怪物の中に見えるもの
リムの真剣な眼差しを受け止め、ハルは力強く頷いた。隣ではコウも同じように迷いを振り切った表情を浮かべ、短い翼をぐっと持ち上げてみせる。
その二人の返事を確認すると、リムも大きく頷いた。
「よし! じゃあ頼んだぞ。行くぞ!」
その声を合図に、三人は一斉に巨大な怪物のいる方角へ向かって走り出した。
ハルとリムは足元のぬかるみに気をつけながら枯れた木々の間を駆け抜け、コウは二人の少し前を低く飛びながら、進行方向と周囲に異変がないかを絶えず確認していく。近づくにつれて地面はさらに黒く湿り、ところどころに溜まった泥水からは嫌な臭いが立ち上っていたが、三人は足を止めることなく、巨大な怪物の姿が見えた場所へと距離を縮めていった。
やがて木々の間隔が少しずつ広がり、その向こうから濁った光のようなものが見え始める。
最後の枯れ木を抜ければ、もう怪物を遮るものはない。
その直前で、先頭を走っていたリムが振り返った。
「ハル、バリアを頼む!」
「了解!」
ハルは短く答えると、耳元のイヤーカフへ手を添え、迷うことなく魔力を流し込んだ。
次の瞬間、魔石が割れ、淡い光がハルを中心に一気に広がり、すぐそばにいたリムと上空のコウまでを包み込むように半透明の膜が展開される。これで十分――残された時間は、十分だけだ。
三人は速度を落とすことなく、最後の木々の間を抜けた。
そして、その瞬間。
遠くから眺めていた時には分からなかった怪物の全貌が、ハルたちの目の前に現れた。
「……っ」
思わず、ハルの足が止まりかける。
大きい。
それは分かっていたはずだった。
けれど、実際に間近で見るその巨体は想像していたものより遥かに大きく、周囲に立つ木々と比べてもなお異様なほどの存在感を放っていた。
そして何より――気味が悪い。
遠目には巨大なスライムのように見えていた身体は、近くで見るとスライムと呼ぶにはあまりにも歪だった。黒とも灰色ともつかない濁った半透明の身体の中には、色の違う粘液の塊がいくつも混ざり合い、それらが溶けきることなく、内側から押し合うようにゆっくりと蠢いている。
ぶるり、と巨体が震えるたびに表面には不規則な波紋が走り、ところどころが膨らんでは沈み、また別の場所が脈打つように盛り上がる。
まるで一つの生き物ではなく、いくつもの何かを無理やり一つに押し込めたようだった。
ハルは知らず知らずのうちに息を呑んだ。
遠くから感じていた禍々しさなど、ほんの一部に過ぎなかったのだと、目の前に立って初めて理解した。
そんな異様な姿を目の当たりにしても、リムは足を止めなかった。巨大な怪物の動きを注意深く観察しながら、一歩、また一歩と確実に距離を詰めていく。
ハルも置いていかれないよう、その背中を懸命に追った。
正直、怖い。
近づけば近づくほど、目の前の怪物が普通のスライムとはまるで違う存在なのだということが嫌でも伝わってくるし、濁った巨体がぶるりと震えるたび、今すぐ背を向けて逃げ出したい気持ちが胸の奥から込み上げてくる。それでもバリアはハルを中心に展開されているため、自分が離れればリムまで範囲の外へ出てしまう。
ハルは唇をきゅっと結び、怖さを押し込めるようにリムのすぐ後ろをついていった。
コウも今は飛び回ることをやめ、ハルの肩へしっかりと掴まりながら、周囲に何かが潜んでいないかと忙しなく視線を巡らせている。
その時だった。
『……たすけて……』
また、聞こえた。
三人の足が同時に止まる。
先ほどよりも近い。風に運ばれてきたような曖昧な声ではなく、今度は確かに目の前から聞こえてきた。
ハルは息を呑み、巨大な怪物を見上げる。
「……あいつから、聞こえたよね?」
リムも返事をすることなく、声が聞こえてきた辺りをじっと見つめていた。
しかし、どれだけ目を凝らしても、人らしき姿は見当たらない。あるのは絶えず形を変えながら蠢く、濁った粘液の塊だけだった。
「人影は見えないな……」
リムはわずかに眉を寄せる。
「中に誰か取り込まれてるのか……それとも、俺たちを近づけるために声を真似てるだけなのか……」
どちらにしても、迂闊に近づける状況ではない。
ハルも必死に怪物の身体を観察していたが、不規則に波打つ濁った巨体の奥で、ほんの一瞬だけ何かが光ったような気がして目を細めた。
「……ねえ」
もう一度、じっと目を凝らす。
怪物がぶるりと大きく震え、濁った身体が揺らいだ、その瞬間だった。
ちらり、と。
確かに何かが光った。
「あいつの中心……なんか光ってない?」
ハルが指を差すと、リムとコウもすぐにその方向へ視線を向ける。
しばらくは何も見えなかったが、怪物の身体が再び大きく揺れた瞬間、濁った粘液のさらに奥深くで、小さな光がちらりと瞬いた。
「……見えた」
リムの表情が変わる。
コウもハルの肩の上で身を乗り出した。
「ああ。俺にも見えたぞ。何かあるな」
それが助けを求めている誰かなのか、それともこの怪物そのものに関係する何かなのかは、ここからではまだ分からない。
リムはわずかな間だけその光を見つめると、すぐに決断した。
「よし。まずはあそこまで近づいて確認するぞ」
そう告げると、再び怪物へ向かって歩き始める。
ハルは肩の上のコウと一度だけ視線を交わしてから、その背中を追った。
バリアの残り時間は、刻一刻と減っている。
三人はそれぞれに警戒を強めながら、怪物の中心で瞬く謎の光へ向かって、さらに距離を縮めていった。
ツムギの物語はしばらくの間不定期更新、ハルの物語は月曜日の23時ごろまでに1話投稿します
同じ世界のお話です
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