第19話 「芋はどこだ!?」
翌朝。
鳥の声で目を覚ますと、焚き火は小さな熾火だけを残していた。
身体を起こして大きく伸びをする。地面で寝たせいか背中が少し痛いけれど、思っていたよりは眠れたらしい。
焚き火の向こうでは、リシェルがもう起きていた。
「おはよう」
「おはよう。よく寝てたわね」
「初めての野宿だったから、もっと寝られないと思ってた」
「そう?」
「お前が見張ってくれてたからかな」
そう言うと、リシェルは一瞬だけ目を丸くした。
「……私、何もしてないわよ」
「何か来たら分かるって言ってただろ。それで十分」
「そう」
リシェルはそれ以上何も言わなかったが、少しだけ機嫌がよくなったように見えた。
さて。...腹が減った。
「朝飯にするか」
「芋ね」
「なんでそんな楽しみにしてんだよ」
「私がやるんでしょう?」
覚えていたらしい。
俺は荷物から芋を二つ取り出した。昨日、村のおばちゃんが追加で持たせてくれたやつだ。
「じゃあ、これ」
「任せなさい」
「待て」
小刀を受け取ろうとしたリシェルの手を止める。
「何?」
「先に言っとく。皮は薄く剥くんだぞ」
「昨日も聞いたわ」
「お前の『分かった』、昨日の焚き火で信用なくなってるからな」
「火と芋を一緒にしないで」
それもそうか。俺は小刀と芋を渡した。
「手ぇ切るなよ」
「私を誰だと思ってるの?」
「芋三つで旅に出ようとした奴」
「いつまで言うのよ!」
リシェルはむっとしながら、近くの倒木へ腰を下ろした。
俺はその間に火を起こし直す。
昨日リシェルが燃やしかけた薪の中から使えそうなものを選び、残っていた熾火へ細い枝を重ねる。息を吹き込むと、しばらくして小さな炎が戻ってきた。
そのまま鍋に水を入れようとして――ふと気づいた。
静かだ。いや、鳥は鳴いている。沢の音もする。
...ただ、芋の皮を剥いているはずのリシェルから、何の音もしない。
「……リシェル?」
「何?」
「できた?」
「できたわよ」
やけに自信のある声だった。嫌な予感がした。振り返る。
リシェルが満足そうに手を差し出している。その手のひらに、白っぽい何かが乗っていた。
小さい。
ものすごく小さい。
俺は立ち上がった。
「……リシェル」
「何?」
「芋は?」
「これよ」
「違う。俺が渡した芋」
「だから、これよ」
指を差される。
俺はその物体を摘まみ上げた。
大きめの卵くらいあったはずの芋が、親指の先ほどになっていた。
「…………」
「綺麗に剥けたでしょう?」
「芋はどこだ!?」
鳥が一斉に飛び立った。
「ここにあるじゃない!」
「ないよ! ほぼ皮になってるよ!」
「ちゃんと皮は全部取ったわよ!」
「実まで全部取ってんだよ!」
足元を見る。大量の芋。いや。本人が皮だと思っているものが山になっていた。
「なんでこうなるんだよ!」
「薄く剥いたわよ!」
「どこが!?」
「昨日見たでしょう? 私にとってはこれでも薄いわ」
「またお前基準か!」
リシェルは納得がいかないらしく、俺の手から小さくなった芋を取り返した。
「でも食べられるでしょう?」
「食えるけど、一口だよ!」
「じゃあ問題ないじゃない」
「大問題だよ! 食料が八割くらい消滅してんだよ!」
俺は頭を抱えた。
ーーそうだった。こいつには金銭感覚だけじゃなく、食料を節約するという感覚もたぶんない。
必要なら狩る。なければ探す。
それで生きていけるだけの力があるから、そもそも「限られたものを大事に使う」という発想が薄いのかもしれない。
「もう一個あるわよ」
「待て。絶対触るな」
「今度はもっと薄くするわ」
「駄目」
「できるわよ」
「駄目」
「練習しないと上手くならないでしょう?」
その言葉で止まった。リシェルが俺を見る。
「昨日、あなたが言ったじゃない。見てるだけじゃ覚えないって」
「……言ったな」
「なら、やらせて」
そう言われると弱い。残りの芋を見る。
こいつまで親指サイズになったら、俺たちの朝飯が消える。
でも――。
「……じゃあ、一緒にやるか」
「一緒に?」
「いきなり一人でやらせた俺も悪かった。貸して」
リシェルの隣に座り、もう一つの芋を手に取る。
「まず刃を深く入れすぎない。こう」
端の皮を少しだけ削いで見せる。
「これだけ?」
「これだけ。茶色いところが取れればいいんだよ」
「ずいぶん残ってるけど」
「そこが食うところなの!」
「……なるほど」
本当に分かってなかったらしい。
小刀を渡す。リシェルはさっきまでとは違い、かなり慎重に刃を当てた。
少し削る。止まる。...俺を見る。
「これくらい?」
「もうちょい薄くてもいいけど、まあ最初はそれでいい」
また削る。今度は少し厚い。
「あ」
「今のは厚いな」
「分かってるわよ」
「怒るなって。次気をつければいいだろ」
しばらくすると、形はいびつながらも、ちゃんと芋と呼べるものが残った。
リシェルがそれを手のひらに乗せ、最初の親指サイズの芋と見比べる。
「……全然違うわね」
「だろ?」
「最初からこう教えなさいよ」
「お前が自信満々に『任せなさい』って言ったんだろ!」
