第27話「何でもするわけじゃないからね!?」
「今日は休む」
朝。宿の食堂で、俺はパンを食べながら宣言した。
「どうして?」
向かいに座っていたリシェルが、本気で分からないという顔をする。
「昨日二十三件やったからだよ」
「全部終わったでしょう?」
「終わったけど! 終わったら次の日も二十三件やるって決まりはないんだよ!」
昨日一日で稼いだ報酬は銀貨二十三枚。当面の宿代には困らないし、飯も食える。リシェルが気に入った湯屋にだって行ける。
冒険者になってから仕事ばかりで、まともにグランツを見て回ってもいない。必要な物も買いたいし、何より俺の足が休めと言っている。
「だから今日は買い物。それから街を見る。仕事はしない」
「依頼が残っているのに?」
「残ってても!」
「困っている人がいるのでしょう?」
「お前、その言葉気に入っただけだろ」
「違うわよ」
「じゃあ何だよ」
リシェルは答えようとして少し考えたものの、結局眉を寄せた。
「……うまく言えないわ」
「なら今日は考えながら休め」
「何よ、それ」
不満そうではあったが、これ以上反対するつもりはないらしい。
よし。
今日は休みだ。
仕事はしない。
そう決めて宿を出た。
「――いたぞ!」
通りの向こうから声が飛んできた。
「いた! あの二人だ!」
「リシェルちゃーん!」
「兄ちゃん、ちょっと待ってくれ!」
「……え?」
何だ?
朝の市場へ向かっていた人たちが、こっちを見ている。一人が駆け寄ってきたと思ったら、その後ろからもう一人。店先から顔を出した奴まで、そのままこっちへ向かってくる。
「昨日は助かったよ!」
「これ持ってけ!」
「うちの親父がよろしくって!」
「今度うちも頼みたいんだけど、ギルド通せばいいのか?」
「待て待て待て! 何の騒ぎだ!?」
誰も答えてくれない。
野菜を渡され、パンを押しつけられ、気づけば干し肉まで腕の上に載っていた。
「ちょっと待って! 昨日の報酬ならちゃんともらってるから!」
「知ってるよ。これは礼だ!」
「うちの棚、今日も全然ぐらつかないよ!」
「荷車直してくれたの、あんたたちだろ?」
「何でそれ知ってんの!?」
「昨日、荷車の持ち主が酒場で話してたぞ」
「あの人、喋ったのかよ!」
「あっ、何でも屋だ!」
「誰が何でも屋だ!」
さらに人が寄ってくる。
横を見ると、リシェルまで果物やら小さな包みやらを両腕に抱えていた。
「レイン」
「何だ!」
「これは何なの?」
「俺に聞くな! 俺も分からん!」
「断っても渡してくるのだけれど」
「とりあえず逃げるぞ!」
「どうして?」
「このままだと休みなのに仕事より疲れる!」
市場を見て回る予定だったのに、その市場から逃げ出すことになった。
◇
どうにか人通りの少ない路地まで逃げ込み、俺たちは抱えていた物を確認した。
野菜、果物、パン、干し肉、焼き菓子。なぜか紐が一束と、木製の匙まである。
「……買い物する必要なくなったな」
「返しに行きましょう」
「え?」
リシェルは本気だった。
「報酬は昨日受け取ったわ。これを受け取る理由がないもの」
「いや、礼だって言ってただろ」
「だから、それがおかしいのよ。仕事をして、その対価を受け取った。それで終わりでしょう?」
「そう言われると、まあ……」
「でしょう?」
リシェルが少し得意そうな顔をする。
「魔王だった頃だって、感謝くらいされたわ」
「へえ。どんな?」
「忠誠を誓われたり、献上品を受け取ったり。戦に勝てば宝物や酒が届くこともあったし、領地を守ったときには貢納を増やしたいと言われたこともあるわ」
「……ずいぶん物騒な感謝だな」
「普通でしょう?」
「魔王にはな」
リシェルは納得していない。
「どれも、何かをしたことに対する返礼よ。でも、昨日の依頼にはもう報酬が支払われている。なのに今日になって、どうしてパンまで渡すの?」
「嬉しかったんじゃない?」
「だから報酬を払ったのでしょう?」
「うーん……」
「あなたも分かってないじゃない」
