第28話 勇者アルベルト、死亡
翌朝、宿を出ると、昨日とは街の様子が違っていた。
「……何かあったのか?」
昨日なら、この時間には市場へ向かう人や荷車で大通りが埋まり、店先から威勢のいい声が飛び交っていた。それが今日は、道を歩く人の多くが同じ方向へ向かっている。
中央広場だ。
「行ってみる?」
「そうだな」
仕事へ向かうには少し遠回りになるが、このまま通り過ぎるのも気になる。俺たちは人の流れに混じって広場へ向かった。
近づくにつれて、人の声が増えていく。
「本当なのか?」
「王都からの正式な知らせだってよ」
「でも、勇者様だぞ?」
「だから騒ぎになってるんだろ」
聞こえてくる言葉に、嫌なものを感じた。
隣を見ると、リシェルもさっきまでとは違う顔をしている。
広場には大勢の人が集まり、掲示板の前には人垣ができていた。その前で、役人らしい男が一枚の文書を読み上げている。
「――アルセリア王国並びにセレス調和教会より、国民に告知する」
ざわついていた広場が静かになった。
「勇者アルベルト一行は、魔王討伐の任を受け、エルネ大森林へ進軍。同地において魔王と交戦した」
隣で、リシェルが息を吐いた。
俺は黙って続きを待つ。
「激しい戦闘の末、勇者アルベルトは――死亡した」
広場から音が消えた。
ほんの一瞬だった。
「……嘘だろ」
「勇者様が?」
「死んだって……」
そこから一気に声が広がっていく。
俺は何も言えなかった。
アルベルトが死んだことなら知っている。
俺たちの目の前で死んだ。
だから、今さら驚くようなことじゃない。
それなのに、大勢の人間がその死を知った瞬間を目の前で見ると、あの森で起きたことが急に別のものになったような気がした。
役人はざわめきが収まるのを待ってから、再び文書へ目を落とした。
「現在、魔王の死亡は確認されていない。王国は魔王が生存しているものと判断し、所在の確認を急いでいる。各領においては、不審な魔力反応、魔族の大規模な移動その他異変を確認した場合、速やかに――」
その先は、人々の声にかき消され始めた。
「魔王は生きてるのか?」
「勇者を殺した奴が?」
「こっちには来ないだろうな……」
「グランツには城壁がある。大丈夫だろ」
「勇者でも勝てなかったんだぞ」
俺は隣を見た。
リシェルは黙ったまま掲示板を見ている。
誰も彼女を見ていない。
当然だ。
昨日まで街中を走り回って荷物を運び、棚を直し、迷子の猫を探していたFランク冒険者が、その魔王だなんて誰も思わない。
人垣が少し動いた。
掲示板が見える。
俺は前へ出て、貼り出された文書を最初から読んだ。
勇者アルベルトが魔王と交戦したこと。
その戦いで死亡したこと。
魔王は生存していると判断されていること。
現在、所在不明であること。
最後まで読み、それからもう一度、最初へ戻った。
「……ない」
「何が?」
隣まで来たリシェルに聞かれ、俺は文書から目を離さず答えた。
「《修正》のこと。マリエラさん、報告するって言ってたよな」
リシェルも掲示へ目を向けた。
「そうね。アルベルトが死んだ後も動いていたことも、あなたが見た《意味》も、聞いていたはずよ」
「なのに、なんでないんだ?」
文書には何も書かれていない。
アルベルトは魔王との戦闘で死亡。
魔王は生存。
それだけだ。
マリエラさんが報告しなかった?
いや、あの人がそんな約束を忘れるとは思えない。
なら、報告はされた。
それなのに、ここにはない。
「レイン」
リシェルの声で顔を上げた。
近くにいた男たちが話している。
「魔王って、どんな奴なんだ?」
「化け物みたいな奴なんじゃないのか。勇者様を殺したんだぞ」
「魔族の軍勢を連れてるって話も聞いたことあるぞ」
「それ昔の話だろ」
「生きてるなら同じだよ」
リシェルは何も言わなかった。
ただ、その会話を聞いていた。
少し離れたところでは、母親が子どもの手を握っている。
「森には絶対行っちゃ駄目だからね」
「魔王がいるの?」
「いるかもしれないでしょ」
子どもが怯えた顔で頷いた。
そのとき、人混みの中から聞き覚えのある声がした。
「あら、レイン。リシェルちゃん」
振り向くと、昨日焼き菓子をくれたお婆さんがいた。
「お婆さんも来てたんだ」
「そりゃあ、こんな知らせが出たらねえ」
老婆は掲示板を見上げ、大きく息を吐いた。
「勇者様が亡くなったなんてね。怖いねえ、魔王ってのは」
リシェルの表情は変わらなかった。
「……ええ」
「リシェルちゃんも気をつけるんだよ。あんたは力持ちだけど、魔王なんか見つけても近づいちゃ駄目だからね」
俺は思わずリシェルを見た。
リシェルもこっちを見る。
ほんの一瞬、目が合った。
「……分かったわ」
「レインもだよ。冒険者になったからって無茶するんじゃないよ」
「俺は魔王どころか、普通の魔物にも近づきたくないよ」
「それがいい、それがいい」
老婆は何度も頷いてから、知り合いを見つけたらしく人混みの向こうへ歩いていった。
その背中を見送りながら、リシェルが口を開く。
「私は――」
「リシェル、行こう」
それ以上言わせる前に腕を取り、俺は人混みの外へ向かった。
