☆第22話「金!金がいるわ!!」(挿絵あり)
ー近くまで来ると、グランツの城壁はさらにでかかった。
丘の上から見たときも十分おかしいと思ったけど、真下まで来ると、もう壁というより崖だ。見上げると首が痛くなるほど高く、その上を槍を持った兵士たちが歩いている。
「……これ、本当に人が作ったのか?」
「人間の街なんだから、人間でしょうね」
「どうやってこんな高さまで積んだんだよ」
「知らないわよ。積んだんでしょう」
「雑だな!」
さっきから驚いているのは俺ばかりだった。
リシェルは前に来たことがあるからなのか、巨大な城壁にも、門へ続く人の列にも大して興味を示していない。
……いや、違う。
興味がないというより、さっきから妙に前しか見ていない。
「なあ」
「何?」
「本当に何もしてないんだよな?」
「何の話?」
「昔ここに来たとき」
「してないわよ」
「じゃあこっち見ろよ」
「前を見て歩かないと危ないでしょう」
怪しい。
ものすごく怪しい。
とはいえ、ここまで来て引き返すわけにもいかない。俺たちは門へ向かう列の最後尾に並び、商人らしい男たちや、荷物を満載した馬車と一緒に少しずつ城壁へ近づいていった。
大きな剣を背負った男の一団もいれば、耳と尻尾の生えた人もいる。
「……なあ、リシェル」
「何?」
「あの人、尻尾あるぞ」
「獣人でしょう」
「獣人!?」
思わず振り返ると、尻尾の男も振り返った。
目が合ったので、慌てて前を向く。
「初めて見た……」
「そんなに珍しい?」
「リト村にはいねえよ!」
そういえば、あの男の腰にも剣があった。前を歩いている、耳の形が少し違う女も弓を背負っている。
「あの人も武器持ってるな。獣人って冒険者が多いのか?」
「多い方じゃない? 身体が強い種族もいるし」
「へえ……」
知らない世界が、いきなり目の前を歩いている。
きょろきょろしながら列を進んでいると、ふと城壁の一角が目に入った。
「あれ?」
城門から少し離れた右側。かなり広い範囲だけ、積まれている石の色が妙に白い。
「なあ、リシェル。あそこ――」
「知らないわ」
「まだ何も聞いてないんだけど」
「…………」
前に並んでいた商人のおじさんが、俺たちの会話を聞いて振り返った。
「ああ、あそこか?」
「はい。なんであそこだけ色が違うんです?」
「昔、ぶっ壊されたらしいぞ」
「城壁が?」
「ああ。魔族が絡んだ騒ぎだったとか何とか。俺も親父から聞いただけだけどな。まとめて直したから、あそこだけ石が新しいんだと」
「へえ……」
俺は隣を見た。
リシェルは城門を見ていた。
「…………」
「…………」
「何よ」
「いや?」
「何」
「別に?」
「だったらその顔やめなさい」
まだ何も言ってない。
ただ、こいつが昔ここで何をしたのかは、ますます聞いておいた方がいい気がしてきた。
◇
幸い、門で捕まることはなかった。
順番が来ると名前とグランツへ来た目的を聞かれたが、旅の途中だと答えるだけで普通に通してもらえた。
そして、門を抜けた瞬間。
「うおおおお……!」
「ちょっと」
「何だこれ! 人多っ! 店も多っ! あれ何!?」
「レイン、落ち着きなさい!」
無理だった。
石を敷き詰めた大通りを何台もの馬車が行き交い、その両側には二階、三階建ての建物がずらりと並んでいる。肉を焼く匂いに、焼きたてのパンの香り。果物を山積みにした露店の向こうには、見たこともない形の剣や鎧を並べた武器屋まである。
視線を動かすたびに、知らないものが飛び込んでくる。
「あっちにも道あるぞ!」
「街なんだからあるでしょう」
「こっちにも!」
「あるわよ」
「向こうにも!」