「うるさいな。俺はもらったら嬉しいから、それでいいんだよ」
「適当ね」
「生きるのに何でも理由がいるかよ」
「少しは考えなさいよ」
魔王に説教された。
何か納得できないものを感じながら荷物をまとめていると、路地の入口から小さな顔が覗いた。
「あっ、力持ちのお姉ちゃん!」
昨日の子どもだった。
「また来た」
「何よ、その言い方」
子どもは俺たちのやり取りなど気にもせず駆け寄ると、リシェルの前で握っていた手を開いた。
「これ、お姉ちゃんにあげる!」
手のひらにあったのは、丸くてつるつるした石だった。
リシェルが石を見る。
「いらないわ」
「おい!」
「だって石でしょう?」
「きれいだよ!」
子どもが即座に言い返した。
リシェルは改めて石を眺める。
「……まあ、きれいではあるわね」
「でしょ! だからあげる!」
「どうしてそうなるの?」
「お姉ちゃんにあげたいから!」
「だから、どうして――」
「ありがとうって言いたいから!」
子どもはリシェルの手を取って石を載せると、満足そうに笑った。
「じゃあね!」
「あ、ちょっと――」
呼び止める暇もなく走っていく。
リシェルは追いかけるでもなく、手のひらに残された石を見つめていた。
「……意味が分からないわ」
「俺はちょっと分かる」
「これが?」
「子どもの頃、きれいな石とか拾わなかった?」
「拾わないわ」
「そうですか」
魔王に聞いた俺が馬鹿だった。
「でも、使えないでしょう?」
「使えないな」
「売れる?」
「たぶん無理」
「なら、何の価値があるの?」
「知らん。でも、その子はお前にやりたかったんだろ」
「それが分からないって言ってるの」
「じゃあ返してくれば?」
そう言うと、リシェルは黙った。
走り去った子どもの方を見る。
それから手の中の石をもう一度見て、服のポケットへしまった。
「返さないの?」
「もういないもの」
「追えばすぐだぞ」
「……うるさいわね」
なぜ俺が怒られた。
◇
昼を過ぎた頃には朝の騒ぎも落ち着き、俺たちは一度宿へ荷物を置いてから、改めて街へ出た。
それでも歩いていると何度も声をかけられる。
「お、何でも屋!」
「冒険者です!」
「スーパーFじゃないか」
「それも正式名称じゃない!」
「リシェルちゃん、昨日ありがとね!」
「……ええ。どういたしまして」
横を見る。
「何?」
「いや。何でも」
「変な人ね」
どうやら昨日の二十三件は、俺が思っていた以上に街へ広がっているらしい。
依頼人が家族に話し、店で話し、酒場で話す。それを聞いた別の誰かが、また誰かへ話す。
俺たちは仕事を二十三件終わらせただけだ。
でも、その向こうには二十三人どころじゃない人間がいた。
そんなことを考えながら通りを歩いていると、店先の椅子に座っている見覚えのある老婆が目に入った。
「あら、レインじゃないか。それにリシェルちゃんも」
髪飾りをなくして、俺たちに探してほしいと頼んできたお婆さんだ。
「こんにちは」
「こんにちは」
「ちょうどよかった。少し待っておくれ」
老婆は店の中へ入ると、小さな包みを持って戻ってきた。
「孫と焼いたんだよ。よかったら食べておくれ」
包みの中には、丸い焼き菓子がいくつか入っていた。近づけなくても甘い匂いが分かる。
リシェルは受け取る前に、老婆へ尋ねた。
「これも、お礼なの?」
「ああ、そうだよ」
「でも、髪飾りを探した報酬はもらったわ」
「そうだねえ」
「それなら、仕事は終わっているでしょう?」
老婆は一瞬だけ目を丸くしたが、すぐに穏やかな笑顔になった。
「仕事は終わったよ。でも、嬉しかったことまで終わるわけじゃないだろう?」
「嬉しかったこと?」
「大事な髪飾りが戻ってきた。あんたたちが一生懸命探してくれた。それが嬉しかったから、また会えたらありがとうって言いたかったんだよ」
「それで、お菓子を?」
「食べてもらえたら、私も嬉しいからね」
リシェルはまだ納得しきれない顔をしていたが、今度は断らず包みを受け取った。
俺も何となく、その焼き菓子へ意識を向けてみる。