「それでも教えるのが先生でしょう?」
「いつから俺がお前の先生になった!?」
言いながらも、ちょっと笑った。リシェルも笑っている。
「でも、できたじゃん」
「ええ」
「次は一人でできそう?」
「できるわ」
「……ほんとか?」
「たぶん」
「よし。『たぶん』が言えるようになっただけ進歩だな」
「馬鹿にしてる?」
「褒めてる」
小刀が飛んできそうだったので、俺は鍋の方へ逃げた。
◇
朝飯は芋と野草のスープになった。ただし一人分の芋は、ほとんど存在していない。
「これ、あなたのね」
「なんで俺が小さい方なんだよ」
「私が剥いたものだから」
「失敗作を製作者が食えよ!」
「食べられなくなったら私が食べるって話だったでしょう? 食べられるんだから問題ないわ」
「そういうとこだけ覚えてんじゃねえよ……」
結局、まともな方の芋を半分ずつにした。親指芋も鍋に入れた。
煮上がる頃にはどこにあるのか分からなくなった。本当に芋はどこへ行ったんだ。
「おいしい」
「そりゃよかった」
リシェルは昨日と同じように、湯気の立つ器を両手で持っている。でも今日は少し違った。
「これ、私が剥いたのよね」
「半分はな」
「私が剥いた芋を、あなたが料理した」
「そうなるな」
「……なんか変な感じ」
「何が?」
「分からない」
そう言ってスープをもう一口飲む。俺もそれ以上は聞かなかった。
別に、答えが必要な話でもない気がした。
◇
野営の跡を片づけ、街道へ戻った。
昨日より荷物の背負い方にも慣れたのか、歩き始めは身体が軽い。リシェルも隣を歩きながら、ときどき道端の草や木を眺めていた。
「ねえ、あれは食べられる?」
「食えない」
「あれは?」
「腹壊す」
「じゃあ、あれ」
「知らん」
「知らないものもあるのね」
「あるに決まってんだろ」
「なんでも知ってるみたいに教えるから」
「村の周りにあるものを知ってるだけだよ」
俺が知っているのは、親父や村の人たちに教わったことばかりだ。食える草。毒のある実。薪に向く木。獣の足跡。天気が崩れる前の匂い。
村にいた頃は、そんなものを知識だと思ったこともなかった。知らなきゃ困るから覚えただけだ。
「でも、役に立つわ」
リシェルが前を向いたまま言った。
「何が?」
「あなたが知ってること」
「……そりゃどうも」
「昨日もそうだったし、今日もそう。私はたぶん、こういうことをほとんど知らないから」
少し前なら、「魔王のくせに」と茶化していたかもしれない。でも今は、そうする気にならなかった。
「じゃあ覚えればいいじゃん」
「簡単に言うわね」
「芋、一個でちょっと覚えただろ」
「一個を犠牲にしたけど」
「犠牲って自覚あったのかよ」
「今はあるわ」
それなら十分だ。歩きながら、リシェルが道端の草をまた指差した。
「あれは?」
「食える。けど苦い」
「こっちは?」
「それも食える」
「これは?」
「待て待て。一気に聞くな」
「暇なんだもの」
「だったら覚えろよ。帰りに聞くからな」
「試験する気?」
「芋の再試験もあるぞ」
「それはもう合格したでしょう!」
「保留だよ!」
そんなことを話しながら歩いているうちに、太陽はずいぶん高くなった。そして昼を少し過ぎた頃ーー
「あ」
街道の先に、屋根が見えた。一軒ではない。
何軒もの建物が道の両側に並び、その向こうでは荷馬車が行き交っている。入口近くには馬を繋ぐ場所もあり、人の声までここへ届いてきた。
「宿場……かな」
「たぶん」
昨日、辿り着けなかった最初の宿場だ。近づくにつれて人が増えていく。商人、旅人、荷物を運ぶ人、それに武器を持った連中もいる。
リシェルの歩みが、ほんの少しだけ遅くなった。
「どうした?」
「……人が多いわね」
「村よりはな」
「魔族だって気づかれないかしら」
そうか。俺にとってはただの宿場でも、リシェルにとっては違う。
「角ないし、見た目じゃ分かんないんだろ?」
「普通はね。でも魔力を細かく見られれば、気づく者がいるかもしれない」
「じゃあ、目立たないようにしよう」
「どうやって?」
「とりあえず昨日みたいな挨拶は禁止」
「……まだ言うの?」
「あと魔法も禁止」
「どうしてよ」
「焚き火であれだったんだぞ。宿場でやったら建物消えるだろ」
「消えないわよ!」
「ほんとか?」
「……たぶん」
「今の間で絶対使わせないって決めた」
リシェルが頬を膨らませる。その顔を見て、少し安心した。
「行こうぜ」
「ええ」
俺たちは並んで宿場へ入った。
旅に出て二日目。俺にとっては、生まれて初めて訪れる村の外の集落だった。リシェルにとっては――たぶん、生まれて初めて《魔王》としてではなく入る、人間の暮らす場所だった。
さて。目立たずに済めばいいんだけど。
「レイン」
「何?」
「お金って、どれくらい持ってる?」
俺は足を止めた。
「…………お前は?」
「持ってないわよ?」
当然でしょう、とでも言いたげな顔だった。宿場の入口で、俺は財布を開いた。
...旅に出て二日目。
今度は芋じゃないものが消えそうだった。