「だから落ち着きなさい!」
村なら、道なんて大体どこへ続いているか知っている。けれどグランツは違った。道の先にまた道があり、その向こうにも建物が続いている。
どこまで行っても街だった。
「……すげえ」
気づけば、また同じ言葉が口から出ていた。
しかも、歩いているのは人間だけじゃない。さっき見た獣人たちは街の中にもいて、武器を持って歩く姿も珍しくなかった。
少し先の武器屋では、俺より頭二つは低いのに、腕だけは丸太みたいに太い男が、店先で大きな槌を振るっている。
「あれは?」
「ドワーフね」
「ドワーフ!」
「声が大きい」
また見てしまった。
今度は向こうに睨まれた。
「……職人が多いって聞いたことはあるけど、本当にいるんだな」
「珍しい?」
「珍しいに決まってんだろ! ドワーフまでいるなら、エルフもいるのか!?」
「いるんじゃない?」
「どこ!?」
「知らないわよ」
「来たことあるんだろ?」
「エルフを探しに来たわけじゃないもの」
「そりゃそうだけど……」
辺りを見回してみたけれど、それらしい姿は見つからなかった。そもそも本物のエルフを見たことがないので、見つけたところで分かるのかは怪しい。
武器屋も気になるし、屋台も気になる。向こうで売っている丸い何かも気になって、足を止めるたびにリシェルに急かされた。
「あれ食えるかな」
「レイン」
「ん?」
今度はリシェルが俺の袖を引いた。
珍しい。
「どうした?」
彼女は答えず、一軒の建物を見ていた。入口の上には湯気を模した看板が下がっていて、その横に大きな文字が書かれている。
――湯屋。
「…………」
「…………」
リシェルが俺を見る。
「駄目」
「まだ何も言ってないでしょう!」
「風呂だろ」
「見るくらいいいじゃない!」
「顔がもう入る顔なんだよ!」
「どんな顔よ!」
昨日、宿場で風呂がなかったときとは正反対の顔だった。
宿に泊まらなくても、金を払えば風呂だけ利用できるらしい。しかも料金を見る限り、風呂付きの宿を取るよりずっと安い。
リシェルは看板の料金を確認し、俺も財布を取り出して残っている銅貨を数えた。
もう一度、料金を見る。
「……無理だな」
「どうして?」
「どうしても何も、金が足りないからだよ!」
「あるでしょう」
リシェルが荷物へ手を伸ばした。
「待て」
「何?」
「まさか」
取り出されたのは、見覚えのある金貨だった。
アルヴ金貨。
「これがあるわ」
「だからそれをそのまま出すな!」
「でもお金でしょう?」
「ここで使えるか分かんないだろ! また風呂屋買う気か!」
「買わないわよ!」
リシェルが頬を膨らませる。
とはいえ、こいつの言うことにも一理ある。王国では銅貨百枚で銀貨一枚、銀貨百枚で金貨一枚。アルヴ金貨がどれくらいの価値なのかは知らないが、金でできている以上、まったくの無価値ということはないだろう。
「……両替できないかな」
「両替?」
「これだけでかい街なんだ。外国の金を替える店くらいあるんじゃないか?」
リシェルの目が輝いた。
「探しましょう」
「急に元気になったな」
「情報収集よ」
「風呂だろ」
「情報よ」
昨日も聞いた気がする。
◇
両替商は思ったより簡単に見つかった。
近くの店で聞くと、大通りを少し進んだところに何軒か集まっているらしい。そのうちの一軒へ入ると、鉄格子のついた窓口の向こうで、眼鏡をかけた男が帳簿をつけていた。
壁には王国のものとは違う硬貨がいくつも並べられている。
「いらっしゃいませ。両替ですか?」
「はい。これなんですけど」
リシェルが金貨を置く。
男はそれを手に取ると、しばらく黙って眺めていた。裏返して光へかざし、今度は机の下から小さな道具を取り出して刻印を確かめる。
