つかの間のふれあい
4 杉田と寺家
「刑事さんも大変ねぇ」
「これが仕……」と言いかけた神崎の脇腹をつつく重伝。
「では小島さん。参りましょう」
病室につくと、たしかに杉田は目を覚ましていたが、仰向けになった状態で口元には吸入器、右腕に点滴の針が刺さっている。
「食事が摂れないので、点滴で栄養補給ですよ」
重伝はつかつかと杉田のベッドに近づく。
「杉田社長、おはよう」と重伝に声をかけられ、その時初めて重伝の姿を見つめ無言でびっくりするような顔の杉田だ。
重伝には目が落ちくぼみ、痩せたような印象を持ち、かなりやつれていると思った。
「驚かした? 今日は事情を聞きに伺ったの。声が出せないと聞いたからメモ用紙とペン用意したんだよ」
そこで小島ミドリは声を出す。
「お言葉ですがねぇ刑事さん、点滴の最中なんで、書けないと思いますよぉ」
「点滴なんて聞いてないぞ……うっ」
黙れ、といいたげに重伝は神崎に肘鉄を食わせた。
「どれくらいで終わりますか」
メモリを見る小島。
「後三十分ぐらいですかねぇ」
「それくらいなら待ちますよ」
あくまでも語らせたい重伝だった。
小島ミドリは言う。
「点滴だけでは体力が落ちる一方ですので、午後一時半から胃瘻の手術を行う予定ですぅ」
重伝は眉をひそめた。
「胃瘻ですか。それさえ済めば聴取は可能ですね」
やり取りを聞いている杉田は愕然として聞いていた。
『胃瘻だって? ますます動きが取れなくなるじゃないかっ』
小島は杉田を見る。
「術後は後処置もありますし、何より本人も体力を消耗しますんでぇ、患者さんのことを思えば本日は担当医から許可出ないでしょうねえ」
イライラする……と神崎は口を開きかけたが、また重伝から肘鉄でも食らうのがオチだ、と思い直ぐに口を閉じた。
「胃瘻から食事を摂るのは分かりました。明日また出直します。朝九時ぐらいでどうでしょう?」
執念深さの重伝に小島ミドリは根負けした。
「そうですねぇ、それくらいなら」
『胃瘻なんてまっぴらだ、なんとかここを逃げ出す方法を……何か方法はないか? 考えるんだっ』
重伝たちが立ち去り、杉田が自問自答している間に点滴が外された。
ホッとしたが次には「お薬飲みましょうねぇ」と小島ミドリが錠剤を差し出した。
差し出されたそれは例の睡眠薬だ。
『畜生、手術まで眠らせようって魂胆だなっ』
杉田は体を動かしながら声にならない声を絞り出した。
「あ……う……」
怪訝そうな小島ミドリ。「どうしました杉田さん」
更に声を上げる。
「え……お」
到底言葉にはならないがさすがベテラン看護師だ。
「あらぁおトイレねぇ。言わなくても分りますぅ。どうぞ」
緊急用ナースコールの電源を切る小島。「付き添いますわよぉ」
トイレに入ると見せかけ病院を抜け出す計画を考えたが、動く度に体中に激痛が走る。それに付き添われてはどうにもならない。顔を歪める杉田。
「あらぁ痛いでしょぉ、肩貸しますわぁ」
『お前が邪魔なんだ』とは言えない杉田である。小用トイレに立つ杉田に小島ミドリが言う。
「ムスコさん出すの手伝いますぅ?」
おおおらかに言う小島ミドリだ。結構だというように杉田は手を降る。
『見せるのは優子だけだ――だが……この状態では逃げ出すのは到底無理だ』
諦めた杉田はなんとか出し終わると二人して病室に戻った。
仰向けに寝かされた杉田のベッドに、小島ミドリがにじり寄り睡眠薬の錠剤を取り出す。
「さあ、お薬飲んでね」
『飲んだら最後だっ』
笑顔を浮かべる小島ミドリは善意で薬を飲まそうとしているのだが、杉田には悪魔に見えた。抵抗しようとするが、悲しいことに動く度に激痛が走る。
「さあ、どうぞぉ」と小島ミドリが杉田の口元に睡眠薬を当てる。
万事休すだ――その時杉田の頭に閃くものがあった。
『――そうだ優子だ』
杉田は震える右手でペンをもったように宙をなでる。
「あら、今度は何?」
当初杉田の所作を読めなかった小島ミドリだが、ややあって合点がいった。
「なにか書きたいのねぇ? 分かった、メモ帳もってくる」
一度退出した小島だがすぐにペンとメモ帳を持って杉田に差し出した。
杉田は書き出そうとしたがここで唖然とする。『書……書けない』
腕の力が萎えたのか体力がこれほど落ちたのか?
