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第10話 「え!?クビって生えるの!?」

勇者アルベルトは、死んでいた。


 それ自体は、昨日のうちにリシェルから聞いていた。


 けれど、聞いて知っていることと、目の前で確かめることはまるで違う。


 村の入口には、いつの間にか人だかりができていた。その中心で、アルベルトは敷かれた毛布の上に横たわっている。


 マリエラは何度も脈を確かめ、胸へ耳を当てた。瞼を開き、呼吸を確かめ、それでも納得できなかったのか、最後にはロイドまで呼んで同じことをさせた。


「……間違いありません」


 ようやく顔を上げたマリエラの声は、ひどく重かった。


「アルベルト様は、亡くなっています」


 村人たちから声は上がらなかった。


 ついさっきまで、勇者が村に来たと騒いでいたのだ。子どもたちは見に行こうとして大人に止められ、婆ちゃんは黒パンを食わせようとしてレインに止められた。村長など、勇者に村の名前を覚えてもらえるかもしれないと少し浮かれていたくらいだった。


 その勇者が今は、物言わぬ身体になって目の前に横たわっている。


 いや、違う。


 最初から死んでいたのだ。ただ、動いていただけだった。


「……いつからだ」


 村長が絞り出すように尋ねると、マリエラは膝をついたまま振り返った。


「何がですか?」


「勇者様だよ。いつ、亡くなったんだ」


「分かりません。少なくとも私がグランツを発った三日前、教会からは魔王討伐を継続中との連絡がありました」


「三日前……」


 村長が腕を組んで唸る。


 マリエラはもう一度アルベルトへ視線を戻した。


「王都から正式な訃報はありません。勇者様がお亡くなりになったのなら、本来ならば教会へ最優先で報せが届くはずです」


「でも、死んでるんだろ?」


 レインが尋ねると、マリエラは一瞬だけ目を伏せた。


「……はい」


「じゃあ、誰も知らなかったってこと?」


「その可能性があります」


 それは妙だった。


 アルベルトは魔王を倒すために旅立った勇者だ。王国中がその戦いの行方を気にしているはずなのに、本人は死んだまま剣を持って歩き回り、誰もその死を知らなかった。


 レインは地面に置かれた聖剣へ目を向ける。


 さっき一瞬だけ見えた《切断》は、もうどこにもなかった。


「三日前には死んでいたわ」


 背後から聞こえた声に、マリエラが振り返った。


 リシェルは診療所から借りた毛布を肩に掛け、壁に寄りかかって立っている。まだ顔色は悪い。それでも赤い瞳は、まっすぐアルベルトへ向けられていた。


 ロイドの眉が動く。


「なぜ、それを知っている?」


「私がそこにいたからよ」


「どこに?」


「アルベルトが死んだ場所に」


 ロイドの手が剣の柄へ伸びた。


 マリエラは彼を制することも忘れたように、リシェルを見ている。


 昨夜から肩に掛けられていた毛布。青白い顔。まだ一人ではまともに歩けないほどの傷。


 そして、つい先ほどレインが口にした二つの意味。


 《魔王》と《リシェル》。


「……確認させてください」


 マリエラがゆっくりと立ち上がった。


「先ほどレイン君は、あなたに《魔王》と《リシェル》、二つの意味が見えると言いました」


 リシェルは答えない。


「あなたは……何者なのですか?」


 村人たちの視線が集まる。


 レインは何か言うべきか迷ったが、その前にリシェルが壁から背を離した。


「リシェルよ」


 マリエラの表情は変わらない。


 リシェルは一度だけレインを見た。


 それから、もう一つを付け加えた。


「そして、人間たちが魔王と呼んでいるのも私よ」


 鞘走る音が響いた。


「ロイド!」


 マリエラが叫んだ時には、すでに剣が抜かれている。


「下がってください、シスター」


「待ちなさい!」


「魔王ですよ!」


「分かっています!」


「なら――!」


 ロイドが踏み込もうとした瞬間、マリエラがその腕を掴んだ。


「だから、やめなさい!」


 その声に、ロイドの動きが止まる。


