閑話 カイルと商標登録
カイルは家の扉を押し開けながら、小さくつぶやく。
「……あとは、POTENの方々にも頼んどいた方がいいな」
まだ朝の空気はひんやりとしていて、城下町の通りも完全には目覚めていない。遠くで店を開ける音や、行き交う人々の気配がゆっくりと広がり始めている。
カイルは空を見上げ、軽く肩を回した。
今日、ハルは朝早くからコウと一緒に近くの森へ素材を取りに行くと言っていた。最近は素材採集にも慣れてきて、森に入るのもずいぶん板についてきたらしい。
本当はカイルも一緒に行くつもりだった。
だが昨夜、エリアスからハルに連絡が入ったのだ。
どうやらPOTENの商標登録の書類に、カイルの署名が必要らしい。ついでにバルドも同席するから顔を出してくれ、と。
「……きっと、あの魔法陣のことだろうな」
苦笑しながらも、足取りは自然とPOTENハウスの方へ向いていた。
しばらく歩き、見慣れた建物の前に立つと、カイルは軽く扉を叩く。
ほどなくして内側から足音が近づき、扉が静かに開いた。
現れたのはエリアスだった。
「ご足労いただき、ありがとうございます」
相変わらず隙のない微笑みを浮かべながらそう言い、エリアスは体を半歩引いてカイルを中へと招き入れる。
中へ入ると、奥の作業机のあたりからバルドの声が飛んできた。
「おお、カイル。呼び出してしまってすまんのう」
バルドは書類の束を片手に、少し申し訳なさそうに頭をかいた。
「いやー、すでに商品として売り出してしまっておる以上、早く登録しておかねばならんと、エリアスにせっつかれてな……」
その言葉に、エリアスがすぐ横から淡々と口を挟む。
「バルドさん、こういうところを面倒くさがらず、きちんと処理しておかないと、この前のように痛い目を見ますよ」
柔らかい笑顔のままだが、言葉は妙に現実的だ。
バルドは「うっ」と小さく声を漏らし、後頭部をぽりぽりとかいた。
「……確かに、そうじゃったな」
そのやり取りを聞きながら、カイルは少し首を傾げる。
「何かあったんですか?」
するとエリアスが軽く肩をすくめ、事務的な調子で答えた。
「いえ。以前、商標登録を申請しようとした際、すでに同じ名前が登録されていたことがありまして」
そう言って書類を整えながら続ける。
「もっとも、すでに解決済みですのでご安心ください。今回はそのようなことが起きないよう、早めに手続きを済ませておこうというわけです」
相変わらず抜け目のない段取りだった。
エリアスが机の上に広げた書類の束を整え、カイルの前へと差し出す。
どうやら今回の契約書は、以前バルドに助けを求めて一緒に作った——と言っても、実際のところほとんどバルドが作り上げた——守り石の効果を最大限に引き出す魔法陣のものらしい。
あの時の魔法陣を、バルドとツムギがさらに改良したのだという。
効果を瞬間的に強めるのではなく、長く、淡く持続するよう調整されたものだとか。
そして元となった魔法陣をカイルが持ち込んだこともあり、律儀に権利者として名前を入れておきたい——というのが今回の話らしかった。
カイルは椅子に腰を下ろし、書類に目を通す。
そして、サインをしようとして——手が止まった。
契約内容の一行に、目が引っかかったのだ。
「……ん?」
ロイヤリティ。
その配分に、カイルは思わず眉をひそめた。
「……このロイヤリティ、さすがに何かの間違いではないでしょうか?」
顔を上げてそう言うと、エリアスとバルドが「どれどれ」と書類を覗き込む。
エリアスは一通り目を通し、あっさりと頷いた。
「ええ、間違っていませんよ」
にこりと微笑む。
「もし問題がなければ、そのままサインをいただければ」
あまりにも当然の顔だった。
カイルはしばらく書類と二人の顔を見比べ、それからぽつりと呟く。
「……いや、問題だらけだろう」
そしてきっぱりと言った。
「これは私の取り分が多すぎます!」
するとバルドが「何を言っておる」とでも言いたげに腕を組む。
「いやいや、多すぎることはないじゃろう」
ひげを撫でながら続けた。
「元の魔法陣は、お主が持ってきたものではないか。むしろ、もっと権利があっても良いくらいじゃ」
カイルは言葉に詰まる。
「でも……使える形にしたのは、ほとんどバルドさんで……」
もごもごと言葉を濁していると、バルドが軽く手を振った。
「そんなことで迷っておるのなら、はよサインせい」
あまりにもあっさりとした一言だった。
カイルはしばらく書類を見つめ、それから小さくため息をつく。
「……おかしいだろ、これ」
ぼやきながらも、結局ペンを取り、名前を書き込んだ。
その様子を、エリアスがにこにこと満足そうに眺めている。
どうやら最初から、この結末になるとわかっていたらしい。
書類のサインが一通り終わると、バルドが「ほれ、ひと息入れるとするか」と言いながら奥のキッチンへ向かった。
ほどなくして戻ってきた手には、湯気の立つコーヒーと、小さな皿に載ったケーキが乗っている。
机の上にそれらを並べながら、バルドは満足そうにうなずいた。
「仕事の後の甘いもんは、格別じゃからな」
エリアスも慣れた様子でカップを受け取り、静かに椅子へ腰を下ろす。
カイルも勧められるまま椅子に座り、コーヒーをひと口飲んだ。
香ばしい香りが鼻を抜け、思わず小さく息が漏れる。
相変わらず、ここの食べ物も飲み物も、妙にうまい。
ケーキもひと口頬張ると、甘さがほどよく広がり、自然と肩の力が抜けていく。
しばらくの間、三人の間に静かな団欒の時間が流れた。
そしてカイルはカップを机に置き、ひと息つく。
「……実は」
少しだけ声の調子を変える。
「POTENの皆さんに、ひとつお願いがあってですね」
その言葉に、エリアスの手がわずかに止まり、バルドもコーヒーを飲みかけたまま視線を上げた。
ほんの一瞬。
二人の間に、興味を含んだ空気が走る。
次に何が語られるのかを待つように。
ツムギの物語は水曜日と土曜日、ハルの物語は月曜日の23時ごろまでに1話投稿します
同じ世界のお話です
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