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Herobrave's Hope -英雄たちが遺した希望-  作者: かげ2500
第2章 『入学編』

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第14話 恰好良い人

「……こんな僕のために、ありがとう」


 帰り道、ルークは隣を歩くエリスに向かって、そう言った。

 その声は震えていた。今にも泣き出しそうな顔をして、何度も目元を拭っている。


「……」


 エリスは、そんなルークを見つめた。


「……そんなこと、なんて言わないで」


「え……?」


「自分のことを……”こんな”、なんて言わないでほしい」


 エリスは真っ直ぐにルークを見ていた。


「ルークくんは、優しい人だよ」


「……っ」


 ルークは何も言えなかった。

 胸の奥が、じんわりと熱くなる。けれど、顔を上げることはできなかった。


「……ありがとう」


 ようやく絞り出した声は、やっぱり震えていた。

 それ以上、言葉は続かなかった。


 二人は再び歩き始めた。

 空は、すっかりオレンジ色に染まっていた。傾いた太陽が、街並みを赤く照らしている。


 昼間の賑わいが嘘のように、通りは静かだった。

 二人の足音だけが、ゆっくりと響く。


 エリスは何も言わなかった。ルークも、何も言えなかった。

 ただ、隣を歩いていた。


「……」


 ルークは、ちらりと隣を見た。

 エリスの横顔が目に入る。けれど、すぐに視線を落とした。


 ――恰好悪いところを見せてしまった。

 そう思った。


 格好つけて街を案内して、自分の知っている店を我が物顔で紹介して、エリスに楽しんでもらいたくて、張り切っていた。


 なのに、いざとなったら何もできなかった。


 怖くて、逆らうこともできなくて。

 殴られても、ただ耐えることしかできなかった。


 それどころか、エリスに助けられてしまった。


「……」


 情けなかった、恥ずかしかった。

 何より――エリスに、あんな姿を見られてしまったことが辛かった。


 きっと、失望しただろう。

 自分のことを、弱くて情けない奴だと思ったに違いない。


 せっかく仲良くなれたと思ったのに。これから、一緒に暮らしていくのに。

 もう、今までのようには接してくれないかもしれない。


 そんな考えが、頭の中をぐるぐると回っていた。


「……」


 ルークは、ますます顔を上げられなくなった。

 隣を歩くエリスの顔を見ることができなかった。


 赤い夕陽が、二人の影を長く伸ばしていく。

 その影は、寄り添うように並んでいた。

 けれど、ルークの心は、ひどく遠くに離れてしまったような気がしていた。


「……ルークくんは、恰好良い人だよ」


 そのとき、ふとエリスが呟いた。


「……え?」


 ルークは思わず顔を上げた。

 まるで、自分の心を読み取られたかのような言葉だった。


「僕が……恰好良い人?」


 エリスは前を向いたまま、こくりと頷いた。

 ルークは困ったように笑った。


「そんな……だって、僕はそんな奴じゃないよ」


 言葉を重ねるたびに、声が小さくなっていく。


「アダムス君たちに抵抗することもしなかった。……諦めて、ただ我慢して、いつか終わってくれるんじゃないかって、祈ることしかできなかったんだ」


 最後の方は、ほとんど独り言のようだった。


 ルークは、自分が弱い人間であることを知っていた。

 諦めればいい。我慢すればいい。

 何もせず、ただ耐えていれば、いつか終わる。


 そうやって自分に言い聞かせてきた。

 いつか、彼らが飽きてくれることを願いながら。


 自分が傷つくだけで済むのなら、それでいい。

 そう思うことで、何とか毎日をやり過ごしてきた。


 争うことを諦め、抵抗することを諦め、自分自身にさえ期待しなくなっていた。

 それは、弱者の考え方なのかもしれない。


 実際、ルークは小柄だった。

 腕も細く、身体つきも華奢で、表情にはいつも気弱な色が浮かんでいる。


 自分が誰かに勝てるとは思えなかった。

 だからこそ、争わないことを選んだ。

 それが自分にできる、唯一のことだと思っていた。


 けれど。


「そんなこと、ないよ」


 エリスは、はっきりと言った。


「……え?」


 ルークが目を丸くする。


 エリスは足を止めなかった。

 夕陽に照らされた道を、ゆっくりと歩きながら続ける。


「ルークくんは、やり返さなかった」


「……」


「どんなに辛い目に遭っても、苦しくても、恥ずかしくても……ルークくんは、”争いを選ばなかった”」


 その言葉に、ルークは息を呑んだ。


 ”争いを選ばなかった”。

 そんな風に考えたことは、一度もなかった。


 自分はただ、怖かっただけだ。

 逆らえば、もっと酷い目に遭う。抵抗すれば、もっと痛い思いをする。

 だから、我慢した。


 そうするしかなかった。

 それを、争いを選ばなかったと言うのだろうか。


「……でも、僕は」


「怖かったんだよね?」


 エリスは、そっと尋ねた。

 ルークは言葉を失った。


「……うん」


 小さく頷く。


「怖かった。ずっと……怖かったんだ」


 口にした途端、胸の奥に押し込めていたものが、少しだけ溢れ出した。


 情けないと思っていた。恥ずかしいと思っていた。

 誰にも知られたくなかった。


 なのに、エリスはそれを責めなかった。


「そうだよね」


 エリスは静かに頷いた。


「……怖いよね」


 その声は、どこまでも優しかった。


 ルークは、隣を歩くエリスを見つめた。


