第20話「魔王様パン屋を買う!?」
「まず、確認するぞ」
宿場の入口で、俺は財布の中身を数えていた。銅貨が二十三枚。銀貨が六枚。
家を出るときに持ってきた自分の金と、ガルドが「どうせ必要になる」と半ば無理やり持たせてくれた分を合わせてこれだ。
多いのか少ないのかは、正直よく分からない。リト村じゃ金を使う機会なんてそれほどなかった。野菜をもらえば別の日に卵を返したり、何か手伝ってもらえば今度はこちらが手伝ったりする。商人から塩や布を買うときくらいは金を使うけれど、毎日財布を持ち歩くような暮らしじゃない。
「で、お前は?」
「人間のお金は持ってないわよ」
「一枚も?」
「ええ」
リシェルは堂々としていた。
「……今までどうやって買い物してたんだ?」
「買い物?」
その言葉そのものがよく分からないらしい。
「服とか、飯とか。欲しいものあっただろ」
「必要なものは用意されていたわ」
「ああ……」
そうだった。こいつ、魔王だった。
「じゃあ、自分で金払ったことは?」
「ないわね」
「一回も?」
「たぶん」
嫌な予感がした。
「いいか、リシェル。今日は俺から離れるなよ」
「子ども扱いしないで」
「俺たちの全財産を守るためだ」
「失礼ね。お金くらい使えるわよ」
使ったことのない奴が、何を根拠に言ってるんだ。
◇
宿場へ入って最初に驚いたのは、人の多さだった。昨日まで歩いてきた街道が、そのまま宿場の真ん中を貫いている。
道の両側には二階建ての宿や食堂、雑貨屋が隙間なく並び、その裏手にも家々が続いていた。リト村より建物の数は少なそうなのに、人の数はこっちの方がずっと多い。
理由はすぐに分かった。
俺たちが立っている間にも、グランツ方面から二台の荷馬車が入ってきた。馬を預かる厩には何頭も繋がれていて、荷台から樽や木箱を下ろす男たちの声が飛び交っている。
ここで暮らしている人だけじゃない。グランツへ行く人。グランツから来た人。その両方が、ここで飯を食って、馬を休ませて、一晩泊まっていくんだ。
「村っていうより……でっかい休憩所みたいだな」
「人間って、移動するだけでこんなに色々必要なのね」
「お前みたいに三日三晩走れる奴ばっかじゃないんだよ」
「三日も走らないわよ」
「二日?」
「……そのくらいなら」
「やっぱおかしいわ」
道の端では串焼きの肉を売っている。その向こうには果物を積んだ露店があり、食堂の前からは煮込み料理の匂いが漂ってきた。
そして少し先。ひときわ香ばしい匂いがした。
「レイン」
「駄目」
「まだ何も言ってないけど」
「パンだろ」
「……どうして分かったの?」
「ずっと見てるからだよ」
リシェルの視線は、さっきからパン屋の店先に釘付けだった。
屋台というより、小さな店だった。開け放たれた窓の向こうに丸いパンが何段も並び、奥では店主らしいおばちゃんが焼き上がったばかりのパンを籠へ移している。
「食べたい?」
「別に」
「じゃあ行くか」
「……少しだけ興味はあるわ」
「食べたいんじゃねえか」
朝飯を食べてからそれなりに歩いたし、俺も小腹が空いていた。
店へ近づくと、小麦と焼けた皮の匂いが一気に強くなる。
「いらっしゃい。焼きたてだよ。二つで銅貨三枚」
「じゃあ二つ――」
財布を出そうとしたところで、隣から手が伸びた。
「私が払うわ」
「え?」
リシェルが何かを差し出した。
金色だった。
俺は固まった。
店のおばちゃんも固まった。
リシェルだけが普通の顔をしている。
「これで足りる?」
「ちょ、待て待て待て待て!」
慌ててその手を掴んだ。
「何よ」
「それ金貨!」
「知ってるわよ?」
「パン二個だぞ!?」
「足りない?」
「逆だよ!!」
店先に俺の声が響いた。おばちゃんが一瞬ぽかんとしたあと、腹を抱えて笑い始める。
「お嬢ちゃん、それ一枚でうちのパンを何個買うつもりだい」
