第38話
「――ル、コハル?」
「え?」
ハっと顔を上げると、リューが心配そうに首を傾げていた。
「大丈夫か? 何度か呼んだんだが」
「す、すみません! ちょっとぼーっとしちゃって」
いけない。
食事中だと言うのに手が止まってしまっていた。
私は大きなお皿に乗った料理を口に運んだ。
「セレスト、あまりコハルに無理をさせるな」
リューが後ろに控えている彼に溜息交じりに言うのを聞いて慌てて首を振る。
「いえ、全然無理なんて……! セレストさんの授業はわかりやすくてとても勉強になりました」
「ならいいが」
「お蔭でティーアからの手紙にコハルって名前が書かれていたのも読めるようになったんです」
笑顔で言うと、セレストさんが軽く頭を下げた。
「それは何よりです」
「それで、手紙の内容はわかったのか?」
「え……」
リューに訊かれてどきりとする。
『 コハルを向こうの世界に帰してあげられなくなってしまったの 』
先ほど聞いたティーアの声が耳に蘇った。
彼にこのことを伝えるべきか、否か。
(やっぱり何かあったら大変だし、きっと伝えた方がいいよね)
「内容は、やっぱりもう少し文字の勉強しないと読めなさそうです」
苦笑しながら、思っている事と全く違うことを口にしていて、そんな自分に驚く。
「そうか。早く読めるようになるといいな。わからないところがあったらいつでも訊くといい」
「はい。ありがとうございます」
お礼を言いながら、罪悪感でチクチクと胸が痛んだ。
「はぁ……」
色とりどりの花びらの浮いたお風呂に浸かって溜息を吐く。
向こうの世界に未練なんて何もなかったはずなのに。
帰れなくなったと知って、こんなにも心が不安定になるなんて思わなかった。
(結局、この世界で生きる覚悟なんて全然出来ていなかったんだ……)
自分が嫌になる。
――それに。
(なんでリューに言えなかったんだろう)
もしかして私はリューを疑っているのだろうか。
リューなわけがないのに。
だってあの夜、一緒にいたのに。
(でも、私が寝た隙にこっそり抜け出して花の国まで飛んでいけば……)
そこまで考えてぶんぶんと首を振る。
彼はそんな酷いことが出来るような人じゃない。
(じゃあ、一体誰がそんなことを……?)
私を向こうの世界に帰したくない人。
この世界に留まらせたい人。
そのとき、ふいにセレストさんの声が蘇った。
『聖女であるコハル様を竜帝妃としてお迎えすることは我が国にとって、とても大きな力となりえます。今頃はどの国でも大変な騒ぎになっているでしょう』
(私の……ううん。聖女の力が欲しい、他の国の誰か?)
この世界で出会った人たちの顔が次々と浮かんで、パンっと自分の両頬を叩いた。
(知っている人たちを疑うなんて、したくないのに……)
自己嫌悪で涙が出そうだった。
……ティーアは何かわかったらまた手紙をくれると言っていた。
今はそれを待つしかない。私に出来ることは何もないのだから。
(リューには、それからちゃんと伝えよう)
――そう思った。
「コハル」
寝室に入ると、リューはすでにベッドに横になっていた。
起き上がった彼に笑顔で迎えられて、そんな彼の元へと向かう。
優しく抱き寄せられて、その温もりに少しだけ不安が和らいだ気がした。
「コハル、やはり何かあったろう」
「え、」
「なんだか、泣きそうな顔をしている」
優しい金の瞳に見つめられて、どきりとする。
「心配事があったらなんでも言って欲しい。出来る限りのことはするぞ」
そんな優しい言葉にまた胸が痛んだ。でも。
――向こうの世界に帰れなくなったと言ったら、リューはどんな反応をするのだろう。
(それを知るのが、怖い……)
精一杯の笑顔を作って口を開く。
「実はセレストさんの授業で昔は国同士の争いが絶えなかったと聞いて、ちょっとショックで」
「ああ、それでか」
リューは納得してくれたようだった。
「それに魔王が封印されて、今再び争いが起きはじめていると……」
「あいつ、もうそんなことまで話したのか」
呆れたように息を吐いて、リューはまっすぐに私を見つめた。
「俺は国同士で争っていた時代のことは知らないが、魔王との戦いで争いの悲惨さは知っている。俺が竜帝でいる間はこの国で争いなど絶対に起こさないつもりだ」
そうして彼は微笑んだ。
「だから安心していい」
(リュー……)
彼が、心底から私を安心させようとしてくれているのがわかる。
「どうだ、少しは元気が出たか?」
「はい。ありがとうございます」
笑顔で言うと、彼はもう一度私を抱きしめた。
「今日も抱きたい」
「――っ」
「と思っていたが、やめておこう」
髪を撫でられて、胸がきゅうと苦しくなる。
「さぁ、寝るか。明日もセレストの授業はあるだろうからな。しかし、またキツイことを言われたらすぐに俺に言え。あいつは加減というものを知らないからな」
「はい」
ふふと小さく笑いながら頷くと、彼は私の額にキスをくれた。
「おやすみ、コハル」
「おやすみなさい、リュー」
――やっぱり、この優しい人が聖殿を壊すなんて酷いことするはずがない。
わかっているのに、本当のことを言えずにいる自分が嫌で苦しくてたまらなかった。




