第25話「消すのと運ぶのは違うからね!?」
「まだやるんですか!?」
「だって、まだ昼前だし」
「そういう問題でしょうか……」
受付の女性が困ったように壁の時計を見る。
俺も見る。
やっぱり、まだ昼前だ。
「あと十枚よ」
隣でリシェルが呟いた。
「やっぱり湯屋目当てじゃねえか!」
「悪い?」
「開き直った!?」
受付の女性が何か言おうとした、そのときだった。
「おう、いたいた」
後ろから聞き覚えのある声がした。
振り返ると、さっきの薪屋の主人がこっちへ歩いてくる。
「おじさん?」
「ちょうどよかった。お前ら、もう次の仕事決まってんのか?」
「いや、今から探そうかと」
「なら、うちの棚を見てくれ」
「棚?」
「倉庫のだよ。前からガタついててな。お前、さっき気にしてただろ」
確かに、薪を積んでいるとき妙に揺れる棚があった。危なそうだったから、その辺りにはあまり薪を載せないようにしていた。
「直せるか?」
「見ないと分かんないけど」
「じゃあ見てくれ」
主人はそのまま受付へ向き直った。
「こいつらに頼みたいんだが、どうすりゃいい?」
「……このお二人に、ですか?」
「ああ。さっきの仕事も早かったし、頼んだ以上にきっちりやってくれたからな」
俺とリシェルは顔を見合わせた。
「……俺たち?」
「他に誰がいるの?」
「いや、そうなんだけどさ」
なんでわざわざ俺たちなんだろう。
薪を運んだだけなのに。
「簡単な補修であればFランクでも受けられます。ただ、専門的な修理が必要な場合は職人へお願いすることになります」
「じゃあ、とりあえず見ればいいんですね?」
「はい」
「よし。行くぞ」
「ちょっと待ちなさい」
リシェルに服を引っ張られた。
「何?」
「お昼は?」
「……あ」
「お腹すいたわ」
薪屋の主人が吹き出した。
「飯くらい食ってから来い。棚は逃げねえよ」
◇
屋台で焼いた肉と野菜を挟んだパンを買い、今日稼いだ銅貨から代金を払った。
受け取った釣り銭を見て、リシェルが眉を寄せる。
「減ったわ」
「そりゃ使ったからな」
「せっかく九十枚あったのに」
「飯食わないつもりだったのかよ」
「湯屋が遠ざかったわ」
本気で残念そうだった。
「また働けばいいだろ」
「……そうね」
リシェルが顔を上げる。
「働くわ」
「風呂って魔王をこんなに働かせるんだな……」
「何か言った?」
「何も」
◇
昼飯を食べて薪屋へ戻り、問題の棚を見る。
今度はただ見るんじゃない。
何がおかしい?
そう意識して、棚の《意味》を見た。
木材や留め具の上に、いくつもの意味が浮かぶ。
《支持》
《固定》
《荷重》
その中に、一つだけ違うものがあった。
《緩み》
「あ、ここだ」
「もう分かったのか?」
主人が横から覗き込んでくる。
「たぶん、ここ」
触ってみる。
やっぱり留め具が緩んでいた。
道具を借りて締め直す。村じゃ、棚がぐらついた程度でいちいち誰かを呼んだりしない。このくらいなら俺だって何度もやったことがある。
念のため隣の棚にも意識を向けた。
今度は、
《破損》
「……おじさん、こっちは大工に頼んだ方がいい」
「直せねえか?」
「支えが割れてる。俺じゃ無理」
「場所まで分かるのか?」
「分かるけど、直せるかは別だよ。下手にいじって薪載せたら危ないだろ」
「なるほどな」
主人は直った棚を何度か押して確かめると、満足そうに頷いた。
「助かった。ありがとな。また何かあったら頼むわ」
「また?」
「嫌なのか?」
「そうじゃないけど……」
今日、初めて会ったばかりなんだけど。
そう思いながら店を出ると、通りの向こうから声が聞こえた。
「ルゥー!」
女の人と小さな女の子が、荷車の下や路地を覗きながら歩いている。
「ルゥー!」
女の子は泣きそうな顔をしていた。
俺は足を止めた。
「……猫かな」
「でしょうね」
リシェルもそちらを見る。