すると、甘い匂いのする小さな菓子に、一つの意味が浮かんだ。
《感謝》
「あ」
「どうしたの?」
「これ、《感謝》って出てる」
俺が焼き菓子を指差すと、リシェルが呆れたようにこちらを見た。
「それくらい知ってるわよ」
「知ってんの?」
「馬鹿にしてるの?」
「いや、朝からずっと分からないって言ってたから」
「《感謝》という言葉を知らないとは言ってないでしょう。献上も、貢納も、戦勝への返礼も受けてきたって話したじゃない」
「じゃあ、これも同じじゃん」
「同じじゃないわ」
「何が?」
聞き返すと、リシェルは言葉に詰まった。
包みの中から焼き菓子を一つ取り、しばらく眺めてから小さくかじる。
「……甘い」
「菓子だからな」
「そうじゃないって言ってるでしょう」
「じゃあ何だよ」
「それが分からないから困ってるのよ」
少し苛立ったようにもう一口食べる。
老婆はそんなリシェルを見ながら、楽しそうに笑っていた。
「おいしいかい?」
「……ええ」
「なら、よかったよ」
その一言で、老婆の顔がさらにほころんだ。
リシェルは食べかけの焼き菓子と老婆を見比べる。
「私が食べると、あなたが嬉しいの?」
「そりゃあね。喜んでもらいたくて焼いたんだから」
「……変なの」
「そうかい?」
「だって、あなたには何も増えないでしょう?」
「今、増えたよ」
「何が?」
「嬉しいことが一つ」
リシェルは何も言わなかった。
ただ、残った焼き菓子を崩さないよう包み直してから、老婆へ小さく頭を下げた。
「……ありがとう」
「ああ。どういたしまして」
老婆が笑う。
リシェルはその顔をしばらく見てから、俺の方へ向き直った。
「……魔王城では、菓子なんてもらわなかったわ」
「そりゃそうだろ」
「石も」
「それはもっとそうだろ」
「なのに、こっちの方がよく分からない」
「分からないのに受け取るんだな」
「悪い?」
「別に」
俺が笑うと、リシェルは不満そうに包みを抱え直した。
◇
夕方、宿へ戻る頃には「何でも屋」と呼ばれることにも少し慣れてしまっていた。
「おーい、何でも屋!」
「だから冒険者だって!」
通りの向こうから笑いながら手を振ってくる男へ返事をすると、隣を歩くリシェルが楽しそうにこちらを見る。
「もう諦めたら?」
「嫌だよ。俺は冒険者になったんだぞ」
「Fランクの?」
「そこ強調すんな!」
「スーパーFとも呼ばれていたわね」
「それも正式じゃねえから!」
リシェルが笑う。
ふと、朝の石を思い出した。
「そういや、あの石どうした?」
「あるわよ」
「いらないって言ってたじゃん」
リシェルがポケットから丸い石を取り出す。
「……もらったものを捨てるほど無礼じゃないわ」
「使えないぞ」
「知ってる」
「売れないぞ」
「それも聞いたわ」
「ただの石だぞ」
リシェルは石を握ると、じろりと俺を見た。
「うるさいわね。私の石なんだから、いいでしょう」
「お、おう」
何で俺が怒られるんだ。
石をしまったリシェルは何事もなかったように歩き出し、少ししてから明日の話を始めた。
「明日は仕事をするわ」
「なんでお前が決めるんだよ」
「依頼があるのでしょう?」
「あるけどさ。もう一日くらい休んでも――」
「困っている人がいるわ」
「またそれかよ」
「駄目なの?」
「駄目じゃないけど……お前、湯屋に行きたいだけじゃないの?」
リシェルは少し考えた。
「それもあるわ」
「あるんじゃねえか!」
結局、そこは変わってない。
笑いながら宿へ向かっていると、通りの向こうからまた声が飛んできた。
「何でも屋ー!」
「冒険者だっつーの!」
昨日まで、俺たちはただのFランクだった。
一日二十三件も依頼を片付けたせいで、スーパーFだの何でも屋だの、好き勝手な名前で呼ばれるようになってしまった。
どうやら俺たちは、冒険者として有名になるより先に、この街の人たちに妙な名前で覚えられてしまったらしい。
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