 マリエラの顔から血の気が引いていた。


「……あなたでは、殺せません」


「何を……」


「魔王を討つことができるのは、女神セレスティア様に選ばれた勇者と聖剣だけです」


 その言葉が落ちたあと、妙な間ができた。


 レインはリシェルを見た。


 ロイドはマリエラを見た。


 村長は地面に横たわっているアルベルトを見た。


 そして、ほとんど全員が同じ順番でアルベルトを見ることになった。


「……その勇者様、死んどるぞ」


 村長が言った。


「分かっています」


「じゃあ……」


 村長は続きを言わなかった。


 言わなくても分かったからだ。


 マリエラはリシェルから目を離さないまま説明を続けた。


「通常の武器でも、魔法でも、魔王の肉体を傷つけることはできます。魔力を消耗させることも、動けなくすることも、拘束することもできると伝えられています。ただし、最終的に魔王へ死を与えられるのは勇者と聖剣だけです」


 レインは首を傾げた。


「……それ、どのくらい死なないの?」


「どのくらいとは?」


「だって、剣で刺されても死なないってことだろ?」


「そうね」


 答えたのはリシェルだった。


「じゃあ、毒は?」


「死なないわ」


「崖から落ちたら?」


「死なない」


「燃やされたら?」


「すごく痛いけど死なない」


「すごく痛いんだ……」


「当たり前でしょう」


 レインは少し考え、自分の首へ手を当てた。


「じゃあ……首を斬られたら?」


「生えるわよ」


「…………」


 レインは首を押さえたまま固まった。


 村長も固まった。


 剣を構えていたロイドまで、わずかに目を見開いている。


「……どっちが?」


「何が?」


「首と身体」


「身体から首が生える」


「頭は?」


「そのうち消えるわ」


 いつの間にか人垣の後ろへ来ていたガルドが、顎髭を撫でながら頷いた。


「なるほどな」


「なるほどじゃねえよ!」


 レインの声が村の入口に響いた。


「え!? クビって生えるの!?」


「さっきからそう言ってるでしょう!」


「いや、もっとこう……死なないって比喩みたいなやつかと思うだろ!」


「どんな比喩よ!」


「魔王って便利だな!」


「便利で首を落とされてたまるもんですか!」


 リシェルが毛布を翻して怒鳴った拍子に、顔をしかめて胸元を押さえた。


 ガルドの眉が吊り上がる。


「ほら見ろ。患者が大声を出すな」


「だってレインが!」


「こいつは昔から馬鹿だ。相手にするな」


「ひどくない!?」


 ガルドはレインを無視してリシェルの前へ立つと、胸元を押さえている手を見た。


「それより傷はどうした」


「別に。少し引っ張られただけよ」


「見せろ」


「ここで?」


「診療所でだ。お前も来い」


「俺も?」


「お前が連れてきた患者だろうが」


「そこ俺の責任なの!?」


「拾ったんだから最後まで面倒見ろ」


 婆ちゃんが人垣の後ろから口を挟んだ。


「犬猫みたいに言うな!」


「魔王よ!」


 リシェルまで怒った。


 それでも結局、世界でただ一人、勇者以外には殺せないらしい魔王は、村医者に連れられて大人しく診療所へ戻ることになった。


     ◇


「……おかしいな」


 診療所へ戻ってしばらくすると、ガルドは三度目になる同じ言葉を口にした。


 寝台に座るリシェルの傷を確認し、角度を変えてもう一度見る。今度は傷の縁へ慎重に指を当て、それから昨日使った薬の瓶まで持ち上げて中身を確かめていた。


「薬、間違えた?」


「馬鹿言え。そんなことしたら医者を辞める」


「じゃあ何がおかしいんだよ」


 ガルドは薬瓶を机へ戻した。


「治ってる」


 レインは壁から背を離す。


「いいことじゃん」


「昨日までは治ってなかったんだ」


 ガルドはリシェルの傷へ視線を戻した。


「血を止めることはできた。痛みも多少は抑えられた。だが、傷そのものが塞がろうとしなかった。薬を使っても、治癒魔法をかけても同じだ。身体が治ろうとするたびに、何かに邪魔されてるみたいにな」


