第17話 これからの日々
自己紹介を終えたエリスは、指定された席に腰を下ろすと、早速授業に耳を傾けた。
魔法学園の授業なだけあって、その内容は魔法に関するものばかりだった。
魔法使いの階級制度。魔法の種類や用途、それぞれの効果。魔法の発動に必要な理論や、実戦における応用方法まで。
どれも、これまで市販の魔導書を読んでいるだけでは知り得なかった内容ばかりだった。
エリスは基礎的な知識こそ身につけていたものの、それ以外についてはほとんど素人同然だった。
魔力の扱い方や、魔法を発動するための基本的な感覚は理解している。けれど、それを体系的に学んだことはない。
教師の説明を聞き、黒板の内容をノートに書き写し、分からない言葉が出てくれば、その意味を考える。
たったそれだけのことなのに、ひどく疲れた。
気を抜けば、すぐに話についていけなくなる。
(いきなり二年生からなんて、やっぱり無理だよ……)
心の中で弱音を吐きながらも、エリスは必死に食らいついた。
せっかく入学させてもらったのだ。
ノルスとルーシュが用意してくれた学用品も、レナスが期待しているらしい魔法の才能も、無駄にはしたくなかった。
そして何より、自分自身がここで学びたいと思ったのだ。
だから、今は頑張るしかない。
そうして、どうにか一時間目の授業を終えた頃には、エリスはすっかり疲れ果てていた。
次の授業までの小休憩。
エリスの周囲には、いつの間にか何人もの生徒が集まっていた。
「エリスさんって、どこから来たの?」
「入学する前は何してたの?」
「魔法はいつから使えるようになったの?」
「好きな食べ物とかある?」
矢継ぎ早に飛んでくる質問。
みんな悪気があって聞いているわけではないのだろう。むしろ、編入してきたばかりの自分に興味を持ってくれているのだと思う。
それでも、どう答えればいいのか分からなかった。
自分の過去をどこまで話せばいいのだろう。
奴隷だったことも、ガイルに救われたことも、何もかも正直に話してしまっていいのだろうか。
「えっと、その……」
曖昧に言葉を濁すエリス。
すると、隣の席から穏やかな声が響いた。
「皆さん、エリスさんが困っていますよ」
声の主は、カイルだった。
「転入してきたばかりなんですから、質問は少しずつにしてあげましょう」
カイルは微笑みながら、集まっていた生徒たちを見渡した。
その言葉を受け、生徒たちは口々に謝りながら、少しずつ散っていった。
エリスはほっと胸を撫で下ろした。
助かった。
そう思って隣を見れば、カイルは何事もなかったかのように自分の机を整えている。
(……なんて、子供らしくない子供なんだろう)
エリスは、彼の横顔をじっと見つめた。
見た目だけなら、自分とさほど年齢は変わらないはずだ。
それなのに、落ち着いた物腰も、周囲への気配りも、どこか大人びている。
出来た人間――いや、大人らしい人。
そんな印象を受けた。
「俺の顔になにか?」
「えっ!?」
突然こちらを向いたカイルと目が合い、エリスは慌てて視線を逸らした。
「い、いや……その、ありがとう」
「何がですか?」
「さっき、みんなに言ってくれたから……」
質問攻めにされて困っていたのは事実だった。
どこまで答えていいのか分からず、どう切り抜ければいいのかも分からなかった。
そんな自分を、カイルはさりげなく助けてくれたのだ。
一人の生徒を病院送りにしたという物騒な話。そして、初対面の相手にも自然に気を配れる、妙に大人びた振る舞い。
まだ彼に対する不信感は拭えない。
けれど、感謝すべきことは感謝すべきだ。
「気にしないでください」
カイルは柔らかく微笑んだ。
「当然のことをしたまでです」
「……そっか」
エリスは小さく頷いた。
