第21話「ちょ、おま、何やったんだ!?こっち見て言え!?」
ー風呂というものは偉大だ。
昨日までの俺は、それを分かっているつもりだった。でも、たぶん分かっていなかった。
「……生き返った」
湯気の立つ湯船に肩まで沈みながら、思わず声が漏れる。一日中歩いたあと、温かい飯を食って、でかい風呂に入る。
銀貨二枚。...高い。高いけど――。
「……これは払うわ」
向こうの女湯から声がした。
「聞こえてんぞ!」
「何が?」
「独り言!」
「あなたも喋ってるじゃない」
どうやら壁の上の方が開いているらしく、声だけは普通に聞こえる。
「リシェル」
「何?」
「お前、金払ってないからな?」
「グランツで返すって言ったでしょう」
「アルヴ金貨そのまま渡すなよ」
「分かってるわよ!」
湯気の向こうから返事が飛んできた。俺は湯船の縁へ頭を預ける。身体の芯まで温かい。
昨日は地面で寝た。今日は風呂。旅っていうのは、思っていたより差が激しいらしい。
「ねえ、レイン」
「んー?」
「明日も宿?」
「金がもたない」
「……そう」
「露骨に残念そうにすんな」
「してないわよ」
「声で分かる」
少し間があった。
「じゃあ、グランツにはお風呂ある?」
「俺が知るわけないだろ」
「大きな街なんでしょう?」
「たぶん」
「なら、あるわね」
「急にグランツ行く理由増えたな」
「情報を集めるためよ」
「今、絶対風呂だったろ」
「情報よ」
声がちょっと強くなった。...図星らしい。
◇
翌朝。朝飯を食べ、宿を出る前に財布を確認する。
銀貨二枚。銅貨二十枚。昨日までと比べると、かなり心細い。
「今日は無駄遣い禁止な」
「誰に言ってるの?」
「パン屋を買おうとした奴」
「買おうとしてないわよ!」
「金貨出しただろ」
「パンを買おうとしたの!」
「結果として店が買えそうだったんだよ!」
宿の亭主が笑いながら手を振っている。
「グランツまでは街道を真っすぐだ! 今日は次の宿場まで行けるだろ。途中で道が分かれるが、でかい方を行けば間違いねえ!」
「ありがとうございます!」
「兄ちゃん、嬢ちゃんに財布持たせんなよ!」
「分かってます!」
「ちょっと!」
笑い声を背中に受けながら、俺たちは宿場を出た。
朝の街道は昨日より人が多かった。
グランツへ向かう荷馬車が何台も同じ方向へ進んでいる。俺たちはその脇を歩き、ときどき馬車に抜かれながら西へ向かった。
「昨日より歩きやすいな」
「そう?」
「身体が慣れてきたのかも」
最初は肩へ食い込んでいた荷物も、背負い方が分かってくると少し楽になる。
隣を見る。リシェルは相変わらず平然としていた。
「……疲れない?」
「少しは」
「嘘つけ」
「本当よ」
「じゃあ荷物代わる?」
「あなた、自分のだけでいっぱいでしょう?」
「……はい」
ぐうの音も出ない。俺より大きな荷物を背負っているくせに、こいつは息一つ乱れていない。
悔しい。
「その代わり、昼飯は頼むわね」
「そこはちゃんと役割分担なんだな」
「あなたが言ったんでしょう。できる方がやればいいって」
「まあな」
そう言われると何も返せなかった。
◇
昼は街道沿いの木陰で休んだ。
昨日買っておいたパンと干し肉。それに宿で分けてもらった果物を一つ。
「今日は料理しないの?」
「昼から火起こしてたら時間かかるだろ。次の宿場まで行きたいし」
「なるほど」
リシェルが素直に頷く。昨日なら「肉を狩る」とか言い出していた気がする。
少しは旅というものが分かってきたらしい。
「じゃあ夜は?」
「宿場に着ければ宿。高かったら飯だけ食って野宿」
「お風呂は?」
「諦めろ」
「まだ値段を見てないでしょう?」
「銀貨二枚しかないんだぞ」
「私の金貨が――」
「グランツまで封印」
「……細かいわね」
「金の話は細かくていい」
このやり取りも何度目だろう。果物を半分に切って渡す。リシェルは受け取ると、一口かじった。
「甘い」
「村でも食っただろ?」
「種類が違うわ」
「魔族領には?」
「似たものはあるわよ。でも、もう少し酸っぱい」
「へえ」
初めて聞く話だった。
「魔族領って、どんなとこ?」
「どんなって?」
「森とか街とか。俺、何も知らないから」
リシェルは少し考えた。
「場所によるわ。北は寒いし、ヴァルネアの辺りは森が多い。もっと西へ行けば乾いた土地もあるし、山に住む一族もいる」
「全部お前が治めてるの?」
