確認するようにゆっくりと言葉を続けた。
「ハルは、逃げなければ死ぬかもしれない状況で、バリアが切れかけていたにもかかわらず、二回目を自分の判断で張り直して――」
「…………」
「逃げるのをやめて、さらに危険な場所に留まったってことかな?」
「…………あ」
ハルの顔から、さあっと血の気が引いた。
(しまった)
ツムギが嬉しそうに聞いてくれるものだから、つい。
(……話しすぎた……!)
恐る恐る横を見る。
コウは何とも言えない顔でハルを見返していた。
その表情は、言葉にしなくても十分すぎるほど伝わってくる。
――なんでそこまで自分から全部喋ったんだ。
ハルはそっと視線を逸らし、残っていた飲み物へ手を伸ばした。
ツムギの物語はしばらくの間不定期更新、ハルの物語は月曜日の23時ごろまでに1話投稿します
同じ世界のお話です
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