めまぐるしい日
2 午前三時の物音
街全体が深い眠りについて通りを走る車も一台もない午前三時
雲ひとつない天空には満月が煌々と光っている。
昼間の喧噪感が絶たれ、後部ドアを開け放たれたスケロク三号車がひっそりと佇んでいる。
火災から逃れたその夜、男五人がスケロク三号車で眠ろうと藻掻いていた。寒い時期だがそれ以上に精神が昂ぶり、目を瞑ればあの時の業火の残像が蘇るのだ。
寝返りを打つのか誰かの寝袋がかさかさと車内に響く。
ガサッ……ザリッ……
そんなささやかな音でさえも精神が逆撫でられ五人が起き上がる。
「今、音がしなかったでがすか?」
緊張した面持ちで的場が囁いた。
「風の音じゃないでやんす……」
同じように越狩がささやき伊東が同調する。
「んだな」
「ええ? 何今の音、コワイぃ」
的場は振り返る。そこには横倒しで寝ているグローリーとマギーがいる。仮に設えた止まり木に権太が静かにしている。
「コイツラの音じゃねえでがす」と囁く的場。
寝袋からゆっくりと這い出した男たちは開け放たれた後部ドアにしがみつくように外を見る。
月明かりの元、五人は規制線の内側で蠢いている人間を複数確認できた。人影は懐中電灯など点灯せずに月明かりだけで何かを探しているようだ。
ガザッ……ガサッ……
焼け跡を踏み鳴らす音だけが静かに響く。
「何やってるんでやんすか」
越狩のささやき声に理由もわからず見つめている五人だったが――的場は元泥棒の勘が働く。
「金庫でがすッ! 金庫探してるでがす!」
男達――下人たちは金庫を探している。それも四人。
「……火をつけたのも奴らか?」と祖父江。
「俺達を陥れた奴らでがすか」と憤る的場。「わっちらが必死になって守った金庫、そうやすやすと奪われたらたまらんでがす」
的場の声に御手洗は怖じけた。
「どうすんのよぉ……コワイィ……」
祖父江は拳を握りしめた。
「叩きのめしてやるッ」
「止めてよぉ、ここにいるのが分かったら襲ってくるよぅ。コワイコワイィ――」
行かせないように祖父江にしがみつく御手洗。
伊東が言う。
「金庫、重い。今日は場所調べにきたんじゃねべか」
御手洗を振りほどいた祖父江は冷静になった。
「追い出そう――だがどうやる?」
その間にも下人衆は金庫の場所にたどり着いたように集まり始めた。
寝ていたはずのグローリーが異変を感じたのか首を上げ唸り声を上げる。
「グローリーが唸るのは初めてでがす」と的場。
「グローリーはシェパードだけに強面でやんす。けしかけて追っ払うのはどうでやんしょ」
「けしかけられんべ」と伊東。
「飼い主以外の命令、聞くのか、どうなんだ?」と祖父江は言う。
的場はグローリーに躙り寄ったが、犬を毛嫌いする空き巣狙いの的場だ。
「わっちは犬はでえっ嫌いでがす。――でもよ、わっちはお前を助けたんだ、今度は助けてくれるでがすか?」
的場の手が震える。恐る恐るグローリーに手をかける……。
的場の真意がわかったのか、グローリーはすっくと立ち上がった。
荷台から躍り出ると牙をむき出し尻を持ち上げ威嚇するかのように唸り声を上げる。さらに一声吠えると剥き出された犬歯が鋭く月明かりにひかり、獰猛さに拍車がかかった。
うわ……
予期しなかった突然の出来事でパニックになり慌てて規制線を破り四人が逃げだした。しかしその逃げ出し方が異様だ。ある者は天空に飛びかからんとするように人間離れした跳躍力、ある者は重力を無視するかのようなジャンパーのように遠くに着地する。
この異様な光景――。四人全員はただ者ではない。
「よくやったでがす」
戻ってきたグローリーの体をぽんぽんと優しく叩いた的場だった。
翌朝快晴の午前七時
