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第5話 「全自動魔王専門クリーナー!?」

聖剣が振り下ろされた。


「うわあああああっ!」


 レインはリシェルの腕を掴み、横へ飛んだ。


 いや。


 飛んだ、というほど格好のいいものではない。


 ほとんど転んだ。


「痛っ!」


「きゃっ――!」


 二人でもつれるように街道へ倒れ込む。


 そのすぐ横を、金色の光が走った。


 音が遅れてやってくる。


 ーー轟音。


 地面が割れた。


「…………」


 レインは顔を上げた。街道に、数メートル先まで亀裂が走っている。


「……無理!!!!!」


「だから言ったでしょう!」


「こんなの無理だって!」


「だから逃げなさい!」


「逃げて追いつかれたのお前だろ!」


「…………」


「…………」


「それは」


「それは?」


「……そうだけど」


「だろ!?」


 勇者がこちらを向いた。


「来る!」


「分かってる!」


 レインは立ち上がろうとした。


 足が震えている。


 腰が抜けそうだった。


 当たり前だ。


 ゴブリンの錆びた斧ですら怖かった。


 なのに今、目の前にいるのは勇者である。


 しかも死んでいる。


 なのに動いている。


 さらに聖剣を持っている。


 情報を並べれば並べるほど、勝てる要素がなかった。


「レイン」


「なんだよ」


「私を置いて逃げて」


「却下」


「今度はふざけてない!」


「俺もだよ!」


 アルベルトが踏み込む。


 レインの視界に意味が浮かぶ。


 《使命》


 《討伐》


 《完遂》


 そして、聖剣の切っ先がリシェルへ向いた。


「……ん?」


 レインは息を止めた。アルベルトは自分を見ていない?さっき石を投げた。大声も出した。今だって目の前にいる。それなのに...


 勇者の視線は、リシェルから一度も外れていない。


「ちょっと待て」


「何を――」


 レインはリシェルの前に立った。


「レイン!?」


 聖剣が止まった。


「…………」


「…………」


 勇者が止まっている。


 剣を構えたまま。


 レインの心臓が、嫌になるほど大きく鳴った。


「……おい」


 返事はない。レインは右へ一歩動いた。


 アルベルトの視線がリシェルへ戻る。


 聖剣が動く。


「うおっ!」


 慌てて戻る。止まった。


「…………」


 もう一度、右へ。動く。

戻る。止まる。


「…………」


 左へ。動く。

 戻る。止まる。


「何をしているの?」


「実験」


「こんな時に!?」


「こんな時だからだよ!」


 レインはアルベルトを見た。意味は変わらない。


 《使命》


 《討伐》


 《完遂》


 ただ、自分が間に入った瞬間だけ、動作が止まる。


「……こいつ」


 レインは呟いた。


「俺を斬れないんじゃないか?」


「え?」


「俺は魔王じゃない」


「当たり前でしょう」


「こいつの目的は、お前を倒すことだ」


 レインは自分を指差す。


「俺は関係ない」


 リシェルの顔が強張った。


「まさか……」


「分かんねえ。でも」


 レインは勇者を見る。


「少なくとも今は、俺を攻撃しようとしてない」


「だからって!」


「だったら使える!」


「何に!?」


「逃げるのに決まってるだろ!」


 レインはリシェルの前に立ったまま、後ろ手を伸ばした。


「掴まれ」


「何?」


「いいから!」


 リシェルがその手を取る。


「走れる?」


「……少しなら」


「俺より速い?」


「普段なら」


「今は?」


「…………」


「なんで目そらすんだよ」


「うるさいわね!」


「じゃあ走るぞ!」


 レインはアルベルトと向き合ったまま、一歩後ろへ下がった。リシェルも下がる。それでも、アルベルトは動かない。


 もう一歩。動かない。


「いける」


 さらに一歩。


「いけるぞ、これ」


「レイン」


「なんだよ」


「後ろ向きに村まで戻るつもり?」


「…………」


 レインは村までの距離を思い浮かべた。


「無理だな」


「馬鹿!」


「うるせえ!」


 その瞬間、アルベルトが消えた。


「え?」


「レイン!」


 衝撃。


何が起きたのか分からなかった。気づけばレインは地面を転がっていた。


「がっ……!」


 息ができない。


 胸が痛い。


 斬られた?


