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Herobrave's Hope -英雄たちが遺した希望-  作者: かげ2500
第1章 『プロローグ』

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第9話 惨劇

「神器開放!!」


 ガイルの怒声が、森の奥深くまで響き渡った。

 その瞬間、周囲の空気が大きく震え始める。


 風が吹いたわけではない。

 何か巨大な力が空間そのものを掴み、無理やり捻じ伏せているような、不気味な振動だった。


 地面が低く唸り、湿った土の下から軋む音が響く。

 木々の枝葉が一斉に揺れ、鳥たちが驚いたように飛び立っていった。


 森全体が、ガイルの力を恐れている。

 そんな錯覚さえ覚えるほどの異変だった。


「神器……だと!?」


 レインが驚愕に目を見開いた。

 その視線は、ガイルの左手に握られた盾へと向けられている。

 盾の表面には、黄金色の光が渦を巻くように集まり始めていた。


 次の瞬間――目に見えない圧力が、レインたちへ襲いかかった。


「ぐっ……!?」


 四人の身体が、一斉に地面へ押しつけられる。

 まるで、頭上から巨大な岩の塊を落とされたような重圧だった。膝が折れ、足元の土が沈み、呼吸すら困難になる。


 周囲の木々もまた、同じ力に晒されていた。

 幹が軋み、枝が折れ、根が大地から引き剥がされていく。


 そして――木々は次々と潰れた。

 倒れるというよりも、見えない何かに押しつぶされ、地面へ叩き伏せられていく。


「な、なんなのよ、これ!?」


 杖を持った女性が叫び、慌てて杖を構え直した。


 魔力を集めようとするが、どこから攻撃が来ているのか分からない。

 防御魔法を展開すべきなのか、反撃すべきなのか、それすら判断できずにいる。


「こんな……見えない攻撃、どうやって防げばいいのよ!」


 一方、弓を背負った女性は、苦しげに息を吐きながらも冷静に周囲を見回していた。


 潰れていく木々。沈み込む地面。

 そして、黄金の輝きを放つ盾。


 彼女は一瞬だけ目を細めると、静かに口を開いた。


「今、ガイルが『神器』と言っていたあの盾……」


 視線が、ガイルの左手へと向けられる。


「間違いなく、あれがこの攻撃の原因」


「盾から、こんな力が……?」


 聖女を思わせる衣装の女性が、困惑した声を漏らした。

 彼女はレインの背後へ回り込み、庇うように立ち位置を変える。

 それでも、足元から伝わる圧力に身体が震えていた。


 弓使いの女性は、短く息を吸った。

 恐怖を押し殺し、腰の矢筒から一本の矢を取り出す。


 そして、弓に番えた。


「やるしかないか……」


 弦が、限界まで引き絞られる。

 彼女の視線は、ガイルの左手に固定されていた。


 盾そのものではない。

 その中心――黄金の光が最も濃く集まっている場所。


 そこを破壊すれば、攻撃を止められるかもしれない。

 弓使いは、木々が潰れていく間隔と、見えない圧力の波を見極めていた。


 ほんの一瞬、圧力が弱まる隙間を捉える。

 そして――矢を放った。


 鋭い風切り音が、森の中を駆け抜ける。

 矢は見えない力の隙間を正確にすり抜け、一直線にガイルへ迫った。


 狙いは盾の中心。

 だが、その矢は盾に届く寸前で軌道を変えた。


 黄金の盾を握る、ガイルの掌へ。


「ぐあっ……!」


 矢が、ガイルの手のひらを貫いた。

 鮮血が飛び散り、ガイルの指が大きく跳ねる。


「痛い! 痛い痛い!!」


 突然の激痛に、ガイルは顔を歪めた。

 握りしめていた盾が、手から滑り落ちる。


 黄金の輝きが途切れた。

 同時に、周囲を押し潰していた見えない圧力も、嘘のように消え失せる。


 静寂が戻った。

 いや――戻ったのは、ほんの一瞬だけだった。


 ガイルの悲鳴が、森の中に響き続けている。


「ガイル様!」


 エリスは反射的に駆け出そうとした。

 傷ついたガイルを助けなければ。


 そう思った。

 けれど、二歩目を踏み出すより早く、ガイルが腕を振った。


「来るな!」


