第26話 「依頼が減らないんだけど!?」
「……二十件?」
受付台いっぱいに並べられた依頼票を前に、俺はもう一度数え直した。
何度数えても二十枚ある。
「はい。二十件です」
「全部、俺たちに?」
「全部です」
受付のお姉さんは笑顔だった。ただ、その目には明らかな警戒が浮かんでいる。
隣では、リシェルが依頼票を端から眺めていた。
「これ、全部受けたら駄目なの?」
「駄目です」
即答だった。
「まだ何も言ってないんだけど」
「言いましたよね!?」
「でも、依頼なんでしょう?」
「依頼ですけど、一度に二十件受ける冒険者なんていません!」
お姉さんが依頼票を自分の方へ引き寄せると、リシェルが不満そうに眉を寄せた。
「昨日までは受けさせてくれたじゃない」
「昨日までと数が違います!」
「でも、困ってる人がいるのよね?」
「それは……いますけど」
「なら、やればいいじゃない」
お姉さんが言葉に詰まった。
俺も、少しだけリシェルを見る。
本人は何がおかしいのか分からないらしく、首を傾げていた。
四日前なら、たぶん出てこなかった言葉だ。
「……とりあえず、見せてもらっていい?」
「レインさんまで何を言い出すんですか」
「受けるとは言ってないって。見るだけ」
「その言い方、全然信用できないんですけど」
それでも、渋々依頼票を戻してくれた。
俺は二十枚を受付台いっぱいに広げる。
薪の運搬。倉庫の整理。薬草の採取。店の軒先の補修。荷車の点検。市場への荷物運び。古い木箱の解体。雨樋の掃除。
見事なくらい、ここ数日で見慣れた仕事ばかりだった。
問題は数だ。
「これとこれは市場。こっちは職人街……西門の近くにも三件あるな」
「覚えてるの?」
「四日も歩き回ったからな」
グランツの地図を借り、場所ごとに依頼票を並べ直す。次に期限を見る。昼までのもの、今日中のもの、夕方まででいいもの。依頼票そのものへ意識を向けると、書かれた内容の上に《運搬》《修繕》《採取》《急ぎ》といった意味が重なった。
市場へ向かいながら三件を片付け、そのまま職人街へ抜ける。西門へ向かう途中の仕事を拾い、門外の薬草は最後に回せばいい。
重い物はリシェル。細かな修理や整理は俺。二人必要なものだけ一緒にやる。
二十個あった仕事が、頭の中で一本の道につながった。
「……いけるな」
「レインさん?」
「これ、二十件いけます」
「いけません」
「だから説明を聞けって!」
「説明を聞いたら受けさせることになりそうだから嫌なんです!」
何なんだ、その信用のなさは。
結局しばらく揉めた末、昼までに一度戻ること、遅れそうならすぐ依頼を返すことを条件に、まず十件だけ持ち出すことになった。
「絶対に無茶しないでくださいね」
「分かってるって」
「特にリシェルさん」
「どうして私なの?」
「本当に自覚ないんですか!?」
なかったらしい。
首を傾げたままのリシェルを連れて、俺たちはギルドを出た。
◇
一件目は、青果店から市場の反対側まで野菜の木箱を運ぶ仕事だった。
「リシェル、それ三箱ずつで――」
「終わったわ」
「早いな!?」
振り返ったときには、さっきまで積まれていた木箱が消えていた。道の向こうで店主が目を丸くしていて、その隣には木箱がきれいに積み上がっている。
「次は?」
「待て。俺まだ一歩も動いてない」
「早くしないと二十件終わらないでしょう?」
「今持ってるのは十件だからな!?」
二件目は雑貨屋の棚の修理だった。
ぐらつく棚へ意識を向ける。
《支える》
《固定》
《荷重》
重なった意味の中、一か所だけに《緩み》がある。
商品をどかして留め具を締め直し、ついでに他の接合部も確認する。破損はない。棚を揺らしてみても、今度はびくともしなかった。
「はい、終わり」
「……もう?」
「ここが緩んでただけです」
店主は自分でも何度か棚を押してから、怪訝そうに俺を見た。
「昨日、俺が半日いじっても直らなかったんだぞ」
「見る場所が違ったんじゃないですか?」