「……アルヴ金貨、ですか」
「ええ」
リシェルが普通に答えた。
男が顔を上げる。
「どちらで手に入れられました?」
「私のよ」
「おい!」
「何よ。本当でしょう?」
「言い方!」
男は俺たちを見比べたが、それ以上は追及しなかった。
「失礼しました。この辺りでは滅多に扱わない貨幣ですので」
「替えられますか?」
「正式なアルヴ金貨で間違いなければ、可能です」
「よかった!」
思わず声が出た。
これで金の問題は解決する。
「ただ――」
男がもう一度、金貨へ目を落とした。
「私では正式な鑑定ができません」
「……鑑定?」
「重量と金の純度までは確認できます。ただ、アルヴの貨幣として買い取るなら、刻印や鋳造法まで確認しなければなりません。この刻印も、私が普段扱うものとは少し違いますので」
リシェルが首を傾げた。
「そう?」
「専門の者なら分かると思います」
「その人は?」
「今、王都へ出ております」
嫌な予感がした。
「いつ戻ります?」
「予定では二週間ほど先ですね」
「二週間……」
隣を見ると、リシェルが固まっていた。
「今日じゃ駄目なの?」
「申し訳ありません」
「少しだけでも」
「リシェル」
「お風呂一回分でいいの」
「目的言っちゃったよ!」
男が一瞬、口元を押さえた。
「参考程度でよろしければ、この金貨に使われている金そのものにも相当な価値があります。真正のアルヴ金貨なら、王国金貨で三枚前後になる可能性もありますよ」
「三枚!?」
思わずリシェルを見る。
王国金貨一枚だけでも銀貨百枚。それが三枚。
「お前、そんなもんでパン二個買おうとしてたの!?」
「知らなかったのよ!」
「知らないで金貨出すなよ!」
「じゃあ次からあなたが払いなさい」
「そのための金がねえんだよ!」
とんでもない物を持っていた。
金欠どころか、換金さえできればしばらく金には困らない。
ただし、それは二週間後の話だ。
今は使えない。
結局、金貨はそのまま持ち帰ることにした。
◇
両替商を出ると、通りの向こうにはさっきの湯屋があった。暖簾をくぐって、さっぱりした顔の客が出てくる。
リシェルが見ている。
「…………」
「行くぞ」
「…………」
「見るな。悲しくなるだけだ」
「入れるのに」
「二週間後ならな」
「金貨三枚なのに」
「今の俺たちには湯屋一回分もねえんだよ」
金はある。しかも、たぶん結構ある。
なのに使えない。
世の中って難しい。
俺たちには今夜の宿代だって必要なのだ。風呂だけに残りの金を全部使うわけにもいかない。
少し歩いたところで、後ろから足音が聞こえなくなった。
「リシェル?」
振り返ると、リシェルはまだ湯屋の看板を見ていた。やがて、ぎゅっと拳を握る。
「……レイン」
「何?」
「金」
「は?」
「金よ」
赤い瞳に、妙な決意が宿った。
「金! 金がいるわ!!」
「声でけえよ!」
通行人が一斉にこっちを見た。
「だって必要でしょう!」
「必要だけど街の真ん中で叫ぶな! 俺たちがやべえ奴みたいだろ!」
「じゃあどうするのよ!」
「働くんだよ!」
「私が?」
「俺もだよ!」
「…………」
「なんでちょっと嫌そうなんだよ」
「嫌とは言ってないでしょう」
「顔が言ってんだよ!」
リシェルは不満そうに俺を見る。
「こういう仕事はしたことないのよ」
「だろうな。魔王が日銭稼いでたら嫌だよ」
「何が嫌なのよ」
「分かんないけど夢が壊れる」
「勝手に夢を持たないで」
それはそうだ。
「とにかく仕事を探すぞ。これだけでかい街なら、何かあるだろ」
「どこで?」
「……それを今から探す」
「知らないのね」