 その腕が、エリスの身体を強く弾き飛ばす。


「きゃっ……!」


 エリスは地面へ倒れ込み、湿った土の上を転がった。

 痛みよりも、胸の奥に走った衝撃のほうが大きかった。


 ガイルに拒絶された。

 その事実が、エリスの心を凍りつかせる。


 目の前で、ガイルが苦痛に呻いている。

 助けたい。駆け寄りたい。


 けれど、脚が動かなかった。

 恐怖が、身体の奥から這い上がってくる。


 もし、このまま何もしなければ。

 このまま誰も止めなければ。


 きっと、誰かが死ぬ。


 ガイルが。レインたちが。あるいは、アリィたちが。

 誰かが必ず死ぬ。


 その前に――自分が止めなければならない。

 そう思っているのに、エリスは無力だった。


 ガイルが傷つけられたことへの恐怖で、脚がすくんでしまっている。

 立ち上がることさえできなかった。


「今だ!」


 その声が、エリスの意識を引き戻した。

 レインが仲間たちへ向かって叫んでいる。


「この隙に、森の出口を目指すぞ!」


 レインたちは一斉に走り出した。

 ガイルの悲鳴を背に、ぬかるんだ地面を蹴り、森の出口へ向かって駆けていく。


 だが――その進路を塞ぐように、二人の女が立ちはだかった。


 アリィとシリアン。

 二人は、逃げ道を塞ぐように街道の中央へ立っていた。


 アリィは剣を構え、シリアンは抜き放った刃を低く構えている。

 その表情に、いつもの明るさも冷静さもなかった。


 あるのは、濁った殺意だけだった。


「ガイル様を傷つけた卑怯者どもが!」


 シリアンが叫んだ。

 声が、怒りで震えている。


「ここで斬り殺してくれる!」


 シリアンは地面を蹴った。

 一直線にレインへと突進する。


「俺がやる!」


 レインは即座に剣を抜いた。

 金属音が森に響く。迫り来るシリアンの剣を、真正面から受け止めた。


「ぐっ……!」


 シリアンの剣筋は鋭かった。迷いもなく、躊躇もない。

 しかし、技の鋭さに対して、腕力が足りていなかった。


 レインは歯を食いしばりながら剣を押し返す。

 体重を乗せ、力任せに刃を弾いた。


「なっ……!?」


 シリアンの身体が、わずかに後ろへ流れる。


 その隙を、レインは見逃さなかった。

 踏み込み、彼女の懐へ入り込む。


 そして、すれ違いざまに剣の柄でシリアンの首筋を打ち抜いた。


「……っ」


 シリアンの瞳から光が消える。

 身体から力が抜け、その場へ崩れ落ちた。


「悪いが、ここで止まっている余裕はない!」


 レインは倒れたシリアンを一瞥すると、すぐに仲間たちへ視線を戻した。

 その間にも、杖を持った女性たちはアリィと交戦していた。


「うるさいわね!」


 魔法使いの女性が苛立たしげに叫ぶ。


「こんなところで足止めなんて、冗談じゃないわ!」


 杖の先端に魔力が集まり、赤い光が膨れ上がった。

 次の瞬間、放たれた魔法がアリィへと飛来する。


「くっ……!」


 アリィは剣を掲げて受け止めようとした。

 だが、魔法の衝撃は想像以上に重かった。

 剣が弾き飛ばされ、乾いた音を立てて地面へ転がる。


 その隙を突き、聖女のような女性が踏み込んだ。

 アリィの足元へ身体を滑り込ませ、足を払う。


「しまっ――」


 アリィの身体が宙へ浮いた。

 次の瞬間、背中から地面へ叩きつけられる。


「がっ……!」


 肺から空気が押し出され、アリィが苦悶の声を漏らした。


「こいつら、弱いわ!」


 魔法使いの女性が、勝ち誇ったように叫ぶ。


「このまま倒せるんじゃない?」


 地面に押さえつけられたアリィは、悔しげに歯を食いしばった。

 その瞳には、敗北への悔しさだけではない。憎悪があった。


「絶対に……許さない……!」


 アリィは地面を掴みながら、声を絞り出す。


「八つ裂きにしてやる……!」


 その言葉を聞いた瞬間、遠くで見ていたエリスの身体が再び強張った。

 アリィが、そんな言葉を口にする。


 いつも笑っていたアリィが。エリスを抱きしめ、優しく背中を撫でてくれたアリィが。

 今は、目の前の相手を殺すことしか考えていない。


 その豹変ぶりに、エリスは息をすることさえ忘れた。


