第56話
「コハルさま! 『砂漠の国』が見えてきたのです!」
そんなはしゃいだ声で目を覚ました私は、ハンモックから下りてメリーの貼り付いている小窓を覗いた。
確かに、朝もやで霞んだ水平線上にうっすらと大陸らしきものが見える。
竜の国を発って6日目の朝。
どうにか無事砂漠の国に到着できそうだ。
(やっと船酔いから開放される……!)
あれからも海が少しでも荒れれば船酔いに襲われ、その度にメリーに癒しの魔法を掛けてもらったり甲板に出て外の空気を吸ったり、ここ数日本当に陸地が恋しかった。
「甲板に出てみようか」
「はい!」
もうひとつ掛かったハンモックでは小さなリューがまだスヤスヤと寝息を立てていて、起こすほどのことでもないので私はそのまま静かに部屋を出た。
ちなみにリューと一緒のハンモックで寝たのは初日だけ。2日目からは別々のハンモックで寝ていた。
リューは最初不服そうだったけれど、一応今は“竜帝の弟”ということになっているのだ。一緒に寝ているところを誰かに見られてあらぬ噂でも広まったらどうするんですかと言ったら渋々納得してくれたようだった。
「それと、不必要な接触も控えるようにしてください」
「不必要な接触とは?」
ぶすっとした顔で訊かれ私は毅然とした態度で答えた。
「今朝の、額にキスとかそういうのです!」
「抱きしめるのは」
「ダメです!」
「……手を繋ぐのもダメか?」
「うっ」
その懐かしい姿で、上目遣いでじっと見つめられるとどうにも弱い。
結局、そのくらいなら問題ないかとOKしてしまった。
(あれはわかっててやってるのかな。それとも素?)
どちらにしてもタチが悪いなぁと数日前のことを思い出しながらメリーとローサと共に甲板に出ると、先客がいた。
「カネラ王子、おはようございます」
「ん? ああ、おはよ~」
船縁に肘をついて海を眺めていた彼がこちらを振り向いた。
メリーがささっと私の背後に隠れる。
王子はローサと挨拶を交わしたあとで私に訊ねた。
「今日は調子どう?」
「大丈夫そうです。ありがとうございます」
「なら良かった」
彼は再び視線を海の方にやって、私もその隣に立って早朝の潮風を思いっきり吸い込んだ。
砂漠の国が近くなってきただけあって、昨日あたりから気温がぐっと上がってきていた。
今はまだ水平線近くで赤く輝いている陽が昇ってきたら更に暑くなりそうだ。
砂漠の国は、7年前訪れた国の中で一番暑く、そして空気がとても乾燥していた。
その名の通り国の殆どが砂漠地帯であり、その中でも水と緑が存在している奇跡のような場所、オアシスで人々は生活していた。
カネラ王子たちが住まう王宮も、そんなとても美しい場所にあった。
(心配だよね……)
遠く見えてきた大陸の方をじっと見つめる王子を横目で見て思う。
自分の国が正体不明の何者かに攻撃されているのだ。心配でないはずがない。
――心配と言えば、もうひとつ。
カネラ王子のことでここ数日ずっと気になっていることがあった。
彼はこの船上でも、いつもひとりなのだ。
てっきり従者のひとりでも船にいるものと思っていた私は、流石に彼のことが心配になってきていた。
この船にはおそらく20人近くの乗組員がいて、その彼らと話しているところも見たことがない。
更に言えば、彼らが一国の王子様であるカネラ王子に挨拶をするような場面も一度も見ていなかった。
(7年前はお付きの人が何人かいた気がするんだけどなぁ)
――まぁ、俺は王子っていっても三番目だからね。
数日前の王子の言葉が蘇る。
(そういう問題なのかな)
「今朝は一緒じゃないんだ」
「え?」
カネラ王子は海ではなく私を見ていた。
「竜帝の弟くん。いつも聖女サマにくっついてるから、今日はいないんだと思って」
「あ、あぁ。まだ寝ていて、起こすのも申し訳ないので」
内心ギクリとしながら答える。
「そう。……なんというか、兄弟ほんとそっくりだよね」
「あ、ははは。ですよね~」
乾いた笑みを浮かべながら、とりあえず話を変えることにした。
「心配ですよね」
「え?」
「王子が不在の間、何もなかったらいいのですが」
「ああ、……うん」
彼は頷いて、また海の方を見つめた。
「まぁ、王や兄様たちがいるから問題ないとは思うけど。早く聖女サマを連れて帰って皆を安心させてやりたいよ」
そんな王子の言葉に小さく驚く。
「……やっぱり、変わりましたね。カネラ王子」
「え?」
王子はこちらを見てパチパチと目を瞬いた。
「以前は、なんというか、あまり国のことに関心があるように見えなかったので」
「あぁ……」
「すみません、失礼なことを言いました」
頭を下げて謝罪すると、カネラ王子はふっと苦笑した。
「いやぁ、その通りだったからね。さすがは聖女サマ。なんでもお見通しだ」
さすがと言われるほどのことではないのだけれど。
「まぁでも、俺が変わったように見えたんなら、それは多分、聖女サマのお蔭かな」
「え?」
今度目を瞬いたのは私の方だった。
「自分には全く関係のない国……や、世界のために、なんかやたらめったら必死になってる聖女サマを見てたらさ」
(やたらめったら必死にって……)
そんな言い方をされると、なんだか無性に恥ずかしい。
でもそんなことには気付かない様子でカネラ王子は続けた。
「それに比べて俺は何してんだろって、思ったんだよねぇ」
「王子……」
「だから、俺は」
「やはり暑くなってきたな!」
「!?」
大きな声と共に急に割り込むように私たちの間に入ってきたのは小さなリューだった。
ぎゅっと手を握られて強く引っ張られる。
「部屋に戻るぞ、コハル」
「え? でも、今話を」
カネラ王子の方を見ると、彼は首を横に振った。
「あぁ、いいよ。港が近くなったらまた声をかけるから」
「すみません、お願いします」
リューにぐいぐいと手を引っ張られながら頭を下げ、私は甲板を後にした。