さらに書こうとするたびに激痛が走る。
必死の思いで書き示すが、震える線が紙をかすめ、文字にならない跡だけが残った。ミミズがのたうったようなまともな文字ではなかったが小島ミドリは杉田の期待に応えようと文字を見つめ、解読を試みた。そして見つけた答えがこれだった。
「身内に入院先を知らせてほしいってことねぇ? うーん許可が降りるかなぁ。で、その身内の連絡先は?」
激痛に耐えながら書き続ける杉田。
「上着……ポケット?……手帳?……電話番号?」
頷く杉田。
「上着やシャツは焼かれてボロボロだけど、中身はここに」
小島ミドリはかたわらのチェストの引き出しを引くとそこに杉田愛用の手帳があった。その他の所持品もそこにある。
「はい、手帳。しっかり持てる? 手伝おうかぁ」
震える右手で手帳をめくり、小島にさしだした。
「この方ぁ? 和道啓太? 違う? 寺家優子?」
納得するように杉田が声を出す。「……が……」
「この方に連絡すればよいのね? 聞くけどこの寺家優子さんて、どんな関係ですぅ?」
メモ帳を取り今度ははっきりした文字を書いた。
『恋人』
「あらぁ、いいわぁ」
そして改めて小島ミドリは手帳を見る。
「お嫁さんになる人かぁ……え? 寺家優子さんてなんだか聞き覚えがあるような、ないような……」
小島ミドリは口に出して反芻する。そしてハッとした顔をした。
「寺家優子って……奇跡の手術を起こすと言われたドクター寺家? まさかぁ寺家先生が彼女なの……?」
うんそうだ、というように杉田は首を降る。
「事務局に相談しますので待ってて……と言っても動けないよねえ」
睡眠薬を渡すのを忘れた小島ミドリは手帳を携え事務室に向かい始めた。
無人になった病室で杉田はひとりごちた。
『優子、勘弁してくれ、恋人なんて嘘ついてしまった。でもお前を頼るしか無いんだ』
そう安堵する杉田。しかし次の瞬間に息苦しさが急に襲いかかり。挙句に意識がすうっと遠のいていった……。
小島ミドリの報告に事務所はちょっとした騒動が巻き起こった。
「緊急入院した患者が寺家先生と恋仲だって――ウソだろ?」
「でもここに連絡先がぁ」と手帳を指さす小島ミドリだった。
指定された番号を事務職員が端末を打鍵する。そして寺家優子の連絡先を確認した。
「ホントだ。この番号は個人が知りうる携帯電話番号ではないぞ。すると……うむむ……」
困った事務職員は上司に連絡を取った。「どうします事務長、連絡しますか」
事務長も当惑した。
「それが本当なら世界に名だたるドクターだ。それがこの患者とつながりがあるのは、いかにも不釣り合いだ。まあ医者同士なら理解できるがね」
「どうしましょうか?」
「そう言われてもなあ。だが患者が希望するなら連絡を入れないわけにはいかない。そうだな、連絡の際にはこうしよう」
事務長は職員に入れ知恵した。
「承知しました。そのように連絡を入れてみます」
騒然としている火災現場。
多数の捜査員が慌ただしく往来する火事場を所在なげに見つめるだけのスケロク商事の一行。
仕事の依頼もないし、する気力もわかないいわば脱殻状態だ。
そんな中でもただ一人、今後の方針と借入返済に頭を悩ませている寺家がいる。その寺家にいきなり携帯電話が鳴った。
見ると東部病院と表示されている。『当分仕事は受けられないわ……』
しかし仕事の依頼ではなかった。
「寺家先生ですか。こちら東部病院救急センターです」
「はい」
「お尋ねしたく連絡したのですが『杉田』に心当たりはありますか」
寺家の全身に電気が走った。
「ええっ? 耕一、耕一なのねっ!」
その寺家の声にモニターで事務長も聞いていた。
「耕一はそこにいるのっ?」
寺家の切羽詰まったような声に事務長は納得した。
「聞いてもいない名前が出たな」
その言葉に事務員は今一度確認する。
「大変失礼ですが患者さんとのご関係は?」
寺家は思わず叫んだ。
「将来を約束した仲ですっ」
事務長は事務員に言う。
「間違いない。開示しろ」
事務員は言う。
