閑話 大人の会議
「……だからな。俺は、近々ミナを連れて、あそこに行こうと思ってるんだよ。お前たちも来てくれないか?」
カイルの低い声が、夕刻の光に満ちた室内へ静かに落ちていく。
ここはロザの家。広いリビングの中央には円卓が据えられ、窓から差し込む橙色の光が、集まった面々の影をゆるやかに伸ばしていた。
アオミネは椅子の背に腕を預けたまま視線だけを向け、クロは腕を組んで目を細め、サイルは額に指を当てながら思案するように息を整えている。その誰もが、軽くは受け取っていない空気だった。
やがてロザがゆっくりと顔を上げ、まっすぐにカイルを見つめる。
「……今回は、ちゃんと話してくれるのね」
穏やかな声音の奥に、わずかな棘が混じる。
カイルは小さく肩をすくめながら、
「未来に行くわけじゃねぇからな」
と軽く言ったが、その視線の奥に冗談の色はなく、むしろ覚悟の固さだけがにじんでいた。
ロザは小さく息を吐き、視線を隣に座るミナへ移しながら言った。
「ミナも連れて行って大丈夫なの?」
その声は静かだったが、奥に揺れる不安は隠せていない。
「確かに、あそこに行く資格はあるわ。でも……目があまり見えていないのよ。それにミナは戦闘員というより情報員でしょう? 危険よ。それに……」
言葉を選びながらも、守ろうとする気持ちがにじんでいた。
カイルは椅子に深く腰を掛けたまま視線を落とし、それからゆっくりと顔を上げる。
「ミナの能力は、使わせねぇようにする」
低く言い切ると、わずかに拳を握った。
「みんなには悪いが、ミナは足手まといだ。だがな——」
そこで一瞬言葉を止め、静かに息を吐く。
「あそこが一番可能性があるんだ。どうしても、ミナの目を治してやりたくて……」
強い声音の奥に、焦りにも似た想いがにじむ。
ミナはそんなカイルの横顔を見つめ、少し困ったように微笑んだ。
「私は、このままでもいいのよ」
やわらかな声でそう言い、
「ハルもあなたも、無事に帰ってきてくれた。それだけで十分だもの」
と続ける。
穏やかな笑顔だったが、その奥には遠慮と覚悟が静かに重なっていた。
クロは顎に指を添え、静かに目を細めた。
「……しかしな、ミナ殿は」
わずかに間を置き、視線を伏せる。
「いざという時になれば、己を顧みず力を使う御仁であろう」
低く、断じるような声だった。
「だが、あの場所で探すとなれば……物だけを持ち帰ることは叶わぬでござる」
ゆっくりとカイルへ視線を向ける。
「確かに本人が赴かねば、意味はあるまい」
アオミネは口の端を上げ、椅子を揺らしながら言う。
「なら、無理させねぇように、俺たちが危ない場面に出くわさなきゃいいんだろ。
目は見えてた方がいいだろ、やっぱり」
軽い調子だが、その目はまっすぐだ。
サイルはゆっくりと首を振った。
「そうは言っても……あそこですよ?」
穏やかな声色のまま、現実を示す。
「何があるかわからないですし、何かあってもすぐ戻れませんからねぇ……」
その言葉に、室内の空気がわずかに重くなった。
その時、ロザは静かに椅子を引き、ミナの前へ立った。
そっと顔を覗き込み、真剣な眼差しで問いかける。
「ミナ」
ほんの一瞬、呼吸を整え、
「絶対に、能力は使わないって約束できる?」
ミナは視線を泳がせ、小さく肩をすくめる。
「あ、あら……」
困ったように笑いながら、
「できるだけ、我慢はするわよ?」
ロザはゆっくりと顔を上げ、カイルを見た。
「……ほらね?」
呆れと心配が半分ずつ混じった視線。
カイルは小さく息を吐き、天井を見上げる。
「……やっぱり、ミナはセーフゾーンに置いていくしかねぇか」
そう呟きながらも、迷いは消えない。
「それはそれで……心配なんだがな」
ちらりと見られたミナは、すぐに頬を膨らませる。
「置いてきぼりなんて、いやよー!」
弾む声に、どこか本音が混じる。
「それに、そもそも私が独断でやったことなんだから。みんなをこれ以上巻き込みたくないの」
