POTENハウスへの帰宅
ハルはアークノートを閉じることなく、そのままじっとページを見つめていた。
少しずつ点と点は繋がり始めている。
ラッカーが増えやすい理由も、エキセモアが減っていく理由も見えてきた。草原が湿地のような環境へ変わり始めていることにも気づけた。
だけど――。
(まだ足りない)
心の中で小さく呟く。
(これだけじゃ、まだ全部は繋がらない。昨日、僕たちはきっと何かを見落としてる。原因を探そうとはしていたけど、何を探せばいいのか分からないまま歩き回っていただけだった)
昨日見た景色を思い返す。
ぬかるんだ地面。
甘く苦い匂い。
蔦の多い草原。
湿地を好む魔物。
どれも記録には残した。
でも、その原因までは見ようとしていなかった。
「ねえ」
ハルはゆっくりと顔を上げた。
「やっぱりもう一度、昨日の草原へ行ってみるべきだと思うんだ」
コウとリムが視線を向ける。
「今なら、昨日は見えてなかったものが見える気がする。きっと僕たち、まだ何か大事な原因を見落としてる」
その言葉に、コウも腕を組みながら頷いた。
「確かにな」
昨日の様子を思い返すように目を細める。
「昨日は何を見つけりゃいいのかも分からねぇまま、とにかく周りの状況を片っ端からメモしてただけだったしな」
少し考え込んでから、ハルへ問いかける。
「で、今回は何を調べる? 何か目星はついてるのか?」
ハルは少しだけ考えてから答えた。
「ぬかるみかな」
アークノートに書かれた《地面の湿地化》という文字を指差す。
「草原全体を探すんじゃなくて、まずはぬかるみを追ってみたいんだ。どうしてあそこだけ湿ってるのか、その原因を辿っていけば、きっと何か見えてくる気がする」
リムはその言葉を聞くと、小さく笑みを浮かべた。
「よし、それで決まりだな」
椅子から立ち上がり、大きく伸びをする。
「だったら早速、明日行ってみよう」
ハルも嬉しそうに頷いた。
「うん!」
アークノートを閉じながら立ち上がる。
「じゃあ明日の午後、城下町の門で待ち合わせにしよう。今度こそ、草原の秘密を見つけに行こう!」
その言葉にコウは「決まりだな」と笑い、リムも静かに頷く。
こうして三人は、新しい視点を手にしたまま、翌日の再調査を約束して資料室を後にした。
ギルドの前でリムと別れると、ハルとコウは夕暮れに染まり始めた城下町を歩き、いつもの帰り道をのんびりとPOTENハウスへ向かう。昼間の暑さはまだ石畳に残っていたものの、ときおり吹き抜ける風が心地よく、二人の熱くなった頭を少しずつ冷ましてくれた。
玄関の扉を開けた瞬間、ふわりと漂ってきた爽やかな香りに、ハルのお腹がぐぅ、と小さく鳴る。
「お、帰ったか」
キッチンから顔を覗かせたバルドが、穏やかな笑みを浮かべた。
「今日もお疲れさんじゃ。最近は暑くて体力も奪われるじゃろうと思ってな。今夜は冷やしスパゲッティにしておいたぞ」
食卓には、大皿いっぱいに盛られた色鮮やかな冷製スパゲッティが並んでいる。透き通るような冷たいソースの上には真っ赤なトマトや香草が散りばめられ、ひんやりとした湯気の代わりに、爽やかな香りが部屋いっぱいへ広がっていた。
「おいしー!」
ツムギが嬉しそうに頬を緩めながらフォークを動かす。
「この暑い日にこれは反則だよね……」
ナギも幸せそうに目を細め、一口ごとに何度も頷いている。
「うまっ……うまっ……ごほっ、ごほっ!」
勢いよく頬張ったエドは、美味しさのあまり夢中で食べ過ぎてしまったのか、盛大にむせ返った。
「エド、ちゃんと噛んで食べるんじゃ」
バルドが苦笑しながら冷たい水を差し出すと、エドは涙目になりながら何度も頷く。
「だ、だって……これはおいしすぎるだろ……」
その一言に、食卓はくすりと笑いに包まれた。
ハルも自然といつもの席へ向かい、ツムギの隣の椅子を引いて腰を下ろす。
