第4話 「拾い物には名前が無いとね!?」
勇者の身体が、魔王を殺そうとしている。自分で口にしておいて、レインは思った。
「……意味分かんねえな」
「あなたが言ったのよ」
「分かってるよ」
窓の外では、森から飛び立った鳥たちが夕暮れの空を横切っていた。さっき見えたものを思い返す。
《使命》
《討伐》
《完遂》
どれも、これまで見てきた意味とは少し違った。ゴブリンの《飢餓》には腹の減った切実さがあった。《恐怖》には震えるような感情があった。
けれど、あの三つには何もなかった。
ただ、そうする。決められたことを、決められた通りに行う。そんな冷たさだけがあった。
なのに、その奥には。
《やめろ》
《守れ》
まるで別人のような意味が残っていた。
「なあ。アルベルトって、どんな奴だった?」
少女が目を瞬いた。
「……どうして?」
「だって、変だろ」
レインは椅子の背にもたれた。
「本人がやろうとしてることと、身体がやろうとしてることが違うならさ。どっちがアルベルトなのか、俺には分かんねえ」
「意味が見えるのでしょう?」
「見えるだけだよ。答えまで書いてあるわけじゃない」
「…………」
「呆れた顔すんな」
「してないわ」
「した」
「してない」
「したって」
「してないわよ」
「……このやり取り、さっきもやったな」
二人とも黙った。どうやら相性が悪い、あるいは、妙にいい...のか?
「アルベルトは……」
少女が視線を落とした。
「嫌な男だったわ」
「おお」
「人の話を聞かない。融通が利かない。何を言っても『魔王の言葉など信じられるか』。会うたびに剣を抜くし」
「普通じゃね?」
「どこがよ」
「魔王に会って『こんにちは』ってなる勇者の方が怖いだろ」
「…………」
少女は不満そうだった。
「それで?」
「強かった」
「それは知ってる」
「とても」
その一言だけ、声の調子が違った。
「私が会った人間の中で、間違いなく一番強かった。馬鹿みたいに真っ直ぐで……何度倒しても立ち上がった」
「何度も戦ってたのか?」
「ええ」
「じゃあ宿敵ってやつか」
「……そうね」
少女はそう答えた。その横顔に、一瞬だけ細い糸が浮かぶ。
《喪失》
レインは何も言わなかった。見えたからといって、何でも聞いていいわけではない。たぶん、そういうものだ。
「少なくとも」
少女が続けた。
「死んだあとまで私を追いかけるような男ではないわ」
「そこ?」
「そこよ」
「勇者だぞ?」
「勇者だって死んだら休むでしょう!」
「俺に聞くなよ!」
勇者の死後について、村人のレインに聞かれても困る。
そのとき、にわかに診療所の外が騒がしくなった。何人かが走る足音に続いて、迫ってきた男たちの声。やがて廊下を近づいてきた足音が、部屋の前で止まった。
「レイン!」
扉が勢いよく開く。
「うおっ!」
昼間、森から戻ってきた猟師の一人だった。
「いたか! 村長が呼んでる!」
「俺?」
「ああ。お前、今日森にいたんだろ?」
レインと少女の目が合う。
「……いたけど」
「なら来い。森がおかしい」
「どんなふうに?」
「鳥だけじゃない。鹿も兎も、森から出てきてる。さっきなんか猪の群れまで街道を横切った」
レインの顔から笑いが消えた。昼間と同じだ。逃げている。今度は魔物だけではない。
「村長たちが森の入口を見に行くって話してる。お前にも聞きたいことがあるそうだ」
「分かった」
レインが立ち上がる。
「待って」
少女が腕を掴んだ。
「行かないで」
「村長に呼ばれてんだよ」
「森へは行かないで」
「行かねえよ」
「絶対?」
「……たぶん」
「絶対」
「はい」
なぜ魔王に怒られているんだろう。レインは扉へ向かい――ふと止まった。
「あ」
「何?」
「お前、名前は?」
少女が瞬きをした。
「名前?」
「ああ」
「……今?」
「今」
「なぜ?」
「だって困るだろ」
レインは声を潜めた。
「村の奴に『その子、誰だ?』って聞かれて、『魔王です』って紹介するわけにいかねえし」
「……確かに」
「で?」
少女は少しだけ迷った。
「リシェル」
「リシェル」
レインは一度、口に出してみる。
「……なんか魔王っぽくないな」
「魔王っぽい名前って何よ」