その言葉に、カイルは眉を寄せた。
「……だがな」
静かに、しかしはっきりと告げる。
「その独断のおかげで、ハルも俺も、きっと無事だった」
その瞬間、部屋の空気が、わずかに揺れた。
サイルが穏やかに口を開き、指先を組みながら淡く微笑んだ。
「それに……きっと私たちも、その恩恵を受けているはずです。これは借りを返すようなものですよ。ミナの心配さえなければ、あそこは実に楽しい場所ですし」
静かな声音には、理と温情の両方があった。
その言葉に、アオミネがにやりと笑う。
「だよな。あそこ、いいよな。面白ぇ。腕が鳴るっていうかさ」
椅子を揺らしながらも、その目はどこか楽しげだ。
それを聞いたクロは小さく目を細め、
「アオミネは、あそこがお気に入りでござる。先日も行きたがっておったであろう」
と淡々と告げる。
「おい、ばらすな」
アオミネが苦笑し、場の空気がわずかに和らぐ。
そんなやり取りを見つめながら、ロザは静かに口を開いた。
「ミナのことは……まだ私たちのそばにいてくれるなら安心よ」
そう前置きしてから、ゆっくりと視線を遠くへやる。
「でもね。私は、ハルとリュカのほうが心配だわ。かなり強いとはいえ、まだ子供よ」
まぶたを伏せ、小さく息を吐く。
「あの子たち……どうにも危なっかしいの。自分から危険に飛び込むというより、気がつけば厄介ごとの中心に立っているというか」
苦笑をにじませながら続ける。
「放っておけば平穏なのに、なぜか大きな流れに巻き込まれていく体質なのよ。強さがあるから余計に周りが頼ってしまうし、だから余計に引き受けてしまう」
小さく首を振り、
「……ああいう子たちは、自分の限界を越える瞬間まで笑ってるの」
と結んだ。
その言葉に、アオミネもサイルもクロも、静かに頷く。
アオミネは腕を組みながら視線を落とし、
「わかるな。手元で面倒みてぇ気持ちは山ほどある。だがな……あそこに入る資格がねぇ」
と低く呟いた。
その空気を断ち切るように、カイルが口を開く。
「だからな」
全員の視線が集まる。
「あの二人には、A級冒険者の試験を受けてもらいたいと思ってる。ギルド職員の推薦があれば試験資格は得られるし、時間稼ぎにもなる。運が良けりゃ、向こうで合流できる可能性もある」
ゆっくりと皆の顔を見回し、
「あいつらに、試験を受ける資格があると思うか?」
と問いかけた。
サイルは迷いなく頷く。
「その手がありましたね。私は大賛成です。贔屓目で見ずとも、あの子たちには十分な資質があります。技術や知識はまだ発展途上ですが、時間さえあればきっと受かるでしょう」
アオミネが椅子を蹴るように立ち上がる。
「じゃあ、俺はリュカを推薦しとくか」
軽い調子だが、その目は真剣だ。
サイルも続ける。
「では、私はハルの推薦を書きましょう」
ロザは少し悔しそうに腕を組み、
「……本当は私が二人を推薦したかったわ。仕方ないわね、今回は譲るわ」
と小さく笑った。
そのやり取りに、カイルとミナは顔を見合わせて苦笑する。
「……すまねぇな」
とカイルが低く言えば、ミナも静かに頭を下げ、
「ありがとう。本当に」
と続けた。
カイルは改めて背筋を伸ばす。
「本当に悪いが……そういう形で進めさせてくれ」
一瞬の静寂。
そして——
誰かが「分かった」と言ったわけでもない。
だが、空気が動いた。
アオミネはすでに予定を組み始め、
サイルは書類の段取りを思い浮かべ、
クロは静かに次の布石を考え、
ロザは最悪の事態を想定し始める。
長年のパーティーらしい、阿吽の呼吸。
夕陽が沈みかける部屋の中で、
それぞれが、それぞれの役目へと自然に動き出していた。
——静かに、しかし確かに、次の一手が打たれたのだった。
ツムギの物語は水曜日と土曜日、ハルの物語は月曜日の23時ごろまでに1話投稿します
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