 始まってしまった。

 殺し合いが――。


 止めなければならない。

 けれど、誰も止まらない。


 ガイルは傷つきながらも、立ち上がろうとしている。

 シリアンは地面に倒れ、アリィは押さえつけられている。


 レインたちは逃げようとしている。

 誰もが、自分の正しさと憎しみに従って動いていた。


 そのとき、レインが鋭く叫んだ。


「甘く見るな!」


 彼は仲間たちへ振り返ることなく、森の出口へ向かって走り出す。


「ガイルがまだ追ってくる! ここで無駄な戦闘を続けるな!」


 レインの声に、魔法使いの女性と聖女のような女性も動きを止めた。

 倒れているアリィを一瞥し、すぐにレインの後を追う。


 そのまま、四人は森の出口へ向かって駆けていった。


「くっそぉおおおおお!!」


 地面に倒れたアリィが、悔しさと怒りを込めて叫ぶ。

 その悲鳴のような声が、荒れ果てた森の中へ虚しく響き渡った。



 ―――。



「追うぞ……!」


 ガイルはそう叫ぶと、エリスの手を強く掴んだ。


 指先に込められた力は、普段の彼からは想像もできないほど強かった。エリスは反射的に足を踏み出そうとしたが、膝が震え、脚にはまるで力が入らない。


 先ほど目の前で繰り広げられた戦いが、まだ脳裏から離れなかった。

 大地を押し潰す、見えない力。木々を薙ぎ倒し、鎧を砕き、仲間を一瞬で無力化する圧倒的な攻撃。


 そして、自分の目の前で倒れていったシリアンとアリィ。

 エリスの身体は、そのすべてを理解することを拒んでいた。


「……っ」


 足を動かそうとしても、震えが止まらない。

 それでもガイルは立ち止まらなかった。


 エリスの手を引き、まるで彼女の足が動いているかのように、強引に走り出す。

 エリスは引きずられるようにして、地面を何度も踏み外しながらついていった。


 背後には、倒れ伏したシリアンがいる。

 しかし、ガイルは一度も振り返らなかった。


 彼の視線はただ一つ――森の出口へ向かって逃げていくレインたちだけに向けられている。


 仲間が倒れている。それなのに、助けようともしない。

 エリスの胸に、言いようのない恐怖が込み上げた。


 これまでのガイルなら、たとえ敵であろうと、傷ついた者を見捨てることなどしなかったはずだ。


 だが今の彼は違う。

 復讐という一つの目的だけが、彼のすべてを支配していた。


 やがて、木々の間に倒れた人影が見えた。


「アリィ、動けるか!?」


 ガイルが声を張り上げる。

 そこには、先ほどレインたちの前に立ちはだかったアリィが倒れていた。


 地面に伏した身体はぴくりとも動かず、短い金髪は泥と雨水にまみれている。彼女の周囲には、折れた枝や砕けた土が散らばっていた。


 エリスはガイルの手を離れ、ふらつきながらアリィへと駆け寄った。


「アリィさん……?」


 呼びかけても、返事はない。

 ガイルはすぐにアリィの正面へ回り込み、その顔を覗き込んだ。


 そして――エリスの喉から、かすかな悲鳴が漏れた。


「ひ……っ」


 アリィは白目を剥き、怒りに歪んだ表情を残したまま、完全に意識を失っていた。


 その右手は、握っていた剣ごと地面に投げ出されている。手首から先は、まるで本来曲がるはずのない方向へと折れ曲がっていた。


 骨が折れているのか。それとも、関節が外れているのか。

 エリスには判断できなかった。


 ただ一つ分かるのは、アリィがもう戦える状態ではないということだった。


「ちっ……駄目か!!」


 ガイルは舌打ちし、苛立ちを隠そうともせず、地面を強く踏みつけた。

 泥が跳ね、足元の小石が転がる。


 その姿に、エリスは息を呑んだ。


 ガイルは怒っている。

 アリィが傷ついたことにではない。シリアンが倒れたことにでもない。

 ただ――自分の復讐が思い通りに進まないことに、彼は怒っていた。


 だが、その怒りの向かう先が、エリスには分からなかった。

 これほどまでに激しい戦いだったのか。


 あのシリアンが、あのアリィが――まるで何事もなかったかのように、いとも簡単に倒されてしまうほどの戦いだったのか。


 エリスの身体が、再び震え始めた。


 一体、彼らは何者なのか。