リシェルは店頭に並んだパンを見た。それから、店そのものを見た。
「……全部?」
「店ごと買う気か!?」
「違うの?」
「違うわ!」
「何よ。私、人間のお金なんて知らないもの」
「さっき使えるって言っただろ!」
「使えると思ったのよ!」
おばちゃんがますます笑っている。
「っていうかお前、金持ってないって言ったよな!?」
「人間のお金は持ってないわよ」
「じゃあそれ何だよ!」
「アルヴ金貨」
「なんだそれ!?」
「魔族領で使うお金よ」
俺は頭を抱えた。持ってるじゃねえか。
「使えないと思ったから数に入れてなかったのよ」
「じゃあなんで今出した!?」
「金としてなら使えるかもでしょう?」
「国が違うんだよ!」
「でも金よ?」
「そういう問題なのか!?」
分からない。俺だって外国の金なんて見たことがない。すると笑っていたおばちゃんが、リシェルの手元を覗き込んだ。
「ちょっと見せてみな」
リシェルが金貨を渡す。表面には、俺の知らない文字と模様が刻まれていた。
「へえ……あたしにゃ価値までは分からないけど、ずいぶん立派な金貨だね。ただ、こんなのこの辺じゃそのまま使えないよ」
「グランツなら?」
「両替商がいるさ。あそこは国境へ向かう商人も多いからね」
リシェルが俺を見る。
「使えるじゃない」
「今は使えねえの!」
「細かいわね」
「金の話は細かくていいんだよ!」
結局、俺が銅貨三枚を払った。リシェルはパンを受け取ると、まだ納得していない顔でアルヴ金貨をしまう。
「それ、グランツまで絶対勝手に使うなよ」
「分かったわよ」
「本当に?」
「昨日の芋みたいに確認するのやめてくれる?」
「お前の場合、確認した方がいいって二日で学んだ」
リシェルは不満そうにパンをかじった。次の瞬間、その顔が少し緩む。
「……おいしい」
「機嫌直るの早いな」
「焼きたてだもの」
俺も一口食べた。...確かにうまい。
◇
それから俺たちは、宿場を一通り歩いてみることにした。必要なのはまず宿。
それから、この先の街道についての情報。できれば最近増えているという魔物の話も聞きたい。
その間も荷馬車は何台も出入りしていた。荷物を運ぶ人。馬に水を飲ませる人。道端で車輪を直している人。
食堂の前では旅人らしい男たちが昼間から酒を飲み、その横を大きな籠を抱えた女の人が「邪魔だよ!」と追い払っていく。
ふと、リシェルが足を止めた。視線の先では、小さな男の子が母親らしい女性に叱られていた。
「だから走っちゃ駄目って言ったでしょう!」
「だって!」
「馬車が来たら危ないでしょう!」
どこにでもありそうな光景だ。
「人間って」
「ん?」
「こういうふうに暮らしてるのね」
「そりゃ暮らすだろ」
「知ってはいたわよ」
少しだけ間を置いて、リシェルは続けた。
「でも、見たことはあまりなかったから」
「ああ」
考えてみれば当然かもしれない。魔王が人間の宿場へ遊びに来るはずがない。
リシェルが人間を見る場所といえば、たぶん戦場だった。
「変?」
「いや。俺も魔族がどう暮らしてるか知らないし」
「……そうね」
「今度教えてよ」
「何を?」
「魔族の街とか、飯とか。普通に暮らしてるんだろ?」
リシェルは少し驚いたような顔をした。
「当たり前でしょう」
「じゃあ俺も知らないだけだ」
それで話は終わった。しばらく歩いたあと、隣から小さな声が聞こえた。
「いつかね」
「ん?」
「いつか行けたら、教えてあげる」
「おう」
いつになるのかは分からない。でも、行けたらいいなと思った。
◇
宿はすぐに見つかった。
街道沿いに建つ二階建ての大きな宿で、裏手には厩もある。入口の脇には《旅籠・跳ね馬亭》と書かれた看板がぶら下がっていた。
「二人かい?」
中へ入ると、腹の出た亭主が俺たちを迎えた。
「はい。一泊したいんですけど」
「夕食と朝食つきで、一人銀貨二枚だ」
「銀貨二枚……」
