第16話 こわ~いクラス
その後――何事もなく、エリスは入学手続きを終えた。
エリスの珍妙な質問に対するレナスの逆質問は、いつの間にか有耶無耶になり、結局、学園長の性別が語られることはなかった。
……が、それはどうでもいい。
ともあれ、エリスは無事に、今日からカーヴァイン魔法学園の生徒となることができた。
学年は二年生。
春はとうに過ぎ去り、夏の訪れが近づくこの季節に、エリスは新たな学び舎へと足を踏み入れることになった。
ただし、一つだけ疑問があった。
なぜ、一年生からではなく、二年生への中途入学なのか。
その理由を尋ねると、レナスは少しばかり考える素振りを見せてから、こう問い返した。
「この学園で一番重要なことは、なんだと思う?」
「えっと……頭の良さ、とかですか?」
エリスは悩みながら答えた。
学園なのだから、勉強ができることは大切だろう。難しい計算ができたり、たくさんの知識を持っていたり。そうした能力が評価されるのではないかと思ったのだ。
しかし、レナスは穏やかに微笑んだ。
「頭脳か。それもまた重要だね」
肯定しながらも、レナスはゆっくりと首を横に振った。
「けれど、この学園で特に秀でているべきものがある。いや……正確には、秀でていなければならないものがある」
「それは……?」
「魔法だ」
レナスは、迷いなく言い切った。
「この学園は魔法を学ぶための場所だ。当然、魔法の才能は何よりも重視される。知識も、技術も、研究も、すべては魔法を起点として広がっていくからね」
「は、はい……」
エリスは頷いたものの、なぜそんな話をされているのか、いまひとつ理解できていなかった。
そんなエリスを見つめ、レナスは続ける。
「そして、君には魔法使いとしての潜在的な素質がある」
「……え?」
思いがけない言葉に、エリスは目を丸くした。
「私に、ですか?」
「そうだ」
レナスは当然のことのように頷いた。
「本当なら、一年生や二年生を飛び越えて、六年生から入学させることも考えたのだけれどね」
「ろ、六年!?」
「ああ。だが、さすがに学園の体裁がそれを許さなかった。実に残念だよ」
レナスは本当に残念そうに呟いた。
一方、エリスは困惑するばかりだった。
六年生といえば、この学園の最上級生だ。そんな場所に、入学したばかりの自分が放り込まれるなど、想像するだけでも恐ろしい。
そもそも、自分にそこまでの才能があるとは思えなかった。
「で、でも……私、そんなにすごい才能なんてないと思います」
「ほう?」
「魔法だって、市販の魔導書を読んで、ほとんど独学で覚えただけですし……。まだ、使える魔法もそんなに多くありません」
エリスは自分の手を見つめた。
初めて魔法を使えたときのことは、今でも覚えている。
けれど、それはガイルに教えてもらいながら、魔導書を頼りに何度も練習した結果だった。
特別な才能があったからではない。
少なくとも、エリス自身はそう思っていた。
「……レナス学長。私、本当に――」
「言っただろう?」
反論しかけたエリスの言葉を、レナスが静かに遮った。
「君には、潜在的な素質があると」
その声には、先ほどまでの穏やかさとは違う、確信めいた響きがあった。
「今の君がどれほどの魔法を使えるか。それだけで、君の可能性を測ることはできない。君自身がまだ気づいていないだけで、君の中には、これからいくらでも伸びていく力が眠っているのかもしれないよ」
「それは……」
エリスは口を開いた。
けれど、何を言えばいいのか分からなかった。
褒められているのだろうか。それとも、期待されているのだろうか。
どちらにせよ、自分には大きすぎる評価のように思えた。
「でも、私は……」
なおも反論しようとした、そのときだった。
学園内に、澄んだ鐘の音が響き渡った。
「おや、もうそんな時間か」