「……お前、本当にFランクか?」
「ここ数日、そればっかり聞かれるんですよ」
三件目は古い木箱の解体だった。
リシェルが木箱へ手を伸ばす。
「壊せばいいのね?」
「待て! 釘は再利用するって書いてある!」
「面倒ね」
「粉々にする方が特殊なんだよ!」
四件目は、パン屋から食堂まで小麦粉を運ぶ仕事だった。
リシェルが大袋を軽々と抱え、俺も一袋を背負って通りを進んでいると、道端で数人の男たちが荷車を囲んでいた。
「車輪が動かねえんだよ」
「軸じゃないか?」
「昨日、油は差したぞ」
その横を通り過ぎようとしたところで、隣を歩いていたリシェルが足を止めた。
「レイン」
「ん?」
「あれ」
視線の先では、男たちが荷車を押したり引いたりしている。
「困ってるみたいよ」
「……そうだな」
「見ないの?」
俺も足を止めた。
荷車へ意識を向けると、《運搬》《回転》《支持》《接続》という意味が浮かび、その中で右の車輪だけに《断絶》が混じっていた。
「あー……たぶん、あそこだ」
「どこだ?」
「右の車輪の内側です。ちょっと見せてもらっていいですか?」
男がしゃがみ込んだが、荷物の重みで奥までは見えない。
「リシェル、ちょっと片側持ち上げられる?」
「ええ」
小麦粉の袋を置いたリシェルが荷車へ手をかける。
次の瞬間、荷物を満載した荷車が丸ごと宙に浮いた。
「…………」
「これでいい?」
「片側って言ったよな?」
「見えるでしょう?」
「見えるけど!」
男たちは声も出ないらしい。
俺は車輪の裏を覗き込み、外れていた留め具を見つけた。幸い壊れてはいない。拾って元の位置へ戻し、しっかり固定してからリシェルに下ろしてもらう。
車輪は何事もなかったように回った。
「お、おお……!」
「これで大丈夫だと思います。ただ、また外れるようならちゃんと職人に見てもらってください」
「あ、ああ。助かった。金を――」
「依頼じゃないからいいですよ。俺たちも仕事の途中なんで」
小麦粉を担ぎ直して歩き出す。
少し進んだところで、俺は隣を見た。
「なあ、リシェル」
「何?」
「さっきの荷車、よく気づいたな」
リシェルは何を聞かれたのか分からないような顔をした。
「困っていたでしょう?」
「うん」
「なら、手伝えばいいじゃない」
そう言って、また歩き出す。
俺はその背中を少しだけ眺めてから、後を追った。
「この食堂で合ってる?」
「ああ。……お前、いつの間に道覚えた?」
「四日も歩き回ったもの」
「それ、今朝俺が言ったやつだろ」
「そうだった?」
絶対覚えてるだろ。
◇
それからも、仕事は妙なくらい順調だった。
雨樋の詰まりは、原因になっていた枝を取り除けば終わった。倉庫整理では、売る物、保管する物、修理に回す物を俺が分け、その横からリシェルが棚ごと動かそうとして止められた。
薪を運ぶ仕事では、俺が乾いた薪と湿った薪を分けている間に、リシェルが一人で運搬を終わらせた。店先の天幕は破れ方を確認し、持っていた裁縫道具で応急処置をした。
一件終えるたびに次の場所が近い。移動して、直して、運んで、整理して、また移動する。
十件の仕事を別々にやっている感じがしなかった。
大きな一つの仕事を、二人で順番に片付けている。
最後の依頼を終えてギルドへ戻ったときも、太陽はまだ頭の真上まで来ていなかった。
「……まさか」
俺たちの姿を見た受付のお姉さんが、露骨に嫌そうな顔をした。
「終わりました」
「どうして!?」
「ちゃんと終わらせたのに怒られた!」
「午前中ですよ!?」
「だから二十件いけるって言ったじゃん!」
「威張らないでください!」
十枚の完了確認を一枚ずつ調べてもらう。全部問題なし。途中で荷車まで直したことは、面倒なので黙っておいた。
確認を終えたお姉さんは、しばらく無言で依頼票を見つめていた。
「……分かりました」
「お?」
「残りも持っていってください」
「よっしゃ」
「ただし、日が暮れる前に戻ってください。無理なら絶対に返してくださいね」