 彼女は何も知らないはずだった。

 自分がどれほど臆病なのかも、どれほど情けないのかも。

 それなのに、まるでずっと前から知っていたかのように、そう言ってくれた。


「……」


 ルークは、再び顔を伏せた。


 けれど、今度は先ほどとは少し違っていた。

 胸の奥が、じんわりと熱かった。


 夕陽が、二人の横顔を赤く染めている。

 エリスは前を向いたまま、歩き続けた。


「……私もね」


 そして、ぽつりと呟いた。


「……本当は、私も怖かったんだよ」


 エリスの言葉に、ルークは顔を上げた。


「怖かったって……」


「うん。アダムス君たちに立ち向かうのも、魔法を使うのも。……本当は、すごく怖かった」


 そう言って、エリスは苦笑した。


 あのときの自分を思い出す。

 震える手。動かない足。逃げてしまいたいという気持ち。

 それでも、ルークを助けたいと思った。


 その理由を、今なら少しだけ言葉にできる気がした。


「……私ね。少し前まで、奴隷だったんだ」


「え……?」


 ルークは思わず足を止めた。

 エリスも立ち止まり、静かに彼を見つめる。


「奴隷……だったの?」


「うん」


 あまりにも淡々とした返事だった。

 ルークは何かを言おうとしたが、言葉が見つからなかった。


 エリスが奴隷だった。

 それがどういうことなのか、ルークには想像することしかできない。

 けれど、簡単に聞き返していい話ではないことくらい、分かった。


 だから、ルークは何も尋ねなかった。

 ただ、エリスの次の言葉を待った。


「……私はね、一度、全部諦めたことがあるんだ」


 エリスは、赤く染まった空を見上げた。


「生きることも。明日が来ることも。……何もかも、どうでもよくなっちゃった」


 声に悲しみはあった。

 けれど、そこに当時の絶望はなかった。

 それは、もう遠い過去のことだったから。


「そんなときに、ある人が私を助けてくれたの」


 エリスの表情が、ほんの少しだけ和らいだ。


「その人は、私にいろんなことを教えてくれた。文字の読み書きも、ご飯の食べ方も、魔法も……。それから、人を信じることも」


「……」


「その人のおかげで、私は暖かさを知ったんだ」


 家族の暖かさ。誰かと食卓を囲むこと。自分のことを心配してくれる人がいること。帰る場所があること。

 そんな、当たり前のようでいて、かつての自分には何一つなかったもの。


「それからも、いろんなことがあったよ。楽しいことも、辛いことも……たくさん」


 エリスは小さく笑った。


「勇者に拾われて、少しの間、一緒に旅をしたこともあるんだよ」


「勇者……!?」


 ルークの目が丸くなる。

 けれど、すぐに口を閉じた。


 今は、驚いて話を遮る場面ではない。

 そう思ったのだろう。


 エリスはそんなルークを見て、微笑んだ。


「そこでね、私はいろんなものを見たの」


 風景も、知らない街も、たくさんの人たちも。

 そして――。


「怖くても、前に進む人たちを見た」


 エリスは自分の手に目を落とした。

 小さな手だった。けれど、この手で魔法を使い、誰かを傷つけたことがある。


 誰かを守るために、力を振るったこともある。


「怖いって気持ちを、力で押し殺すんだよ。怖くないふりをして、立ち向かうの」


 そう言いながら、エリスは自分の拳をそっと握った。


「私も、そうしてきた」


 怖くても、前に出る。震えていても、魔法を使う。

 恐怖を押し殺して、相手を倒す。


 それが、自分の知っている戦い方だった。


「……でもね」


 エリスは、握った拳を見つめたまま続けた。


「私には、こんな方法しか知らないんだ」


 ルークは、じっとエリスを見つめていた。


「怖いから、怖くないように頑張る。怖くても、相手を倒せるように頑張る。……そうやって、何とかしてきただけなの」


 それは、エリスが身につけた生き方だった。

 そうしなければ、生きてこられなかった。


 だから、今日もそうした。


 けれど。


「ルークくんは、違った」


「……僕?」


「うん」


 エリスは顔を上げた。


「ルークくんは、怖かったんだよね。私と同じように」


「……うん」


「でも、ルークくんは、私みたいに相手を傷つけようとはしなかった」


 ルークは、何も言えなかった。


「それって、簡単なことじゃないんだよ」


 エリスは少しだけ困ったように笑った。


「私は、怖いときにどうすればいいのか、あんまり知らないから。……だから、ルークくんがすごいと思った」


「……」


「私は、ルークくんみたいにはできないよ」


 夕陽が、二人の間を赤く照らす。


「だからね」


 エリスは、もう一度、はっきりと告げた。


「ルークくんは、恰好良い人だよ」


 ルークは俯いた。

 胸の奥が、苦しいほど熱くなっていた。


 ずっと、弱い自分が嫌いだった。

 怖くて、何もできなくて。誰かに助けてもらうことしかできない自分が、情けなかった。


 けれど、エリスはそんな自分を恰好良いと言ってくれた。

 自分にはできないことを、ルークはしているのだと。


「……っ」


 目の奥が熱くなる。

 慌てて顔を背けたが、もう遅かった。

 涙が一粒、頬を伝った。


「……ありがとう、エリスちゃん」


 今度の声は、先ほどよりも少しだけ、しっかりしていた。

 エリスは何も言わず、隣を歩いていた。


 オレンジ色の空の下、二人の影が長く伸びていく。

 ルークは、もうエリスの顔から目を逸らさなかった。

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