レナスは軽く息を吐いた。
「話はここまでだ。君は早く教室へ向かいなさい」
「えっ、あっ、はい!」
「教室の場所は、渡した案内書に記してある。迷わないようにね」
そう言って、レナスは机の上に置かれた書類へと視線を戻した。
「それから、エリス君」
「はい?」
「ここでは、君の好きなことを学ぶといい」
レナスは顔を上げ、エリスを真っすぐに見つめた。
「魔法を極めるもよし。新しい魔法を研究するもよし。勉学に励むもよし。学友を作り、青春を謳歌するもよし」
その口調は、まるでこの学園にあるすべての可能性を語るかのようだった。
「ここは、そうした可能性に満ちた場所だ。君が何を選び、何を成すのか。それは君自身が決めればいい」
「私が……」
「そうだ。存分に、君という存在を振り撒くといい」
レナスは、どこか楽しそうに微笑んだ。
そして、最後にこう告げた。
「そして――君自身の手で、”運命の歯車”を動かすんだ」
「……運命の、歯車?」
エリスは小さく呟いた。
その言葉の意味は、分からなかった。
なぜレナスがそんなことを口にしたのかも。
けれど、不思議と、その言葉だけは胸の奥に残った。
エリスは学長室を後にする直前、ぎゅっと拳を握りしめた。
ここで何を学ぶのか。誰と出会い、何を知り、どんな自分になっていくのか。
それを決めるのは、きっと自分自身なのだ。
かつての自分には、選ぶことすら許されなかった。
生きる場所も、食べるものも、明日の命さえも、自分では決められなかった。
けれど、今は違う。
帰る家がある。自分を待ってくれる家族がいる。
そして今日からは、自分の意志で学び、歩いていける場所がある。
「……頑張ろう」
誰に聞かせるでもなく、エリスは呟いた。
新しい日々が、始まる。
その先に何が待っているのか、今のエリスには分からない。
それでも――この場所で何を成すかは、自分で決めるしかないのだから。
―――。
学長室を後にしたエリスは、長い螺旋階段を今度は下り、少しばかり遅刻してから、ようやく教室の前へと辿り着いた。
レナスから渡された案内書を頼りにやってきたのは、二年Aクラス。
カーヴァイン魔法学園では、生徒一人ひとりの能力や適性、日頃の振る舞いなどを総合的に評価し、五つのクラスに振り分けている。
成績、扱える魔法の階級、授業態度、学習への積極性――。
単純な実力だけでなく、数値では測りにくい部分まで評価の対象となる。
その結果に応じて、D、C、B、A、そしてSの五段階に分けられるのだ。
もちろん、エリスが配属されたのはSクラス……と言いたいところだが、残念ながらそうではない。
彼女が配属されたのは、Aクラスだった。
とはいえ、AクラスはSクラスを除けば、学園内でも特に優秀な生徒が集まるクラスである。
成績も魔法の実力も優れた生徒が多く、将来を期待される者たちが在籍していた。
一方、Sクラスはというと――。
その実態は、謎に包まれていた。
他のクラスとの交流はほとんどなく、在籍する生徒の素性すら、外部にはあまり知られていない。
危険な研究を題材にしているだとか、ノワラ王国では違法とされる黒魔法を扱った授業を行っているだとか、まことしやかな噂ばかりが流れていた。
もっとも、噂というものは往々にして尾ひれがつくものだ。実際には、そこまで大層な場所ではないのかもしれない。
真相を知る者は少なく、少なくとも、今のエリスには確かめようもなかった。
ともあれ、彼女がこれから通うのは、優秀な生徒たちが集う二年Aクラスである。
「…………」
エリスは教室の扉を前にして、そっと胸元を押さえた。
(……緊張するなぁ)
これから、同じ教室で学ぶ生徒たちと顔を合わせる。
どんな人がいるのだろう。ちゃんと仲良くなれるだろうか。
そもそも、途中から入ってきた自分を、みんなは受け入れてくれるのだろうか。
