魂の救済――霊核脱魂
12 深夜の恐怖
重伝は民主今平党党本部の前に立っていた。世の中の不景気を反映するかのように、この時間にもかかわらず歓楽街ザキの通りは人通りも絶え、街灯だけが侘しく光っているだけである。
『警察も手が出せない現状ではさらに新たな犠牲者が出るだけだ。後輩を弔うにも真相を暴かなければならない。これは警察官ではなく一人の人間として――裁く』
だが重伝は武器になるものを所持していない。持っているのは『義憤』だけだ。
重伝は自動扉に手をかざした。
本来ならこの時間では開くはずがない――しかし、重伝の登場を待っていたかのように自然に開いた。
ひっそりとして暗く無機質な受付に街灯の光が淡く照らす。
人気が全く感じられない受付左に通路がある。非常灯のダウンライトが淡く白い光りを奏でている。
無言でゆっくりと歩みを進める重伝。
無音の中、重伝の鼓動だけが耳に響く。
右に地下に通じる階段が見えたがそれを無視ししながら突き進む。
突き当たりには大きな鉄の扉が行く手を阻むかのように屹立している。
そこは珠伊師和代の執務室だ。
重伝はなにが始まるか分からない……震える手で扉の重厚なノブに手を当てた。
何故か鍵はかかっていない。ノブをゆっくりと回し扉を開く重伝。
扉は音も無く事もなげに開く。
開け放ったその先――溢れんばかりの光に満ちていた。目を細める重伝。
「ようこそ」
正面から晴れやかな声が響く。声の持ち主は珠伊師和代だ。
「お待ちしておりましたわ」
珠伊師和代はにこやかに、しかし毒のある表情で重伝を迎えた。
「待っていた? 私の行動を読んでいたというのか?」
重伝の声に珠伊師はこたえようとしなかった。
「こんな夜にお越し頂けるなんて、なんて素敵な夜なんでしょう」
重伝は怒鳴る。
「やめろッそんな言い方っ」
「お気に召しません?」
詰め寄る重伝。
「珠伊師っなんで後輩を殺したんだッ」
ほほほ……笑う珠伊師。
「呼び捨てとは、なんとまあ……犯罪者扱いのようで困りますわ」
のらりくらりする珠伊師はつかみ所が無い。
「何か証拠がございまして?」
イラつく重伝。
「お前を逮捕しに来たんじゃ無いッ、後輩を殺された義憤で来たんだっ、あんたホントのことを言えよっ」
「あらまあ……」
にこやかに対応する珠伊師は口に手を当てまたもや『ホホホ……』と笑った。
そして言い放つ。
「我が軍門に下る、のは如何?」
重伝の顔が怒りでこわばった。
「我が軍門に降れだとっ? どういう意味だ?」
珠伊師はあざ笑うように言う。
「私の下僕となるのよ」
「下僕だと?」
「痛くも痒くもないわ。催眠法師の法力で下人になり日本を我が手中に収めるために働いて貰のよ。警察の情報を得るための下僕……あなたにとっては生き延びる術」
理解不能な珠伊師の言葉に重伝は混乱した。
「だれが下僕になれってんだよ! それよりも貴様、どんな汚い手で変死者を生んだのか、答えろっ」
珠伊師はさらに高らかに笑った。
「お前扱いから今度は貴様扱いね。どう呼ばれようと構わないわ。それより取引よ。下僕となって警察の情報をよこすかさもなくば『死』を選ぶか。お答えを頂きたいわ」
「誰がそんなことするかっ」
重伝は珠伊師に掴みかかろうとした。
だが――
珠伊師の勝ち誇った笑いが重伝の頭の中に響き渡ると、急に力が萎えそうになり、跪いた。
『なんなの、これは……?』
「これは私の持つちから。あなたは『魂の救済』をもとめにここに来たのよ。あなたの後輩があなたに訴えかけたからここに来たのよ。私には分かっていた。私はあなたを利用するためにカズサを利用した。全ては私の筋書き通り……」
重伝の目に珠伊師の顔を醜く歪んでいるように感じた。
珠伊師の目がつり上がる。
口元が大きく避け始める。
白い犬歯が伸びる。
それはまさに般若だ。
「うっ……身体が動かない……」
さらに珠伊師は狂喜する。
「どうじゃ、何も出来んじゃろ? 動けんじゃろ? これはわらわの法力じゃ。小娘、お前の魂は我が手にあるぞえ、下人にならぬなら死んでもらうぞえ。カズサと共に地獄に落ちるが良い」
けけけけ……珠伊師の高笑いと共に重伝の身体が硬直化した。
それを見た珠伊師和代は両手を組みぶつぶつと念仏のように唱え始めた。
「生きとし生けるもの全ては霊核と魂のなせる技。死に際に霊核は天に昇り魂は地に沈む。新たに生命が宿りしとき霊核は天から来たりおり魂は地から這い出、新たな人格を形成す。これが魂魄の真理なり」