思わず財布を握る。リト村の感覚しかない俺でも、それなりに高いことは分かる。俺の顔を見て、亭主がにやっと笑った。
「初めてか? もっと安い宿なら向こうにもあるぞ。素泊まりなら銀貨一枚で釣りが来る」
「じゃあ、なんでここは二枚なんです?」
「そりゃ、うちはなんたって風呂が自慢だからな」
「風呂?」
俺より先にリシェルが反応した。亭主は嬉しそうに胸を張った。
「裏の井戸から水を引いてる。でっかい湯船に毎日湯を張ってるんだ。この辺じゃ風呂のある宿はうちだけだぞ。旅の疲れを取るなら銀貨二枚でも安いもんだ」
ちらりとリシェルを見る。
「泊まりましょう」
即答だった。
「お前な」
「昨日、野宿したのよ?」
「俺もいたよ」
「お風呂、入りたくないの?」
「入りたい」
「じゃあ決まりね」
「支払うの俺なんだけど」
「グランツに着いたら返すわ」
「金貨で返すなよ?」
「細かいわね」
「だから金の話は細かくていいんだって!」
銀貨四枚。財布の中に残った銀貨は二枚になった。銅貨はまだある。グランツまであと二日。
大丈夫。...たぶん。
「風呂は夕方からだ。それまで部屋使っていいぞ」
「ありがとうございます」
亭主から鍵を受け取る。隣を見ると、リシェルが少し嬉しそうだった。
銀貨四枚。まあ。嬉しそうだし、いいか。
◇
荷物を部屋へ置いたあと、俺たちは一階の食堂で、この先のことを相談した。
「グランツまであと二日か」
「そうみたいね」
「問題は金だな」
「私の金貨があるでしょう?」
「両替できればな。でも、それがいくらになるのかも分かんないだろ」
それに、これから先も旅を続けるなら、いつまでも持っている金を減らし続けるわけにはいかない。どこかで稼ぐ必要がある。
「あなた、色々できるでしょう?」
「できるけど、旅しながらできる仕事ってなるとなあ……」
畑仕事ならできる。薪も割れる。料理も裁縫も、それなりには。薬草も少し分かる。
でも、宿場ごとに仕事を探していたら、いつグランツへ着くか分からない。
「じゃあ、私は魔物を狩ればいいの?」
「それって金になるのか?」
「知らないわ」
「俺も知らない」
二人で黙った。この旅、知らないことが多すぎる。
すると隣の卓から笑い声がした。
「兄ちゃんたち、冒険者じゃないのか?」
「え?」
振り返ると、革鎧を着た三人組が、酒の入った木杯を手にこちらを見ていた。テーブルの脇には剣と槍が立てかけられている。
「魔物を狩って金にしたいなら、冒険者ギルドに持ってきゃいいだろ」
「冒険者ギルド?」
「知らねえのか?」
男は少し驚いたあと、面白そうに笑った。
「グランツにでかい支部がある。魔物討伐だけじゃねえぞ。採取、護衛、荷運び、探し物――金になる仕事なら大抵集まってる」
俺とリシェルは顔を見合わせた。金になる仕事。人が集まる場所。それなら――。
「情報も集まりますか?」
「そりゃな。グランツ中の噂が集まってくるような場所だ」
もう一度、リシェルを見る。今度は、向こうも同じことを考えているのが分かった。
「……行ってみる?」
「だな」
目的地は変わらない。でも、グランツへ着いてから、やることが一つ増えた。
冒険者ギルド。俺はその言葉を、頭の中でもう一度繰り返した。冒険者、なんだか、ものすごく強い奴がなるもののような気がする。
俺は自分の腕を見た。それから、隣で残ったパンを食べているリシェルを見る。
「……なあ」
「何?」
「冒険者って、俺でもなれると思う?」
リシェルはパンを飲み込み、少し考えた。
「さあ?」
「そこは大丈夫って言えよ!」
「だって、知らないもの」
「そうだけど!」
リシェルが笑う。
「行ってみれば分かるでしょう?」
それもそうか。
「じゃあ、行ってみるか」
「ええ」
まずはグランツ、そして、冒険者ギルド。
村を出たときには影も形もなかった次の目的が、ようやく少しだけ見えてきた。