考え始めると、次から次へと不安が湧いてくる。
これまで、エリスはさまざまな人と出会ってきた。
優しくしてくれる人もいれば、傷つけてくる人もいた。
だからこそ、新しい出会いを前にして、期待と同じくらい不安を抱いてしまうのかもしれない。
それでも――せっかく手に入れた、新しい居場所だ。
怖がってばかりでは、何も始まらない。
エリスは小さく息を吸い込み、きゅっと拳を握った。
そして、目の前の扉をノックする。
「失礼します……!」
扉を開けた先では、すでに授業が始まっていた。
教壇の前には、担任と思しき男の教師が立っている。
気怠そうに背中を丸め、教科書を片手に黒板へ文字を書き連ねていた。
その一方で、生徒たちは真剣そのものだった。
教師が黒板に書いた内容を、ノートや羊皮紙へと次々に書き写している。中には、ただ板書を写すだけでなく、教師の説明に合わせて何かを書き加えている生徒もいた。
一目見ただけで分かる。
みんな、優秀なのだ。
(す、すごい……)
エリスは思わず息を呑んだ。
教室全体を包み込む、どこか張り詰めた空気。生徒たちの真剣な眼差し。その一つひとつから、学ぶことへの熱意が伝わってくる。
さすがは、学園でも優秀な生徒が集まるAクラス。
自分は本当に、こんな場所でやっていけるのだろうか。
そんな圧倒されるような感覚を覚えていた、そのときだった。
ふと、気づく。
教室が静まり返っている。
そして――大勢の視線が、自分に集まっていた。
「あっ……」
当然といえば、当然だった。
授業中に扉を開けて入ってきたのだから、注目されないはずがない。
「あ、あの……えっと……」
エリスの顔が、みるみる赤くなっていく。
逃げたい。今すぐこの場から逃げ出したい。
そもそも、もう随分前に予鈴が鳴っていたのだ。あの長い螺旋階段を下りてきたのだから、授業が始まっているのも当然だった。
つまり――遅刻。
完全に不良生徒まっしぐらな状況である。
いや、それだけならまだいい。
今、自分は、この優秀なAクラスの授業を中断させてしまっているのだ。
みんなが真剣に勉強していたのに、自分が入ってきたせいで、その時間を奪ってしまった。
迷惑だと思われていないだろうか。非常識な奴だと思われていないだろうか。
せっかく入学したのに、初日から嫌われてしまったらどうしよう。
不安が次から次へと押し寄せ、エリスの頭の中を駆け巡る。
そんなときだった。
「あ、エリスちゃん! やっと来た!!」
教室の奥から、聞き覚えのある声が響いた。
エリスが顔を向けると、そこには満面の笑みで手を振るルークの姿があった。
「ルークくん……!」
見慣れた顔を見つけた途端、張り詰めていた気持ちがほんの少しだけ緩んだ。
そういえば、ルークもこのAクラスに在籍していると、以前に聞いたことがあった。
知っている人がいる。それだけのことが、今のエリスにはとても心強かった。
すると、教壇の前に立つ男が、頭を掻きながら気の抜けた声を漏らした。
「あ~……そういえば、編入生がいるって聞いてたなぁ」
一瞬、静寂が訪れた。
そして――。
「んなこと忘れるかよ! 担任が!」
「先生、さっきまで普通に授業してたじゃないですか!」
「いや、さすがに名前くらい確認しといてくださいよ!」
教室中から、容赦のない野次が飛び交った。
次の瞬間、どっと爆笑が巻き起こる。
「あ、あはは……」
エリスは目を丸くしたまま、その光景を眺めていた。
想像していたクラスとは、まるで違う。
Aクラスと聞いて、もっと堅苦しく、勉強ばかりに打ち込む生徒たちが集まっているのだと思っていた。
けれど、実際はどうだろう。
教師に遠慮なく野次を飛ばし、それを聞いた教師も、特に怒る様子もなく頭を掻いている。
「いやぁ、ド忘れしてたわぁ……」