重伝の額から脂汗が流れ落ちた。拭おうにも腕は動かせない。全身に悪寒が走る。
般若はあざ笑った。
「まずお前自身の霊核を見せよ。わらわの神格に値するかっ」
重伝の脳裏に般若がさらに夜叉に変わった。
「うぬ、これは……? 」
夜叉は一瞬目をむく。
「お前の霊核は強いぞえ。全ては死に勝るものは無い。しかしこれはなんじゃ『怒り』か『悲しみ』か……このままお前を死に至らしめれば、わらわに災いを呼び起こす事は必定じゃ。これは放ってはおけんぞえ」
珠伊師は何を呟いているのか、すでに理解を超えている重伝だ。そして得もしれぬ恐怖が膨れ震えるだけだった。
「お前には『死』よりももっと恐ろしい運命を与えようぞ。これより『霊核脱魂』の儀を行う。誘えっ!我が魂よっ」
重伝の意志に反するように大きく口を開けた。
両手を広げ天にかざす黒夜叉。左腕を折り曲げ右腕を重伝の前に差し向ける。
両目を閉じぶつぶつと呪文を吐く。
視界がぼやける。焼ける臭いが口中に広がる。意識が朦朧とする。
重伝にはもはや理解不能の領域に落ちていった。
黒夜叉は握りしめていた右の掌を、大きく開いた重伝の口元を指し示した。
大きく開けられた重伝の口から青白い鬼火がゆっくりと顔を出した。ものを吐き出すのではない異常な嘔吐感だけが次々と襲う。
脂汗が流れ震える重伝。だがどうにも出来ない。
夜叉が叫ぶ。
「霊核脱魂っ!」
青白いゆらゆら揺れる鬼火が夜叉の右手に乗ると。珠伊師はそれを強く握りしめてゆく。
パシっ――鋭い破裂する音。
両目を見開いた重伝は同時にがっくりと首を落とし、ついには冷たい床にうつ伏せに横たわった。
起き上がることはしない。
言葉を発することもしない。
しかし死んだわけではない。
ただ横たわっているだけの存在になり果てているだけだ。
ひとしきり狂喜の嘲りする珠伊師和代。
「下人どもこっちへ、こう」
地下室から五人の女下人がゆらゆらと両手を前に突き出しながらやってくる。その中には受付の女もいる。
夜叉は残忍な命令を下した。
「こやつの衣服を全て剥ぎ取れ。しかして多摩川の土手に放り出せ」
無情にも外は雨が降り始めた。
ざあざあと降りしきる中、全裸にされ廃人と化した重伝が下人どもにより多摩川の土手に突き落とされる。
抵抗もなくなすがままの女体が転がり土手下で止まった。
見届けた女衆は無言で車に乗り込み走り去る。
仰向けに転がった重伝に無情の雨が叩きつけられる。
半開きになった口元や見開いているままの両目に雨粒が当たる――激しく。
13 杉田、転院す?
午前七時山下倉庫
「KHKニュースです。午前五時頃、多摩川沢木橋土手沿いに若い女性が倒れているのを付近の住民が発見し――」
KHKニュースが流れる画像を中古で買い求めたテレビをスケロク商事の全員が見つめていた。
「朝っぱらから何とまあ」と願成寺が言う。ただ広い倉庫左右に段ボールベットが仕切りもなしに並べられている。
段ボールベッドに腰をかけている天馬は無言で映像を見つめていたが、急に妙な胸騒ぎを感じた。理由は分からない。
「さて」と願成寺が腰を上げた。「今日の当番は?」
寺家に対し祖父江が言う。
「昨日大家が来て早いうちに更地にするってよ。なんで駐車場も撤退しろっ、てな話だ。そうなると彼処での待ち営業も出来なくなるぜ。どうする先生?」
そぶえからそう言われても考えがつかない寺家は曖昧に答えた。
「大家さんと話してくる……」
寺家がいくら頑張ってもスケロク商事は絶望の危機に瀕していることには変わりが無いのだ。
「今日も開店休業だわぁ」と呟く御手洗。
御手洗の頭を叩く管弦。
「馬鹿、こんな時だからみんなしてダッカイ策を練るんだヨ」
「ダッカイ策ってなんだよ、打開策だろ?」と祖父江がニヒルに笑う。
「笑うんかよっ」と怒る管弦。
「雄馬さんの鼾、五月蠅いでやんす」
愚痴る越狩に的場も同調する。
「大家さん、火災保険が降りるんじゃ? 良いねえ金持ちは」と願成寺は嘆く。
「貧乏人は何処までも貧乏人でがす」
口々に不平不満が募り、手詰まり感を払拭出来ず、ストレスが溜まってきだしたようだ。
『いけない……これではマズいことになる。何とかしないと』
考える天馬だが妙案はない。
何を思ったか寺家は携帯を取りだした。相手は本間医院の院長、本間勘三郎であった。そして皆に聞こえるかのように声を出した。
「ご無沙汰しております」
「おお、地家先生か、出張ご苦労だったな。例の件終わったのかね」
「はい、終わりました。本間先生のご尽力、本当にありがとうございました」
