第11話 「魔王がいても芋は育つ!?」
結局、誰もすぐには答えを出せなかった。
勇者アルベルトは死んでいるのに、魔王リシェルは生きている。それどころか、聖剣に貫かれた傷まで治り始めている。
言葉にしてしまえばそれだけなのだが、ではこれからどうすればいいのかとなると、途端に誰も分からなくなった。
「まず、アルベルト様のことを教会へ報告します」
診療所の小さなテーブルを囲み、最初に口を開いたのはマリエラだった。
窓の外では昼を知らせる鐘が鳴っている。リト村に立派な鐘楼などないので、村長の家の軒先に吊るされた古い鐘を、当番が三回叩くだけだ。
いつもなら、それを合図に畑から人が戻ってくる。
今日は戻ってきた人間のほとんどが、なぜか診療所の周りをうろうろしていた。
「見世物じゃないぞ!」
窓を開けたガルドが怒鳴ると、三つほど頭がさっと引っ込んだ。
「まったく……」
「気になるんだろ」
レインが言うと、ガルドは鼻を鳴らした。
「だからって診療所を囲むな。病人が休めん」
「私なら平気よ」
「お前が一番の病人だ」
寝台に腰掛けたリシェルが何か言い返そうとしたが、ガルドに睨まれて口を閉じた。
その様子を見ていたロイドが、なんとも言えない顔をする。
「……本当に魔王なんだよな?」
「失礼ね」
「いや、すまん」
「なんで謝るのよ」
「俺にも分からん」
ロイドは疲れたように額を押さえた。
朝から勇者の死体を調べ、その勇者を殺した魔王と同じ部屋に座り、しかもその魔王が村医者に怒られている。たぶん、護衛として想定していた一日の中にはなかったのだろう。
「それで」
村長が咳払いをした。
「勇者様のことを報告する、というのは分かった。どこへだ?」
「まずグランツの教会です。そこから王都セレスの大聖堂へ、最優先で報せが送られます」
「遺体は?」
「本来であれば、私たちだけで動かすべきではありません。グランツから神官と騎士が派遣されると思います」
マリエラはそこで言葉を止めた。
全員の視線が、自然とリシェルへ向く。
「……何よ」
居心地が悪そうにリシェルが眉を寄せる。
「もう一件、報告しなければならないことがあります」
「私ね」
「はい」
マリエラは誤魔化さなかった。
「魔王を発見した以上、教会へ報告しないという選択はできません」
部屋の空気がわずかに張り詰めた。
ロイドは剣を抜かなかったが、腰の柄へ手を添えている。リシェルもそれに気づいているはずなのに、特に構える様子はなかった。
「好きにすればいいわ」
「リシェル」
「事実でしょう。私は魔王で、この人たちは教会の人間。報告しない方がおかしいわよ」
マリエラが少し驚いたように目を瞬かせる。
「止めないのですか?」
「止めたらどうするの?」
「……困ります」
「でしょうね」
「そこで納得するのかよ」
レインが口を挟むと、リシェルは肩をすくめた。
「報告されるのが嫌なら、この二人を殺すしかないでしょう」
ロイドの指が、ぴくりと剣の柄を握り込んだ。
「お前な……!」
「だから、しないって話よ」
「言い方!」
「面倒ね、人間って」
「お前が面倒にしてるんだよ!」
二人のやり取りを見ていたマリエラが、小さく息を吐いた。
「私たちも、あなたをどう扱うべきなのか分かりません」
その言葉に、リシェルが彼女を見る。
「教会にとって魔王は、人々へ災いをもたらす存在です。勇者様が命を懸けて討つべき敵でもあります。私は、それを疑ったことはありません」
「そう」
「ですが、今ここにいるあなたは村を襲っていない。少なくとも私が到着してから、人を傷つけてもいません」
「昨日までは寝てたからな」
「レイン君」
「はい」
怒られた。
マリエラは眉間を押さえてから、話を続けた。
「何より、勇者様に起きたことが分かりません。亡くなっていたはずの身体が動き、聖剣を振るい続けていた。そして先ほど、突然それが止まった」
レインは黙ってマリエラを見た。
彼女には見えていない。
アルベルトに浮かんでいた《使命》《討伐》《完遂》。その奥に一度だけ残っていた《守れ》も、途中で現れた《修正》も、最後に聖剣へ浮かんだ《切断》も。
見えていたレインにだって、何が起きたのかは分からない。
「だからこそ、私は見たままを報告します」
マリエラは言った。
「勇者アルベルト様の死亡。そして、魔王リシェルの生存。リト村で起きたことも、私が確認できた範囲についてはすべて」
「その後は?」
村長が尋ねる。
「分かりません。大聖堂の判断を仰ぐことになります」
「討伐隊でも来るのか?」
「可能性はあります」
今度は誰も軽口を挟まなかった。
マリエラ自身、その言葉を口にするのが苦しそうだった。
「ただ……」