眠れたような眠れないような夜を過ごした五人の前に女子チーム寺家、管弦、願成寺、天馬の四人が乗っているスケロク二号車が現れた。願成寺がビニール袋を抱えて降りてきた。
「オハヨー、寺家先生のおごりコンビニで弁当買ってきたよ」と願成寺。
「すまんでやんす」とありがたく弁当を受け取る越狩たちだった。
今、クレジットカードや現金を持ち合わせているのは寺家と天馬だけだ。会社の財産が消失してしまっている以上、寺家が建て替えないわけにはいかない。だが資金返済が十日後に待ち構えている。
『五百万か……立て替えるにも金額が……どうしよう……』
的場の声に寺家は我に返った。
「グローリーなんでがすが何食わせりゃいいんで?」
寺家は大人しくふせをしているグローリーをみる。
「そう……動物がいるんだよね」
考え込む寺家。
「グローリーは盲導犬協会に相談だね。……権太はどこかの動物園に引き取ってもらうしかないかな。マギーは野良猫にするわけには行かないし、マスコットとして手元においておくか」
越狩がしみじみ言う。
「黒川さんや蔵前さん悲しむでやんす」
願成寺も同調した。
「直美と権太は長年のパートナーだけど、うちらでは飼育の仕方がわからないし」
「確かハヤブサって鳥獣の法律で飼育が難しいはずです。蔵前さんはどうやって……」と当惑する天馬。
「入院先って調べられないでやんすか」と無責任に言う越狩。
「権太死ぬべ」と脅かす伊東。
「寺家先生なら入院先わかるんじゃない?」と簡単に言う願成寺。
皆勝手なことばかり言って……寺家の頭は爆発しそうだ。
杉田と連絡が取れない以上、一人で火災、資金繰り、社員の生活、動物たちの行き先――すべての責任を背負い込まなければならない寺家だった。
イライラした感情が湧くと急に胃がキリキリと痛んだ。寺家は体を折り曲げ腹に手を当てると背中にじわりと冷や汗が流れる。
「大丈夫ですか、先生」
天馬にとっての主治医でもあり――心配そうに天馬は寺家の肩に手をかけ覗き込んだ。
「大丈夫、心配いらないよ」
とは言うものの次々と難題が降り注ぎ寺家としては胃の痛むことだらけだ。
その間、管弦はムスッとした顔をして一言も話さない。
そのあからさまな態度を見て祖父江が声をかける。
「瑠那、どうしたんだ?」
「どうもこうもないよ」と不満そうに口を開く管弦。
「天馬のやつ、自分ちに帰んないでずっと先生と話し込んでたんだよ」
「先生のマンションで一緒だったのか?」
祖父江の問いかけに管弦は返答した。
「そう。眠れねえったらありゃしねえヨ」
天馬にはスケロク商事が大変な目にあっているというのに、ひとり浮かれるわけにはいかないのだ。重伝と顔を合わせると伯父である加藤副署長に話が伝わり、騒動になることは分かっていたから寺家のマンションに厄介になったのであった。
気を取り直した寺家は、まず盲導犬協会を探し当て連絡を入れた。事情を話し始めているが、寺家以外は所在なげに火災現場を見回している。
火災現場が妙に慌ただしい。昨日より多数の消防官、警察官が蠢いている。しゃがみこんで丹念に振るいを振るもの、写真を取るもの、現場で指示を仰ぐもの……その中で鑑識主任警察官と消防司令官が会話している。
「科捜研からガソリン成分検出、放火の可能性が非常に高いと報告書が届いた」
消防司令は納得する顔をつきをした。
「やはりそうですか、消火作業中の消防士の証言、焼け跡の検証からそうではないかと思ってましたよ」
「明らかに失火ではない。放火の線が強い。捜査本部設置だ。こうなると、宝来警察、忙しくなるぞ」
かくして――スケロク本社ビル他二棟火災事故捜査本部が宝来警察署に設置され、捜査本部本部長に加藤副署長、捜査指揮指導に捜査一課長ヨネヤマが任命され、重伝とそのバディ神崎も捜査に組み込まれた。
後に神奈川県警捜査一課からあの「片平」が……。
