第71話
――覚えていろ――
この世の全ての恨みつらみがこもったような悍ましい声。
――必ず……必ずオマエを――
この世の全ての怒り憎しみがこもったような恐ろしい眼。
私はそれを、ただ呆然と見ていた。
「コハルさま?」
「!」
可愛らしい声にハっとして視線を落とすと、つぶらな瞳が私を心配そうに見上げていた。
「大丈夫ですか? コハル様」
「あ……」
続けてローサにも訊かれ大丈夫と答えようとしたけれど、喉に何かつかえたように声が出なくて。
「聖女様?」
クレマ王子も膝を着いたままこちらを不安そうに見上げていて。
私はこくりと生唾を飲み込み、なんとか笑顔を作った。
「も、勿論です。もし本当に魔王が復活するというなら、聖女として出来る限りのことは」
その声は少し震えてしまっていたかもしれないけれど。
それでも「ありがとうございます」ともう一度頭を下げられて、私はドクドクと低く響いている胸を押さえた。
それから私たちは、街の皆を元気付けて欲しいとクレマ王子に頼まれ、先ほど彼が出てきた街で一番大きく立派な建物に足を踏み入れた。
普段ここは街の集会場として使用されていて、今は多くの人がこの中で手当てを受けているのだそうだ。
「大丈夫? 聖女サマ」
「え?」
廊下を歩きながら前を行くカネラ王子に訊かれ、思わず呆けた声が出てしまった。
「顔色悪いから」
「だ、大丈夫です」
顔を引き締め答えると、カネラ王子は「そ?」と短く言ってすぐに前に向き直った。
(カネラ王子にまで心配されるなんて……)
私は今そんなに酷い顔をしているだろうか。
――魔王が復活すると聞いて、あのときの光景が一気にフラッシュバックした。
あのとき、最後に見た魔王の姿が……。
軽く頭を振って深呼吸をする。
元々私は魔族たちの調査、ひいては魔王の復活を阻止するためにこの国に来たのだ。
少し予定とはズレてリューを追いかけてここまでやって来たけれど、魔族たちのことは一度ちゃんと調査をする必要がありそうだ。
(しっかりしなきゃ)
ぎゅっと拳を握り締めた、そのとき。
「本当に大丈夫ですか? もしご気分が悪ければ」
傍らのローサからも心配の声がかかって苦笑する。
「ううん、本当に大丈夫。ありがとう。ちょっとびっくりしちゃって」
「そうですね……。魔族たちのただの妄言だと良いのですが」
「嘘に決まっているのです。魔族の言うことなんて信用できません!」
そんなローサとメリーの言葉にヒヤリとする。
彼に、聞こえてしまっただろうか。
彼、カネラ王子も実は魔族だということは、ローサにもメリーにもまだ話していない。
『砂漠の国』が魔族に襲われているという話は私をおびき寄せるための王子の嘘だった、とは伝えたけれど、カネラ王子自身が魔族だということは、なんとなくふたりにも言い出せなかったのだ。
――それに。
前を歩くカネラ王子の背中を見つめて、先ほどのクレマ王子とのやりとりを思い出す。
(兄弟からあんな疑いの目を向けられて、王子こそ大丈夫なんですか?)
気になったけれど、訊けるはずもなかった……。
「皆、聞いてくれ! あの聖女様がこの街においでくださったんだ!」
広間に出た途端クレマ王子のそんな大声が響いた。
私は目の前の光景とむせかえるような血の匂いに息を呑んだ。
大勢の負傷者が広間の床に寝かされていた。
若い男性が多いけれど、女性や子供、老人もいて無差別に攻撃を受けたことが見て取れた。
これも7年前に良く見た光景で、死者がいないことが奇跡に思えた。
そんな彼らの視線が私に集中する。
「聖女様?」
「聖女……?」
「あの人が?」
ちらほらとそんな小さな声が聞こえてくる。
当然だ。こんな状況でいきなり『聖女』が来たなんて言われてもすぐには信じられないだろう。
7年前はこの反応が当たり前だった。
私は少しでも聖女らしくと姿勢を正し頭を下げた。
クレマ王子が続ける。
「これで、もしまたあいつらが襲ってきても恐れることはない。だから皆安心して今は身体を休めて欲しい」
それでも、人々は半信半疑の様子で。
カネラ王子が小さく息を吐いた、そのときだった。
「聖女様、お父さんを助けてください」
「え?」
か細い声が聞こえて見れば、小さな男の子が立ち上がっていた。
その子の足元には胸から腹にかけて包帯を巻いた男性がぐったりとした様子で寝ていて。
今にも泣きそうな顔で男の子は続ける。
「傷が深くて、このままでは死んでしまうと……聖女様、どうかお父さんを助けてください!」
それが皮切りとなった。
「聖女様! うちの人もお願いします!」
「うちの息子も……!」
「聖女様! どうか、助けてください!!」
「お願いします!」
口々に、皆が私に助けを求めた。
なのに私は何も言えなかった。
何も、答えられなかった。
だって私にそんな力はない。
『聖女』なんて立派な名前なのに、私に治癒の力はない。
私がこの異世界で授かったのは魔物を倒すために特化した力。ただそれだけだ。
それでも、人々の助けを求める声は鳴りやまない。
「聖女様!!」
私はゆっくりと口を開く。
「……ごめんなさい、私には」
「メリーが癒しの魔法をかけますか?」
「え?」
つぶらな瞳が私をじっと見上げていた。
「メリーの魔法なら、皆を助けられると思います」