 違う。


 勇者は。


 レインを斬らなかった。


 ただ――押し退けただけだ。


「レイン!」


 リシェルの声。慌てて顔を上げると、アルベルトはすでにリシェルの前にいた。


「くそっ!」


 レインは立ち上がる。


 間に合わない。


 聖剣が振り上げられる。


「やめろ!」


 意味が溢れた。


 《使命》


 《討伐》


 《完遂》


 その奥。


 《やめろ》


 《逃げろ》


 《俺を――》


「だったら止まれよ!」


 レインは叫んだ。


「お前も嫌なんだろ!」


 聖剣が――止まった。


「…………え?」


 確かに止まった。


 アルベルトの腕がぶるぶる震えている。


 金色の光の中で。


 青い糸が、初めて大きく揺れた。


 《俺を――》


 《止めろ》


「……聞こえてんのか?」


 アルベルトの瞳が動き、わずかに、レインを見た。


「アルベルト?」


 リシェルの声が震える。


 勇者の唇が動いた。


「に……げ……」


 金色の光が爆発した。


「うわっ!」


 レインは腕で顔を覆う。


 アルベルトの身体が大きく痙攣した。右腕が聖剣を振り下ろそうとする。左腕が、その右腕を掴んだ。


「…………!」


 リシェルが息を呑む。


「アル……ベルト……?」


 ぎり、と。勇者の歯が鳴った。


「に……げろ……」


 今度は、はっきり聞こえた。

レインとリシェルは顔を見合わせる。


「逃げるぞ!」


「ええ!」


 リシェルが走り出そうとして、ふらつく。


「おい!」


「平気!」


「どこがだよ!」


 レインは彼女の腕を肩へ回した。


「重いとか言ったら殺すわよ」


「この状況でそこ気にすんの!?」


「言ったら殺す」


「言わねえよ!」


 二人は走った。背後から、金属が軋むような音が聞こえる。

振り返らない。

振り返ったら終わる。


 そう思った。


 それでも、レインは一度だけ振り返った。


 勇者アルベルトは。


 まだそこにいた。自分自身の右腕を、左腕で押さえ込んでいる。金色と青色。二つの意味が、身体の中で絡み合っていた。


 《討伐》


 《止めろ》


 《完遂》


 《逃げろ》


 《使命》


 《守れ》


 まるで、一つの身体の中で、二人が戦っているようだ。


「……アルベルト」


 隣でリシェルが呟いた。


 その声の響きで、レインは初めて気づいた。


 魔王は、リシェルは泣いていた。


     ◇


 どれくらい走ったのか。分からない。村の灯りが見え始めた頃、リシェルの足が止まった。


「……待って」


「何だよ。もうちょいだぞ」


「違う」


 リシェルが振り返る。レインも見る。街道には誰もいない。アルベルトは追ってきていなかった。


「止まった……?」


「みたいだな」


 レインはその場に座り込んだ。


「もう無理……」


 肺が痛い、足も痛い。ついでに、さっき突き飛ばされた胸はめちゃ痛い。


「勇者って、あんな速いの?」


「速いわよ」


「先に言えよ……」


「何度も逃げろって言ったでしょう」


「そうでした」


 リシェルも隣へ座り込む。しばらく、二人とも何も言わなかった。


「……ねえ」


「ん?」


「どうして?」


「何が?」


「どうして、戻ってきたの」


 レインは首を傾げた。


「だから、病人が勝手に――」


「そうじゃない」


 リシェルがこちらを見ていた。


「あなたは逃げられた」


「…………」


「アルベルトはあなたを狙っていなかった。私を置いていけば、それで終わった」


 レインは少し考えた。確かにそうだ。


 自分でも不思議だった。怖かったし、今だって手が震えている。


 死ぬかと思った。それでもーー


「……見えちまったからかな」


「何が?」


「お前の《助けて》」


 リシェルが目を見開く。


「見えてなかったら、知らんぷりできたかもしれない」


 レインは膝を抱えた。


「でも知っちゃっただろ」


 魔王だから、人類の敵だから、危険だから。


 そんなことは、もちろん分かっている。


 それでもーー


「あんなの見たあとで置いてったら、寝覚め悪いじゃん」


「…………」


「だから、それだけ」


 リシェルは何も言わなかった。レインもそれ以上は言わない。やがて、リシェルが、小さく笑った。


「変な人」


「魔王に言われたくねえ」


「私の何が変なのよ」


「全部」


「殺すわよ」


「瀕死のくせに」


「治ったら最初に殺す」


「恩人だぞ俺」


「今、取り消したくなったわ」


 レインも笑った。ほんの少しだけ、怖さが消えた。


 そのとき、再び森の向こうで、金色の光が空へ伸びた。

二人の笑顔が消える。


「……おい」


「ええ」


 地面が震えた。

一度。

二度。


 そして、レインの視界を、今まで見たことのないほど巨大な意味が横切った。


 それはアルベルトではなかった。


 もっと遠く、もっと大きな何か。


 ほんの一瞬だけ、世界そのものに刻まれた文字のように。


 《修正》


 レインは立ち上がった。


「……なんだ、今の」


 リシェルには見えていない。


「レイン?」


 答えられなかった。


 ただ、嫌な予感だけがした。勇者が止まった、だから終わった、のではない。


 むしろ。


 止まってしまったから、何かが始まった。

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