一方のコウはというと、少し離れた窓際へ歩いていき、そこで待っていたぽてと何やら楽しそうに話し始めている。時折「おいおい、それは違うだろ」などというコウの声が聞こえ、そのたびにぽてがぴょこぴょこと体を揺らしているのが見えた。
そんな賑やかな声が飛び交う中、POTENハウスには今日もまた、誰もが自然と笑顔になれる、温かな夕食の時間が流れていた。
そんな穏やかな時間の中、ツムギがフォークをくるりと回しながら、何気ない調子でハルへ声をかけた。
「そういえばハルくん、今はどんな依頼を受けてるの?」
ハルは口の中のスパゲッティを飲み込むと、「えっとね」と少し照れくさそうに笑いながら話し始める。
「薬草が生えてる草原で、毒草のラッカーが増えすぎちゃって困ってるらしくて、その駆除依頼を受けてるんだ。でも実際に行ってみたら、ただ抜けば終わりって話じゃなくてさ」
そう言いながらアークノートを取り出し、今日まとめた内容をみんなへ見せる。
「調べてみたら、ラッカーは前から少しずつ増え続けてたみたいなんだけど、ここ数か月で急に異常繁殖したらしいんだ。しかも草原なのに湿地帯にいるような魔物がいたり、地面も少しぬかるんでたりして……」
ノートを指でなぞりながら続ける。
「だから、もしかしたらそのぬかるみが原因になってるんじゃないかって話になってね。明日はもう一度現地へ行って、その周りを詳しく調べてみようと思ってるんだ」
話を聞き終えたツムギは、感心したように目を丸くした。
「へぇ……冒険者って、魔物を倒したり素材を集めたりするだけじゃないんだね」
少し嬉しそうに微笑む。
「そうやって原因を調べたり、みんなが困らないように環境まで守ってくれてるんだ。私たちが普段、不自由なく生活できてるのも、ハルくんたち冒険者のおかげなんだね」
向かいで話を聞いていたナギも、何度も頷きながらフォークを置いた。
「本当にそうだよね。私たちは必要な薬が当たり前のように手に入ると思って暮らしてるけど、その裏では誰かがそうやって守ってくれているんだね。ハルに足を向けて寝られないわ」
その言葉にハルは照れたように笑ったが、すぐに思い出したように顔を上げた。
「ねぇ、みんなだったら、『ぬかるみ』とか『植物の異常繁殖』って聞くと、どんな原因を思い浮かべる?」
ツムギは「うーん」と小さく唸りながら、しばらく遠くを見るように考え込んだ。
「前にいた星だとね、地面がぬかるむ原因はいくつかあったかな」
懐かしい記憶を辿るように話し始める。
「例えば木を伐採しすぎて、森が雨水を蓄えられなくなっちゃったり、もともと地面が粘土質で水はけが悪かったり。それから地形がゆるやかに窪んでいて、水が集まりやすくなってたりね」
一度言葉を切ると、今度は植物の話へ移った。
「それに植物って、見た目以上に育てるのが難しいんだよ。土壌が酸性かアルカリ性かで育つ植物が変わったり、同じ花でも土によって色が変わる種類もあるし、栄養が多すぎても逆に育たなかったりするから、結構繊細なんだよね」
聞いていたハルは、首をかしげた。
「酸性……? アルカリ性?」
聞き慣れない言葉に、頭の上へ大きなはてなが浮かんでいる。
そんな様子を見て、ツムギは思わずくすっと笑った。
「ごめんごめん、難しい言い方だったね」
少し身を乗り出して言葉を選び直す。
「要するにね、土の中に入ってる成分が少し違うだけで、植物って意外と簡単に元気がなくなったり、枯れちゃったりするってこと」
ハルは「なるほど……」と小さく頷きながら、頭の中で草原の景色とツムギの話をゆっくり結びつけ始めていた。
ツムギの物語はしばらくの間不定期更新、ハルの物語は月曜日の23時ごろまでに1話投稿します
同じ世界のお話です
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