第29話「魔王が来るぞ、気をつけろ!?」
翌朝。
「今日は十件までだからな」
宿を出る前にそう言うと、リシェルは露骨に不満そうな顔をした。
「昨日は二十三件やったでしょう」
「あれがおかしいんだよ」
「まだ依頼は残っているわ」
「だからって全部やる必要ないだろ。昨日二十三件だぞ」
「今日も同じくらいなら――」
「やらねえよ。休むって決めただろ」
先回りすると、リシェルが口を閉じた。どうやら当たりだったらしい。
「……困っている人がいるのに」
「だから十件はやるって言ってるだろ」
「二十三件できたのに?」
「なんで昨日の記録が基準になってんだよ」
このままだと、そのうち一日の依頼数を競い始めそうだ。何と戦っているのかは知らないけど、少なくとも俺は参加したくない。
昨日、勇者アルベルトの死が公表された。
そのせいで街がどうなるのか少し気になっていたけれど、宿を出てみれば、グランツの朝は思ったより普通だった。店は開いているし、荷車は行き交っている。パン屋からは焼きたての匂いが漂い、道端では昨日と同じように商人たちが声を張り上げていた。
ただ、兵士の数は少し増えている。
門の方へ向かっていく一団を見送りながら、リシェルが言った。
「警戒しているのね」
「そりゃ魔王がどこにいるか分からないらしいからな」
「そう」
「気をつけろよ」
リシェルが俺を見る。
「何に?」
「魔王」
「殴るわよ」
「なんでだよ。みんなも気をつけろって言ってたじゃん」
「あなたは面白がっているだけでしょう」
ばれた。
そのまま冒険者ギルドへ入ると、中はいつもより人が多かった。掲示板の前には冒険者が集まり、受付でも何人かが説明を受けている。
俺たちもいつもの受付へ向かったけれど、依頼を選ぶ前に受付嬢から呼び止められた。
「レインさん、リシェルさん。お二人は、しばらく街の外へ出る依頼を受けないでください」
「え?」
「昨日の発表を受けて、周辺地域の警戒態勢が引き上げられました。森や街道に出る依頼については、当面、一定以上のランクの冒険者か、複数人での受注が推奨されています」
なるほど。
俺は横を見る。
「だってさ」
「何よ」
「魔王がいるかもしれないから、街の外に出ちゃ駄目だって」
「分かってるわよ!」
受付嬢が不思議そうな顔をした。
「……何か?」
「何でもないです」
危ない。朝から自分で正体をばらすところだった。
「街中の依頼なら問題ありません。それと……」
受付嬢が机の下に手を伸ばした。
その動きを見た瞬間、嫌な予感がした。
「本日、お二人への指名依頼はこちらです」
どさっ、と束が置かれる。
「減ってねえ!」
「増えてるわね」
「嬉しそうに言うな!」
昨日あれだけ片づけたはずなのに、どうして昨日より増えているんだ。
「昨日のお仕事を聞いた方から、朝からいくつか追加で入りまして」
「もう広まってるんですか?」
「ええ。最近は『あの二人に頼みたい』という方も増えてますよ」
受付嬢はにこやかに言ったが、俺としては素直に喜んでいいのか分からない。
「Fランクって、こんなに指名されるもんなんですか?」
「普通はあまりありませんね」
「ですよね」
「よかったじゃない」
「お前が二十三件やったせいだよ!」
「あなたもやったでしょう」
それはそうなんだけど。
結局、俺たちは束の中から十件を選んだ。
壊れた棚の修理、倉庫の整理、食料品の配達、井戸の滑車の点検、家具の移動。
見事なくらい、魔王討伐とは関係のない仕事ばかりだった。
◇
「リシェルちゃん、今日は街の外へ行くんじゃないよ」
三件目の依頼先で、八百屋のおばちゃんに言われた。
「行かないわ」
「本当かい? 魔王がまだ生きてるんだろ。あんた、力があるからって無茶するんじゃないよ」
「しないわよ」
「危ないと思ったら、ちゃんと逃げるんだよ」
「……ええ」
次の依頼先でも似たようなことを言われた。
「リシェルちゃん、魔王に会っても戦おうとするんじゃないぞ」
「どうして私が戦う前提なの?」
「だってお前さん、力あるだろ。力のある奴ほど無茶するからな」
「しないと言っているでしょう」
その次では、家具を運び終えたところで依頼主のおっちゃんが俺の肩を叩いた。