「杉田さんは連絡先に寺家先生を指定しました。東部病院救急センター八◯五号室です。いかがされますか」
「すぐに行きますっ」 寺家は腕時計を確認した。「三十分でいきますっ」
「ではお待ちしております」と言って事務員は電話を切った。
「凄腕の医者と聞いいてましたが」と事務員は事務長に振り返る。「なんだか取り乱しているような雰囲気でしたね」
事務長は腕組みしながら妙に納得した。
「噂の外科医でもなあ……どこでどう知り合ったかしらないが、所詮――男女の仲は分からんて」
「寺家先生、どちらへ?」
いきなり電話を切りスケロク一号車に飛び乗ろうとした寺家に天馬が聞く。
寺家の予期しない行動にみんなは吃驚する。
「ちょっと先生!」
髪を振り乱した寺家の形相に、危ないと直感した願成寺は寺家の袖口を握り強引に引っ張った。
「放しなさいっ」
一時的にせよ興奮している寺家の腕を願成寺は放さない。
「先生何を急に。どこにいくんです? 運転ならアタシがするからさあ、なんだかわかんないけどそんな焦って運転したら事故るよ」
肩で息をする寺家だったが――「東部病院救急センター、お願い」
あいよ、と返事をした願成寺が慎重にスケロク一号車を動かす。
「何が始まったんでやんすか」と事情がわからない越狩が言う。
「耕一、とか言ってたでがす」と的場。
「ボク見てたんだぁ」と御手洗。
「何見てたんだ?」と祖父江。
「みんなに隠れて社長と先生がイチャイチャしてたとこぉ。……イテッ」
祖父江は御手洗の頭を叩く。
「このクソガキ、たちの悪い趣味だぜ」
「叩くなんてぇ偶然見かけたのよお」
天馬は想像を巡らす。
「と言う事は寺家先生、杉田社長に会いに行った? 社長は寺家先生を面会者として病院に頼み、入院先が了解し連絡した。それで気が動転し?」
祖父江は腕を組む。
「御手洗が目撃したことを思うとそんな感じがするぜ」
管弦が言う。
「相思相愛かさ」
社長を中心とした話に花が咲き、いっときの焦燥感を忘れさせる効果があったようだ。
東部病院救急センターの正門では事務長と担当医師、小島ミドリが待っていた。願成寺が停車するまもなく寺家は飛び出し正門に向かった。きっかり三十分だ。
息せき切る寺家。
「寺家です。こちらは付き添いできました願成寺です。早速面会したいのですが」
興奮する寺家の言い方に担当医は落ち着かせようとした。
「担当医のイナミです。このような状況では家族の方が興奮するのは仕方ないですね。でも落ち着いてください。症状は安定しています。状態をかいつまんでお話しながら病室へ案内します。どうぞ」
ついていこうとする願成寺に事務長は静止した。
「面会は寺家さんだけです。待合でお待ちになってください」
『ちぇ』
願成寺も社長の容態が気になって仕方なかったが、事務長の言葉に素直に待合室の長椅子に腰を掛けた。
エレベーターに乗り込む前から寺家の心臓はバクバクと音を立てている。歩む足音だけがやけに響く。
イナミは説明する。
「熱傷具合ですが腰から上、背中一面にかけての浅達性Ⅱ度です」
到着したエレベーターの扉が開き乗り込む四人。
「背中一面湿潤、水泡+2です」
イナミの言葉に寺家は答える。
「かなり痛みが激しいでしょうね。以前熱傷深度3で皮膚移植したことがあります」
「完治しましたか」
「幸い後遺症は発現しませんでした」
「それは何より」
事務長がつきましたといい「開」釦を押す。
「左側です」と小島は寺家を案内する。複数の足音だけが廊下に谺する。
廊下の左側「八◯五」のプレートが光る。
いよいよ会える……そう思う寺家の喉がゴクリと鳴った。
ドアの前で震える。
それは恐れなのか期待なのか――それは寺家でもわからない不思議な感情だ。
「良いですね?」
事務長がドアノブに手をかけゆっくりと回す。
眩い光が差したドアの先には、まごうことなき杉田がベッドに静かに横たわっている――
「耕一っ」
名を呼びながら寺家は歩み寄っていった。
再会の喜びに沸く寺家でしたが、杉田は急性気道閉塞を起こし意識がありません。次回は寺家の奮闘を描きますが……