「今日は?」


「治ろうとしてる。まだ深いし、今すぐ走り回れるような状態じゃないが、昨日とは明らかに違う」


 マリエラの表情が強張った。


「まさか……」


 ガルドが彼女を見る。


「心当たりがあるのか?」


「聖剣によって魔王へ与えられた傷は、通常の傷とは異なると伝えられています。魔王の不死性そのものを破り、死へ至らせるための傷だと」


「だから、首が生えるリシェルでも治せなかった?」


「その呼び方やめてくれる?」


 寝台から冷たい声が飛んできた。


「でも分かりやすいだろ」


「嫌よ!」


「じゃあ、不死身のリシェル」


「もっと嫌!」


 ガルドが二人を睨み、レインは口を閉じた。


 マリエラは笑わなかった。


「聖剣の傷が治り始めたということは……」


 彼女の視線がリシェルから窓の外へ向く。


 その先には、村の入口がある。


 アルベルトと、聖剣が置かれている場所。


 レインにも、一つだけ思い当たるものがあった。


 アルベルトが倒れる直前、それまで彼の身体にまとわりついていた《使命》《討伐》《完遂》はまとめて消えた。マリエラの聖印からも光が失われ、地面へ落ちた聖剣には一度だけ別の意味が浮かんだ。


 《切断》


「……アルベルトが倒れたから?」


 レインが呟くと、マリエラが顔を向けた。


「どういう意味です?」


「分かんない。でも、アルベルトが倒れた時、聖剣に《切断》って見えた。それまであった《討伐》とかも全部なくなったんだ」


「《切断》……」


「そのあと、リシェルの傷が治り始めた。関係あるのかなって」


 それが原因なのかは分からない。ただ、偶然で片づけるにはタイミングが合いすぎている。


 リシェルは自分の胸元へ手を当て、しばらく目を閉じていた。


「……たぶん、あると思う」


「分かるの?」


「身体が違うもの。昨日までずっと、ここに何かが残っていたのよ。傷というより、身体の中に食い込んで、治ることを許さない何かが」


 彼女はゆっくり息を吸い、自分の内側を確かめるように数秒黙った。


「それが、ない」


 目を開いたリシェルの赤い瞳には、昨日までより明らかに強い光が戻っていた。


「魔力も戻り始めてる」


 ガルドの手が止まった。


「どのくらいだ?」


「まだ一割にも満たないわ」


「一割か」


 ガルドが少しだけ肩の力を抜く。


「なら、しばらく大人しくして――」


「この村くらいなら消せるけど」


 誰も動かなかった。


 窓の外から、鳥の声が聞こえた。


 ガルドはゆっくりと顔を上げる。


「……今、何と言った?」


「一割でも、この村くらいなら消せるって」


「お前それ今言う必要あった!?」


 レインが思わず叫ぶ。


「どのくらいって聞かれたから答えたのよ!」


「もっとあるだろ! 岩を砕けるとか、木を倒せるとか!」


「魔王の魔力を薪割りみたいに言わないで!」


「じゃあ村を基準にすんなよ!」


「小さくて分かりやすいじゃない!」


「俺の故郷を物差しにするな!」


 ガルドが無言でリシェルの頭を小突いた。


「痛っ!」


「患者が医者の診療所で村を消す話をするな」


「……ごめんなさい」


 リシェルは頭を押さえながら俯いた。


 レインは笑いそうになった。


 首を落とされても生えてくる。勇者以外には殺せない。一割にも満たない魔力で村一つを消せる。


 それなのに、ガルドに頭を叩かれて怒られると謝る。


 やっぱり魔王というものが、よく分からない。


 けれど、マリエラは笑っていなかった。


 胸元の三環の聖印を握りしめ、リシェルを見つめている。その指先が、わずかに震えていた。


「一割で……村を?」


「消そうとは思ってないわよ」


「分かっています。ですが……あなたの傷は、これからも治っていくのですか?」


「たぶん」


「魔力も?」