「俺もこんな街初めてなんだよ!」
とは言ったものの、どうしたものか。
今日来たばかりの俺たちを店が雇ってくれるかは分からない。荷運びなら俺はともかく、リシェルなら一人で何人分も働けそうだけど、そもそもどこへ行けば仕事をもらえるのかが分からない。
そんなことを考えながら歩いていると、前から武器を持った一団がやってきた。
大きな盾に、弓、剣。さっきから街で何度も見かけた冒険者らしい格好で、その中には犬のような耳を持った獣人も混じっている。
彼らは俺たちの横を通り過ぎ、そのまま一軒の大きな建物へ入っていった。
入口の上には、剣と翼を組み合わせたような紋章が掲げられている。
それを見た瞬間、昨日の宿で聞いた話を思い出した。
「あ」
「何?」
「そうだ」
冒険者ギルド。
「昨日聞いただろ。魔物を倒したり、依頼を受けたりする奴らが集まるところ」
「ギルド……」
「仕事、あるんじゃないか?」
リシェルが建物を見る。
「お金になる?」
「たぶん」
「行きましょう」
「即決だな!」
さっさと入口へ向かうリシェルを追いかけ、中へ入った瞬間、俺はまた足を止めた。
「……おお」
正面には長い受付があり、その向こうで何人もの職員が冒険者たちと話している。右側には紙がびっしり貼られた大きな掲示板があり、左側には机と椅子が並び、そのさらに奥では食事や酒まで出しているらしい。
「何だここ……」
「また始まった」
「だって初めてなんだから仕方ないだろ」
掲示板へ近づくと、貼られた紙にはそれぞれ違うことが書かれていた。
薬草採取、倉庫の荷運び、害獣駆除、落とし物の捜索。街道の護衛や魔物討伐なんてものまである。
そして、どの紙にも報酬が書かれていた。
「……金」
隣でリシェルが呟いた。
「そこしか見てないだろ」
「大事でしょう?」
「まあ、今はな」
俺は苦笑しながら、別の紙にも目を移した。
近隣の森で魔物を見たという報告。街道で荷馬車が襲われたという情報。遠くの村から出された調査依頼。
ただ金を稼ぐだけじゃない。
ここには、いろんな場所から情報が集まってくる。
「……リシェル」
「ええ」
「ここなら、探せるかもしれない」
「《修正》を?」
「ああ」
アルベルトの身体に起きた、あの異常。
あれと同じようなことが、ほかでも起きているかもしれない。
リシェルも掲示板を見上げ、しばらくそこに並ぶ依頼を眺めていた。
「……そうね」
「金も稼げる」
「お風呂にも入れる」
「そこに戻るのかよ」
「大事でしょう?」
「まあ、大事だけど」
俺はもう一度、ギルドの中を見回した。
武器なんてまともに使えないし、魔法も使えない。そもそも俺みたいな奴が冒険者になれるのかすら知らない。
でも、聞くだけならタダだ。
「行ってみるか」
「ええ」
二人で受付へ向かう。
空いていた窓口には、若い女性が座っていた。
「いらっしゃいませ。本日はどのようなご用件でしょうか?」
「あの」
少しだけ緊張しながら、俺は口を開いた。
「冒険者って、どうやったらなれますか?」
女性は一度俺を見て、それから隣のリシェルを見る。
「新規登録をご希望ですか?」
「はい」
「でしたら、まずこちらで登録をお願いします。その後、簡単な測定だけ受けていただきます」
「測定?」
「はい。すぐ終わりますよ」
「…………」
俺はリシェルを見た。
リシェルも俺を見る。
「……なんで私を見るの?」
「いや。なんとなく嫌な予感がして」
「失礼ね」
受付の女性が、不思議そうに俺たちを見ていた。
まあ、大丈夫だろう。
冒険者になるだけだ。
たぶん。
こうして俺たちは、冒険者になるための最初の一歩を踏み出した。