俺たちに気づいた薪屋の主人が、店先から声を上げた。
「猫探してんのか?」
「朝から帰ってこなくて……」
「なら、こいつらに頼めばいい」
「おじさん!?」
「仕事早えぞ」
「勝手に売り込むなよ!」
◇
猫探しはFランクでも受けられるというので、一度ギルドへ戻って手続きをした。
そのとき、初めて依頼主の親子と名前を交換した。
「レインです」
「リシェルよ」
「ミーナ。このお兄ちゃんとお姉ちゃんが、ルゥを探してくれるって」
「……ほんと?」
「見つかるかは分かんないけどな。探してみるよ」
ルゥは白い毛で、耳と尻尾だけ茶色。臆病だけど魚が好きで、朝飯を食べる前に家を出たらしい。
「《意味》は?」
外へ出たところでリシェルが聞いてきた。
「だから猫がいないんだって」
「やっぱり不便ね」
「もうその話やめない!?」
いないものの意味は見られない。
なら、普通に考えるしかない。
朝飯を食べていない。魚が好き。臆病。
だったら、人の多い魚屋の表じゃなくて――。
「魚屋の裏、行ってみよう」
「どうして?」
「腹減ってるなら匂いのする方に行くかもしれない。でも臆病なら、人がいる表には出たくないだろ」
「猫のことも分かるの?」
「分かるわけないだろ。考えてるだけ」
魚屋の裏手を探すと、積まれた木箱の隙間から白い尻尾が見えた。
「いたわ」
「いたな」
「捕まえるわ」
「待てって」
止める前にリシェルが近づいた。
「シャアアアッ!」
「…………」
「めちゃくちゃ嫌われてんじゃん」
「なぜ!?」
「正面からズカズカ行くからだろ!」
俺は少し離れたところにしゃがみ、昼に残しておいた肉を小さくちぎって置いた。
待つ。
しばらくすると、木箱の奥から猫が顔を出した。
白い毛。茶色の耳。
見た目は聞いた通りだ。
こいつで合ってるか?
意識を向ける。
《帰る場所》
《待つ者》
なるほど。
「たぶん、こいつだ」
「たぶん?」
「名前まで書いてあるわけじゃないんだよ」
「本当に不便ね」
「便利なところも見ただろ!」
ルゥらしき猫が少しずつ近づいてくる。
隣から視線を感じた。
「何だよ」
「ずるい」
「何が?」
「私には怒ったでしょう」
「お前が突っ込んでいったからだよ!」
やがて猫は俺の手から肉を食べた。
身体を撫でても逃げない。
抱き上げる。
「私が持つわ」
「また怒られるぞ」
「今度は大丈夫」
「何を根拠に」
「見てたもの」
リシェルは俺からルゥを受け取ると、今度はいきなり抱き締めたりせず、身体を支えるように腕へ乗せた。
ルゥは少し身じろぎしたけれど、怒らなかった。
「ほら」
「俺の真似しただけじゃん」
「学んだのよ」
「認めるんだ」
「悪い?」
「いや、別に」
最初は身体を固くしていたルゥも、しばらくするとリシェルの腕の中で丸くなった。
リシェルは何も言わない。
ただ、行きより歩くのが少し遅かった。
「ルゥ!」
ミーナは猫を見るなり駆けてきた。
リシェルが屈んでルゥを渡すと、ミーナは猫をぎゅっと抱きしめ、それから顔を上げた。
「ありがとう、リシェルお姉ちゃん!」
「…………」
リシェルが俺を見る。
「何よ」
「いや?」
「何なのよ」
「別に」
「……その顔やめなさい」
「またね、リシェルお姉ちゃん!」
ミーナが手を振る。
リシェルは一瞬迷ってから、小さく手を上げた。
「……ええ」
それで終わるはずだった。
たぶん。
◇
ギルドへ戻ると、知らないおばさんが待っていた。
「この子たち?」
「はい?」
「薪屋のガルドンさんに聞いたのよ。仕事が早くて丁寧な二人がいるって」
ガルドン。
あのおじさん、そんな名前だったのか。
「うちの物置もお願いできない?」
「俺たちに?」
「ええ」
受付の女性が妙な顔をした。
「確認しますが、このお二人にお願いしたい、ということですか?」
