第14話「前! 後ろ! 右、いやひだ...みだり!?」
「リシェル!! 右だ!!」
理由を聞き返す暇などなかったのだろう。リシェルが反射的に右へ跳んだ直後、黒い刃が彼女のいた場所を薙ぎ払った。
「――っ!?」
着地したリシェルが目を見開く。驚いているのはレインも同じだった。
異形の右腕に浮かんだ《攻撃》。左脚に現れた《移動》。そして身体の中心に重なった《標的》――リシェル。
それらが現れてから、異形は動いた。
偶然かもしれない。そう思った瞬間には、もう次の意味が浮かんでいる。《移動》と《攻撃》、そして今度の《標的》はロイドだった。
「ロイド! 動くな!」
「は!?」
「いいから!」
リシェルを狙っていたはずの異形が途中で身体を沈めた。ロイドは剣を構えたまま踏みとどまり、その鼻先を横薙ぎの刃が通り過ぎる。
「……おい、なんで分かった?」
「俺も今考えてる!」
「考えてから言え!」
「それじゃ間に合わないだろ!」
異形が向きを変える。まただ。身体が動く前に、意味が出る。
レインは息を止めるようにして異形を見た。次の《標的》はリシェル。《攻撃》は右腕に浮かんでいるが、それだけでは何をするのかまでは分からない。
「リシェル、来る!」
「どっち!」
「分かんない!」
「役に立つのか立たないのかどっちなのよ!」
悪態をつきながらも、リシェルはもう身構えていた。異形が踏み込み、右腕の刃を突き出した瞬間、彼女は最小限の動きで身体をずらし、そのまま至近距離から黒い魔力を叩き込む。
異形の肩が弾け飛んだ。
「当たった……」
思わず声が漏れた。
意味は見える。ただし、未来が見えるわけではない。《攻撃》と分かっても、それが斬撃なのか突きなのかまでは分からないし、《移動》が見えても、どこまで動くのかは分からない。
それでも、何も知らずに受けるのとはまるで違う。
「もう一回来る!」
今度はリシェルが聞き返さなかった。異形が動き出すより先に距離を取り、振り下ろされた刃をかわす。そのまま黒い光を放とうとしたところで、異形の左腕に別の意味が浮かんだ。
《迎撃》
「撃つな!」
リシェルが寸前で手を止める。直後、異形の左腕が跳ね上がり、そこから伸びた黒い棘が彼女の目の前を通り過ぎた。
「……それも見えるの?」
「今初めて見た!」
「先に言いなさいよ!」
「今初めて見たって言っただろ!」
攻撃だけではない。移動も、標的も、迎撃もある。異形の身体に現れる意味は、これから何をするのかを示している。
ーーなら、それを追えばいい。
そう思った途端、右腕に《攻撃》、脚に《移動》、身体の中心には《標的》。さらに別の場所にも意味が浮かび、レインの視線が慌ただしくそれらを追った。
「リシェル、前! いや後ろ! 右……違う、ひだ……みだり!」
「どこよそれ!!」
「俺だって分かんねえよ!!」
「自分で言ったんでしょうが!」
「今初めてやってんだよ!」
叫んでいる間にも異形は動く。リシェルが辛うじて刃をかわしたと思った次の瞬間、レインの視界に別の《標的》が飛び込んできた。
「ロイド、後ろ!」
「どっちの後ろだ!」
「俺に聞くな!」
「お前が指示してんだろ!」
「レイン!」
リシェルの声に振り向いたときには遅かった。
「しまっ――」
異形が眼前まで迫り、リシェルが咄嗟に張った障壁へ巨腕が叩きつけられた。衝撃に押されて彼女の足元の土が抉れる。
「くっ……!」
「ごめん!」
「謝る暇があるなら見て!」
「無茶言うなよ!」
「あなたが始めたんでしょうが!」
その通りだった。
意味が先に見えるからといって、戦場がゆっくりになるわけではない。リシェルだけを見ていればロイドへの攻撃を見落とし、ロイドを追えば別の意味が浮かぶ。少し離れた場所ではマリエラが傷ついた村人を下がらせ、狩人たちは次の矢を番えている。
全部を追おうとした途端、かえって何も見えなくなった。
「……違う」
レインは頭を振った。全部を見る必要なんてない。
今、一番危ないのは誰か。異形は何をしようとしているのか。それを止めるには、誰が動けばいいのか。
まず、見るべきものを一つに絞る。異形の中心に浮かんだ《標的》はロイドだった。
「ロイド、狙われてる!」
「それだけ分かれば十分だ!」
ロイドが剣を構える。異形の右腕には《攻撃》、左腕には《迎撃》が浮かんでいる。真正面から行けば、迎え撃たれる。
「正面から行くな! リシェル!」