「何でも屋の兄ちゃんも、ちゃんとリシェルちゃんを止めるんだぞ」
「だから何でも屋じゃ――」
「分かりました」
「レイン!」
四件目を終える頃には、リシェルの眉間にしっかり皺が寄っていた。
それでも仕事は早かった。昨日一日でだいぶ勝手が分かってきたらしく、俺が棚や家具の状態を見て何をするか決めると、リシェルは必要な物だけを運ぶようになっている。
最初の頃みたいに、頼んでもいない棚まで持っていこうとすることも減った。
減っただけで、なくなってはいないけど。
「……変だわ」
次の依頼先へ向かう途中、リシェルが唐突に言った。
「何が?」
「どうして私が心配されるの?」
「心配だからだろ」
「だから、それがおかしいと言っているのよ。私の方が強いでしょう」
リシェルは俺が抱えていた工具箱をひょいと奪うと、自分の荷物の上に重ねた。
「少なくとも、さっきの人たちよりはずっと強いわ」
「それはそうだろうけど」
「なら、私があの人たちを心配する方が自然でしょう。強い者が弱い者を守る。逆にする理由がないわ」
当たり前のことを言っているような顔だった。
「でも、おっちゃんたちがお前より強いと思って心配してるわけじゃないだろ」
「なら、なおさら分からないわ」
「そういうもんなんじゃない?」
「説明になっていないわ」
「俺だって知らねえよ」
リシェルが呆れたように俺を見る。
「あなた、本当に何も考えずに生きているのね」
「失礼だな!」
「では、あなたは私を心配しているの?」
「そりゃするだろ」
「私の方が強いのに?」
「うん」
リシェルは少し考えたものの、納得できなかったらしい。
「……やっぱり分からないわ」
「じゃあ俺、お前の心配しなくていい?」
「それは駄目よ」
「なんでだよ!」
また少し考えてから、リシェルは真顔で答えた。
「……あなたは弱いから」
「俺の話じゃねえ!」
◇
七件目は、商店の裏に積まれた荷物の整理だった。
木箱を倉庫へ運び、古くなった棚を直す。俺が棚の脚を確認している間に、リシェルは木箱を次々と運んでいった。
いつもの仕事だ。
「そっちの三つ、奥の壁際だって」
「分かったわ」
「あ、その上の箱は別。中身が割れ物だから――」
「これ?」
「それ。ちゃんと書いてあるだろ」
「字が小さいのよ」
「箱のせいにするなよ」
昨日なら片っ端から運んでいたリシェルも、今日は一応確認するようになっている。こういうのを成長と言っていいのかは分からないけど、少なくとも仕事はかなりやりやすくなった。
棚の留め具を締め直そうとしゃがんだとき、背後で木の擦れる音がした。
振り返ると、荷車から降ろしていた木箱の山が傾いている。
「危ない!」
誰かが叫んだ。
木箱が滑り始めた瞬間、リシェルが手を伸ばす。その腕を、すぐそばにいた店主のおっちゃんが反射的につかんだ。
「リシェルちゃん、危ない! 下がれ!」
「……何をしているの?」
「何って、崩れるぞ!」
「だから止めるのよ」
「無茶するな!」
言っている間にも上の木箱が滑り落ちたが、リシェルはおっちゃんの手をそっと外して一歩前へ出ると、崩れてきた木箱を両手で受け止めた。
どん、と鈍い音が響く。
「ほら」
おっちゃんが口を開けたまま固まった。
「言ったでしょう。止められるわ」
「いや……お前、本当にすげえな……」
「知っているわ」
「そこは謙遜しろよ」
俺が言うと、リシェルは木箱を抱えたままこっちを睨んだ。
「事実でしょう」
「そうだけどさ」
それから荷物を積み直し、崩れた原因だった留め具も直した。仕事そのものは、それで終わった。
帰ろうとしたところで、おっちゃんがリシェルを呼び止める。
「悪かったな」
「何が?」
「腕引っ張っただろ」
「別に構わないわ」
「いや、あれだけ力があるなら、俺が出る必要なかったな」
「そうね」
「お前なあ」
俺が横から口を挟むと、おっちゃんが笑った。
「まあ、でもよ。危ねえと思ったら身体が動いちまったんだ。勘弁してくれ」
リシェルが黙った。
おっちゃんはそれ以上気にする様子もなく、「助かったよ」と手を振って店の中へ戻っていった。
俺が工具を片づけていると、リシェルは店の奥を見たまま動かなかった。
「……あの人、私より弱いわよね」
