第3話 出会い
知らない天井だった。ミコはゆっくりと目を開ける。古びた木目の天井。聞こえるのは雨音だけ。
「……ここはどこ?」
身体を起こそうとして激痛が走った。
「痛っ……」
肩。
腕。
足。
全身が痛い。ミコは周囲を見回した。六畳ほどの部屋。壁には奇妙なポスターが貼られている。血まみれの女。ゾンビ。包丁を持った男。
明らかに普通の部屋ではなかった。
「起きたか」
突然声がした。ミコは飛び上がりそうになる。部屋の隅に男が座っていた。ボサボサの髪。無精ひげ。黒いパーカー。コンビニの弁当を食べている。
「だ、誰ですか……!」
「黒崎譲」
男は答えた。
「フリーター」
それだけだった。
ミコは混乱した。知らない男に、知らない部屋。最後の記憶は――。
川。
濁流。
苦しさ。
冷たさ。
そして。
「私……」
言葉が詰まる。
「生きてる」
黒崎が代わりに言った。ミコは黙り込む。
「川の下流で引っ掛かってた」
黒崎は箸を置く。
「死体かと思ったぞ」
ミコは何も答えなかった。生きている。その事実だけが頭の中で何度も反響する。生きている。死ねなかった。
その夜。ミコは眠れなかった。翌日。黒崎がテレビをつけた。ニュース番組だった。
『3前に行方不明となった女子高校生について――』
ミコの身体が固まる。画面には自分の写真が映っていた。
『警察は死亡した可能性が高いとみて捜索を続けています』
次の瞬間。学校の映像が流れた。校門。花束。献花台。そして。
『とても明るい子でした』
担任が涙ぐみながら話している。ミコはテレビから目を離せなかった。さらに映像は続く。
『こんなことになるなんて……』
クラスメイトたちが神妙な顔をしていた。その中には見覚えのある顔もある。私をいじめていた奴らだ。自殺予想と書かれた黒板の前で笑っていた女子。私をぶった女子。私の裸をSNSにアップした女子。そいつらが泣きそうな顔で話していた。
ミコの拳が震える。
「ふざけないで……」
小さく呟く。
「ふざけないでよ……」
黒崎は黙っていた。ミコは画面を睨みつける。
「なんでそんな顔してるの」
怒りで声が震える。
「なんで悲しそうな顔ができるの……」
目から涙が溢れた。
「私をいじめてたのに……」
誰も。
先生も。
クラスメイトも。
誰一人。
助けてくれなかった。
黒崎が口を開く。
「面白いな」
ミコは顔を上げる。
「何がですか」
「お前」
黒崎はテレビを指差した。
「死んだことになってる」
ミコは眉をひそめた。
「だから?」
「だからだよ」
黒崎は少し笑った。
「死んだ人間が現れたら怖いだろ」
ミコは意味が分からなかった。黒崎は立ち上がる。
「こっち来い」
別の部屋へ案内される。そこには大量の機材が並んでいた。カメラ、照明、パソコン、そして特殊メイク道具。薄気味悪い部屋だった。
「趣味で自主ホラー映画作ってる」
黒崎は棚からウィッグを取り出す。
「全然売れないけどな」
ミコは黙って聞いていた。
「でもホラーだけは得意だ」
黒崎は笑う。
「幽霊を作るのもな」
その言葉に。ミコの心が少しだけ反応した。
「……幽霊」
「ああ」
黒崎は頷く。
「全員がお前を死んだと思ってる」
ミコの脳裏に学校の連中の顔が浮かぶ。
笑っていた顔。
馬鹿にしていた顔。
あの日の教室。
「復讐したいか?」
黒崎が聞く。ミコはしばらく黙っていた。そして…
「したい」
迷いはなかった。
「全員に」
黒崎はニヤリと笑う。
「いい顔だ」
そしてメイク道具を手に取る。
「じゃあ幽霊になろう」
ミコは意味がわからなかった。
「幽霊って……」
「そのままの意味だ」
黒崎は椅子に腰掛けたまま言った。
「お前は今、死んだことになってる」
「……」
「だったら利用すればいい」
ミコは眉をひそめる。
「利用?」
「お前をいじめてた連中は、お前が死んだと思ってるんだろ?」
黒崎は続ける。
「そこへお前が現れる」
「そんなの無理です」
ミコは即答した。
「どう見たって私だってバレます」
「夜なら分からない」
「分かりますよ」
「特殊メイクがある」
「だから無理ですって」
ミコは首を振る。考えたくもなかった。学校の連中の前に立つなんて。彼女たちの顔を見るなんて。想像するだけで苦しくなる。
「怖いか」
黒崎が言った。
ミコは答えなかった。
「まあ普通はそうだ」
黒崎は笑う。
「相手はお前を散々いじめた連中だもんな」
ミコは拳を握る。思い出す。黒板、笑い声スマホに届いた言葉。
『死ね』
『早く消えろ』
『なんで生きてるの?』
胸が苦しくなる。
「でもな」
黒崎は真面目な顔になった。
「今のままでも、お前は一生あいつらを忘れられない」
ミコは顔を上げる。
「忘れようとしても思い出す」
黒崎は続ける。
「夜中に思い出して苦しむ」
「……」
「十年後も二十年後も、たとえ、お前があいつらと関わらなくなっても、死ぬまでお前は奴らに苦しみ続ける」
その言葉は妙に胸に刺さった。ミコ自身も分かっていた。たぶん忘れられない。一生。
「だから俺ならやる。どんな手を使ってでも復讐する」
「受けた恐怖を、苦しみを何倍にして返してやる」
部屋が静かになる。雨音だけが聞こえる。ミコは俯いた。いじめてきた奴らの顔が浮かぶ。
自殺予想と書かれた黒板、笑い声、泣きながら帰った日のこと、誰も助けてくれなかったこと。
しばらくして。ミコは小さな声で聞いた。
「……本当にできると思いますか」
黒崎の口元がゆっくり吊り上がる。
「ああ、必ずな」