◇
広場を離れ、いつもの大通りまで戻ったところで手を離すと、リシェルが掴まれていた腕を軽くさすりながら俺を見る。
「急に何をするのよ。私は、あの人たちが勘違いしていることを――」
「分かってる。でも今はやめとけ。勇者が死んだって話が広まったばっかりなんだぞ。しかも魔王は生きてて、どこにいるか分からないって書いてある。そんなところで余計なことを言ったら、絶対ろくなことにならない」
リシェルは少し眉を寄せた。
「そこまで馬鹿じゃないわよ。私が言おうとしたのは、アルベルトが死んだ後のこと。あの文書では、まるで私がアルベルトを殺して、それで終わったみたいでしょう?」
「それでもだよ。お前があの場にいたって分かったら、どうして知ってるって話になるだろ。アルベルトと戦った場所にいて、死んだ後のことまで知ってる奴なんて、そう何人もいない」
そこまで言うと、リシェルは何か反論しかけたものの、結局口を閉じた。どうやら、その先まで考えたらしい。
「……面倒ね」
「だろ? せっかく普通に街を歩けるようになったんだから、わざわざ面倒を増やすなよ」
「あなた、私を何だと思っているの?」
「昨日、石もらって喜んでた何でも屋」
「喜んでないわ」
「まだ持ってるくせに」
「それとこれは関係ないでしょう!」
リシェルが睨んでくる。
うん。いつものリシェルだ。
「それより、仕事行くぞ。遅れたら今度こそ信用なくす」
「昨日は休むと言っていたのに、今日はずいぶん真面目ね」
「お前が仕事するって言ったんだろ!」
「困っている人がいるもの」
「はいはい」
「何よ、その言い方」
言い合いながら歩いていると、通りの向こうから店主が顔を出した。
「おーい、何でも屋!」
「だから冒険者だって!」
「ちょうどよかった! リシェルちゃんもいるな!」
「いるわよ」
店主は安心したように笑うと、俺たちのところまでやってきた。
「今朝の知らせ、聞いたか?」
「ああ。広場で」
「なら知ってるよな。魔王がまだ生きてるらしいじゃないか」
リシェルが黙る。
「しばらく街の外の依頼は気をつけろよ。特にリシェルちゃん、あんた強いからって無茶すんなよ?」
「……私?」
「そうだよ。魔王なんか見つけても絶対に戦うな。ギルドか衛兵に知らせて逃げろ」
店主は真剣だった。
リシェルが何とも言えない顔をしている。
「分かったわ」
「本当か? あんた、平気な顔で荷車持ち上げるから心配なんだよ」
「魔王は荷車より重いの?」
「そういう問題じゃない!」
俺は吹き出した。
「何がおかしいのよ」
「いや、お前が魔王から逃げろって心配されてるのが――」
言いかけて、慌てて口を閉じる。
店主が首を傾げた。
「何だ?」
「何でもない!」
「変な奴だな」
危ねえ。
店主はまだ何か言いたそうだったが、店から呼ばれて戻っていった。
俺はその背中が十分離れたことを確認してから、隣を見る。
「お前も気をつけろよ。魔王に会ったら逃げろってさ」
「殴るわよ」
「魔王が一般人を殴るなよ」
「誰のせいよ!」
リシェルが拳を握ったので、俺は少しだけ距離を取った。
◇
その日の仕事は、昨日までと大きく変わらなかった。
倉庫から店へ荷物を運び、壊れた戸棚を見て、午後には古い家の裏に積まれた木材を片づけた。
俺が状態を見て、必要なことを考える。
リシェルが持ち上げる。
俺が止める。
リシェルが「これも運べばいいでしょう」と余計な物まで持っていこうとする。
俺が戻させる。
そんなことを繰り返しているうちに、朝の騒ぎが嘘みたいに、いつもの一日が過ぎていった。
ただ、街のあちこちで勇者の話を聞いた。
勇者アルベルトは強かった。
勇者アルベルトは人々を救った。
勇者アルベルトが死んだ。
魔王が殺したらしい。
魔王はまだ生きている。
どこにいるか分からない。
話は少しずつ形を変えながら、グランツ中へ広がっていた。
そのたびに隣を見ることはしなかった。
リシェルも、何も言わなかった。
◇
夜。
夕食を終えて部屋へ戻ってからも、朝見た文書が頭に残っていた。
窓の外にはグランツの灯りが並んでいる。昨日と同じ街なのに、今夜はきっと、あちこちの家で魔王の話をしているんだろう。
「まだ考えているの?」
ベッドに腰掛けていたリシェルが聞いてきた。
「まあな」
「私が魔王だということ?」
「それも面倒だけど、今すぐどうこうできる話じゃないだろ。気をつけるしかない」
「では、何?」
俺は朝の文書を思い出した。
書かれていたことは、全部知っていることだった。
アルベルトとリシェルが戦った。
アルベルトが死んだ。
リシェルは生きている。
でも、その後がない。
「マリエラさん、ちゃんと報告するって言ってたよな」
「ええ」
「あの人が嘘ついたとは思えない」
「私もよ」
なら、報告はされたはずだ。
アルベルトが死んだ後も動いたことも。
俺が見た《使命》《討伐》《完遂》も。
そして――
《修正》
あれのことも。
「……なんで、《修正》だけないんだろうな」
リシェルはすぐには答えなかった。
俺も答えを持っていない。
窓の外では、いつもと変わらないグランツの夜が続いていた。