「まさか」
「え?」
思わず聞き返した。
「魔王なんだろ?」
「魔王だけど?」
「魔族の王じゃないの?」
「人間なら全員アルセリア王の家来なの?」
「……違うな」
「そういうことよ」
「じゃあ魔王ってなんなんだよ」
「私が聞きたいわよ」
本人が言うな。でも、少しだけ分かった気がする。俺たちが「魔族領」と呼んでいる場所にも、色んな土地があって、色んな奴が暮らしている。当たり前と言えば当たり前なのに、今まで考えたこともなかった。
「じゃあヴァルネアは?」
口にしてから、少し迷った。帰れない場所の話だ。でもリシェルは嫌そうな顔をしなかった。
「私の城があるわ」
「城」
「何よ」
「本当に魔王なんだなって」
「今さら!?」
「今朝、芋一個ほとんど消してたから忘れかけてた」
「それと魔王は関係ないでしょう!」
「魔王でも芋の皮は剥けないんだな」
「次はできるわよ!」
リシェルが果物の種を投げてきた。
避けた。
……危なかった。
◇
その日の夕方には、二つ目の宿場へ着いた。
昨日の場所より小さく、宿は三軒。食堂が二軒と、小さな雑貨屋、それに馬を休ませる厩があるくらいだった。
もちろん風呂はなかった。リシェルは露骨に残念そうだった。
「顔に出てるぞ」
「出してないわ」
「風呂ないって聞いた瞬間、世界の終わりみたいな顔してた」
「そこまでしてないでしょう!」
今度の宿は一人銀貨一枚。二人で銀貨二枚。夕食つき。財布の銀貨が消えた。
「……レイン」
「言うな」
「銅貨はあるわよ」
「言うな」
「金貨も――」
「それも言うな」
グランツに着けば何とかなる。そう信じることにした。
◇
翌朝。
宿を出た俺たちは、再び西へ向かった。道は少しずつ広くなっていった。
最初は荷馬車一台が余裕を持って通れる程度だったのが、昼前には二台が並んですれ違えるほどになっている。
人も増えた。商人らしい一団。武器を持った旅人。
大きな荷車を引く馬。どこかの村から来たらしい家族。みんな同じ方向へ向かっている。
「近いのかな」
「たぶんね」
昼を過ぎた頃には、街道の両脇に畑が増え始めた。
その向こうには小さな家々も見える。
さらに歩く。やがて道が緩やかな坂を上り始めた。前を行く荷馬車が坂の向こうへ消えていく。
「レイン」
「ん?」
「もうすぐよ」
「分かるの?」
「ええ」
リシェルの声が少しだけ変わった。俺は何も聞かず、そのまま坂を上った。
そして。
「……は?」
足が止まった。丘の向こうう、遥か先まで続く街道の先に、巨大な壁があった。
最初は崖かと思った。でも違う。石だ。人が積み上げた石の壁が、左右へどこまでも伸びている。
その向こうには無数の屋根が重なり、さらに奥には何本もの塔が立っていた。壁の中央には大きな門が開き、そこへ向かって馬車や人の列が続いている。
「……でっか」
それしか出てこなかった。
「これ……全部、街なの?」
「ええ」
「村何個分だよ」
「知らないわよ」
リト村なんて、あの壁の中へ丸ごと入れてもどこにあるのか分からなくなりそうだ。
人の声。馬車の音。遠くからでも分かるほどの、人の気配。初めて見る、本物の都市。
胸の奥が勝手に騒いだ。
「すげえ……」
俺が見上げている横で、リシェルは黙って街を見ていた。
「リシェル?」
「何?」
「来たことある?」
「……あるわよ」
「やっぱり? じゃあ案内できるじゃん」
そう言うと、リシェルはなぜか俺から顔を逸らした。
「まあ……昔と変わってなければ」
「どれくらい前?」
「さあ。ずいぶん前よ」
「何しに来たんだ?」
「…………」
返事がない。
「リシェル?」
「……昔」
「うん」
「ちょっと……」
リシェルの頬を、一筋の汗が伝った。おかしい。今日はそんなに暑くない。
「……何した?」
「何もしてないわよ」
「こっち見て言え」
「さあ、行きましょう。グランツはもうすぐよ」
「おい」
リシェルはさっさと坂を下り始めた。
「おい、待て! 何したんだよ!?」
「昔の話よ!」
「だから何したんだって聞いてんだよ!」
巨大な城塞都市を前にして、さっきまであった俺の感動が、急速に別の不安へ変わっていく。
行き交う商人。門を守る兵士。空まで届きそうな城壁。
そして、その街から露骨に目を逸らす魔王。
……本当に入って大丈夫なんだろうな?
こうして俺たちは、城塞都市グランツへ辿り着いた。