「反省してないだろ、フリークス先生!」
「はいはい、うるさいぞお前ら。授業に戻るぞー」
フリークスと呼ばれた男は、面倒くさそうに手を振った。
どうやら、あれがこのクラスの担任らしい。
……本当に、大丈夫なのだろうか。
そんな疑問は浮かんだものの、エリスの胸を満たしていた不安は、いつの間にか薄れていた。
思っていたよりも、ずっと親しみやすい。
このクラスなら、自分もやっていけるかもしれない。
エリスはそっと胸を撫で下ろした。
―――。
それから少しして。
一時的に授業を中断し、エリスの自己紹介をする時間が設けられた。
教壇の前に立つフリークスに促され、エリスは教室の前方へと歩いていく。
教室中の視線が、再び自分へと集まった。
やはり、緊張する。けれど、先ほどとは少し違っていた。
自分を見つめる生徒たちの表情には、好奇心こそあれ、嫌悪や敵意といったものは感じられなかったからだ。
「え~、今日からこのクラスに編入してきた……え~っと……」
フリークスはエリスを見下ろし、首を傾げた。
「…………」
「…………」
「……なんだっけ?」
「エリスです!」
思わず、エリスは声を上げた。
「おお、そうそう。エリスな。悪い悪い」
「せ、先生……」
エリスはがくりと膝を折りそうになった。
この人、本当に大丈夫なのだろうか。
先ほどまでの不安とは別の意味で、心配になってきた。
「んじゃ、エリス。自己紹介よろしくー」
あまりにも軽い調子で促され、エリスは改めてクラス全員へと向き直った。
「エリス・ベルモンドです……! 今日から、よろしくお願いします!」
緊張で胸はいっぱいだった。
それでも、最後までしっかりと声を出すことができた。
あとは、みんながどんな反応をするか。
エリスは恐る恐る、教室を見渡した。
「よろしくー!」
「かわいいね!」
「髪、めっちゃさらさら!」
「ベルモンドって、ルークと同じベルモンド?」
飛んでくる声は、実にさまざまだった。
けれど、そのどれにも、エリスを拒絶するような響きはなかった。
むしろ、みんなが自分を歓迎してくれている。
そのことが、はっきりと分かった。
(……よかったぁ)
エリスの口元に、自然と笑みが浮かんだ。
不安に思う必要なんて、なかったのかもしれない。
だって、こんなにも温かく迎えてくれるのだから。
ここならきっと、新しい友達だって、できるかもしれない。
そんな期待が胸の中で膨らみ始めた、そのとき。
「んじゃあ、エリスは……」
フリークスが教室を見渡し、ある席を指差した。
「カイル、お前の隣でいいか?」
その先には、一人の少年が座っていた。
白と黒。
まるで正反対の色が混ざり合ったような、不思議な髪色をしている。
その隣には、誰も座っていない机と椅子があった。
「ちょうどこの前、お前が病院送りにしたアダムスの席だが……まぁ、今日だけエリスの席ってことで」
「え」
エリスの笑顔が、ぴたりと止まった。
病院送り。
今、確かにそう言った。
一方、指名された少年は、さして気にした様子もなく頬杖をついていた。
「人聞きが悪いこと言わないでくださいよ。あれはアダムス君が勝手に俺の杖で遊んだから暴発しただけで――」
「はいはい、言い訳はよろしい」
「いや、言い訳じゃなくて事実なんですけど」
「そういうことにしといてやるから、黙ってろー」
フリークスはひらひらと手を振り、取り合おうともしなかった。
少年は小さく肩を竦めると、再び頬杖をつく。
まるで、こんなやり取りは日常茶飯事だとでも言いたげだった。
エリスは、少年と空席を交互に見つめた。
白と黒の髪。落ち着いた態度。
そして、病院送りという物騒な言葉。
(……この人、いったい何者なの!?)
先ほどまで感じていた緊張とは、また違うものが胸の奥に芽生え始めていた。