「デスなんとか...ヘルなんとか...とか」
「あなた、魔王を何だと思ってるの?」
「魔王」
「…………」
「じゃあ、リシェルで」
「最初からそう言ってるでしょう」
レインは扉を開ける。
「寝てろよ、リシェル」
返事がなかった。振り返る。リシェルが、妙な顔をしていた。
「何?」
「……別に」
「そう?」
「早く行きなさい」
「へいへい」
扉が閉まる。
一人になったリシェルは、しばらく扉を見つめていた。
「……リシェル」
小さく、自分の名前を口にする、魔王ではなく。
そう呼ばれたのは、ずいぶん久しぶりだった。
◇
村の中央には、すでに三十人ほどが集まっていた。普段なら夕食の支度を始める時間だ。けれど今日は、誰も家へ戻ろうとしていない。
「来たか、レイン」
村長が手招きする。周りには猟師たちがいた。
「森で何を見た?」
「何って……」
「全部だ。朝から順番に話せ」
レインは困った。全部は無理だ。ゴブリンに負けました。パンをあげました。森から魔物が逃げていました。
遠くから魔王の《助けて》が見えました。
その魔王を拾って、今は診療所で寝かせてあります。
――最後の二つは絶対に言えない。
「ゴブリンがいた」
「襲われたのか?」
「まあ」
「怪我は?」
「尻が痛い」
「尻?」
「そこはいいだろ!」
何人かが笑った。
レインは咳払いする。
「そのあとだよ。ゴブリンが森を怖がってた。そしたらオークとか、オーガとか、グリフォンとか……とにかく色んな魔物が出てきた」
「襲われなかったのか?」
「ああ。俺なんか見てもなかった。みんな逃げてた」
ざわめきが広がる。
「どっちへ?」
「森の外。とにかく森から離れる方へ」
猟師の一人が腕を組んだ。
「今日の奴らと同じだ」
「ああ」
別の男が頷く。
「猪も鹿も、人間を怖がる余裕すらなかった」
村長が森を見る。
「やはり一度、様子を――」
「やめた方がいい」
思ったより強い声が出た。全員がレインを見る。
「……なんでだ?」
「だって、おかしいだろ」
レインは森を指した。
「オークだって強い。グリフォンなんて俺らじゃどうにもならない。そいつらが逃げて、鹿も猪も逃げてる」
そこで一度言葉を切る。
「そんな場所に、俺らがわざわざ入ってどうすんだよ」
「…………」
誰も答えなかった。言ってからレイン自身も思った。今日初めて、自分がまともなことを言った気がする。
「レインの言う通りだ」
年長の猟師が頷いた。
「夜に入る理由はない。見張りを立てよう。何か出てきたら鐘を鳴らす」
「……そうだな」
村長も頷く。
「森には近づくな。今夜は家畜もできるだけ中へ入れろ。子どもは外へ出すな」
話がまとまり、人々が散り始める。レインも診療所へ戻ろうとした。だがーーー
「……ん?」
森の方角。木々の隙間に、何かが見えた。意味ではない、それは誰にでも見える光だった。
「なんだ、あれ」
遠い。ほんの一瞬。木々の奥で、淡い金色が瞬いた。消える。しばらくして、また光る。
さっきより。
ーーー近い。
レインの喉が鳴った。見間違いかもしれない。夕日かもしれない。誰かの松明かもしれない。
けれど、あの色を、今日すでに見ている。
リシェルの胸に残った傷。そして、森の向こうから流れてきた意味。
《使命》
《討伐》
《完遂》
「……まずい」
レインは走り出した。
「おい、レイン!」
呼び止める声を無視し、診療所まで全力で駆けた。
扉を開ける。
「ガルド!」
「うるさい!」
奥から怒鳴り声が返ってきた。
「病人がいるんだぞ!」
「その病人!」
「は?」
「いる!?」
「何を言って――」
返事を待たず、レインは部屋へ飛び込んだ。
「リシェル!」
ベッドは、空だった。
「…………は?」
窓が開いている。
夕暮れの風がカーテンを揺らしていた。床には、包帯に滲んだ血が数滴。
「……あの馬鹿」
レインは窓へ駆け寄った。外を見るが、誰もいない。
「寝てろっつっただろ!!」
◇
リシェルは、一人で歩いていた。
一歩。
また一歩。
歩くたびに胸の傷が熱を持つ。
息をするだけでも痛い。
それでも足を止めなかった。
村から離れなければならない。
アルベルト――いや。