駐車場の道路脇に黒塗りのワゴン車が止まり、恭しくドアが開けられると一人の男が出てきた。
岡田だ。
その岡田が無表情でゆっくり集団の前に近寄ってくる。
「皆さん、おはよう」
「おはようございます」と電話を切って寺家が挨拶するが、その他の人間は押し黙ったままだ。
岡田はぐるりと見回す。
「勝彦財閥総統と相談した結果を伝えに来た」
だが誰も口にしない。岡田の本心がどこにあるのかわからないので警戒しているのだ。しかしそれを知ってか知らずか岡田は話す。
「山下埠頭に借り手が付かず一年ほどたつ空き倉庫がある。そこを提供する。早速案内するので付いてきてくれ」
「ありがとうございます」
寺家は頭を下げる。
「願成寺さんと天馬さん、越狩さんの三人で見てきてください。何かあったら天馬さんの携帯端末に連絡入れますから。お願いします」
寺家に言われた三人はスケロク二号車に乗り込み願成寺の運転で黒塗りのワゴン車を追いかけていった。
腕を組む管弦がぼそりと言う。
「岡田って何考えてんのかさ。後で法外な請求してくんじゃない?」
「俺もそんな感じがするぜ」と祖父江も同調する。
「その時はその時で考えるしか無いわね」としか言えない寺家であった。
先導役の岡田が乗った黒塗りセダンの後をついていくスケロク二号車が到着したのは、波が穏やかに岸壁に打ち付ける山下埠頭の突端で、手前では大型の貨物トラックが複数行き交い、倉庫での出入りに気を使うような山下埠頭最果ての倉庫だった。
不便な場所であり、これなら借り手は付かないだろうな、と車から降りた願成寺は思った。
「今、倉庫を開ける」
リモコンキーを手にしていた岡田が操作すると大きなシャッターがぎこちない音を立てながらゆっくりと開く。しかしそこは十トントラックが複数台も悠々と止まれる巨大な倉庫だった。
「借り手が見つからんのはこの不便な場所にある」と冷ややかに岡田は言う。「塩漬け状態の倉庫だ。好きに使ってくれていい。ただ借り手が付いたら退去して貰う。良いかな?」
越狩が代弁するように言う。
「良いも何もないでやんす。どう使うでやんすか?」
岡田は言う。
「それは君たちの自由だ。鍵三組を渡す。無くさないで欲しい」
願成寺の手に鍵が渡されたが、鍵の冷たさよりもさらに岡田の手は冷たい――。
倉庫横壁ぴったりに鉄製の階段を上がり終えると、直角に格子状の通路がありその先には粗末な事務所がある。
「場内を案内する」
そう言いながら階段を上って行く。突き当たりの事務所は現場事務所だ。中に入ると一脚の椅子と机が正面ガラス窓にへばりつくように設えてあり机にはマイクがひとつ、壁面の天井左右にスピーカーが設置されている。ここから荷物の出し入れなど指示するようだ。
大型貨物の運搬していた経験がある願成寺が言う。
「ガントレーとかユニック無いねえ。貨物載せるには必要なんだけどなァ」
岡田は言う。
「前の持ち主が設えていたが退去と共に撤去した」
「じゃあ、荷物の載せ替えとかどうするの?」
願成寺の問いかけに無視するような岡田。「――なので自由に使ってくれ」
一方、寺家が話していると一台のパトカーが止まった。
「今度はパトカーかよ」と祖父江。
そのパトロールカーから現れたのは重伝と神崎だった。
重伝はみんなを見ながら言う。
「今回の火災について放火の事件性が濃いので宝来警察署に捜査本部が置かれ、私たちが初動担当になりました。よろしくお願いします……早速ですが聞き取りを行います」
惜しくも天馬とのすれ違いが発生した。後々波紋を巻き起こすことを誰も知らない――
いろいろな事件が頻発しました。これから先スケロク商事はどうなってしまうのか? このゴタゴタの先には何が待ち受けているのか。岡田の意図は? さらに珠伊師の動向は?