「紹介状を書いただけだがな。ではそろそろ、嘱託医として来てもらえるかな」
「その前に先生、折り入ってご相談が」
「なんだね?」
「東部救急医療センターに入院中の杉田社長をそちらに転院させようと思いまして」
「何?」
『転院』と寺家の言葉に全員が反応した。
「社長よくなったンかさ」
「この前の話だと三ヶ月はかかるって寺家先生は言ってたと思ったが?」
「社長がいるといないでは心意気ってもんが違いまさあ」
「でもさあ本間医院は金沢区だよ、東部救急医療センターからさらに遠いジャンか」
皆ヒソヒソ声で喋る。
一通り話し終え地家は通話を切った。
「東部救急医療センターに話を付けに行ってくるから皆待っててね」
そう言う寺家に願成寺が申し出た。
「先生、危なっかしいからまた運転するよ」
「今度は大丈夫よ」
「いいからいいから。今度こそ社長に会えるんだよねえ」
「なら俺も同行するぜ」と祖父江が言い出すと「ボクもぉ」「いくでやんす」「わっちもいくでがす」「おらもいくべ」と大騒ぎになり収拾が付かなくなった。
初めは渋った寺家だが『これで皆の絆が戻るなら』と思い直した。
それほど杉田は慕われている証拠だ。
結局八人乗りワゴン車スケロク二号車には連絡役としての天馬以外乗り込んだ。当初は無邪気な全員だったが、いざ、病室に連れ立って入ると、管が巻かれ上半身包帯だらけの痛々しい杉田の姿を見て無言になった。
静かな病室に流れる無機質な機械音や独特な薬剤の臭いが追い打ちをかける……。
『こんな状態でボス、転院なんて出来るのか?』
無言の祖父江の心の声は他にも共鳴し、共通した不安だけしかない。
「転院させます」と寺家の声だけが静かな病室を切り裂く。
立ち会う事務長も担当医のイナミ、看護師小島ミドリも寺家の声に驚いた。
「確かに当院は救急患者を診る施設であるわけだし」と事務長が言う。「容態が安定した患者さんには、病床を空ける意味でも転院は許可するが……どう見るかなイナミ先生」
担当医のイナミは腕を組んだ。
「うーん……今日午前中抜管したばかりで感染症が心配ですし火傷の状態など勘案しますと、もう一週間ほど様子を見たいところですが、自発呼吸や血中酸素は安定してますし……では地家先生が主治医として診るのですか」
「はい」と意気込む寺家。『愛だわあ』と小島ミドリが呟いた。
その後やり取りがあり、結局転院の手続きになった。全員ぞろぞろと動くが事務長は、責任者以外、つまり寺家以外はワゴン車で待機するように言う。全員作業服姿であり、何より人相風体、醸し出す雰囲気が病室には合わない。それも七人もいたらなおさらだ。
「治療代、薬品代、個室利用、合計いたしますと六十万になります」
会計課から合計金額を言われ内訳を眺める寺家だが、眉一つ動かさない。
「分かりました。ATMどちらですか、現金でお支払いします」
事務長が寺家に声をかける。
「当院の救急搬送車、用意出来ました」
管を外された杉田がストレッチャーに乗せられ搬送車に運ばれる。
その間に寺家は全員に山下倉庫に帰させる。
寺家は責任者として搬送車両に乗り込む。
本間医院の住所、連絡先を搬送車に伝え動きだすまで、全て事務的に淡々と進んでいく。
二時間半後には本間医院に到着した。しかし――
「本当にそれで良いんだな?」
本間勘三郎は寺家優子に念を押すように言う。
「はい」
「患者に何か起きたら責任は取れないが、良いのだね?」
「はい、任せてください。私が責任を持ってあたります」
「そうか」
本間はカートを渡す。
「ゲーベンクリーム十日分と包帯、ガーゼ、抗生剤一式いれてある。持っていくがよい。付属のへらでぶ厚くと塗り込むようにな。ただ背中一面の火傷だ。十日も持たないかもしれん。追加は早めにな」
入れ替わりに十トントラックが道路脇に止まり祖父江と願成寺が降りてきた。
「本当に良いんで?」
祖父江も寺家に念を押す。
「衛生面や環境に問題ありますけどね、きっと上手くいくわよ」
願成寺が口を挟む。
「でもさあ……山下倉庫の一角で社長の治療を行うって先生から聞いた時、ビックリだよ」
寺家は本間医院に転院と称しながら、杉田の治療を山下倉庫で行うことを決めていたのだ。
「先生、ボスがいれば心強いけど、耐えられるのか? 俺は心配だ」
杉田を慕う祖父江にとっても不安が強い。しかし寺家は言う。
「覚悟の上よ。社長だって覚悟を決めてるのよ」
かくして山下倉庫は本間医院分院として機能することになったのだ――
第9話その10 へ続く