彼女は一度、リシェルを見た。
「勇者様を失った現在、魔王を討つ手段がありません」
「じゃあ、来ても意味ないじゃん」
「それと何もしないことは別です」
「どう違うの?」
「人々を守るために、教会にはできることを考える責任があります」
レインには、その答えが少し意外だった。
リシェルを悪だと言い切るわけでもない。だから安全だと言うわけでもない。分からないから、分からないまま持ち帰る。
昨日の《調停要求》と違って、人間のやることはずいぶん面倒くさい。
けれど、レインにはそちらの方が少しだけまともに思えた。
「なら、ちょうどいいわ」
リシェルが寝台から足を下ろした。
ガルドの眉が跳ね上がる。
「何をしてる」
「出ていくのよ」
「どこへ」
「村の外」
「見れば分かる。どこへ行く気だと聞いてる」
リシェルは立ち上がりかけた姿勢のまま、少し黙った。
「……決めてない」
「決めてないのかよ!」
レインが思わず声を上げる。
「仕方ないでしょう! 人間の土地なんて詳しくないもの!」
「魔王だろ!?」
「魔王が人間の街道に詳しいと思う!?」
「魔王、思ったより不便だな!」
「うるさい!」
立ち上がったリシェルが一歩踏み出し――ふらついた。
すかさずガルドが肩を押さえ、そのまま寝台へ戻す。
「ほら見ろ」
「もう歩ける!」
「今ふらついた奴が言うな」
「ちょっと立ち眩みしただけよ!」
「患者はみんなそう言う」
リシェルが悔しそうに唇を噛んだ。
レインは笑いかけて、やめた。
彼女の周囲に見えたものが、昨日までとは少し違っていたからだ。
《焦燥》と《警戒》。その奥には、まだ《恐怖》が残っている。
「なんでそんなに急ぐんだよ」
レインが尋ねると、リシェルは顔を背けた。
「別に」
「別にじゃないだろ」
「傷が治るなら、ここにいる必要がないだけ」
「ガルドはまだ治ってないって言ってるぞ」
「魔力が戻れば自分で治せる」
「じゃあ治ってから出ればいいじゃん」
「しつこいわね!」
思わず大きくなった声にガルドが目を向けると、リシェルは気まずそうに視線を逸らした。
「……ここにいたくないのよ」
「なんで?」
「分からない?」
「分かんないから聞いてる」
「あなた、変なところだけ鈍いわね」
「悪かったな」
リシェルはしばらく黙っていた。
窓の外では、追い払われた村人たちがまた少しずつ集まり始めている。今度は診療所を覗き込まず、少し離れた場所でひそひそと話していた。
その中には、朝に黒パンを持ってきた婆ちゃんもいる。
リシェルも気づいたらしい。
「……アルベルトは、私を追ってここまで来た」
「うん」
「死んだ後まで」
その言葉だけは、先ほどまでより少し小さかった。
「それを動かしていたものが何なのかは分からない。でも、また来ない保証もない」
リシェルの指が、肩に掛けた毛布を強く握った。
そこでようやく、レインにも分かった。
リシェルは自分が怖いから逃げたいのではない。いや、それもあるのだろう。だが、それだけではない。
「村を巻き込みたくないのか?」
リシェルの眉がぴくりと動いた。
「違うわ」
「いや、絶対それだろ」
「違う」
「じゃあ何?」
「こんな小さい村、巻き込む価値もないって言ってるの」
「もっとひどくなったぞ」
「そういう意味じゃ――」
リシェルが言葉に詰まった。
その周囲に、小さく《感謝》が浮かぶ。
レインはそれを見て、何も言わなかった。
昨日決めたばかりだ。見えるからといって、全部口にしていいわけじゃない。
「とにかく」
リシェルは咳払いをした。
「私は出ていく。教会へ報告するなら好きにすればいいし、討伐隊でも何でも送ればいいわ」
「来たらどうする?」
ロイドが尋ねる。
「逃げる」
「戦わないのか?」
「相手によるわ。殺せもしない相手に大勢で向かってくるなら、付き合ってあげる理由もないもの」
ロイドは少しだけ目を細めた。
敵意ではない。むしろ、目の前の魔王がどういう存在なのかを測っているように見えた。
「……魔王ってのは、もっと人間を皆殺しにしたがるものだと思ってた」
「人間ってのは、もっと会ってすぐ魔王に斬りかかってくるものだと思ってたわ」
「さっき斬りかけた」
「そうだったわね」
ロイドは剣の柄から手を離し、気まずそうに頭を掻いた。
「悪かった」
「……変な人間」
「お前に言われたくない」
二人の間に妙な沈黙ができた。
レインはそれを眺めながら、少しだけ笑った。
たぶん、こういうものなのだ。
人間や魔王、教会や勇者。そういう名前だけで相手を見ていれば、もっと簡単だったのかもしれない。
実際に顔を合わせて話してしまうと、途端に面倒になる。
「よし」
ガルドがぱん、と手を叩いた。