名前を呼んだだけだった。それでもリシェルは理解した。
ロイドへ向かっていた異形の横腹を黒い光が薙ぎ払い、体勢を大きく崩す。その隙にロイドが踏み込み、片脚へ剣を叩き込んだ。
「今なら撃てる!」
少し離れた場所で待っていた狩人たちの矢が飛び、一本は弾かれたものの、二本が肩と脇腹へ突き刺さる。
異形が初めて後退した。
「……いける」
自然に言葉が漏れた。
さっきまでリシェル一人が、あいつの変化に追い立てられていた。そこへロイドが入っても、マリエラが加わっても、狩人たちが矢を放っても、戦況は悪くなるばかりだった。
全員が、それぞれに戦っていたからだ。
リシェルは強い。ロイドは剣が使えるし、狩人たちは遠くから攻撃できる。傷ついた者がいれば、マリエラが治せる。
なら、自分まで剣を振る必要なんてない。
誰が、いつ動けばいいのか。
ーーそれを見ればいい。
「もう一回来る!」
異形が地面を蹴る。今度の《標的》は狩人たちだった。
「弓、下がって! ロイドは追わなくていい!」
「了解!」
返事が早い。
狩人たちへ向かう異形の進路を黒い光が横切った。リシェルの一撃を避けて異形が横へ跳ぶと、その先にはロイドが待っている。
「こっちへ来ると思ったぞ!」
「嘘つけ! 俺が言ったからだろ!」
「格好つけさせろ!」
振り抜かれた剣が異形の腕を弾く。リシェルが追撃しようとした瞬間、《迎撃》が浮かんだ。
「待て!」
彼女の動きが止まり、直後に黒い棘が空を切った。
《迎撃》が消える。
「今!」
黒い閃光が異形の胸を直撃し、巨体を大きく吹き飛ばした。地面を転がった異形が立ち上がろうとするところへ矢が降り、さらにロイドが踏み込んで脚を斬り払う。
「リシェル!」
「分かってる!」
黒い魔力が叩きつけられ、異形の身体が地面へ沈んだ。
少し前までとは明らかに違う。一度一度の攻防だけなら、こちらが押し始めている。
ただ、その代わりにレインの頭は熱を持ったように重くなっていた。意味を読み、標的を確かめ、仲間の位置を見て、誰なら間に合うのかを考える。その間にも異形は動き、次の意味が浮かんでくる。
「……忙しすぎるだろ」
「何か言った?」
「お前、よくこんなの一人で相手してたなって!」
「私を誰だと思ってるの!」
「患者!」
「ガルドみたいなこと言うな!」
怒鳴ったリシェルの顔には、ほんの少し余裕が戻っていた。それが何より大きかった。
レインが声を飛ばすようになってから、彼女はすべての攻撃を一人で受け止めなくてよくなった。ロイドも必要な瞬間だけ前へ出るようになり、負った傷をマリエラに治してもらう余裕さえ生まれている。
戦況が変わっていた。自分は一度も剣を振っていないのに。
再び立ち上がった異形の右腕に《攻撃》、中心に《標的》、左腕には《迎撃》が浮かぶ。狙われているのはリシェルだ。
レインは一瞬考え、ロイドを見た。
「ロイド、前に出て」
「迎撃されるんじゃないのか?」
「される。でも攻撃しなくていい」
「……分かった」
ロイドが走ると、異形の左腕に浮かんだ《迎撃》が濃くなった。
やっぱりだ。
「そのまま! 剣振らなくていい!」
「怖い注文するな!」
異形の左腕が動く。ロイドが身を沈めると、迎撃の刃がその頭上を振り抜かれた。
その瞬間、異形の右側が空いた。
「リシェル、今!」
黒い光が走り、異形の脇腹から胸までを吹き飛ばす。巨体が大きく傾いたところへ狩人たちの矢が飛び、リシェルがさらにもう一撃を重ねた。
轟音とともに異形が地面へ叩きつけられる。
「……今の」
レインは自分でも驚いていた。
未来を読んだわけではない。ロイドへ《迎撃》を向けさせ、その間にリシェルが攻撃できる場所を作ったのだ。
見えた意味を伝えただけではない。相手がどう動くのかを見て、こちらの動きを組み合わせた。
もう一度できるだろうか。そう考えるより早く異形が起き上がり、今度はロイドへ《標的》が向く。
「リシェル、まだ撃つな!」
返事はなかった。ただ、彼女は集めた魔力をそのまま留めた。
「ロイド、二歩だけ前!」
「二歩だけってなんだよ!」
「それ以上行くと殴られる!」
「先に言え!」
文句を言いながらも二歩進むと、異形がわずかに反応して《迎撃》が浮かんだ。
レインは待つ。
ーー異形の腕が動いた。
「下がれ!」
ロイドが後ろへ跳び、刃が空を切る。
「リシェル!」
今度は名前を呼ぶだけでよかった。
