閑話 準備完了
カイルは一度だけ言葉を選ぶように視線を落とし、それから静かに口を開いた。
「……ご存知かもしれませんが、ハルの母親の目が、ここ最近どんどん悪くなってきていましてね」
カップの縁を指でなぞりながら続ける。
「それを治すのに、ひとつ心当たりがあるんです」
バルドとエリアスは黙って耳を傾けている。
「ロザたちと一緒に、ハルの母親を連れてダンジョンに潜ろうと思っています」
そこでカイルは少し苦い顔をした。
「ただ……そのダンジョン、ハルは入れない場所でして」
言葉を切り、二人の顔を順に見る。
「できるだけ早く戻るつもりではいますが、少し時間がかかりそうなんです」
そして、まっすぐ二人を見た。
「その間、あの子たちが安全に過ごせるよう……ハルとリュカに、少し目をかけてやってもらえないでしょうか」
話を聞き終えたバルドは、すぐに大きくうなずいた。
「そんなもの、お安い御用じゃ」
ひげを揺らしながら、にこりと笑う。
「むしろ、ハルがしばらくこっちにいてくれるなら、ワシは嬉しいくらいじゃて」
その言葉には、職人としてというより、祖父のような温かさが滲んでいた。
エリアスもカップを置き、穏やかに頷く。
「それはもちろんです。できる限りのことはさせていただきます」
そう言ってから、少しだけ考えるように首を傾げた。
「ただ……ハルもリュカくんも、恐らく私たちより強いと思うのですが」
淡い笑みを浮かべる。
「護衛という意味では、少々頼りないかもしれませんね」
その言葉に、カイルは小さく息を吐いた。
「ええ。あの子たちは確かに強い」
ゆっくりと頷く。
「ただ……まだ小さい子供です」
視線を少し遠くへやる。
「ロザたちが言っていましたが、最近は名が売れてきているようで……ちょっかいを出してくる連中もいるらしい」
カイルは再び二人を見る。
「これまではロザたちが守ってくれていましたが、これからは職員ではなくなります」
そして静かに言った。
「だからこそ……一番信用できるPOTENの皆さんに、見守っていただけたらと思いまして」
その言葉に、エリアスとバルドは顔を見合わせた。
そして——
エリアスがふっと微笑む。
「そういうことでしたら、お役に立てそうですね」
カップを指先で軽く回しながら、穏やかな声で続けた。
「私はただの、しがない貴族に過ぎませんが」
そこで、ほんの少しだけ視線を横へ流す。
「エドはヴァルトシュタイン家ですし、バルドさんは元王宮魔導士です」
にこりと笑いながら、ちらりとバルドを見る。
「権力方面からの“抑止”くらいなら、十分に効くと思いますよ」
その言葉に、カイルの動きがぴたりと止まった。
「……エドが、ヴァルトシュタイン?」
思わず聞き返す。
エリアスは肩をすくめた。
「ええ。本人はあまり言いたがりませんけどね」
そのやり取りを横で聞いていたバルドが、のんびりとひげを撫でた。
「わしは元、じゃからのう」
少し苦笑する。
「どこまで役に立てるかは分からんが……」
そう言って、ゆっくりとカイルを見た。
「ハルとリュカのことは、できるだけ面倒を見よう」
そして柔らかく続ける。
「安心して行ってくるのじゃ」
その言葉は、飾り気がない分だけ、重みがあった。
カイルは、ふっと肩の力が抜けたように息を吐く。
そして静かに頭を下げた。
「……ありがとうございます」
顔を上げると、先ほどまでの緊張が少しだけほどけている。
「これで、安心して旅立てそうです」
それを聞いたバルドは、ひげを撫でながらゆっくり頷いた。
「そうか」
そして少しだけ声を低くする。
「ハルのためにも、必ず無事で戻るんじゃぞ」
カイルはまっすぐに頷いた。
「はい。それはもちろん」
力強く言い切る。
「必ず、戻ります」
その後もしばらく、三人は他愛のない話を交わした。
最近のPOTENの仕事のことや、町で起きたちょっとした出来事。
仕事の話とは違う、穏やかな時間だった。
やがて日も傾き始め、カイルは椅子から立ち上がる。
「では、今日はこれで」
そう言って軽く手を挙げると、エリアスもバルドも静かに頷いた。
POTENハウスの扉を開けると、外の空気はすでに夕暮れの色に染まり始めていた。
石畳の通りの向こうで、ゆっくりと太陽が沈みかけている。
カイルは空を見上げ、小さく息を吐いた。
——よし。
これで、やれることはすべてやったな。
準備は整った。
あとは——
ハルに伝えるだけだ。
夕陽が町を赤く染めていく。
その光を背に受けながら、カイルはゆっくりと家路へ向かった。
次回はついに新章が始まります
ツムギの物語はしばらくの間不定期更新、ハルの物語は月曜日の23時ごろまでに1話投稿します
同じ世界のお話です
⚫︎ 僕だけ戦う素材収集冒険記 〜集めた素材で仲間がトンデモ魔道具を作り出す話〜
https://ncode.syosetu.com/N0693KH/
⚫︎ 異世界で手仕事職人はじめました! 〜創術屋ツムギのスローライフ〜
https://ncode.syosetu.com/n3980kc/