その笑顔を見ても、やはり彼がどんな人物なのか、まだよく分からなかった。
―――。
そうして、いくつかの授業をどうにか乗り切った頃。
待ちに待った昼休みがやってきた。
昼食は、学園の大食堂で学食を食べてもいいし、持参した弁当を食べてもいい。校外へ買いに出る生徒もいるらしい。
エリスは朝、ルーシュから渡された弁当を机の上に置いた。
「いただきます……」
そっと蓋を開ける。
中には、綺麗に並べられたサンドイッチがいくつも入っていた。
薄く切られたパンの間には、野菜や卵などの具材が挟まっている。断面まで整えられ、彩りも鮮やかだった。
「わぁ……」
思わず声が漏れた。
こんなに綺麗な食べ物を、エリスはこれまで見たことがなかった。
もちろん、サンドイッチそのものを知らなかったわけではない。けれど、これは違う。
誰かが、自分のために作ってくれたものなのだ。朝早くから台所に立って、自分が喜ぶ姿を想像しながら。
そう考えた途端、胸の奥がじんわりと温かくなった。
(ルーシュさん……)
エリスはそっと胸元に手を当てた。
これが、家族の温もりなのだろうか。
帰る場所があること。自分のために何かを用意してくれる人がいること。
そして、その人の優しさを、こうして当たり前のように受け取れること。
その一つひとつが、エリスにはたまらなく嬉しかった。
「エリスちゃん!」
感慨に浸っていると、聞き慣れた声がした。
顔を上げると、そこには同じ弁当を手にしたルークが立っていた。
「一緒に食べよ!」
「うん!」
エリスは笑顔で頷いた。
ルークは隣の席に腰を下ろすと、自分の弁当を机に置いた。
「おっ、母さんのサンドイッチだ! 今日の昼ご飯、僕も同じなんだよ!」
「そうなの?」
「うん! 母さんのサンドイッチ、おいしいんだよね!」
そう言って、ルークは待ちきれないとばかりに弁当の蓋を開けた。
その中身は、エリスのものとほとんど同じだった。
「じゃあ、一緒に食べようか」
「うん! いただきます!」
二人は揃って手を合わせ、サンドイッチを口に運んだ。
「おいしい……!」
エリスが思わず笑みをこぼすと、ルークも嬉しそうに頷いた。
「でしょ! 母さんの得意料理なんだ!」
「うん。本当においしい」
自分のために作られた食事を、誰かと一緒に食べる。
それだけのことが、こんなにも楽しい。
エリスはサンドイッチをもう一口頬張った。
「そういえば、エリスちゃん。学園には慣れた?」
「えっと……まだ、ちょっとだけ」
「授業はどうだった? 難しかった?」
「うん、すごく難しかったよ。知らないことばっかりで、ついていくのも大変だったけど……でも、楽しかった」
エリスは少し考えてから答えた。
確かに、授業は難しかった。
知らない言葉も多く、先生の説明を理解するだけでも精一杯だった。
それでも、自分の知らなかったことを学べるのは楽しかった。
もっと知りたい。もっと魔法を学びたい。
そんな気持ちが、少しずつ芽生えていた。
「そっか! よかったぁ!」
ルークは自分のことのように喜んだ。
「分からないことがあったら、いつでも聞いてね! 僕に教えられることなら、何でも教えるから!」
「ありがとう、ルークくん」
エリスは微笑んだ。
新しい環境に戸惑うことは、まだまだたくさんあるだろう。
けれど、こうして気にかけてくれる人がいる。それだけで、頑張ろうと思えた。
ふと、エリスの脳裏に、白と黒の髪をした少年の姿が浮かんだ。
「……ねえ、ルークくん」
「ん? どうしたの?」
「カイルくんって、どんな人なの?」
その名前を聞いた瞬間、ルークはきょとんと目を瞬かせた。
「カイル君? どうして?」
「えっと……隣の席だから」
エリスはサンドイッチを手にしたまま、少しだけ視線を落とした。