黒い閃光が異形の肩を消し飛ばし、そこへ矢が続く。一本が脚へ刺さって姿勢を崩したところで、レインはもう一度叫んだ。
「もう一発!」
「誰に言ってるの?」
「お前以外に誰がいるんだよ!」
「命令しないで!」
「じゃあお願い! 撃ってください魔王様!」
「それはそれで腹立つ!」
文句を言いながらリシェルが撃ち、異形が吹き飛んだ。
ロイドが思わず笑う。
「お前ら、戦ってる最中くらい仲良くできないのか!」
「してる!」
「してない!」
「どっちだ!」
レインも笑いかけたが、すぐに異形へ視線を戻した。
油断はできない。あいつは壊れるたびに変わり、こちらが優位になれば、また《適応》する。
それでも、さっきまでとは違う。
戦える。
リシェル一人が無理をする必要も、ロイドが身体を張り続ける必要もない。狩人たちは闇雲に矢を放たずに済み、マリエラも次々増える負傷者に追われなくなっている。
そしてレイン自身も、戦場へ飛び込む必要はなかった。
すぐ隣には、まだ村長がいる。
「……村長」
「なんじゃ」
「俺ここに居るから、離してくれ」
「信用できんな」
「大丈夫。むしろ――」
レインは異形から目を離さないまま続けた。
「ここからがいい」
少し離れているからこそ、全体が見える。リシェルもロイドも狩人たちも、そして異形に浮かぶ意味すらも。
村長はしばらく黙っていたが、やがて鼻を鳴らしてレインを離した。
「なら、しっかり見とれ」
「ああ」
異形が再び動く。
けれど、レインはもう最初のように一つ一つの意味へ振り回されなかった。全部を見るのではなく、今必要なものを見る。
誰を狙っているのか。何をしようとしているのか。そして、誰ならそれを止められるのか。
その三つを繋ぐ。
「ロイド、右から回って!」
「おう!」
「弓はまだ!」
狩人たちが弦を引いたまま待つ。
「リシェル、正面!」
「分かってる!」
異形がロイドへ《迎撃》を向けた。
「今、弓!」
矢が飛び、異形の意識が揺れる。
「リシェル!」
黒い魔力が真正面から炸裂した。
「ロイド!」
「任せろ!」
大きく仰け反った異形の脚へ剣が入り、巨体が崩れる。
「下がって!」
全員が一斉に距離を取った。
次の瞬間、リシェルの両手から放たれた黒い奔流が異形を呑み込んだ。地面が震え、爆風が村の手前まで届き、巻き上げられた土煙が空高く昇っていく。
やがて静かになった。
地面に残っているのは、大きく抉れた跡と黒い破片だけだった。
「……やった、か?」
ロイドが息を切らしながら呟く。
「それ言うと復活するぞ!」
「俺も駄目なのか!?」
「念のため!」
「レイン君、その理屈なら誰も何も言えません!」
「シスターが始めたんだろ!」
「まだ言いますか!?」
マリエラの抗議を聞きながらも、レインは黒い破片から目を離さなかった。
わずかに動く。
やはり、終わっていない。
《再構築》
「……またか」
ロイドが剣を下ろしかけた手を戻す。ただ、その声にさっきまでの絶望はなかった。
リシェルも肩で息をしているものの、最初のように一人で前へ出ようとはしない。黒い破片を見つめたあと、彼女はレインへ顔を向けた。
「レイン」
「ん?」
「次は?」
その問いに、レインは一瞬だけ黙った。
さっきまで、自分が彼女に聞いていた。どうするのか、どうすればいいのか、自分に何ができるのか。
今は、リシェルの方が聞いている。
レインは再構築を始めた破片を見つめた。何度壊しても戻ってくるのなら、同じことを繰り返すだけでは終わらない。
「……もう一回、倒そう」
「また壊すの?」
「ああ」
「結局それ?」
「でも、次は違う」
黒い糸が破片同士を繋ぎ始める。
「今まで、直ったあとのあいつばっかり見てた」
「……それが?」
「次は――」
再構築されていく異形の身体に、《修正》が浮かぶ。
レインはわずかに目を細めた。
「直ってる途中を、ちゃんと見る」
リシェルも黒い破片へ視線を戻す。
「何かあると思う?」
「分かんない」
「またそれ?」
「だから見るんだよ」
リシェルが小さく笑った。
「……分かった」
異形が再び形を取り始める。
ロイドが剣を構え、狩人たちが弓を番えた。マリエラも三環印を握り直す。
誰も、レインに理由を聞かなかった。
レインは全員の位置を確かめると、再構築されていく異形を見据えた。
「来るぞ」
今度は、その一言だけで全員が動いた。