「戻ると思うわ」


 マリエラは唇を結んだ。


「では、完全に回復したあなたを……誰が止められるのですか?」


 リシェルは答えなかった。


 診療所に沈黙が落ちる。


 ロイドの剣では殺せない。


 教会の術でも、少なくとも魔王へ死を与えることはできない。


 拘束できたとして、いつまで持つのかも分からない。


 そして唯一、魔王を殺すことのできた勇者アルベルトは、もう死んでいる。


 マリエラにとっては、それだけで十分に恐ろしいはずだった。


 それでも、レインには別のものが見えていた。


 リシェルの周囲には、いくつもの意味が浮かんでいる。傷が塞がり始めたことへの《安堵》、戻り始めた力への《実感》、正体を知られたことへの《警戒》。


 そして、その奥にある一つを見つけた時、レインは眉を寄せた。


 見間違いかと思った。


 首を落とされても死なない。


 一割にも満たない力で、村一つを消せる。


 勇者という唯一の天敵さえ、もういない。


 そんな魔王の中に浮かぶには、あまりにも似合わない意味だった。


 《恐怖》


「……リシェル?」


「何よ」


 いつもの少し不機嫌そうな声だった。


 けれど、レインには見えている。


 彼女は怖がっていた。


 人間を、ではない。


 ロイドの剣でも、教会でもない。


 おそらく、死んだアルベルトを再び立ち上がらせたもの。本人の《守れ》さえ消し去って、《修正》した何か。


 そして《恐怖》のすぐ隣に、もう一つだけ、小さな意味が浮かんでいた。


 《感謝》


 レインはしばらくそれを見つめたあと、何も言わずに視線を外した。


「……何?」


 リシェルが訝しげに眉を寄せる。


「別に」


「今、何か見たでしょう」


「見てない」


「嘘」


「見えても言わないことにしたんだよ」


 リシェルは一瞬、何か言い返そうと口を開いた。


 けれど結局、何も言わなかった。


 代わりに毛布を少し引き寄せ、顔を背ける。


 マリエラが二人を見比べた。


「レイン君」


「ん?」


「あなたには……今も、この方の《意味》が見えているのですよね」


「まあ、少しは」


「では、教えてください」


 マリエラの指は、まだ聖印を握っている。


「魔王は今、何を考えているのですか?」


 レインは少し迷った。


 《感謝》については、言わない。


 あれはリシェルのものだ。


「……怖がってる」


 マリエラの眉が動いた。


「え?」


「リシェルは今、怖がってる」


「魔王が……?」


「うん」


 マリエラは信じられないものを見るようにリシェルへ視線を戻した。


 無理もない、とレインは思う。


 世界でただ一人、自分を殺せた勇者は死んだ。


 首を落とされても生えてくる。


 今は一割にも満たないというのに、村一つなら消せる。


 そんな存在が、いったい何を恐れるというのか。


 レインは窓の外へ目を向けた。


 遠くに、エルネ大森林が見える。


 あの日、ゴブリンも、オークも、グリフォンも、竜さえもが何かから逃げていた。


 森そのものが逃げているように見えた。


 あれは本当に、魔王から逃げていたのだろうか。


 死んだ後まで歩き続けた勇者。


 《使命》


 《討伐》


 《完遂》


 そして――《修正》。


「たぶん」


 レインは小さく息を吐いた。


「俺たちよりずっと、あれを怖がってる」

「いみまお」をご覧いただきありがとうございます!もし宜しければ、ブックマーク、評価をしていただけたら励みになります。ぜひ皆様よろしくお願いいたします(現時点で39話まで書いてあります。エタらないよう頑張りますので、応援お願いいたします( . .)")

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