「ガルドンさんが、この二人なら間違いないって言うから」
「…………」
「どうしたんですか?」
「……指名されてます」
「はい?」
「Fランクで、もう」
俺とリシェルは顔を見合わせた。
朝、冒険者になったばかりなんだけど。
そして、どういうわけか。
それは一件で終わらなかった。
◇
物置の整理。
荷運び。
雨樋の掃除。
破れた天幕の補修。
薬草の配達。
壊れた荷車の確認。
目の前に物があれば、《意味》はかなり役に立った。
どこが詰まっているのか。何が緩んでいるのか。どの部品が役目を果たしていないのか。
見れば、分かる。
もちろん、分かったからといって何でも直せるわけじゃない。俺にできないものは職人へ回した。
でも原因を探す時間がいらない。
俺に直せるものなら、そのまま直す。
重いものがあれば、
「リシェル!」
「これ?」
「それ!」
「どこ?」
「奥!」
消える。
「……いや、消すな! 運べ!」
「同じでしょう?」
「違う!」
そんなことを繰り返しているうちに、受付へ戻るたび、依頼票に達成の印が増えていった。
十枚目の依頼票を置いた頃には、さすがに日が傾いていた。
受付の女性が、一枚ずつ数える。
「……十件」
「結構やったな」
「今日一日で、ですよ?」
「はい」
「しかも最初の三件は午前中……」
「はい」
「…………」
「何ですか?」
「いえ。もういいです」
◇
その日の稼ぎで、俺たちは安い宿を取った。
寝台が二つと、小さな机が一つ。
風呂はない。
その代わり。
「行ってくるわ」
「嬉しそうだな」
「別に」
「顔が嬉しそうなんだよ」
「気のせいよ」
リシェルは念願の湯屋へ向かった。
帰ってきたのは、それからしばらくしてからだった。
濡れた黒髪を布で拭きながら、部屋へ入ってくる。
「どうだった?」
「…………」
「何だよ」
「明日も働くわ」
「そんなに!?」
魔王を労働へ駆り立てる湯屋。
恐ろしい場所だった。
◇
そして翌日も、それは続いた。
ただ、初日とは少し違った。
街の道が分かってきた。
「次は?」
「西市場」
「その次は?」
「北通り」
「逆方向じゃない」
「だから、その前にこっちの荷運びをやる。終わったら北へ行って、帰りに薬草を届ける」
「いくつ受けたの?」
「六つ」
「そう」
「『そう』じゃないですよ!」
依頼票を渡した受付の女性が割り込んできた。
「一度に六件受ける新人なんて聞いたことありません!」
「でも、途中にあるし」
「途中にあるからって受ける数じゃありません!」
結局、全部終わった。
二日目、十二件。
◇
その翌日には、もっとおかしなことになっていた。
朝、ギルドへ入った時点で俺たち宛ての依頼が三件置かれていた。
それに通常の依頼を組み合わせる。
同じ方向ならまとめる。
荷物を運ぶなら、帰りを空にしない。
俺が調べている間にリシェルが運び、リシェルが運んでいる間に俺が次の仕事を確認する。
倉庫整理では、物の《意味》を見た。
《販売》
《保管》
《修理用》
《予備》
意味で分けてから、使う頻度と重さを店主に聞く。
「リシェル、こっちは奥。これは手前」
「分かったわ」
「その箱は下」
「どうして?」
「重いから! 上に置くな!」
「そう」
巨大な箱が軽々と持ち上がる。
店主が口を開けたまま固まっていた。
「……あんたら、何なんだ?」
「Fランクです」
「そういうこと聞いてんじゃねえ」
それ、前にも聞いた気がする。
三日目。
十五件。
そして仕事だけじゃなかった。
「リシェルちゃん!」
市場を歩いていると、八百屋のおばさんが手を振った。
「昨日はありがとね。これ持ってきな!」
「何?」
「余った野菜!」
「お金は?」
「いらないよ!」
「どうして?」
「どうしてって……」
おばさんが困った顔をする。
リシェルも困った顔をする。
「もらっとけよ」
「いいの?」
「くれるって言ってるんだから」
