表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
2/5

第2話 さようなら

 その日は雨が降っていた。灰色の空。冷たい風。山道を歩く少女の足元で、小石が転がる。ミコは立ち止まった。


 目の前には崖がある。下では濁流が轟音を立てながら流れていた。あと数歩進めば終わりだ。そう思うと、不思議と心は静かだった。 怖くないわけではない。足は震えているし、心臓も痛いほど鳴っている。

それでも…


 学校へ行くことを考えれば、この恐怖の方がまだマシだった。


「おはよう」


いつものように挨拶した朝。誰も返事をしなかった。

教室には三十人以上いる。 聞こえなかったはずがない。それでも全員が無視した。ミコが席へ向かう。

机には黒い文字が書かれていた。


『死ね』


油性ペンで力いっぱい書かれた文字。周囲から笑い声が聞こえた。


「また書かれてる」


「似合ってるじゃん」


「消すなよ」


 男子が笑う。


「せっかく書いたんだからさ」


 教室中が笑いに包まれた。ミコは何も言えなかった。ただ拳を握りしめる。そこへ担任が入ってきた。

一瞬だけ机を見る。ミコを見る。そして何事もなかったかのように出席を取り始めた。助けてくれる人はいなかった。


 教室だけではない。体育館裏のゴミ箱から上履きが見つかったこともある。机の中に生ゴミを入れられたこともある。教科書を破られたこともある。


 スマホを開けば、知らないアカウントからメッセージが届いていた。


『キモい』


『学校来るな』


『なんで生きてるの?』


『死ねばいいのに』


 最初は傷ついた。次は泣いた。そのうち何も感じなくなった。毎日同じことの繰り返しだったからだ。それでも、ある日は勇気を出した。


 放課後の職員室。緊張で声が震えていた。


「先生……相談があります」


「どうした?」


「クラスで……いじめに…」


 最後まで言えなかった。先生は困ったような顔をした。


「考えすぎじゃないかな」


 その一言だった。


「でも……」


「みんな悪気はないと思うよ」


 終わった。この人も助けてくれない。ミコは理解した。自分は一人なんだと。昨日の昼休みだった。トイレから戻ると、教室が妙に騒がしかった。黒板を見る。


 そこには大きな文字が書かれていた。


『ミコ自殺予想』


 その下にはクラスメイトの名前が並んでいた。


『今週』


『来月』


『卒業までには』


 誰が当てるか賭けていた。


 ミコがいつ死ぬかを。


「本人来た」


「答え合わせしろよ」


「いつ死ぬの?」


 笑い声が響く。


 その瞬間だった。


 何かが壊れた。


 もう無理だ。


 本当にそう思った。


 昨夜。


 ミコは自分の部屋で机に向かっていた。


 白い紙を一枚置く。


 ペンを持つ手は震えていた。


『お母さんへ』


 そこまで書いただけで涙が溢れた。


 それでも書き続ける。


『ごめんなさい』


『頑張ろうと思ったけど無理でした』


『お母さんは悪くありません』


『私が弱かっただけです』


『今まで育ててくれてありがとう』


 何度も涙で文字が滲んだ。


 書き終えた紙を机の上に置く。


 誰でも見つけられる場所に。


 そのあと、静かに家を出た。


 朝になる前だった。


 母親を起こさないように。


 音を立てないように。


 最後に玄関を振り返る。


 もう戻ることはない。


 そう思っていた。


 ミコは崖の下を見つめた。


 激しい濁流が渦を巻いている。


 怖い。


 本当は死にたくない。


 本当は助けてほしかった。


 本当は普通の高校生になりたかった。


 友達と笑って。


 恋をして。


 将来の話をして。


 そんな当たり前の毎日が欲しかった。


 だけど。


 もう疲れた。


 限界だった。


 ミコはスマホを取り出す。


 最後のメッセージを打ち込んだ。


『ごめんなさい』


『もう疲れました』


 送信。


 スマホを地面に置く。


 雨粒が画面を叩いた。


「さようなら」


 ミコは一歩踏み出した。


 身体が宙に浮く。


 風が吹く。


 景色が流れる。


 空。


 山。


 崖。


 すべてが回転する。


 そして――。


 ドボンッ!!


 全身に衝撃が走った。


「っ!!」


 冷たい。


 苦しい。


 息ができない。


 想像していたよりも遥かに激しい流れだった。


 身体が一瞬で飲み込まれる。


 上下も分からない。


 水の中を転がされる。


 岩に肩をぶつけた。


 激痛が走る。


 口の中へ水が流れ込む。


 肺が焼けるように痛い。


(苦しい……!)


 死にたかったはずだった。


 なのに。


(嫌だ……)


 心の奥から声が聞こえる。


(死にたくない……!)


 必死に手を伸ばす。


 何か掴もうとする。


 だが何もない。


 流れは容赦なくミコを下流へ運んでいく。


 視界がぼやける。


 身体から力が抜けていく。


 寒い。


 眠い。


 苦しい。


(助けて……)


 その言葉を最後に。


 ミコの意識は深い闇の中へ沈んでいった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