4. 2つの人生
「おねーさんは? どんな人生だったの? 私ばっかり話しているんじゃつまんないからさ。聞かせてよ」
「私? 私の人生なんて、つまらないですよ……」
夏美は、自分の真面目すぎる退屈な人生の話をした。
小さな頃から優等生で、親の敷いたレールの上を歩いてきたこと。
可もなく、不可もない家庭環境。
父親は有名商社のサラリーマン、母親は専業主婦。
それなりに良い成績。
推薦で良い大学に入った。友人と一緒に、楽なサークルに入って、学業もそこそこ。恋愛もそこそこ。
サークルの先輩と付き合ったけど、キスだけで体の関係は無かった。
一部上場の会社に入り、上司の勧めで会社の同僚と結婚したこと。それが夏美にとっての初体験。
まるで『これが女の幸せ』のテンプレートのような人生。
「でも、退屈なんです。毎日が。パチンコだって行ったことない。タバコだって吸ったことない」
冬香が焼酎パックを両手に持って、じっと夏美に話を聞いていた。
「何不自由ないって、逆に不自由だと思いませんか? もっと、もっと刺激的な人生を送りたかった。冬香さんみたいな、めちゃくちゃな経験……」
首を傾げて冬香は夏美を見た。
「ごめんなさい、こんな話、つまらないですよね。でもこれが私の人生。冬香さんみたいに話すことがなんにもない、なんの変哲もない人生で……」
「でも結婚してんでしょ、おねーさん? お見合い?」
冬香は夏美の左手の薬指を指さした。
「いえ、俊哉…..あ、夫の名前ですけど、社内恋愛でした」
冬香は、へぇって顔をして言った。
「いーじゃん、恋愛して、結婚して、旦那様と幸せな家庭。ぜんぜん平凡じゃないよ。キラキラの人生じゃん」
「恋愛って言っても、半分お見合いみたいなもので、会社の上司に勧められて」
「好きじゃなかったの? 旦那さんのこと」
「好き……でした……」
「だったらいーじゃん。好きな人と一緒になれてさ。一番幸せなことだよ?」
「そう……ですかね。でも毎日寂しくて退屈です。倦怠期ってヤツですね。もっと刺激的な人生が送りたかった」
冬香はフッと笑った。それは、夏美の憧れを打ち砕くような、冷めた笑いだった。
「刺激的な人生なんて、なんにも残らないよ、おねーさん」
冬香は焼酎をぐいっと飲み干した。
「一瞬は楽しいよ。アドレナリンがどばどば出てさ、自分が世界の主人公になったみたいに錯覚する。でも、次の朝が必ず来るんだ。隣にいるのは知らねぇ男。手元には、昨日まで無かった金。でも、心はスカスカ。刺激って麻薬だよ。どんどん強いものを求めちゃう。でも、それに飽きたとき、残るのは『何も無かった』って事実だけ。ほんと、空っぽよ」
冬香が焼酎を飲み干した。ズズって啜る音が響く。
「ある日の朝、隣で女が寝てたんだよ。私と一緒で、どこからか連れてこられた黒人の女さ。手をだらってだらしなく寝ているから、起こそうと思って揺さぶったんだよ。でも全然起きてこなくて。死んでんだよ。たぶんオーバードーズ。そしたらさ、どこからか男たちがその子の体を運び出してさ」
夏美はごくっと喉を鳴らして、冬香の話を聞いていた。
「どうしたのかは知らない。知ってもしょうがないしね。ああ、私もこんな風に捨てられるんだなって思っただけだった」
冬香は、焼酎のパックをグチャッと潰して、ゴミ箱に投げた。
「飽きたらポイッてね。こんな人生、何のために続けてるんだろうって。おねーさんが羨むような刺激の向こう側には、なんにもない。あるのは虚しさだけさ」
夏美は、冬香の瞳の奥にある、深い諦めのようなものを見た気がした。それでも、自分の叶わなかった夢が現実に眼の前にあることに不思議な感情が芽生えていた。
「それでも……、それでも、ちょっとでも冬香さんみたいに生きられたら、何か変わったんじゃないかって思うんです。自分がこの退屈な生活のまま年を取っていくなんて……。ただのオバさんになっていくだけ。羨ましいです。この退屈な毎日から逃げたいって」
夏美は自虐的に笑いながら話した。半分本気、半分冗談。でも冬香の話に憧れたのは本当の気持ちだった。缶の中のビールが揺れているのが手に伝わってきている。
すると、冬香が急に立ち上がった。そして夏美の正面に立って、肩を揺さぶる勢いで叱り飛ばしてきた。
「バカ言わないでよ! 何言ってんの、あんたは! 人生が退屈? ふざけないで!」
<つづく>