「話が終わったなら今日は休め。出ていくのは早くても明日だ」
「今日行く」
「明日だ」
「もう治り始めてる!」
「明日だ」
「魔王よ、私!」
「患者だ」
リシェルが黙った。
強い。
ガルドが。
「じゃあ決まりだな」
村長が立ち上がった。
「勇者様のことは、わしからも村の者に説明する。魔王については……」
ちらりとリシェルを見る。
「どう説明したもんかのう」
「魔王でいいわよ」
「そう言うと村が大騒ぎになる」
「もう十分大騒ぎでしょう」
「それもそうだ」
村長が頭を掻いた。
話はひとまず終わった。
マリエラとロイドは、午後のうちにグランツへ向かうことになった。馬なら日が落ちる前に次の宿場まで進めるらしい。勇者の遺体は村で預かり、リシェルは明日まで診療所で安静。
そしてレインは――特に何も決まっていない。
「俺だけ暇じゃん」
「畑手伝え」
村長に即答された。
「こんな日に!?」
「こんな日でも芋は育つ」
それはそうだった。
◇
午後になっても、リト村は妙に落ち着かなかった。
勇者が死に、魔王がいる。その二つが同じ日に判明したのだから当然なのだが、それでも牛には餌をやらなければならないし、畑の水路が詰まれば掃除もしなければならない。
世界がひっくり返っても、芋は待ってくれないらしい。
レインは水路に溜まった枝を拾いながら、何度目か分からないため息を吐いた。
「なんなんだよ、ほんと……」
勇者に魔王、それどころか女神まで関わっているかもしれない。《修正》も《切断》も、昨日までのレインなら知るはずもなかったものだ。
気づけば、それら全部が村の入口まで押しかけてきている。
しかも明日には、リシェルがいなくなる。
そのことを考えると、なぜか落ち着かなかった。
「……別にいいだろ」
助けた。ガルドに診せた。傷も治り始めたし、本人も歩けると言っている。
なら、もういいはずだ。
あの《助けて》には、ちゃんと応えたのだから。
レインは泥のついた枝を水路の脇へ放り投げた。
その時、森の方角から一斉に鳥が飛び立った。
「……え?」
レインは顔を上げた。
十や二十ではない。エルネ大森林の木々から次々と鳥が飛び出し、瞬く間に空の一角を黒く染めていく。
森の奥で、何かが動いていた。
まだ姿は見えない。
それでも、一本、二本と木々が揺れ、枝が跳ねる。そのたびに鳥たちが空へ逃げていった。
あの日と同じだった。
森が、逃げている。
「おい……」
背中が冷たくなる。
茂みが大きく揺れた。
飛び出してきたのは、巨大な牙を持つ魔獣だった。
「グレイボア……?」
レインでも知っている。エルネ大森林の奥に棲む大型の魔獣で、大人が数人がかりでも近づきたくない相手だ。
だが、そのグレイボアはレインを見ても襲ってこなかった。
土を蹴り上げ、すぐ脇を駆け抜けていく。
その周囲には《負傷》《逃走》《恐怖》が浮かんでいた。
「また……?」
次にゴブリンが飛び出してきた。その後ろからホーンラビット、さらにフォレストウルフまで続く。
本来なら食う側と食われる側の魔物たちが、互いの存在など気にも留めず、同じ方向へ逃げていった。
村とは反対側へ。
ただ、何かから少しでも遠ざかろうとするように。
「レイン!」
村の方から声がした。
振り返ると、リシェルが走ってくる。肩にはまだガルドに掛けられた毛布が乗ったままだ。
「お前、寝てろって!」
「この気配で寝てられるわけないでしょう!」
「気配?」
リシェルは答えず、レインの横まで来ると森の奥を睨んだ。
さっきまで診療所で見せていた顔とは違う。赤い瞳が鋭く細まり、肩から毛布を滑り落とす。
「……来た」
「何が?」
「分からない」
「お前でも?」
リシェルの表情が険しくなる。
「魔力に似てる。でも……こんなの、知らない」
森の奥で、何かが光った。
一瞬遅れて、腹の底まで震わせるような低い音が響き渡る。逃げていた魔物たちは、その音に追い立てられるようにさらに速度を上げた。
吹き抜けた風が、リシェルの長い黒髪を揺らす。
「レイン」
「ん?」
「村へ戻って」
声が違った。
冗談でも、強がりでもない。
「なんで?」
「たぶん――」
森の奥から、木のへし折れる音がした。
一本ではない。
進路上にあるものを押し潰すように、音はまっすぐこちらへ近づいてくる。
そしてレインの視界に、まだ姿さえ見えない何かから、一つの意味が浮かび上がった。
感情ではない。
飢えでも、怒りでも、恐怖でもない。
あの時と同じ、誰が抱いているのかさえ分からない冷たい意味。
《修正》
レインの喉が鳴った。
「……リシェル」
「何?」
「たぶんじゃない」
森の向こうで、巨大な影が動いた。
「来た」