「分かってるって」
「本当ですね?」
「信用ないなあ」
「この四日でなくなりました」
ひどい。
残り十枚を受け取ろうとしたところで、お姉さんの手が止まった。
「あ」
「何?」
「……増えてます」
「は?」
受付台の下から、新しい依頼票が三枚出てきた。
「今朝、新しく入ったFランク依頼です」
嫌な予感がする。
「まさか」
「三件とも、お二人への指名です」
隣でリシェルが三枚を手に取った。
「全部で二十三件ね」
「増えてんじゃん!」
「いいことじゃない」
「減らすために働いてんの!」
「そうなの?」
「違うの!?」
お姉さんが額を押さえていた。
◇
結局、その三件まで受けた。
十三件。
午後は午前ほど近場ばかりではなかったが、一度やり方が見えれば迷うことは少なかった。
俺が場所と順番を決め、リシェルが運ぶ。俺が原因を探し、直せるものは直す。俺たちではどうにもならないものには余計な手を出さず、職人へ回す。
薬草採取では、知っている草を探して《止血》を確認する。荷車の点検では、壊れていない部分まで分解するような真似はしない。
何でもできるわけじゃない。
ただ、何をすればいいのか分かるまでが、たぶん俺たちは人より少し早い。
最後の仕事を終えてギルドへ戻った頃には、さすがに足が重くなっていた。
「……疲れた」
「そう?」
「お前と一緒にするな」
「私はお腹が空いたわ」
「それを疲れたって言うんじゃないのか?」
「違うでしょう」
受付台へ二人分の依頼票を置く。
お姉さんはもう驚かなかった。
いや、驚くことを諦めた顔だった。
「二十三件。全件、完了確認済みです」
「うい」
「返事が軽い……」
そこから報酬の計算が始まった。
最初は銅貨だった。
それが途中から銀貨に変わり、一枚、二枚と受付台に積まれていく。
十枚を越えたあたりで、俺は姿勢を正した。
「……多くない?」
「二十三件ですからね」
「でもFランクだろ?」
「二十三件ですからね」
二回言われた。
お姉さんは帳簿を確認しながら、さらに銀貨を並べていく。
「通常の依頼報酬が、銀貨十八枚と銅貨四十枚。それから指名依頼のうち、依頼人から追加報酬が出ているものが六件あります」
「追加?」
「早くて丁寧だから、次もお願いしたいそうですよ」
さらに銀貨が置かれた。
「追加分が銀貨四枚と銅貨六十枚。合わせて――銀貨二十三枚です」
「…………」
俺は銀貨の山を見た。
リシェルも見ている。
「レイン」
「何?」
「風呂のある宿に泊まれるわ」
「何泊する気だよ」
「毎日」
「そういう意味じゃねえ!」
二人で泊まれば、一晩で銀貨四枚。それでも五泊して、まだ銀貨が残る。
冒険者になったときには、とにかく今日の宿代をどうするかで頭を抱えていたはずなのに。
たった一日でこれだ。
そのとき、隣の受付から声が聞こえた。
「討伐確認できました。Cランク依頼、達成です。報酬は銀貨二十枚になります」
思わずそちらを見る。
三人組の冒険者だった。
鎧は泥だらけで、一人は腕に包帯を巻いている。
「二日か……」
「帰りの雨が余計だったな」
「薬代と食料代引いてから三人で割るぞ」
俺はもう一度、自分たちの銀貨を見た。
二日。
三人。
銀貨二十枚。
こっちは一日。
二人。
銀貨二十三枚。
しかも、剣は一度も抜いていない。
「……なあ、リシェル」
「何?」
「俺たち、Fランクだよな?」
「そうね」
受付のお姉さんが帳簿から顔を上げた。
「ランクは、ですけどね」
「何その言い方」
「Fランクの仕事を一日二十三件終わらせる人を、私は他に知りません」
……俺も知らない。
というか、冒険者になってまだ五日目だ。
隣では、命懸けの仕事を終えたCランク冒険者たちが銀貨二十枚を分けている。
俺たちは、棚を直して、荷物を運んで、薪を分けて、薬草を採って。
銀貨二十三枚。
なんだこれ。
「……冒険者って、何なんだろうな」
「さあ?」
魔王に聞いた俺が馬鹿だった。