 そして、この戦いは――誰が望んだものなのか。


 ガイルたちなのか。レインたちなのか。

 それとも、誰も望んでいなかったのに、憎しみだけが彼らをここまで動かしてしまったのか。


 考えがまとまらない。

 目の前で人が傷つき、倒れていく。

 それなのに、自分には何もできない。


 助けることもできず、止めることもできず、ただ誰かに手を引かれて走ることしかできない。

 その無力さが、エリスの胸を締めつけた。


 そのときだった。

 ガイルが再び、エリスの手を掴んだ。


「行くぞ、エリス!! まだ双子とアマンダがいる!」


 強引に引かれ、エリスの身体が前へよろめく。


 ガイルは笑っていた。

 仲間が傷つけられたというのに。

 シリアンも、アリィも、戦える状態ではないというのに。


 それでも彼は、まだ勝機を信じていた。まだ復讐を諦めていなかった。

 その笑顔は、かつてエリスに向けられていた優しさとは違う。


 どこか壊れていて、どこか狂気を孕んでいた。

 それでもガイルは、前へ進もうとしていた。


 ――自分自身のために。

 長い間胸の奥に抱え続けてきた復讐を果たすために。


 エリスは引かれるまま、震える足を動かした。

 その先に待っているものが、さらなる惨劇だと分かっていながら――。



 ※※※



 レインたちが森の出口へ辿り着いたとき、そこには三人の女性が立ちはだかっていた。

 先回りし、レインたちの逃げ道を塞ぐ、双子の姉妹――リアンとエテルネル。

 そして、真っ赤な髪を持つ魔法使い、アマンダ。


 森の出口から差し込む光を背に、三人は逃げ道を塞ぐように立っていた。

 小柄なリアンとエテルネルは、それぞれの腕に身体の大きさには不釣り合いなほど巨大な籠手を装着している。

 金属の表面には幾重もの魔法陣が刻まれ、込められた魔力が淡い光となって漏れ出していた。


 二人は一言も発さず、同じ構えを取っている。

 左右に並んだ姿は、まるで一つの生き物のようだった。


 その隣で、アマンダは真っ赤な魔導書を片手に握りしめていた。

 炎のような赤毛は乱れ、鋭い目には隠しきれない怒りが宿っている。


 普段の彼女なら、どれほど危険な状況であろうと悪態の一つくらいは吐いていただろう。

 しかし、今のアマンダの顔には、怒り以外のものは何もなかった。


 ガイルが傷つけられた。

 その事実だけが、彼女の思考を埋め尽くしている。


「許せねぇ……!」


 アマンダは低く唸った。

 その声には、抑えきれない殺意が滲んでいた。


「ガイル様を傷つけるなんて……お前らだけは、絶対に許さない!!」


 叫びと同時に、アマンダは魔導書を勢いよく開いた。

 紙面に刻まれた文字が、赤黒い光を放つ。

 周囲の空気が一瞬で重くなり、森の中に漂っていた魔力が、彼女の手元へと吸い寄せられていった。


「覚悟しろ……!」


 アマンダの声が震える。

 それは恐怖ではない。


 自らの命さえも投げ出す者の、決意の震えだった。


「あたしの命に代えても、お前たちを葬り去る!」


 次の瞬間、彼女の掌から黒い炎が生み出された。

 赤でもなく、橙でもない。光さえも呑み込むような、濁った漆黒の炎。

 それは生き物のように揺らめきながら膨れ上がり、凄まじい熱を撒き散らしていく。


 黒炎は、一直線にレインたちへと飛来した。


「黒魔法だと!?」


 レインが驚愕の声を上げる。

 彼は反射的に剣を構え、迎え撃とうとした。


 しかし、黒炎はあまりにも速かった。

 剣を振り抜くよりも早く、目の前へと迫ってくる。


「くっ……!」


 レインは咄嗟に身体を捻った。

 黒炎が、彼の肩口を掠めて通り過ぎる。


 背後の森へ飛び込んだ黒炎は、木々の間を抜け、その先にあったものを焼き尽くした。

 轟々と燃え上がる音が響く。木が焦げ、地面が黒く炭化し、焼けた空気が風に乗って流れてきた。


 その異様な光景に、レインたちは一瞬、言葉を失った。


「黒魔法を使うなんて……!」


 杖を持った魔法使いの女性が、信じられないものを見るように目を見開く。


「命が惜しくないの!?」


 黒魔法。

 それは、この世界において禁忌とされる魔法の一つだった。