「……そう」
リシェルは野菜を受け取った。
「ありがとう」
「あらまあ」
なぜかおばさんが嬉しそうに笑った。
その先ではパン屋の主人に声をかけられる。
「おう、レイン! 今日暇か?」
「今から依頼!」
「終わったらちょっと寄ってくれ!」
「何で!?」
「棚の上の箱が取れねえ!」
「俺よりリシェルに頼めよ!」
「じゃあリシェルちゃん!」
「聞こえてるわよ」
さらに角を曲がる。
「あ! リシェルお姉ちゃん!」
ルゥを抱いたミーナが走ってきた。
「今日は逃げてない?」
「うん!」
「そう」
リシェルが少しだけ笑った。
俺はそれを見ていた。
「何よ」
「何も?」
「その顔やめなさい」
「何もしてねえだろ!」
いつからだ。
街を歩くだけで、こんなに声をかけられるようになったのは。
◇
冒険者になって四日目。
ギルドへ入ると、いつもの受付へ向かった。
「おはようございます」
「……おはようございます」
「今日の依頼は?」
「Fランクですね」
「はい」
「少々お待ちください」
受付の女性が掲示板を見る。
首を傾げる。
紙をめくる。
別の束を見る。
もう一度、掲示板を見る。
「……あれ?」
「どうしました?」
「いえ……」
さらに探す。
「おかしいですね」
「何が?」
「通常のFランク依頼が、一件もありません」
「え?」
俺も掲示板を見る。
本当にない。
「そんなことあるんですか?」
「普通はありません。採取、荷運び、清掃、捜索、雑用……毎日かなりの数が入りますから」
「じゃあ今日は休み?」
リシェルが俺を見る。
「湯屋に行く?」
「朝から!?」
そのとき、後ろで笑い声がした。
「お前らだろ」
振り返る。
何人かの冒険者が、こっちを見ていた。
「何が?」
「Fの依頼、片っ端から終わらせてる奴ら」
「片っ端からって……」
「昨日も十件以上やってただろ」
「十五件よ」
「訂正しなくていいんだよ!」
冒険者たちが笑う。
「いいんじゃねえか。俺、猫探しで半日潰したくねえし」
「俺も薬草摘みは勘弁だ」
「助かってるぜ、スーパーF」
「……何それ」
「お前らのこと」
「誰がつけたんだよ!」
「知らねえ!」
「スーパーF……」
隣でリシェルが呟く。
「気に入るなよ?」
「悪くないわ」
「気に入ってる!」
受付の女性が口元を押さえていた。
「笑いました?」
「いえ」
「絶対笑った!」
そのとき、ギルドの奥から一人の男が出てきた。
それまで笑っていた冒険者たちの声が、少し小さくなる。
年齢は四十くらいだろうか。大柄というわけでも、鎧を着ているわけでもない。
けれど、受付の女性がすぐに姿勢を正した。
「ギルド長」
男は答えず、手にしていた紙の束を眺めている。
何枚かめくったあと、顔を上げた。
「例の二人は?」
「こちらです」
受付の女性が俺たちを見る。
男の視線もこっちへ向いた。
「レインとリシェルだな」
「はい」
「そうよ」
男は手元の紙を見る。
「四日間で、三十七件」
「…………」
「失敗、ゼロ」
「…………」
「Fランクと聞いたが」
「そうですけど」
男はしばらく俺たちを見ていた。
「妙だな」
「何がですか?」
「それだけじゃない」
ギルド長が、もう一つの紙束を机へ置いた。
さっきより、厚い。
「今朝までに入ったFランク依頼が、二十件ある」
「二十!?」
「全部、お前たちへの指名だ」
「…………はい?」
何を言われたのか分からなかった。
「だから通常のFランク依頼がないのは、お前たちが全部片づけたからじゃない」
「え?」
「新しく持ち込まれた依頼まで、全部お前たち宛てになっている」
「…………」
俺はリシェルを見る。
リシェルも俺を見る。
四日前まで、俺はただの村人だった。
リシェルは魔王だった。
それが今では。
二十件。
全部、俺たちに?
「……俺たち、なんかした!?」




