弾型ブーツの性能と森の異変
草原を奥へ進むにつれて、足元の地面は少しずつ柔らかさを増し、踏み出すたびにじわりと水分を含んだ土が沈み込むようになっていく。空気もどこか湿り気を帯び、草原を吹き抜けていた爽やかな風はいつの間にか重たく肌へまとわりつくような感覚へ変わっていた。
上空ではコウが何度も高度を変えながら森の様子を確認しており、ときおり大きく旋回しては進む方向を教えてくれる。そのおかげで三人は迷うことなく森の入り口までたどり着くことができた。
もっとも、ぬかるみの中を歩き続けているにもかかわらず、ハルはほとんど足元を気にする様子がない。
エドたちが試作した弾型ブーツは、泥水を弾くように表面を守り、ぬかるみを歩いても中まで水が染み込んでくることはなかった。さすがに長時間履き続ければ湿気だけはこもってしまうものの、そのたびに風魔法で中へ風を送り込めば、すぐにさらりと乾いてくれる。
ハルは改めてブーツを見下ろしながら、小さく笑った。
(やっぱり、みんなの作るものってすごいな)
そんなことを考えていると、後ろを歩いていたリムが大きく息を吐いた。
「もー……きついなぁ」
立ち止まって靴を持ち上げる。
「靴は泥だらけになるし、中まで水が染みて靴下もびしょびしょだし……ぬかるみってこんなに歩きづらいんだな」
その様子を見たハルは苦笑しながら足を止めた。
「ちょっと休憩しようか」
近くの少し乾いた場所を見つけると、ポシェットからシートを取り出して広げる。
「靴、乾かすよ」
リムがシートへ腰を下ろすと、ハルはそっと風魔法を流し込み、靴や靴下の湿気をゆっくり飛ばしていく。
「ふぅ……生き返る」
ほっとしたように飲み物を口へ運びながら、リムはハルの足元を眺めた。
「そのブーツ、本当にいいよな」
少し羨ましそうに笑う。
「見た感じ弾力もあるから高く跳べそうだし、水も弾くし……帰ったら俺も買いに行こうかな」
その言葉に、ハルは嬉しそうに笑った。
「実はね、まだ売り物にはなってないんだ」
ブーツを軽く叩きながら続ける。
「だから帰ったら、仲間に分けてもらえるか聞いてみるよ。みんな、本当にすごいものばっかり作るんだ」
リムは少し驚いたように目を丸くする。
「もしかして、それもPOTENの新商品なのか?」
ハルは迷わず頷いた。
「うん」
ブーツへ視線を落としながら、自然と笑みがこぼれる。
「POTENのみんなって、本当にすごいんだ。僕にはとても思いつかないようなものを、みんなで相談しながら形にしていくんだよ」
少し照れくさそうに笑う。
「僕は素材を集めたり、『こんなのあったら便利かも』って話をすることはあるけど、それを本当に使える形にしちゃうのは、みんななんだ」
そう話すハルの横顔は、自分のことを褒められた時よりも、仲間のことを話している今の方が、ずっと嬉しそうだった。
そんなハルを見つめていたリムは、ふっと優しく笑う。
「そっか。ハルにとって、本当に自慢の仲間なんだな」
どこか納得したように頷くと、少しだけ眩しいものを見るように目を細めた。
その言葉に、ハルは少し照れくさそうに頭をかいた。
リムはそんな様子に小さく笑うと、飲み物を一口飲んでから言葉を続ける。
「ますます会ってみたくなったよ。今度、俺にも紹介してくれよ」
ハルの顔がぱっと明るくなる。
「もちろん!」
勢いよく頷く。
「きっとみんな喜ぶよ。新しい人と話すのも好きだし、ものづくりの話になると止まらなくなる人ばっかりだから」
ナギなら初対面でもすぐに距離を縮めるだろうし、エドは新しい発想を聞けば目を輝かせて質問攻めにするに違いない。ツムギは少し照れながらも温かく迎えてくれるだろうし、バルドはいつものように美味しい料理でも振る舞いながら、穏やかに話を聞いてくれるはずだ。
そんな仲間たちの顔を思い浮かべているだけで、ハルは不思議と胸が温かくなった。
三人はそのまましばらくの間、湿った森の入り口で体を休めながら水分を補給し、靴や装備の状態を確認していく。コウもハルの肩へ降り立ち、羽を軽く整えながら一息ついていたが、休憩が終わる頃には再び空を見上げ、いつでも飛び立てるように翼をゆっくり広げていた。
やがて、誰が声をかけるでもなく自然と立ち上がり、森の奥へと続く薄暗い道へ視線を向ける。