 通常の魔法とは異なる危険な力を持ち、術者自身の魔力や生命力さえも蝕むとされている。

 扱うには膨大な魔力と、極めて精密な制御が必要だ。失敗すれば、敵を焼くより先に、術者自身がその炎に呑まれる。


 そして――その危険は、アマンダ自身も理解していた。

 レインたちが再び彼女へ視線を戻したとき、すでにアマンダの身体は黒い炎に包まれていた。


「……は?」


 赤い髪の先から、黒い炎が静かに這い上がっていく。

 衣服が焼け、皮膚が炭のように黒く変色していく。


 それでもアマンダは、何が起きたのか理解できないように、自分の身体を見下ろしていた。


「う……そ……だろ」


 次の瞬間、激痛が全身を駆け抜けた。


「ああああああああああああああああ!!」


 絶叫が森の中へ響き渡る。

 アマンダは両手で身体を掻きむしりながら、地面を転げ回った。


 しかし、黒い炎は消えない。

 彼女の魔力を喰らい、生命そのものを焼きながら、なお燃え続けている。


「いやだ……! こんな……こんなはずじゃ……!」


 叫び声は次第に掠れ、やがて途切れた。

 アマンダの身体から力が抜ける。


 黒い炎が消えたあとに残されたのは、焼け焦げた衣服と、動かなくなった身体だけだった。

 森に、重い沈黙が落ちる。


「アマンダ……」


 リアンが呆然と呟いた。


「アマンダ……っ」


 エテルネルの声も震えている。

 二人の視線は、地面に倒れた姉妹同然の仲間から離れなかった。


 その隣で、杖を持った女性が冷淡に呟く。


「馬鹿ね……黒魔法は、膨大な魔力と精密なコントロールが必要だって知らなかったのかしら……」


 まるで、目の前で起きた惨劇など些細な出来事であるかのような声音だった。


 その言葉が、双子の心に火をつけた。

 リアンとエテルネルは、ゆっくりと顔を上げる。


 二人の目に宿っていたのは、悲しみだけではなかった。


 怒り。憎しみ。

 そして、仲間を奪われた者の殺意。


「お前たちがああああああああああ!!」


 叫び声が重なった。

 次の瞬間、二人は地面を蹴った。


 小柄な身体が、弾丸のようにレインへと迫る。

 籠手に込められた魔力が一気に膨れ上がり、金属の表面に刻まれた魔法陣が眩い光を放った。


「くっ……!」


 レインは剣を構え、二人の攻撃を迎え撃つ。


 右からリアン。左からエテルネル。

 ほとんど同時に繰り出された拳が、左右からレインを挟み込んだ。


 レインは身を捻り、片方の拳を剣の腹で受け流す。

 続けざまに迫ったもう一撃を、今度は身を低くしてかわした。


 しかし、双子の攻撃は止まらない。

 一人が拳を振るえば、もう一人が死角から追撃する。

 互いの動きを完全に理解しているかのような連携だった。


「くっ……なんて息の合った攻撃だ!」


 レインは歯を食いしばりながら、次々と繰り出される拳を捌いていく。

 だが、籠手が剣や鎧に触れるたび、凄まじい衝撃が全身へと伝わった。


 鎧の表面に亀裂が走る。


 一つ。二つ。

 そして、次の一撃で大きくひび割れた。


「このままじゃ持たない!」


 レインが後方へ跳び退く。


 その瞬間だった――空気を裂く音が響いた。

 放たれた矢が、一直線にリアンの胸へと突き刺さった。


「くっ……があ……!」


 リアンの身体が大きく仰け反る。

 胸元から赤い血が噴き出し、籠手を構えていた両腕が力なく垂れ下がった。


 そのまま、リアンは地面へと崩れ落ちる。


「リアン!!」


 エテルネルが叫んだ。

 彼女は戦うことも忘れ、倒れた姉のもとへ駆け寄った。


「リアン! ねえ、しっかりして!」


 血に濡れたリアンの身体を抱き起こし、必死に呼びかける。

 リアンの唇からは、かすかな息が漏れていた。


 まだ生きている。

 しかし、その呼吸は浅く、胸元から流れ出る血は止まらない。


「ああぁああ……! お願い、死なないで!」


 エテルネルの目から、大粒の涙がこぼれ落ちた。

 姉を抱きしめる腕が震える。


「お願い……リアン……! 私を置いていかないで……!」


 だが、弓使いの女性は、そんな二人の姿を見ても表情を変えなかった。

 冷たい目で弓を引き絞り、再び矢を番える。