「たぶん」
「なのに、私を庇おうとしたの?」
「そうみたいだな」
「怪我をするかもしれないのに?」
「そうみたいだな」
リシェルはしばらく店の奥を見つめていた。さっきまでなら「意味が分からない」で終わっていたはずなのに、今度は何かを考えているらしい。
「意味が分からないわ」
結局そこに戻るのかよ。
「聞いてくれば?」
「何を?」
「なんで助けようとしたんですか、って」
「さっき言っていたでしょう。身体が動いたって」
「じゃあ分かってるじゃん」
「そういう意味じゃないのよ」
少し苛立ったように言うと、リシェルは先に歩き出した。
「次はどこ?」
「切り替え早いな。えーっと……井戸の滑車」
「行くわよ」
「はいはい」
俺も工具箱を持って、その後を追った。
◇
十件目を終えてギルドへ戻った頃には、日が傾き始めていた。
「終わったー……」
受付前の椅子に座り込みたい気分だったが、隣のリシェルはまだ元気そうだった。
「まだできるわ」
「やらない」
「あと三件くらいなら」
「やらない」
「二件」
「値切るな」
受付嬢が笑いを堪えながら、俺たちの完了報告を確認していく。
「十件、すべて完了ですね。依頼主からの確認も届いています」
「よし。今日はこれで終わり」
「まだ日が――」
「終わり」
念を押すと、リシェルは不満そうに口を閉じた。
受付嬢は報酬を数えながら、何枚かの依頼票を見比べている。
「それにしても、本当に早いですね。修理に運搬、点検、配達……内容が全部違うのに」
「俺が見て、こいつが持ち上げれば大体なんとかなるんで」
「その言い方だと、私が荷物を運んでいるだけみたいでしょう」
「だいたい合ってるだろ」
「直した棚を運んだのは誰?」
「俺が直した棚な」
「運ばなければ使えないわ」
「直さなきゃ運ぶ意味ないだろ」
「はいはい、お二人とも」
受付嬢に止められた。
なんで俺たちが止められてるんだ。
受付嬢は苦笑しながら報酬を袋に入れ、それを俺へ渡したところで、ふと思い出したように顔を上げた。
「あ、そうでした。お二人、少しお時間よろしいですか?」
「十一件目なら明日にしてください」
「依頼ではありません」
「じゃあ何です?」
「ギルドマスターがお呼びです」
俺とリシェルは顔を見合わせた。
「……俺たち、何かした?」
「二十三件やったわ」
「それ昨日だよ」
受付嬢に案内され、ギルドの奥へ向かう。
もう何度か入ったギルドマスターの部屋だ。最初に呼ばれたときは何を言われるのかと緊張したものだけど、最近は妙な呼び出しにも少し慣れてきた気がする。
それがいいことなのかは分からない。
扉を開けると、ギルドマスターは机の上の書類から顔を上げた。
「来たか、スーパーF」
「その呼び方やめてもらえません?」
「街じゃ何でも屋らしいな」
「もっとやめてください」
ギルドマスターは楽しそうに笑いながら、一枚の紙をこちらへ滑らせた。
「安心しろ。今日はお前らの依頼処理数について説教するために呼んだんじゃない」
「じゃあ何です?」
「お前たちに、調査協力の依頼が来ている」
「調査?」
机の上の紙を見る。
いつもの依頼票とは違った。荷物の届け先も、壊れた物の名前も書かれていないし、冒険者向けの依頼というより、何かの確認書類に近い。
「誰から?」
「セレス調和教会だ」
隣で、リシェルがわずかに動いた。
俺も紙へ目を戻す。
そこには、こう書かれていた。
――勇者アルベルト死亡時及び、その前後の状況確認について。
「……これ」
「心当たりがあるのか?」
昨日、掲示板の前で感じた引っかかりが戻ってきた。
マリエラさんは、報告すると言っていた。
あの人が報告していないとは思えない。それなのに王国と教会から出された文書には、アルベルトが死んだ後に起きたことも、俺が見た《修正》のことも書かれていなかった。
依頼書には、当時の状況について確認を求める項目がいくつか並んでいる。
アルベルトが死亡した時刻。
その前後の状況。
魔王との戦闘について。
そして、その中に一つだけ、見覚えのある言葉があった。
《接続》
俺は隣を見る。
リシェルも、俺を見ていた。
「……ある」
どうやら、昨日の話はまだ終わっていなかったらしい。