「今日、いろいろ助けてもらったんだけど……先生が、カイルくんはアダムスくんを病院送りにしたって言ってたから」
「ああ! その話か!」
ルークは納得したように声を上げた。
「カイル君は、二年生の中でもかなり優秀な生徒だよ!」
「優秀……?」
「うん! 保有魔力量もすごいし、使える魔法もそこらの同級生とは桁違いなんだ。模擬試験だって、今の二年生でカイル君に勝てる人はいないんじゃないかな!」
ルークは尊敬の念を隠そうともせず、次々と言葉を重ねた。
「勉強もできるし、魔法の実技もすごいし、それに先生たちからの評判もいいんだよ!」
「へぇ……」
エリスは曖昧に頷いた。
確かに、すごい人なのだろう。
けれど、聞きたいのはそういうことではなかった。
「……そうじゃなくて」
「ん?」
エリスは周囲をちらりと見渡した。
幸い、近くにいる生徒たちはそれぞれ友人との会話に夢中になっている。
エリスはルークの方へ身を寄せ、声を潜めた。
「カイルくんって……怖い人なのかと思って」
「…………」
ルークは一瞬、ぽかんと口を開けた。
そして、次の瞬間。
「あははははっ!」
盛大に笑い出した。
「えっ!? な、なんで笑うの!?」
「ご、ごめん! だって、カイル君が怖い人って……あははっ!」
ルークは笑いを堪えようとしたものの、どうにも無理だったらしい。
エリスは頬を膨らませた。
「も、もう……!」
「ごめんごめん! でも、そんなわけないよ!」
ようやく笑いを収めたルークは、目尻に浮かんだ涙を拭いながら答えた。
「カイル君は、すっごく優しい人だよ。獣族の人たちとも仲がいいし、困ってる人がいたら放っておけないんだ。それに――」
ルークは、ふと思い出したように声を弾ませた。
「もしかして、フリークス先生が言ってたことが気になってるの?」
「う、うん……」
「だったら、あれはカイル君が悪いわけじゃないよ!」
ルークは身を乗り出した。
「本当にアダムス君が勝手にカイル君の杖を使ったんだ。それで魔法が暴発して、大怪我をしちゃっただけ!」
「魔法が……暴発?」
「そう! カイル君はちゃんと止めようとしたらしいんだけど、アダムスくんが聞かなかったんだって。しかも、カイル君は怪我をしたアダムス君に治癒魔法まで掛けてあげたんだよ!」
「えっ……治癒魔法まで?」
「うん! 普通、そこまでしてあげると思う!?」
ルークは呆れたように笑った。
「だから、カイル君はお人好しなんだよ。あんなに強いのに、誰かを傷つけることより、助けることを考えるんだから」
「…………」
エリスは黙ってサンドイッチを見つめた。
病院送りにした、と聞いたときは、どんな恐ろしい人物なのだろうと思った。
けれど、話を聞く限り、どうやら自分の想像とは違うらしい。
もちろん、ルークの話だけですべてが分かったわけではない。
カイルがどんな人間なのか。それは、これから自分の目で確かめていけばいい。
エリスは小さく頷いた。
「……そっか」
「うん!」
ルークは満足そうに笑い、再びサンドイッチへと手を伸ばした。
「まあ、カイル君のことなら、本人に聞いてみるのが一番だよ!」
「そ、そうだね……」
エリスは隣の席へ、ちらりと視線を向けた。
今は昼休みだ。カイルもどこかで昼食を食べているのだろう。
また教室で顔を合わせたら、少し話してみよう。
そう思いながら、エリスはサンドイッチを口に運んだ。
柔らかなパンと、優しい具材の味が口いっぱいに広がる。
今日という一日は、まだ始まったばかりだ。
新しい学園。新しい友達。
そして、まだよく知らない隣の席の少年。
これからどんな日々が待っているのだろう。
エリスは、胸の奥に小さな期待を抱きながら、ルークとの昼食を楽しんだ。