「行こうか」
ハルのその一言に、リムとコウも静かに頷き、三人は改めて気持ちを引き締めながら、異変の始まりが眠っているかもしれない森の中へ足を踏み入れた。
森へ一歩足を踏み入れた瞬間、三人は言葉を交わすまでもなく、この森で何か異変が起きていることを悟った。
目に飛び込んできたのは、本来なら青々と葉を茂らせているはずの木々だった。しかし、その幹や枝はところどころ黒ずみ、葉を失って立ち枯れているものが目立ち、まだ生きている木でさえ元気なく枝を垂らしている。地面は草原以上に水を含み、踏み出すたびに泥がゆっくりと靴底へまとわりつき、森の中を歩いているというより、底の見えない沼地へ入り込んでしまったような錯覚を覚えた。
何より異様だったのは、静けさだった。
鳥のさえずりも、小動物が落ち葉を踏む音も聞こえない。
風だけが枯れ枝を揺らし、その乾いた音だけが森の奥へ吸い込まれていく。
「これは……」
リムが小さく息を呑み、周囲を見渡した。
コウも低く飛びながら辺りを警戒し、普段よりも声を潜める。
「生き物の気配がまるでねぇ……。こんな森、俺も初めて見るぞ」
ハルも辺りを見回しながら、小さく頷いた。
「うん……これは間違いなく、何か良くないことが起きてる」
しばらく進むと、地面をゆっくりと流れる泥水が目に入る。
透明な川ではない。
黒く濁った水がどろりと流れ、その周囲だけ地面がさらにぬかるみを増していた。
リムはしゃがみ込んで泥水を見つめると、しばらく考え込んだあと静かに立ち上がる。
「とりあえず、この流れに沿って歩いてみるか。原因に近づけるかもしれない……でもな」
最後の一言だけが妙に歯切れ悪く途切れた。
ハルはその様子に気づき、不思議そうに首を傾げる。
「何か気になることでもあるの?」
リムは泥水から視線を離さないまま、小さく唸った。
「まあ……あるにはあるんだけどな」
その返事は、どこか言うべきか迷っているようにも聞こえた。
コウは肩をすくめるように羽を広げる。
「なんだよ、その言い方。危ねぇことがあるなら、ちゃんと話してくれよ」
真剣な目でリムを見上げる。
「危険が分かってるなら、みんなで気をつければ少しはマシになるだろ」
リムはしばらくハルとコウの顔を交互に見つめ、何かを考え込んでいたが、やがて観念したように長く息を吐いた。
「……俺は、こうなった森を何度か見たことがある」
その声色は、今までとは違って少し重い。
「大抵は、森そのものが魔素の悪い影響を受けている時に、こんな状態になるんだ」
ハルもコウも黙って続きを待つ。
「そういう場所には、運悪く危険度の高い魔物が住み着いてることも珍しくない。さっきまでは調査って感じだったけど、ここから先は、いつ戦闘になってもおかしくないと思って動いた方がいい」
一拍置いてから、苦笑する。
「もちろん、一度戻って装備や作戦を整え直すって選択肢もある」
コウは腕を組みながら頷いた。
「なるほどな……」
そしてハルを見る。
「どうする? 一回戻って仕切り直すか?」
ハルは森の奥を見つめたまま、静かに考えを巡らせる。
「戻るとしても……」
ぽつりと呟く。
「何が起きているのかくらいは確認して帰らないと、何を準備すればいいのか分からないよね」
その言葉を聞いたリムは苦笑しながら肩をすくめた。
「だよなぁ」
小さく頷き、腰の剣へ手を添える。
「少し危険だけど、もう少しだけ探ってみよう。危ないと判断したら、その時は迷わず引き返す」
「了解」
「分かった」
三人はそれぞれ気持ちを切り替え、先ほどまでよりも慎重な足取りで森の奥へ歩き始めた。
その時のハルの頭には、家を出る前にツムギが何度も何度も繰り返していた言葉は、不思議なくらいきれいに抜け落ちていた。
――危ないと思ったら、すぐ帰ること。
――無理だと思ったら、魔導通信機で必ず連絡すること。
異変の正体を知りたいという探究心が、その約束をほんの少しだけ、心の隅へ追いやってしまっていた。
ツムギの物語はしばらくの間不定期更新、ハルの物語は月曜日の23時ごろまでに1話投稿します
同じ世界のお話です
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