「君、離れろ!」


 レインが叫ぶ。

 しかし、エテルネルはリアンを抱きしめたまま動かなかった。


 姉を置いて逃げることなど、彼女にはできなかった。

 弓弦が鳴る。一瞬後、放たれた矢がエテルネルの頭部を正確に射抜いた。


 身体が大きく跳ねる。

 抱きしめていたリアンの身体から、エテルネルの腕がゆっくりと滑り落ちた。


 さらに――弓使いの女性は、間髪入れずにもう一本の矢を放った。

 矢は、地面に倒れたリアンの胸へと深々と突き刺さる。


 瀕死の身体が大きく痙攣し、リアンの口から最後の息が漏れた。


 森の出口に、二人の姉妹が倒れている。

 その傍らには、黒魔法に焼かれたアマンダの亡骸。


 逃げ道を塞いでいた三人は、わずかな時間のうちに、すべて地面へと伏していた。


 レインは、その光景を呆然と見つめていた。

 握りしめた拳が、小刻みに震えている。


「これで……終わり」


 弓使いの女性が、低い声で呟いた。

 その声音には、勝利の歓喜も、敵を殺したことへの躊躇もなかった。


 ただ、必要なことを終えた者の冷静さだけがあった。


 あまりにも一方的な結末に、レインたちは息を呑んだ。

 つい先ほどまで、彼らの前に立ちはだかっていた三人。


 ガイルを傷つけられた怒りに身を任せ、命懸けで戦いを挑んできた彼女たち。

 そのすべてが、今は物言わぬ姿となって地面に転がっている。


「ミカ……そこまでしなくても……」


 聖女のような女性が、震える声で呟いた。

 彼女の視線は、頭を射抜かれたエテルネルと、胸に二本の矢を受けたリアンの姿を行き来している。


 治癒術士である彼女には分かっていた。

 あの傷では、もう助からない。


 自分がどれほど治癒魔法を施したところで、失われた命を取り戻すことはできない。

 それでも、目の前の光景を受け入れることはできなかった。


 弓使いの女性――ミカは、そんな彼女の言葉を聞いても表情を変えなかった。

 弓から手を離し、残った矢を静かに矢筒へ戻す。


「やらなければ、私たちが殺されていた」


 短い言葉だった。

 しかし、その言葉には一切の迷いがなかった。


 ミカにとって、これは殺戮ではない。

 生き残るための戦いだった。


 たとえ相手が、怒りに駆られた小柄な少女たちであろうと。

 たとえ、その背後に立つ敵が、黒魔法によって自滅したのであろうと。


 自分たちに向けられた殺意を見逃すつもりはなかった。


 その時だった。

 森の奥から、再び大きな音が響き渡った。


 木々が軋み、幹がへし折れる。

 続けざまに、巨大な木が地面へ倒れ込む轟音が森を震わせた。


 音は、確実にこちらへ近づいている。

 レインの顔から、血の気が引いた。


「まずい……ガイルが来るぞ!」


 レインは、倒れた三人から視線を外し、森の奥へと目を向けた。

 木々の向こうから、何かが迫っている。


 姿はまだ見えない。だが、あれが何なのかは分かっていた。

 ガイルだ。


 怒りと復讐に突き動かされた、かつての仲間。

 あの異常な盾を手にした男が、こちらへ向かっている。


「近くの雑木林に隠れる!」


 レインは声を張り上げた。


「ここで奴に見つかるわけにはいかない!」


 聖女のような女性が、倒れた三人へ目を向ける。


「でも……この子たちを……」


「構っている時間はない!」


 レインは言葉を遮った。

 その声には、焦りと恐怖が滲んでいた。


「ガイルに見つかれば、今度こそ俺たちが殺される!」


 ミカは何も言わず、森の奥へ視線を向けた。

 また一本、木が倒れる。轟音が近づいてくる。


 レインたちは互いに顔を見合わせると、森の脇に広がる雑木林へと駆け込んでいった。

 葉の生い茂った木々の間へ身を滑り込ませ、息を殺す。


 やがて、森の奥から何者かの足音が響き始めた。


 一歩。また一歩。

 踏みしめられた地面が、低く震えていた。


 ガイルが、迫っている。

 復讐の刃から逃れるために、レインたちは身を潜めた。


 だが、その先に待つものが何なのか――彼らには、まだ分からなかった。

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