アルベルトの身体が追っているのは、自分だ。
なら。
自分がここから消えればいい。
レインも。
医者も。
あの村の人間も。
関係ない。
巻き込む理由など、どこにもない。
「……馬鹿ね」
誰に言ったのか、自分でも分からない。
自分にか。
あの少年にか。
名前を聞かれたくらいで。
名前を呼ばれたくらいで。
ほんの少し。
あそこにいてもいいのかもしれないと、思ってしまった。
「……馬鹿」
村の灯りが遠ざかっていく。
森から離れるため、街道を選んだ。
これなら少なくとも村から引き離せる。
そう思っていた。
だから。
前方に金色の光が灯ったとき。
リシェルは、それが何なのか理解できなかった。
「…………え?」
足が止まる。
森とは反対側。
自分が逃げてきた先。
夕闇の街道に、一人の男が立っている。
傷だらけの鎧。
ぼろぼろの外套。
右手に握られた、淡い金色を放つ剣。
見間違えるはずがない。
「……アルベルト」
返事はない。
勇者は、ただそこに立っていた。
「どうして……」
早すぎる。
距離が合わない。
自分は森から離れる方向へ来た。
追ってきたのなら、背後から来るはずだ。
なのに、アルベルトは前にいる。
「あなた……どうやって……」
答えはなかった。
勇者の右腕が上がる。
聖剣の光が強くなる。
アルベルトの口が開いた。
「――魔王」
その声を聞いた瞬間。
リシェルは確信した。
違う、声はアルベルトだ。
顔も、身体も、剣も、けれど。
これは、あの男ではない。
「討伐を――」
聖剣が輝く。
「――完遂する」
リシェルは動けなかった。
逃げなければ。
頭では分かっている。
けれど身体が言うことを聞かない。
傷ついた今の自分では、受ければ終わる。
聖剣が振り上げられる。
そのときだった。
「おおおおおおおおおおおっ!!」
横から何かが飛んできた。
石だった。
勇者の顔面を狙った、ごく普通の石。
聖剣を振るうまでもない。
金色の光に触れた瞬間、粉々になった。
「…………」
「…………」
勇者と魔王が、同時に石の飛んできた方向を見る。
街道の向こう。
膝に手をつき。
肩で息をし。
今にも吐きそうな顔をした少年が立っていた。
「ぜぇ……ぜぇ……」
「レイン!?」
「おま……っ……」
レインは一度、息を吸った。
「歩くの……速すぎ……」
「どうして来たの!?」
「どうしてじゃ……ねえよ……!」
どうにか身体を起こす。
「病人が勝手にいなくなったら探すだろ!」
「逃げて!」
「それ今日何回目だよ!」
レインが前を見る。
初めて。
勇者アルベルトを、その目で見た。
人類最強。
英雄。
子どもの頃から何度も名前を聞いた男。
物語の中では、いつだって人々を救う側にいた。
その勇者が今。
魔王を庇う自分の前で、聖剣を構えている。
レインの口から出たのは。
「…………怖っ」
だった。
「だから逃げてと言ってるでしょう!」
「無理無理無理! あれ絶対無理! 俺、ゴブリンにも負けるんだぞ!」
「じゃあなぜ来たのよ!」
「お前が勝手に出てくからだろ!」
「馬鹿なの!?」
「うるせえ!」
勇者が一歩踏み出した。
二人とも黙った。
「…………」
「…………」
レインは小声で言った。
「なあ」
「何?」
「話し合いとか」
「無理」
「ですよね」
聖剣が持ち上がる。
同時に。
レインの視界へ金色の糸が溢れた。
《使命》
《討伐》
《完遂》
やはり同じだ。冷たい。揺れない。
まるで最初から答えが決まっているみたいに。
だが、その奥に...青い糸があった。
さっきよりも、はっきりと。
《逃げろ》
「……え?」
レインは勇者を見る。アルベルトの顔は動かない。
それでも意味は続く。
《近づくな》
そして、もう一つ、細く。
今にも消えそうな意味が浮かぶ。
《俺を――》
途切れた。
「……なんだよ、それ」
レインの背筋を冷たいものが走った。目の前の勇者は、リシェルを殺そうとしている。なのに、その奥に残っている何かは、自分たちを逃がそうとしている?
聖剣が振り上げられた。
レインはようやく理解した。
目の前にいるものは、間違いなく敵だ。
けれど。
勇者アルベルトまで、敵になったわけじゃない。




